各一口馬主クラブのプロフィール



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各一口馬主クラブのプロフィールです。
金融商品取引業者の登録番号を合わせて記載しています。

本ホームページでは、馬主ベースで成績を検索していますので、トップページにあるの優勝馬や、 2009年クラブ成績ランキングのページの成績は、馬主法人名になっています。


金融商品取引業者登録番号とその名称
金融商品取引業者登録番号法人名
関東財務局長(金商)第1595号サンデーレーシング
関東財務局長(金商)第1594号サンデーサラブレッドクラブ
  (旧ダイナース愛馬会)
関東財務局長(金商)第1598号社台レースホース
関東財務局長(金商)第1597号社台サラブレッドクラブ
  (旧社台ダイナースサラブレッドクラブ)
関東財務局長(金商)第1593号サラブレッドクラブ・ラフィアン
関東財務局長(金商)第1621号ラフィアンターフマンクラブ
近畿財務局長(金商)第221号ブルーマネジメント
  (旧荻伏レーシング・クラブ)
近畿財務局長(金商)第220号ブルーインベスターズ
  (旧荻伏オーナーズ)
関東財務局長(金商)第1590号ゴールドレーシング
  (旧クローバークラブ)
関東財務局長(金商)第1589号ゴールドホースクラブ
  (旧オーナーズクラブクローバー)
 ミリオン
 ミリオンサラブレッドクラブ
関東財務局長(金商)第1603号セゾンレースホース
  (ジョイ・レースホース)
関東財務局長(金商)第1592号サラブレッドクラブセゾン
  (ジョイ・サラブレッドクラブ)
関東財務局長(金商)第1586号グリーンファーム
関東財務局長(金商)第1587号グリーンファーム愛馬会
関東財務局長(金商)第1618号友駿ホースクラブ
関東財務局長(金商)第1619号友駿ホースクラブ愛馬会
関東財務局長(金商)第1578号ウイン
関東財務局長(金商)第1579号ウインレーシングクラブ
関東財務局長(金商)第1608号東京ホースレーシング
  (旧ユーワライディング)
関東財務局長(金商)第1607号東京サラブレッドクラブ
  (旧ユーワホースクラブ)
関東財務局長(金商)第1613号広尾レース
  (旧サウスニア)
関東財務局長(金商)第1612号広尾サラブレッド倶楽部
  (旧サウスニアレースホースクラブ)
関東財務局長(金商)第1591号サラブレットオーナーズクラブ・シルク
関東財務局長(金商)第1601号シルクホースクラブ
北海道財務局長(金商)第21号大樹ファーム
関東財務局長(金商)第1605号大樹レーシングクラブ
北海道財務局長(金商)第22号ヒダカ・ブリーダーズ・ユニオン
北海道財務局長(金商)第23号ユニオンオーナーズクラブ
関東財務局長(金商)第1599号ジャパン・ホースマン・クラブ
関東財務局長(金商)第1580号エプソム愛馬会
関東財務局長(金商)第1584号キャロットファーム
関東財務局長(金商)第1583号キャロットクラブ
関東財務局長(金商)第1623号ロードホースクラブ
関東財務局長(金商)第1622号ロードサラブレッドオーナーズ
関東財務局長(金商)第1625号ローレルレーシング
関東財務局長(金商)第1624号ローレルクラブ
北海道財務局長(金商)第20号ターフ・スポート
関東財務局長(金商)第1604号ターファイトクラブ
関東財務局長(金商)第2411号G1サラブレッドクラブ
関東財務局長(金商)第2412号G1レーシング






各一口馬主クラブのプロフィール ( )は馬主登録のあるクラブ法人

サンデーサラブレッドクラブ(サンデーレーシング)
もともと、「ダイナース愛馬会」の名前で募集されていましたが、現在は、愛馬会法人が「サンデーサラブレッドクラブ」という名称、 馬主法人は、「サンデーレーシング」という名称で募集されています。
サンデーレーシングの商品投資販売業者許可番号は、「金農( )第41号」で、新しいものが取得されています。
ですので、再出発といったところでしょうか。

