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Kali Ma(カーリー・マー)

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 「黒い母親」の意で、創造・維持・破壊を司るヒンズー教の三相一体の女神。現在では、とくにその「破壊者」の相が一般に知られている。カーリーは、彼女のであるシヴァの屍の上にしゃがみこんで、のはらわたを貧り食い、同時に、彼女のヨーニ(女陰)は、シヴァのリンガ(男根)を呑みこんでいる。カーリーは、「飢えている大地であり、自分が生んだ子供たちを貧り食い、彼らの屍によってわが身を肥やす。……『恐ろしい母親』という体験は、インドの地で、カーリーという最も壮大な姿を与えられた。……しかし、忘れてならないのは、以上のようなカーリーの姿が単なる『女性』のイメージではなく、何よりもまず『母性』のイメージであるという点である。 誕生と生は、つねに深いところで、死と破壊につながっているからである」[1]

 カーリーは、誕生と死をもたらす母親の線源的な原型イメージであり、子宮であると同時に墓であり、生命を与える者であると同時に子供らを貧り食う者だった。古代の数多くの宗教には、この母親のイメージが例外なしに描かれていた。現代の心理学者にしても、このイメージに直面するとき、その力強さを感じて不安を覚える。怒りに燃え、罰を下し、去勢を執行する「父親」のイメージにしても、この破壊的な「母親」のイメージに比べれば、なぜか恐ろしさに欠けるところがあるように思われる。それは、母親が、死という冷厳な現実を象徴しているのに対して、父親の方は、その存在も定かでない死後の裁きという、仮定の上に立っていたにすぎないからであろう[2]

 カーリーを崇拝していたタントラの信者たちは、自分らを養い育ててくれるカーリーの美しい母性的な側面から、数々の「恩恵」を遠慮なくいただいているのだから、死の恐怖というカーリーの「呪い」の方にもいさぎよく目を向けることが大切であると考えていた。彼らにとっての知恵とは、硬貨には必ず表と裏があると知ることだった。生がなければ死もありえないのと同じように、死がなければ生もありえないのである。カーリーを信奉していた賢者たちは、死のイメージに精通するため、火葬場の身の毛もよだつような雰囲気の中で、カーリーと霊的な交わりを持った。賢者たちは、「カーリーは、彼(タントラの賢者)の女を生み、彼の肉体を愛し、彼の肉体を滅ぼす。母神カーリーが、彼を引き裂き貧り食う者であることを知らなければ、彼が抱いている女神のイメージは、まだ不完全である」と言った[3]

 西洋の学者の中で、「破壊者」カーリーの恐ろしいイメージの背後にある深遠な哲理を理解していた者は、ほとんどいなかった。いたが、そのラベルには、「カーリー、破壊的なデーモン」としか書かれていなかった[4]。『大英百科事典』には、ロゴスに関するキリスト教的解釈が5つの欄にわたって記述されていたが、ロゴスの起源がカーリーの「創造の言葉」オームにあるということについては、一言も触れていなかった。カーリーそのものについては、ほんの短い段落の中で、シヴァ神の妻で「病気の女神」という記述で片づけられていた[5]。たしかに、カーリーの老婆の相のカーリカーは、病気はもとより、あらゆる種類の死を司っていた。しかし同時に、カーリーはあらゆる種類の生をも司っていたのである。

 カーリーは「存在」を表しており、この存在は、「生成変化」を意味していた。なぜなら、カーリーの世界は永遠に生き続ける流動体であり、万物はそこから生まれて再び消滅するという、果てしない循環をくり返していたからである。カーリーから生まれ、カーリーによって貧り食われた神々は、カーリーに向かって次のように言った。

「御身は万象の根源である。御身は我らの誕生の場所である。御身は全世界のことに通じておられるが、御身のことがわかる者は誰もいない。……御身は緻密にして野放図であり、明らかであると同時に隠れたるもの、無形であると同時に有形の存在である。御身のことが理解できる者は誰もいない。……御身こそが、至高なる原初のカーリカーである。……世界が消滅したのち、御身は再び暗黒にして無形の姿となり、御身だけが、不滅にして想像もおよばぬ唯一者として、存在し続ける。御身には始まりがなく、御身はまた、マーヤーの力によって、さまざまな姿を呈する。御身は、あらゆるものの始源であり、女創造主であり、守護と破壊を司る女主人である」[6]

