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ピュグマリオーン( Pugmalivwn)

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 プミヤトンと呼ばれたフェニキアの祭司王たちのギリシア版。プミヤトンはビブロス(フェニキアの港町)にあるアスタルテー像の夫たちの名であった。ピュグマリオーンはキュプロス島の祭司-王であり、ガラテイア Galatea(「白い女神」あるいは「乳の女神」)と呼ばれた女神の像との聖なる結婚を通じて、支配権を得た。聖なる結婚の儀式の間、アプロディーテーは像に生命を与えた — すなわち像の中にアプロディーテーが宿ったのであった[1]。


[1]Frazer, G. B., 38.


 ベーロスの息子ピュグマリオーンはアプロディーテーを恋したが、女神がどうしても彼とともに寝ようとはしなかったので、彼は象牙で女神の像をつくり、それを寝床のなかにおいて、ひたすら女神のあわれみをねがった。そこでアプロディーテーはその像のなかにはいり、ガラテイアとしてよみがえらせた。ガラテイアは、ビュグマリオーンと交わってパポス(PavfoV)とメタルメー(Meqavrmh)を生んだ。ビュグマリオーンのあとを継いだパポスはキニュラース(KinuvraV)の父となったが、このキニュラースはキュプロス島にパポス市を創建し、ここに有名なアプロディーテーの神殿を築いた。

 パポス市のアプロディーテ一につかえる巫女をめとったピュグマリオーンは、キュプロスの王位を保つ手段として、寝床のなかに白い女神の像を横たえておいたものらしい(『サムエル記・上』第19章・13)。もしその巫女の生んだ息子がほんとうにピュグマリオーンのあとを継いだものならば、その息子こそキュプロス島の人々に父系制度をしいた最初の王だったということになろう。しかし自分の孫のキニュラースとおなじく、彼は八カ年にわたる統治期間のおわりに、その女神の像を譲り渡すことを拒み、メタルメー(「変化」)とよばれるアプロディーテーの巫女たちのうちの別のひとりと結婚することによって、つまり、技術的には自分の娘と結婚することによって — というのは王位を継ぐのは娘だから — その任期を更新したのだと考えた方が事実にかなっているように思われる。(グレイヴズ、p.303-304)