以前のダイナース愛馬会は、社台ダイナースサラブレッドクラブ(現在は社台サラブレッドクラブ)ばかり目立って、少々地味な存在でした。
現在のサンデーサラブレッドクラブは、社台サラブレッドクラブと肩を並べるほどです。
募集は、ダイナース愛馬会だったときと同様、社台サラブレッドクラブと共同でおこなわれています。
まぁ、社台の別組織といったところでしょうか。(ホームページも似ていますし。)

ダイナース愛馬会のときの募集馬は、社台ダイナースサラブレッドクラブに比べて地味で、サンデーサイレンスやトニービンなどの産駒はほとんどいず、 サッカーボーイなど、内国産の種牡馬を中心とした産駒が多かったようです。
生産牧場も、社台ファーム、ノーザンファーム、追分ファーム、白老ファームなど、社台グループの牧場ももちろん多かったのですが、 それ以外の牧場も多く名を連ねていました。 サンデーサラブレッドクラブになってからは、外国からの輸入馬や市場取引馬以外は、ほとんどが社台グループ生産馬で構成されているようです。

ダイナース愛馬会の頃の重賞戦線での活躍馬は、1991年の小倉大賞典(G3)、中京記念(G3)、1992年の天皇賞秋(G1)を制覇したレッツゴーターキン、 1993年の東海テレビ杯金鯱賞(G3)、朝日チャレンジカップ(G3)を勝ったウィッシュドリームなどです。

サンデーサラブレッドクラブになってからの重賞での活躍馬は、あまりにも数多く、G1勝ち馬をあげると、 2004の菊花賞(G1)を制覇し、 2005年のスポーツニッポン賞ステイヤーズステークス(G2)も勝ったデルタブルースをはじめ、 2006年の朝日杯フューチュリティステークス(G1)を制し、 2007年の神戸新聞杯(G2)、 2008年の農林水産省賞典 小倉記念(G3)、朝日チャレンジカップ(G3)、 2009年の産経大阪杯(G2)、宝塚記念(G1) も勝ったドリームジャーニー、 2004年のラジオたんぱ杯2歳ステークス(G3)、 2007年のジャパンカップダート(G1)、 2008年のフェブラリーステークス(G1) を勝ったヴァーミリアン、 2008年のCBC賞(G3)、テレビ西日本賞北九州記念(G3)、スプリンターズステークス(G1) を勝ったスリープレスナイト、 2008年の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)を制覇し、 2009のチューリップ賞(G3)、桜花賞(G1)、優駿牝馬(G1)も勝った ブエナビスタ、 2009年のフジテレビ賞スプリングステークス(G2)、皐月賞(G1)を連覇した アンライバルド などがいます。
あと、障害ではありますが、 2004年の中山大障害(JG1)、中山グランドジャンプ(JG1)を制覇したブランディス もいました。
ちなみに、デルタブルースは、2006年、オーストラリア・フレミントン競馬場で行われたメルボルンC(G1)に出走し、 見事優勝しました。

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社台サラブレッドクラブ(社台レースホース )
言わずと知れた社台軍団を擁するクラブ。
あの偉大なホースマン吉田善哉氏が、クレジットカードのダイナースクラブと提携して設立。
馬主ランキングでは、毎年トップ。
もちろんクラブの中でも、勝ち星、賞金ランキングともにトップです。
(出走頭数がトップであることも確かなのですが(^_^;;)