 バラモンの僧侶たちは、カーリーの3つの機能を3柱の男神に割り当て、その3神を創造者ブラフマー、維持者ヴィシュヌ、破壊者シヴァ(古代におけるカーリーの)と呼んだが、しかし多くの経典では、この男神の三相一体は人為的すぎて気に入らないと反対された。『タントラサーラ』(この『タントラサーラ』をはじめ、『ニルヴァーナ・タントラ』等々のタントラ経典は、タントラ Tantrism の基本的な聖典である。タントラ経典はサンスクリット語、または他の言語で書かれているが、その多くはまだ英訳されていない。現存している経典の起源は6世紀にさかのぼるが、記述されている内容ははるかに古い時代のものである。ヒンズー教タントラ経典の中で最も有名なものに、『シャクティサムガマ』、『クラールナヴァ・タントラ』、『マハーニルヴァーナタントラ』、『タントラ・ラージャ』がある)に記されている祈祷文では、次のように言われていた。「おお、母なる女神よ、世界の根源にして母なる御方よ。御身こそ、唯一の原初の存在であり、無数の生き物の母であり、神々をも作りたまいし女神である。創造者ブラフマー、維持者ヴィシュヌ、破壊者シヴァたちも、御身が作りたまいしものなり。おお母なる女神よ、我は我が言葉を清めて、御身への賛歌を唱えん」[7]。『ニルヴァーナ・タントラ』は、男神たちの権利の主張を、次のように軽蔑の念をこめて扱っている。

「ブラフマー、ヴィシュヌ、マへーシュヴァラ(すなわち、シヴァ)、その他の神々は、始まりさえもない永遠のカーリカーの身体から生まれ出たものであり、消滅の時が到来すれば、再びカーリカーの中に消えていく。おお、母なる女神よ、それゆえ、生きている男性が、カーリカーについての至高の真理を知らずにいる限り、……解放され自由になりたいなどという彼の欲求は笑止千万である。原初のシャクティであるカーリカーのほんの一部からブラフマーが生まれ、他の一部からヴィシュヌが誕生し、更にそのほかの一部からシヴァが出現しているにすぎない。おお、麗しき目を持つ母なる女神よ、川や湖をいくつ並べても広々とした海を凌ぐことができないのと同じように、ブラフマーやその他の神々は、偉大なるカーリーの果てしない無限の存在の中に入るやいなや、彼らの個々の存在は消え失せてしまう。カーリーの広大な海のごとき存在に比べれば、ブラフマーや他の神々の存在など、雌ウシのひづめでできた小さな穴のちっぽけな水たまりにすぎない。雌ウシのひづめでできた小さな穴に大海原の底知れぬ深淵を想像することができないのと同じように、ブラフマーや他の神々はカーリーの本質を知ること ができない」[8]

 原初の深淵から地球を丸ごと持ってきたのは自分であると主張したあの尊大なヴィシュヌでさえも、恩寵のおかげでカーリーについての啓示を得て、次のような詩を書いた。「カーリーこそ、あらゆる変化・発現・破壊の質料因なり。……全宇宙が彼女に依存し、彼女から生まれ彼女の中へ溶解していく。根源的な要素・属性は、すべてカーリーから生じ、明らかな形をとって現象世界を構成する。カーリーは母であり墓である。……神々といえども、『意識』ならびに『潜在的歓喜』というカーリーの母性的実質から作り出されたものにすぎない」[9]

 『ヨーギニー・タントラ』では、カーリーについて、「万物が所有している力(エネルギー)は、どのようなカであれ、その力がこの女神である」と記されていた[10]。シャクティ(「力」)は、カーリーが持っていた重要な名前の1つだった。シャクティとしてのカーリーがいなければ、人間も神も全然活動することができなかったのである。

