断片1
SUDA "Philochoros"の項。
アテーナイ人でキュクノスの子、占い師(mantis)、犠牲検見役(hieroskopos)。彼の妻はアルケストラテー。ピロコロスは、エラトステネース〔キュレーネーのエラトステネース、c.285-194 BB〕と同時代の生まれ、というのは、若いころ、使節[エラストテネース]に会っているからである。最期は、プトレマイオスの王朝に加担したと非難攻撃され、アンティゴノス〔Antigonos Gotanas、在位277-239 BC〕に待ち伏せされて。彼が書いたのは『アッティス』17巻(F1-71)――アテーナイの事跡、諸王、最後に〔筆頭執政官に〕任命されたアンティオコス(デーモーンの親戚である)に至るまでの筆頭執政官を含む。『占い術について』4巻(F 76-79)。『供犠について』1巻(F 80-82)。『四市(Tetrapolis)について』(F 73-75)。『サラミスの建設』『アッティカのエピグラム詩』。『アテーナイの競技について』[17巻]。『アテーナイの支配者たちについて――ソークラティスからアポッロドーロスまで――』『オリュムピア紀年』を2巻で。『デーモーンのアッティスに寄せて』(F 72)。『自作アッティスの摘要』『犠牲に関するディオニュシオスの事跡の摘要』(no. 357)。『アテーナイの秘儀について』5巻。『エウリピデースについて』『アルクマノスについて』『アテーナイの秘儀について』『半神ないしピュタゴラス派の女たちの集成』『デーロスの祭事(Deliaka)』2巻。『発明品について』『浄めについて』『契約について』
断片2 PROKL. HESIOD. Opp. 810:
ピロコロスが言い(F 190)〔クレイデーモスも言っている〕――†両者とも父祖伝来の〔仕来りの〕解釈者である。
断片3
DIONYS. HAL. De Din. 3(I 302, 16 U_R):
わたしたちはその前兆(semeion)について尋ねられ(F 67)、亡命者たちの帰国を予兆しているとわたしたちは主張した……その易断が実現する結果となった。
断片4
PLUTARCH. De glor. Athen. 1 p.345E:
しかしながら、〔クセノポン以外の〕他のすべての歴史家たち、つまり、クレイノデーモイ(323 T 3)、ディウッロイ(73)、ピロロコス、ピュラルコス(81)は云々。
断片5
CLEM. AL. Strom. 6, 26, 8:
というのは、メレーサゴラス(330 T 4)から盗用したのは……アンドロティオーン(324 T 16) もピロコロスも……
断片6
PLUTARCH. De Phyth. or.19 p.403E:
さて、†アリュリオス、ヘーロドトス、ピロコロス、イストロス(334 T 5)――韻文の占い(manteia)の蒐集にことのほか名誉愛を注ぎ、韻律なしの神託を書き留めた人たちのうち云々。
断片7
TERTULLIAN. De an. 46 (FULGENT. Myth. 1, 14 p.24, 16 Helm):
quanti autem commentatores et affirmatores in hanc rem! Artemon, Anti- phon, Strato, Philochorus, Epicharmus, Serapion, Cratippus, et Dionysius Rhodius, Hermippus, tota saeculi literatura ... ceterum Epicharmus etiam summum apicem inter divinationes somniis extulit cum Philochoro Atheniensi ... nam et oraculis hoc genus stipatus est orbis, ut Amphiarai apud Oropum, ... Pasiphaae in Laconica. cetera cum suis et originibus et ritibus et relationibus, cum omni deinceps historia somniorum Hermippus Berytensis (IV) quinione voluminum ratiatissime exhibebit.
断片8
SUDA "Polion"〔ポーリオーン〕の項。
……メガロス・ポンペーイオス〔Magnus Gnaeus Pompeius、在位106-48〕の時代に、ローマでソピステースとなり……ピロコロスの『アッティス』の摘要(epitome)を書いた。