G2馬、G3馬を挙げると、枚挙にいとまがないので、G1馬を挙げると、 1986年の皐月賞を制したダイナコスモス、 1986年の安田記念を制したギャロップダイナ、 同じく1986年の東京優駿、いわゆるダービーに優勝し、有馬記念も制したダイナガリバー、 1987年の阪神3歳S、1988年のマイルチャンピオンシップを制したサッカーボーイがいます。
1990年台では、1995年の皐月賞、1996年のマイルチャンピオンシップを勝ったジェニュイン、 1995年の朝日杯3歳S、1996年の天皇賞(秋)を勝ったバブルガムフェロー、 1996年の菊花賞を勝ったダンスインザダークがいます。
2000年以降は、2002年のNHKマイルカップを制したテレグノシス、 2003年のフェブラリーSを制したゴールドアリュールがいます。
2003年には、皐月賞、東京優駿、いわゆるダービーをネオユニヴァースが制し二冠、 菊花賞をザッツザプレンティが制し、 この2頭で三冠を達成しています。
さらには、2004年の桜花賞を制し、2006年のヴィクトリアマイルも制したダンスインザムード、 2004年のジャパンカップダートを制したタイムパラドックス、 2005年の有馬記念を、三冠馬のディープインパクトを退け制したハーツクライ、 2006年の菊花賞(G1)を制したソングオブウインド、 2008年の高松宮記念(G1)を制したファイングレイン、 桜花賞(G1)を制したレジネッタ、 皐月賞(G1)を制したキャプテントゥーレ、 エリザベス女王杯(G1)を制したリトルアマポーラ など、数多くのG1馬を輩出しています。
ハーツクライは、2006年、ドバイのシーマクラシック(G1)を勝ち、海外G1も制しています。
G1だけでこれですから、その他重賞の勝ち馬は挙げるときりがないほどいるということは、ご存じですね(^o^)。

新規入会のチャンスは年に一回で 、4・5月に募集広告がホームページや「週刊競馬ブック」「週刊Gallop」等の雑誌に掲載されます。
以前は、資料請求をしても、募集馬の資料は入会してからでないと送られなかったのですが(T_T)、最近そうでもないようです。
募集馬は、入会済の会員だけですぐに満口になることも多く、新規入会し、希望者で抽選になる募集馬でないとすぐには馬を持てるかどうか・・・。
「うちとこの馬はどれも走るんや」(何で関西弁やねん。)といった自信が感じられます。

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ラフィアンターフマンクラブ(サラブレッドクラブ・ラフィアン)
マイネル、マイネの冠名でおなじみのクラブ。
実は以前、ラフィアンの方から、当ホームページの内容を資料にして、牧場見学のときに配布してもいいかという問い合わせをいただいたことがあり、個人的に親近感を持っていたりします。

ラフィアンの馬は、血統的に地味でも走る馬が多い。
その秘密は、相馬眼には定評のある代表の岡田繁幸氏が、毎年各地の牧場をまわり、年間何千頭もの馬を見る中で選んだ馬たちであることと、 早い時期から自前のビッグレッドファームでガンガン調教を積んで、早くから(有力なライバル馬が出てくる前に(^_^;;; )デビューさせることにあります。
そのためか、以前は3歳(昔の言い方だと4歳)の春で力つきるというのが定説でした。(^_^;)
が、2003年、2004年のエプソムカップ(G3)を連覇し、2004年の新潟大賞典(G3)にも勝利した、マイネルアムンゼンのように、古馬になってから重賞を3勝した馬も出てきています。
そういえば、1996年の函館3歳S(G3)、京成杯3歳S(G2)、朝日杯3歳S(G1)を制したマイネルマックスも、 約3年4ヶ月後の2000年4月に、思い出したように読売マイラーズカップ(G2)に勝利、なんてこともありました。
1995年のNHK杯(G2)、福島記念(G3)を勝ったマイネルブリッジなんかも、 古馬になって七夕賞(G3)を勝ちましたね。
マイネルブリッジが勝ったNHK杯(G2)の時は、 2 着にマイネルガーベがきて、1・2フィニッシュでした。
2003年のシリウスS(G3)、2004年のガーネッS(G3)を勝ったマイネルセレクト、 2004年のダービー卿チャレンジT(G3)、京成杯オータムH(G3)、 2005年の京成杯オータムハンデキャップ(G3)を勝ったマイネルモルゲン、 2005年のニュージーランドトロフィー(G2)を勝ったマイネルハーティー、 2005年の愛知杯(G3)を勝ったマイネソーサリス、 2006年の京都牝馬ステークス(G3)を勝ったマイネサマンサ、 2006年のニュージーランドトロフィー(G2)、2007年のスポーツニッポン賞京都金杯(G3)を勝った、 マイネルスケルツィ、 2006年の京王杯2歳ステークス(G2)、 2008年の毎日放送賞スワンステークス(G2) を勝ったマイネルレーニア等もいます。
その他、2008年の京成杯(G3)、報知杯弥生賞(G2)を勝った、マイネルチャールズ、 2008年の報知杯フィリーズレビュー(G2)、関西テレビ放送賞ローズステークス(G2)を勝った マイネレーツェルなどもいますね。
2009年
マイネルマックスの他のG1馬では、 1998年のセントウルS(G3)を勝ち、同年のスプリンターズS(G1)を制したマイネルラヴがおり、 その後シルクロードS(G3)に優勝しました。
あと、2004年の新潟2歳S(G3)を勝ち、 同年の朝日杯フューチュリティーS(G1)を制したマイネルレコルトがいます。
2009年天皇賞(春)(G1)を制したマイネルキッツ
もいます。