「産出の面において、積極的でしかも多様な役割を果たすのは、『力』(シャクティ)としてのカーリーである。これは、カーリーが『世界という子供』を受胎し、胎内に保持し、生み落とす場合も同様である。産出にかかわることはすべて、それが人間の母親の役割であるのと同様に、天界の母神の役割でもある。……『母神』カーリーの力があればこそ、人間は『形ある世界』、すなわち『字宙』を持つことができる。質料因としての母神がいなければ、存在は自らを発現することができず、単なる屍に留まる。……至高の存在は母神なのであり、したがって、『母神の膝の上にいさえすれば、父神などは問題でない』と言われている」[11]

 あるタントラ学者の指摘によると、「詩人たちは、神に向かつて『父』と呼びかけるときよりも、女神に向かつて『母』と呼びかげるときの方が、心の叫ぴに一層の親密感が込められているのに気づいた」という。カーリーの詩人たちは、愛情を込めて母神に接した。「母神カーリー・シャクティは感情によって認識される。感情が欠如していて、どうして母神が見えようか」と言った。彼らの見解によれば、「万象は母神カーリー・シャクティであり、母神こそが現実そのものである。『我は母神なり』とシャークタ(男性のシャクティ信者)が唱える。このとき、彼の知覚するものすべてが母神カーリー・シャクティであり、母神は彼が認識する形象の中に宿っている。彼自身の中に宿り、彼の姿をとって、聖なるブドウ酒を飲んでいるのは、母神である。同時に、母神はまた、そのブドウ酒でもある」というのだった。母親が我が子を養うように、母神は詩人を養ってくれるのであり、その結果、詩人は不死を得ることになる。「宇宙の母の乳房で養われた者は、死ぬことがない」のである。『ヨーギニフルダヤ・タントラ』は、「『力』(エネルギー)にして、純粋な『存在-意識-至福』である母神(カーリー・シャクティ)、『時間と空間』であり、同時にその中に存在する万象としての母神、万物の中にあって光を放つ『光明女神』としての母神に、崇拝を捧げよ」と述べている[12]

 「母神」としてのカーリー†は、「慈愛(カルナー)の宝庫」、「世界に生命を与える者」、「生きとし生けるものの生命」などと呼ばれた。破壊的な女神以外の何ものでもないという西洋流の考え方とは逆に、カーリーはあらゆる種類の愛の源泉であり、これらの愛は、現世において女神の代理人である女性を唯一の経路として、世界中に流れ出ていった。それゆえに、カーリーを崇拝する男性は、女性たちを自分の正当な姉とみなし、「女たちの足もとにひれ伏す」と言われた[13]

カーリー
 西洋の学者たちは、カーリーの多様な発現形態や化身を、別々の女神であると誤解していた。この傾向がとくに著しかったのは太古の「母神たち」 matrikadevis の場合であり、母神たちは、とくに分離され一括されて、「ドラヴィダ人の鬼女たち」という名称を与えられた[14]。しかしカーリーの崇拝者たちは、カーリーには何百という名前があり、それらの名はすべて同じ女神の異名であると明言していた。すなわち、サラスヴァティー、ラクシュミー、ガーヤトリー、ドゥルガー、アンナプルナ、サティー、ウマー、パールヴァティー、ガウリー、パガラ、マータンギー、ドゥマヴァティ、ターラー、パイラヴィ、クンダリニー、パルガ、デヴァタなどは、すべて「太女神」カーリーのことだったのである。西洋の異教徒たちの間でも、カーリーは、この「太女神」という称号を与えられていた[15]
 カーリーの古い名称の中には、聖書に取り入れられたものもあった。たとえば、「大地」の意のターラーは、テラピム teraphim と呼ばれたへブライ人の祖霊たちの母親となり、テラと言われた。このカーリー・ターラーは、更に、ケルト人のタラ、ガリア人のタラニス、エトルリア人のトゥラン、古代ローマ人のテラになった。テラは「母なる大地」の意でウェヌス〔ヴィーナス〕と互換可能な女神といわれていた[16]

