ビブロス Byblos(古代フェニキアの都市)の女神。中東地方の太女神の最古の女神の1人で、エジプトのヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕、ミケーネのデーメーテール、キュプロスのアプロディーテーと同一視されている。
ビブロスにあるその神殿は新石器時代にすでにあって、「青銅器時代」にはおおいに栄えた、という[1]。アスタルテーはインド・ヨーロッパ文化圏全域にわたって崇拝された「創造し、維持し、破壊する女神」そのものであって、今なおカーリーに代表される大自然のシンボルである。アスタルテーは「世界の真の統治者」で、飽くことなく創造しては破壊し、古きを滅しては新しきを生んだ[2]。シドン(古代フェニキアの都市)の主たちはアスタルテーの許可なくしては治めることができなかった。どの王も自らを真っ先に「アスタルテーに仕える聖職者」だと称した。
シュメールのラガシュから出土した紀元前2300年頃の円筒印章を見ると、女神アスタルテーはカーリーと同じ姿勢をとっている。それは愛と死の聖なる姿勢て、夫の体の上にしゃがみこんでいる[3]。
アスタルテーは死者のすべての霊魂を治めた。死者は天界に住み、光るものを身に着けていて、地球から見るとそれは星として見えた†。そのためアスタルテーは「星の女王」 Astroarche とも言われた[6]。アスタルテーは天界に住む万霊の母親であり、子供である星にかこまれた「月」であった。アスタルテーはその子供たちに星の身体を与えたのである。オカルト信奉者たちは今でも天体のことを自に見えない生き霊だと言っているが、彼らは天体という語は、本来、星の光という意味を持っていたということを忘れてしまっているのである[7]。
星として見えた
アラブ人にとってはアスタルテーはアトタルAthtar(明けの金星)であった。アラム語(北西セム語族に属する語)では、アスタルテーはAttar-Samayinと書かれ、「天界の明けの明星」を意味した。そして女神の中で両性が統一されていた。それは明けの明星ルシフェルやディアーナ・ルシフェラの場合と同じであった。アスタルテーのフルリ語(紀元前15-14世紀頃メソポタミアの北西部に栄えたフルリ人の言語)の名前はAttart、ときにはIshara(イシュタル[= 星]の別形)であった[4]。カナアン人にとっては、アスタルテーは天界の支配者、王権の女王、万神の母であった[5]。
アスタルテー-アシュトレトはキリスト教の著作者たちによって悪魔にされてしまった。キリスト教の著作者たちは聖書に出てくる神はヤハウェ以外はすべて地獄に住むものと反射的に考えた。 15、6世紀の本を見ると、悪魔のアシュトレト(あるいはアスタロト)となっていて、地獄の「君主」、あるいは「王子」を意味している[8]。ミルトンはアスタルテーのことはよく知っていて、「アスタルテー、三日月形の角をつけた天界の女王」とした[9]。
アスタルテーの秘密をよく理解している学者は、アスタルテーこそ聖母マリアの太古の原型の1つであるとした。シリアやエジプトでは、 12月25日になると、毎年、アスタルテーの聖なる劇を演じることによって、天界の乙女から太陽神が再生することを祝った。生まれたばかりの子供を見て、人々は「天界の乙女が子を生みたもうた」と叫ぴ声を上げた。フレーザーは次のように記している。「このように懐妊して、 12月25日に子供を生んだ乙女は、疑いもなく、オリエントの偉大なる女神で、セム族の人々はその乙女を天界の乙女、あるいは天界の女神と呼んだ。セム族の国々ではこの乙女はアスタルテーの一種であったのである」[10]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
アスタルテー(アスタルト、アシュタルテー)あるいはエラートは、フェニキアの豊穣女神。「神々の母」といわれ、性愛、多産をつかさどる女神として、古代オリエント世界(エジプトを含む)全域で崇拝される〔エジプトではアースティルティト。ギリシアではアプロディーテーと同一視される〕。
バビロニアではアシェラトと称され、アヌ神の義理の娘としてアモリ族の神アムルの配偶女神とされる。ウガリト神話ではエルの配偶女神。楯と棍棒で武装、乗馬姿で表現される。