「ラフィアン」という名前は、岡田繁幸氏がアメリカでの修業時代に巡り会った名馬の名前で、その名にあやかってつけたということです。
「ビッグレッド」という名も、アメリカの名馬マンノウォーのあだ名にあやかったということです。(あやかってばっかりかぇ。)
ちなみに、「マイネル」とは、ドイツ語で「私の」という意味です。

マイネル軍団についてもう少し知りたいという方は、「 マイネル軍団の謎 」という本を読んでみてください。

マイネル軍団の謎

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ブルーインベスターズ(ブルーマネジメント) 旧荻伏オーナーズ(荻伏レーシング・クラブ)
荻伏牧場を基盤にしたクラブとして発足し、以前は、愛馬会法人は「荻伏牧場オーナーズ」馬主法人は「荻伏牧場レーシング・クラブ」 というように、「牧場」が入っていたのですが、「牧場」が名称からなくなり、「荻伏オーナーズ」「荻伏レーシング・クラブ」となりました。
さらに、リニューアルし、「ブルーインベスターズ」「ブルーマネジメント」として生まれ変わりました。

荻伏牧場といえば、ハギノカムイオー、ハギノトップレディー、ノアノハコブネ、ダイイチルビーなど、数々の名馬を輩出してきた名門牧場です。
しかし、荻伏牧場だけでは、頭打ちとなりました。
かつて荻伏牧場オーナーズの所属で、1990年のフェブラリーH(G3)、1991年の日刊スポーツ賞金杯(G3)、目黒記念(G2)に勝利するなど、 大活躍したカリブソングは、荻伏牧場以外の牧場(野島牧場)生産の馬でした。

かつての荻伏牧場主体の体制から、これにこだわらず、各方面に目を向けていく体制をとり、 1997年から募集馬を減らし、少数精鋭となりました。
また、以前、1頭40口〜100口の募集だったものが、一口5万円から購入できるようなったり(口数は馬代金によって異なる)、 さらに現在では500口で分割され、一口5万円以下でも申し込めるようにもしてきました。
そして、さらなるリニューアルですので、新体制のこれからが楽しみです。

カリブソング以外の活躍馬は、 1995年のダービー卿チャレンジT(G3)を勝ったオギティファニー、 2002年の京王杯2歳S(G2)、2005年のプロキオンステークス(G3)、 シリウスステークス(G3)を勝ったブルーコンコルド、 2006年の阪急杯(G3)を勝ったブルーショットガン等です。
あまり地方での戦績を挙げるのは好きではないのですが、ブルーコンコルドは、 2005年のJBCスプリント、2006年のマイルChS南部杯、JBCマイル、東京大賞典等、地方の中央交流G1を制しています。
また、2007年、2008年のフェブラリーステークス(G1)はともに2着でした。

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ゴールドホースクラブ(ゴールドレーシング)
もともとは、「オーナーズクラブクローバー」(馬主法人は「クローバークラブ」)という名称だったのですが、経営者が変わり、 「ゴールドホースクラブ」(馬主法人は「ゴールドレーシング」)になったようです。(ここでは書きませんが、いろいろあったようです・・・。)
それを機に一新されました。