 イヴという名は、形あるものを発現させるという根源的な女性原理を擬人化した女神、すなわちカーリーのイエヴァあるいはジヴァから派生したものと思われる。

 イエヴァは、「最初の形ある存在」を生み、彼をイダム(アダム)と名づけた。この女神は、旧約聖書でイヴに与えられていたのと同じ称号、すなわち、「生きとし生けるものの母」]aganmata という称号を持っていた[17]

 原初の「深淵」、すなわち、創造の際の経血の「血の海」としてのカーリーは、明らかに聖書のテホム、ティアマートトーフー・ボーフーなどと同じであって、形ある宇宙の消滅とその再度の発現との間の無形の状態を表す「流動」だった。マハーニラ・サラスヴァティ (「大いなる青い川の女神」)としてのカーリーは、たぶん、「ナイル川」という名称の起源になった女神だったと思われる。クンダリニー(「雌ヘビ」)としてのカーリーは、世界を創造したと言われる古代エジプトのヘビ母神に類似していた。クンダリニーは、宇宙が生まれるときに、「創造の動作である螺旋状の動き」を見せて、そのとぐろを解いていくと言われた[18]。螺旋形は、旧石器時代後期や新石器時代の宗教的象徴体系において極めて重要視され、無形という消滅段階への移行と、無形から出て新たなる形相の世界への移行という、「死と再生」を表していた。それゆえ、螺旋模様は、原初の神秘的なシンボルの1つとして、墓石の上に錨かれていたのだった†。

カーリーの異形
 カーリーという基本的な名前から派生した多数の異形が、古代世界の各地に見られた。ギリシア人たちはKalliという語を持っていた。この語は「美しい」という意味だったが、しかし、とりたてて美しいとは言えない事物、たとえば悪魔的なケンタウロスを指すカリカントザリ(kallikantzari)という名称の中にも使われていた。カリカントザリは、カーリーのアシュヴィンたちと同族関係にあった。カリポリスKallivpoliV、すなわち、現代のガリポリは、昔は、アルテミス・カリステによって統治されていたアマゾーン女人族の国の、中心都市だった[19]。毎年エレウシースで催された生誕の祭りの名はカリゲネイアkalligevneiaで、「美しい者からの誕生」または「カーリーからの誕生」と訳すことができた[20]。ペルガモンにあった「神々の太母」の神殿は、マムルト・カレー山の上に立っていた。この山の名は、一見して、「母神カーリーの山」の意であることがわかる[21]

 シナイ半島でに仕えていた男性の聖職者(もともとは、男性の聖職者ではなく、巫女たちが仕えていたのだが)は、自分たちのことをカルと称した[22]。有史以前のアイルランドでの女神に仕えていた巫女の一団も「ケレたち」 kellesと呼ばれていた。このケレから、「女神ケレ」に仕えた聖職者の一族を指すケリーという名が生まれた[23]point.gifKelle.  ケレはサクソン人の女神カレと語源が同じだった。カレの「太陰暦」kalends には、「母なる大地」(カレ)が新しく芽を出す春の Sproutkale が含まれていた[24]。古代フェニキア人はジブラルタル海峡をカルペと呼んだ。それはこの海峡が、西方にある母神の楽園への通路であると考えられていたからだった†[25]

カーリーの異名
 カーリーの称号で「女神」の意のデーヴィー Devi という語も、印欧諸語に広く分布していた。デーヴィーは、ラテン語では「女神」の意の diva、古代クレータ語ではクノッソスでゼウスと関連づけられていた「女神」 diwi あるいは Diwija になった[26]。Dia、 Dea、 Dianaなどは、Deviの代替形だった。

