「一口馬主、おもしろそうやなぁ。ふたりででやってみいひん?」
と、どちらからともなく言い出しました。
当時僕は「ダービースタリオン」にはまっていました。いわゆる「ダビスタ」というヤツです。そのころ「ダビスタ」は、スーファミ(スーパーファミコン)版の「ダビスタ2」になっていたでしょうか。僕は、ファミコン版(スーパーファミコンではない)で、まだ関東のレースしかなかった初期のころからダビスタをやっていて、今でこそ攻略本が各種出ていますが、当時、攻略本など出ていなくって、父・母の血統をカードに手書きしていたのを覚えています。そんな僕を友達は、
「そんなんやってておもろい?」とか、
「アホちゃうか」とか、
「ようそこまでやるわ」とか思っていたみたいです。
でも、僕にしてみれば、この作業が苦労とは全く思いませんでしたし、このゲームは必ず売れると信じていました。(それにしてもこれほど売れるとは・・・)。そんなことを言っていた友達も、ダビスタをやり出すと、はまりまくっていました。
あれっ。何かダビスタの話になっていますね。(^_^;;
少なからず、ダビスタで馬を所有する喜びを知っていた僕が、「一口馬主」になるというのは自然の流れだったのかもしれません。
パンフレットには、3歳馬が東西それぞれ7頭ずつ載っていました。ともに京都に住んでいるということで、関西入厩の馬に絞りました。何となく牡馬の方がいいだろうということでさらに絞り込むと、5頭しか選択肢はありませんでした。
そのころ、僕たちが話しているのに興味を持ったのか、台北帰りのあやしい(^_^;;先輩が、
「僕もやるわ」
と言って、参加してきました。
「二人の選んだ馬でええし」
と言い、どんな馬でもいいという感じです。実はこの先輩、台北から無修正のエロビデオ、エロ雑誌をたくさん持って帰ってきて(よう税関で捕まらんかったなあ)、みんなに見せまっくっていました。
そうして僕たちが選んだ馬は、・・・なんと、ペルセポリスUの産駒でした。ペルセポリスU??? 「U」っていったい・・・。
今から考えれば、このペルセポリスUというのは大失敗でした。後でわかったのですが、同じパンフレットに、皐月賞馬ナリタタイシンをはじめ、ワコーチカコ、ペガサス、マイヨジョンヌなどの重賞勝ち馬を輩出したリヴリアの産駒も載っていたのです。それに何も3口とも同じ馬にしなくても、1口ずつ違う馬で楽しむということもできたはずです。明らかに勉強不足でした。