オーナーズクラブクローバーのころは、あの競馬の神様、大川慶次郎氏の甥の大川博靖氏がクローバークラブの代表でした。
大川慶次郎氏も、生前、オーナーズクラブクローバーの相談役をしていましたし、 元々大川慶次郎氏のファンの集いとして発足したクラブでもありました。
また、「補償なし」「牝馬の買い戻し条件なし」を選択すれば、募集馬の価格が割り引かれるというユニークな制度を実施していたこともありましたが、 現在は、 全く違ったクラブになっています。 (詳細はあえて書きませんが、オーナーズクラブクローバー解散前後にはトラブルがあったようです。)
ただ、会員と一部の競走馬は引き継いだようです。(このあたりは、きな臭いにおいがしますが・・・。)
2003年大井で東京大賞典(G1)を勝ったスターキングマンは、クローバークラブから引き継いだ馬です。
スターキングマンは、その後、東海テレビ杯東海ステークス(G2)で2着、 2005年のジャパンカップダート(G1)で差のない3着に来ています。

クローバークラブのころの活躍馬に、1997年のマーチステークス(G3)2着のグレイトチャーマーというのがいました。
同馬はダートばかりで8勝して、2億ほど稼いでいます。

ゴールドホースクラブとしてはこれからです。
なんにしても、生まれ変わったクラブのこれからを見守りましょう。

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ミリオンサラブレッドクラブ(ミリオン)
募集休止中

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サラブレッドクラブセゾン(セゾンレースホース) ※旧ジョイ・サラブレッドクラブ(旧ジョイ・レースホース)
かつての「社台ダイナースサラブレッドクラブ」(現在は「社台サラブレッドクラブ」)の母体が、ダイナースカードだったのに対し、 「旧ジョイ・サラブレッドクラブ」は、JCBカードの株式会社ジェーシービーが母体のクラブでしたが、 2006年からは、株式会社クレディセゾンが主な株主となり、生まれ変わりました。
新生ジョイ・サラブレッドクラブ(ジョイ・レースホース)は、マイネルでおなじみの、 ラフィアンターフマンクラブ(サラブレッドクラブ・ラフィアン)岡田繁幸氏が関わるようになり、 コスモヴューファームに2歳馬の育成調教を委託するようになりました。
2005年産の募集馬は、コスモヴューファームやビッグレッドファームの生産馬、ビッグレッドファームが市場で落札した馬が多くを占めています。
これによって、ラフィアンターフマンクラブ(サラブレッドクラブ・ラフィアン)で募集されていたような馬がラインナップされるようになりました。

また、さらに、2007年3月末をもって、愛馬会法人およびクラブ法人の社名が変更されました。
これにともない、2007年3月から勝負服が変わりました。
愛馬会法人の「株式会社ジョイ・サラブレッドクラブ」は、「株式会社サラブレッドクラブセゾン」に改称され、 クラブ法人の「ジョイ・レースホース株式会社」は、「セゾンレースホース株式会社」に改称されます。

まだジョイ・サラブレッドクラブだったかなり昔ですが、募集馬全部に0.1口ずつ出資するJOYフルパッケージ、 募集の牝馬にだけ0.1口ずつ出資するオークスチャレンジパッケージという、 制度があったんですが、結構いい制度だったと思うんですがね。
JRAの指導でしょうかね?
商品ファンド法にひっかかったんでしょうかね?
クラブそのものに出資するって感じで、おもしろかったのですが・・・。

活躍馬としては、2006年のきさらぎ賞(G3)、神戸新聞杯(G2)を勝った、ドリームパスポートでしょう。
同馬は皐月賞(G1)2着、東京優駿、いわゆる日本ダービー(G1)3着、 菊花賞(G1)2着、ジャパンカップ(G1)2着とG1でも活躍しています。
これだけG1で2着したら、勝ちに等しいでしょう。
他には、2002年の日経新春杯(G2)を勝ったトップコマンダー、 2008年の日刊スポーツ賞シンザン記念(G3)を勝ったドリームシグナル、 がいます。

ともあれ、リニューアル効果で、爆発の予感もあります。
サラブレッドクラブセゾン(セゾンレースホース)になって、どんどん活躍馬が出てきそうな予感です。
これからが、楽しみなのではないでしょうか。