 印欧諸語はサンスクリット語という根から分枝したものだが、このサンスクリット語を発明したのはカーリーであると言われた。彼女は、魔法の文字であるサンスクリット語のアルファベットを創造し、その文字を自分の首にかける数珠に刻みつけておいた[27]。アルファベットが魔法の文字と言われたのは、その字音が原初の創造的エネルギーを音で表したものだったからである。カーリーが彼女の聖なる言葉で事物の名を初めて口にしたとき、カーリーのこのマントラ(真言)のおかげで、それぞれの事物が出現したのだった。要するに、カーリーの崇拝者たちは、ロゴス Logos (「創造の言葉」)の教義を生み出したのである。のちに、キリスト教徒はこの教義を摂取し、自分たちが発明したと偽った。カーリーの文字は、分離状態にあった四大を魔法の力で統ーしたのだった。それまでは、一方に火-風(男性)のカがあり、他方に水-地(女性)の力があって、前者(火-風)は「残酷」とされ、後者(水-地)は「慈愛」に満ちていた[28]。この区別は、カーリーを「生命の女王」、そのを「死の王」とみなしたタントラ的見解を反映していたようである。

 「唯一者」と呼ばれてはいたが、カーリーはつねに三相一体の女神だった。おそらしこの「処女-母親-老婆」の三相一体は、今から9000年ないし1万年前に確定されたもので、ケルト人は三体のモリガン、ギリシア人は三柱のモイラをはじめとする「三相一体の女神」の数々の具現形態、北欧人は三体のノルン、ローマ人は「運命の三女神」や三相一体のウニ(ユーノー)、エジプト人は三面のムート、アラビア人は三相の女神を持っており、いずれの地域でも同じような姿を呈していた。キリスト教徒にしても、古代におけるカーリーの三相一体を手本にして、自分たちの三位一体の神を作り出したのである[29]

 カーリーの三相は、さまざまな形をとって顕現した。 1年の3区分、の3相、宇宙の3領域(天界・地上・冥界)、人生の3段階、妊娠の3つの3か月期などもその例だった。女性は、カーリーの霊を人間の姿で体現していた。すなわち、「母神は、まず信者たちの現世における母親の姿で顕現し、次に信者たちの妻の姿で、 3番目にはカーリカーとなって顕現する。カーリカーは、老齢・病気・死などの形で現れる」[30]

 カーリーの神殿には、 3種類の巫女たちが仕えていた。「乙女」に相当するヨーギニあるいはシャクティたち、「母親」にあたるマトリ、それに、(「老婆」に相当する)ダキニたち Dakinis(「空中を徘徊する者」)だった。ダキニらは、死に瀕している人々の世話をし、葬儀を司り、死の天使の役割を果たした。これら3種の巫女には、それぞれに対応する精霊が霊界にいた。今日でもタントラ仏教は、現世における女性の3段階(乙女、母親、老婆)を、「最も高貴な者たち」と呼ばれる三相一体の女神と関連づけている[31]

 カーリーの3つの姿は、グナ Gunasの名で知られた「聖なる3色」の中にも現れていた。白は「処女」、赤は「母親」、黒は「老婆」を表し、それぞれが誕生と生と死とを象徴していた[32]。黒は「破壊者」としてのカーリーを表す基本的な色だった。なぜなら、黒は、カーリーが宇宙創造の合い間に呈する無形の状態、すなわち、万物を情成する四大のすべてがカーリーの原初の物質の中に溶けこんでいる状態を意味していたからである。「白や黄色やその他もろもろの色が、黒の中に消えていくのと同じように、……あらゆる存在が、カーリーの中に入っていく」のだった[33]

 「黒い女神」は、フィンランドではカルマ(カーリー・マー)の名で知られており、彼女は墓地に出没して、死者を食らう者だった[34]。ヨーロッパの「魔女たち」は葬儀の場でカーリーを崇拝したが、これはタントラのヨーガ行者や巫女たちが、「死者の女王」スマシャナ・カーリーとして、カーリーを火葬場で崇拝したのと同じ理由によるものだった[35]。タントラのヨーガ行者や巫女たちの儀式は、死者の霊が徘徊していて、そのために普通の人々が恐れをなして近寄らない場所で行われた[36]。西洋の「魔女たち」(すなわち、異教徒たち)の儀式も同様だった。彼女らは墓地で「黒い母なる大地」を崇めたのであり、ローマの墓石には、「我を生みたまいし母、我を再び受け取りたまう母」 Mater genuit、 Mater recepit という女神への祈祷の文句が刻まれていた[37]

