「芯」または「穀粒」の意で、エレウシースの秘儀で使われた聖なる壺の名称。この壺は、新しい生命の種子を発芽させてくれる子宮のシンボルだった。このケルノスが発展して、「アドーニスの園」、すなわち、女たちの手で育てられて発芽したコムギ(または,オオムギ)の種子が入っている壺になった。ケルノスの儀式は、 20世紀にいたるまで、サルディニア島、シチリア島、カラブリア地方など、さまざまな地域で遵守されてきた[1]。イングランドおよびスコットランドでは、「収穫の祝宴」(Harvest Home, Ingathering, またはMell Supper などの収穫祭)や、(キリスト教の時代になってからの)「聖母マリアの祝日」などは、キルンkirnと呼ばれることがあった[2]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
「これは土器で、この中にたくさんの小さなカップが漆喰で固定されている。そこには白い芥子だの小麦だの大麦だの豌豆だの、ラテュロス豆だのオクロス豆だのレンズ豆だのが入っているという話だ。この土器を捧持する者は、穀物を盛った聖箕の捧持者と同じように、この豆などを食するそうだ。アンモニオスが『祭壇および犠牲について』の第3巻でそう言っている」(アテナイオス『食卓の賢人たち』第11巻4776f)。
真夏(7月の中下旬)のアドーニス祭のとき、女たちはこのケルノスに植物の種子を植える。植物は暑さのために速やかに生長するが、暑さのためにまたたちまち萎え枯れる。このケルノスを「アドーニスの園(=AdwvnidoV kh:pol)」という。8日目の終わりに、死せるアドーニスの像といっしょに海または泉に流される。アリストパネースの『女の平和』で、最高参議官の役人は、皮肉にこう云う。
何と! おっばじまったか! 女どものしたい放題が、
太鼓叩きが、ぶっ続けのサバージオス念仏が、
あの屋根の上のアドーニス哀悼が!
そいつをわしは民会にいて聞いたことがある。
あの 糞ったれめ! デモストラトスはシシリーへ
行けといい、その妻は踊りながら、
「アドーニス可哀や」という。デモストラトスは
ザキュントスで重装歩兵を集めよという。
ところが、屋根の上のほろ酔い女は、
「アドーニスのため胸を打て」といいよる。そこであの、
神々の憎まれ者、穢らわしい癇癪持ちの旦那の方が圧倒されそうだった。
女どもの身勝手な歌とはそうしたものだ。(387-98)
「アドーニスの園」の意味については、マルセル・ドゥティエンヌ『アドーニスの園:ギリシアの香料』第4章が興味深い。
前411年、アテーナイ政界の一大スキャンダル、「ヘルメース神像毀損事件」の真犯人は、アドーニス祭を祝っていた女たちだという興味深い仮説をエヴァ・C・クールズ『ファロスの王国:古代ギリシアの性の政治学』が展開している。が、説得力はあまりない。