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グリーンファーム愛馬会(グリーンファーム)
「緑、黒三本輪」の勝負服を持つクラブ。 この勝負服は、10戦10勝、無敗でダービーを制し、直後に破傷風でこの世を去ったトキノミノルの勝負服と同じだという。

重賞の勝ち馬は、1994年の阪急杯(G3)、札幌スプリントステークス(G3)を勝った、 ゴールドマウンテン、 1998年の京阪杯(G3)を制したブラボーグリーン、 1999年の東京中日スポーツ杯根岸ステークス(G3)を制したセレクトグリーンなどがいます。

現在、募集馬は、ノーザンファームや社台ファームといった社台系の牧場からも調達するようになっています。
そういう意味では、2度目のリニューアル(?)をしているグリーンファーム愛馬会。
今後、爆発の予感もあります。
2009年になって、ジュエルオブナイルが小倉2歳ステークス(G3)を制し、 クィーンスプマンテがエリザベス女王杯(G1)を制しましたが、ともに社台ファームの生産馬です。

1度目のリニューアルというのは、1996年に遡ります。
古い話ですけれど、 その1度目のリニューアル直後は、勝率29.4%、連対率38.2%、入着率58.8%と、驚異的な成績を収め、一躍注目を浴びました。
1996年デビューの3歳馬に限ると、勝率37.5%、連対率50.0%、入着率75.0%でした。
その秘密は、外国産馬の育成にあったと言われています。
1996年の3歳馬募集では、20頭中15頭が外国産馬でした。
そのメンバーもそうそうたるもので、父馬は、ミスタープロスペクター、サドラーズウェルズ、カーリアンなど、 世界的にも超一流の種牡馬の産駒ばかりでした。
その全て(募集候補馬を含めて)をアイルランドのバリードイル調教場に集結させ、 当時アイルランドの天才調教師といわれたエイダン・オブライエンの管理の下、育成されていました。
エイダン・オブライエンは、1993年に調教師としてデビューするや、いきなり100勝を突破し、23歳の若さで最優秀トレーナーとなりました。
1994年 には176勝の年間最多勝記録を樹立し、1995年には、自身の記録を軽々塗り替え、前人未踏の200勝の大台に達しました。
そんな天才調教師の管理下で育成された馬を、チャーター便で北海道に空輸し、 これまた当時国内で最高水準の施設、調教技術を持っているといわれた、 門別のファンタストクラブでトレーニングを積んでいたのですから、 当時、育成・調教については考え得る最高のプロセスを踏んでいたと言えます。
さらにその馬たちが、これまた関東の藤沢和雄厩舎や、関西の伊藤雄二厩舎など、当時リーディング上位の厩舎に入っていたのですから、 この成績も当然の結果だったと言えます。

1997年には、なんとあのシンコウラブリイにトニービンの仔が募集馬にラインナップされるはずでした。
が、しかし・・ ・。
1997年3月くらいまでは、確かにグリーンファーム愛馬会の広告で募集予定馬として挙がっていましたが、 1997年4月以降はその名前がなく、それどころか、6月にはなんとライバルクラブであるはずの、 ロードサラブレッドオーナーズの募集広告に名前が出ているではありませんか。
シンコウラブリイの仔だけではありません。
3月までグリーンファーム愛馬会の1997募集予定馬として 広告に名前が載っていた、 13頭中12頭が、最終的にロードサラブレッドオーナーズの募集馬となりました。
その中に、3連勝で、ラジオたんぱ杯3歳ステークス(G3)を制した、ロードアックス(父ウッドマン、母パール、藤沢厩舎所属)が 含まれていたのですから、当時のグリーンファーム愛馬会の会員はたまったもんじゃなかったでしょう。
この件について、かつて、桝添要一氏も、「週刊Gallop」誌上で、不透明であると批判なさっていました。
個人馬主の馬なら、所有者が変わっても影響はないでしょうが、クラブ馬は「出資」の対象となっているのですから、 広告が出てしまった後で、このようなことがあってはならないと思います。 当時、JRAがきちんと調査し、指導をしたのかは分かりませんが、 グリーンファーム愛馬会に限らず、今後このようなことがないことを願います。
ま、古い話なんですけれどね。