 「破壊者」カーリーは、ときには赤い衣装を着ることもあったが、赤は、彼女が与えてまた取り戻すあの生命の血を暗示していた。「カーリーはあらゆる存在を貧り食うから、すなわち、彼女の獰猛な歯でこの世のすべてのものを噛み砕くので、大量の血は、この『神々の女王』が世界消滅のときに身を着ける衣装と考えられている」[38]。ジプシーたちは、カーリカーを病気を引き起こす女神として崇め、「叔母」の名で呼んでいたが、彼らはこの女神に赤い衣装を着せていた。赤は、ジプシーたちが葬儀に用いる正式の色だった[39]

 血はカーリー崇拝において重要な役割を果たしただけでなく、聖書に登場する神を崇拝する際にも、重要な役割を担っていた。聖書の神は、罪の赦しを招来するためには、祭壇に血が注がれなければならないと言っていた (『へブル人への手紙』 9 : 22)。西洋の神が血を求めた場合とカーリーが血を求めた場合の相違点は、ユダヤ人にあっては聖職者たちが肉を持ち去って食べた(『民数記』 18: 9)のに対し、カーリーの信者たちにあっては、次に引用するカルカッタでの例からもわかるように、自分らが捧げたものは自分らで食べることができたという点だった。

「その神殿は、事実上、屠殺場の役割を果たしている。なぜなら、供犠を行う人々は、動物の首だけを生贄のしるしとして神殿に残し、胴体の方は持ち帰ってしまうからであり、それに、血は神殿で流して女神に捧げることになっているからである。あらゆる生き物の生命の血は、女神が与えたもうたゆえに女神のものであり、したがって、動物は彼女の神殿で屠殺されなければならないのである。かくして、神殿は屠殺場を兼ねることになる。
 この生贄の儀式は、恐ろしく不潔な環境で行われる。女神の像の前には、血と土が混じりあった泥の中に、動物の首がまるで戦利品のように山と積まれている。供犠を済ませた人々は、家に戻って家族らと宴を催し、その動物の身体を食べる。女神が所望するのは生贄の血だけであり、したがって、首を切り落とすことが供犠の形式になる。首を切り落とせば、動物の血が一挙に流れ出るからである。……首が動物の身体全体を意味し、動物が丸ごと生贄にされたことを意味している」[40]

 西洋世界においても、首を切り落としたり喉をかき切ったりするのが、生贄を殺す通常の方法だった。ヤハウェのための「法にかなった」屠殺とは、昔も今も、動物の血を体外にすっかり出してしまうことだった。血は、神々の特別な食料とされていたからである。カーリーは、生贄として雄の動物だけを要求した。なぜなら、雄は消耗品だったからである。このしきたりは、生殖の循環過程において雄には何の役割もないという原始時代の考え方に由来していた。カーリーので、しかもわが身を生贄としてカーリーに捧げたシヴァ自体が、雌の動物を祭壇で殺してはいけないと命じていた[41]

 世界の初めと終わりにあたって、カーリーは「血の海」になったのであり、彼女による最終的な宇宙破壊の様相は、個々の人間の破壊という形の中にあらかじめ示されていた。ただし、いずれの場合にも、カーリーのカルマ(宿命)の車輪によって必ず再生がもたらされることになっていた。死後には無が到来した。この無の状態をタントラの賢者たちは、存在の3つの状態のうちの第3の状態と称した。無の経験は、「夢のない眠り」を経験するようなものだった。この状態は、「万物を生み出す子宮、存在の初めと終わり」とも言われた[42]。カーリーは「時間」までも食い尽くした。「時間」の終わりが来ると、カーリーは、再び「暗黒の形定まらぬもの」になった。この無形の状態は、世界の創造以前と世界の終焉以降に関するさまざまな神話の中で、すべて例外なしに、根源的な「カオス」(混沌)となって出現していた[43]

 カーリーに関する神秘的な体験は、のヴェールの彼方にある無形の状態を予見するという形、すなわち、心霊の力で子宮に戻りカーリーの海のごとき存在と一体化するという形で記述されることが多かった。ラーマクリシュナ(1836-86。 19世紀におけるヒンズー教の指導的な聖者。彼については、高名な弟子ヴィヴェカナンダの教えを通じて、西洋世界でもよく知られている)は、次のように述べた。

「私は、『母神』の姿を目の当たりに見る幸せに浴せず、ひどく苦しんでいた。……私は、この世では彼女を知りえない運命にあるのではないかと恐れていた。私は、もうこれ以上女神から離れていることに耐えられなくなり、人生は生きていく価値がないように思われた。そのとき、『母神』の神殿に保管されている剣が私の目に留まった。自分の人生に終止符を打とうと決意し、私は跳び上がってその剣をつかんだ。するとそのとき、突如として、聖なる『母神』が我が眼前に出現した。……神殿も何もかもが消え失せて跡かたもなくなり、そこには、意識(すなわち、霊魂)の大いなる海原が、果てしなく無限に、光輝いて広がっていた。見渡す限りのあらゆる方角から、この聖なる海原の大波が、私を呑みこもうと、私に向かって押し寄せてきた。私は、あえいで息をつこうとしたが、大波に捕えられ、ばったり倒れて気を失ってしまった」[44]

 ラーマクリシュナは、弟子のヴィヴェカナンダが言ったように、「母神」崇拝を復活させた。「ラーマクリシュナが到来して説いたことは、決して新しい真理ではなかった。だが、彼の出現によって古くからの真理が明らかになった」[45]。ヴィヴェカナアンダは、父権的宗教によって無意識の中に封じこめられてしまっていた「母神」が、世界の人々の意識の中に再び甦るであろうと予言した。「古来からの母神が再び目覚めて、若々しく、しかも、いまだかつてなかったほどの栄光に包まれて玉座に座している姿が、まるで現実であるかのように眼前にはっきりと見える。平安と祝福に満ちた声で、我らが『母』の存在を世界の人々に宣言しよう」[46]。明らかに女神カーリーは、大英博物館が定義した「破壊的なデーモン」よりも、はるかに大きな存在だったのである。


[1]Neumann, G. M., 149-53.
[2]Fromm, 363-64.
[3]Rawson, A. T., 112.
[4]Wilson, 257.
[5]Encyc. Brit., "Kali."
[6]Mahanivanatantra, 47-50.
[7]de Riencourt, 167.
[8]Rawson, A. T., 184.
[9]Rawson, E. A., 159.
[10]Rawson, A. T., 183.
[11]Avalon, 419-20.
[12]Avalon, 130-31. 466, 27-31.
[13]Avalon, 410, 533.
[14]Larousse, 359.
[15]Mahanivanatantra, xxxi.
[16]Dumézil, 676.
[17]Avalon, 120, 277.
[18]Avalon, 193, 229. 233.
[19]Graves, W. G., 185.
[20]Encyc. Brit., "Thesmophoria."
[21]Vermaseren, 26.
[22]Lindsay, O. A., 40.
[23]Joyce, 352.
[24]Brewster, 88.
[25]Massa, 43.
[26]Hays, 104.
[27]Graves, W. G., 250.
[28]Rawson, A. T., 70.
[29]Stone, 17.
[30]Avalon, 171.
[31]Waddell, 129, 169.
[32]Avalon, 328.
[33]Mahanivanatantra, 295.
[34]Larousse, 306.
[35]Mahanivanatantra, 360.
[36]Rawson, E. A., 152.
[37]Lederer, 22.
[38]Mahanivanatantra, 295-96.
[39]Trigg, 119, 186.
[40]Neumann, G. M., 152.
[41]Mahanivanatantra, 103.
[42]Campbell, C. M., 347.
[43]Avalon, 517.
[44]Wilson, 254.
[45]Encyc Brit., "Ramakrishna."
[46]Menen, 149.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)


[画像出典]
Mother Kali