ともあれ、現在は、ノーザンファームや社台ファームといった社台系の牧場からも多くの募集馬を調達するようになっており、 爆発の予感もあります。
これからが、楽しみなのではないでしょうか。

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友駿ホースクラブ愛馬会(友駿ホースクラブ)
「○○シチー」の名でおなじみのクラブ。
クラブ創設から、1頭を400口に分割し(現在は500口が基本)、1口は5万円前後という基本ラインを守り続けています。
いくら一口馬主と言っても、1頭100口では、金額的にきついものがあるサラリーマンにとっては、手が出しやすいクラブでした。
最近、口数の多いクラブが増えているので、うかうかしていられない状況でしょう。

クラブのしくみで述べたような、現在のクラブのシステムを 最初に作り上げたのは、 実は友駿ホースクラブ愛馬会です。
共同馬主ということ自体は、古くからあったのですが、1971年に名義貸しの禁止が競馬法に明記されると、 クラブ弾圧の動きが活発になりました。
そこで、何とかクラブを残そうと、弁護士や役所関係に勤務する会員さん10人余りが集まって委員会をつくりました。
1975年には、ターファイト、クローバー、カネツ等の6つのクラブが募集を停止してクラブの解散をJRAに申し出る中、 法律を徹底的に研究し、商法535条から542条に規定する「匿名組合」をクラブに適用することを考案し、 内閣法制局と農林省に報告しました。
そのかいあって、JRAで最初に共有馬クラブとして承認されました。
一時撤退して いた他のクラブも、このシステムを下敷きにして、続々と再登録をしてきました。(な、なんと現金な(^_^;; )。
現在のような競馬ブーム、競馬の大衆化に果たした役割は決して小さくないでしょう。

「シチー」の活躍馬といえば、なんと言っても、タップダンスシチーでしょう。
2002年の朝日チャレンジカップ(G3)勝ちを皮切りに、2003年の金鯱賞(G2)、京都大賞典(G2)、ジャパンカップ(G1)を制し、 2004年に入ると金鯱賞(G2)を再度勝ち、宝塚記念(G1)を制しました。
2005年に金鯱賞(G2)に勝利し、同一重賞3連覇を果たしました。
有馬記念(G1)では、2002年、2004年の2度にわたり2着しました。
獲得賞金も本賞金だけで、10億を超えています。
その他のG1馬に、1986年の阪神3歳S(G1)を制したゴールドシチー、 2009年のジャパンカップダート(G1)を制したエスポワールシチー がいます。
ゴールドシチーは、 翌1987年の三冠レース、皐月賞(G1)、菊花賞(G1)でともに2着になっています。
エスポワールシチーは、2009年のマーチステークス(G3)も勝っています
また、 1987年の朝日チャレンジカップ(G3)、1988年の小倉記念(G3)を勝ったプレジデントシチー、 1989年のクリスタルカップ(G3)を勝ったリンカーンシチーなどがいます。
1995年のウインターS(G3)、1996年のシーサイドS(G3)を勝ったキョウトシチーは、地方では、名古屋大賞典(G1)、東京大賞典(G1)、白山大賞典(G3)、浦和記念(G2)を勝ち、 1998年のドバイワールドカップ(国際G1)へも出走しています。(6着)
その他、1996年の京王杯オータムH(G3)を勝ったクラウンシチー、 2000年の武蔵野S(G3)を勝ったサンフォードシチー、 2005年の目黒記念(G2)を勝ったオペラシチーがいます。
他には、札幌2歳ステークス(G3)を勝ったサンディエゴシチー がいます。

ちなみに(何にちなんでいるんだか・・・)、馬主がかっわてしまったんですけど、カワチオンドという馬が昔所属してったけなぁ。
抽選馬だったし、「シチー」の名も付かないし、きっと募集馬じゃなかったんでしょうね。

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ウインレーシングクラブ(ウイン)
昔、東日本愛馬会(未来競馬)といっていたのですが、社名を改めました。
その名もウインレーシングクラブ。
多くの勝ち馬が出るように付けた名前でしょうか。

東日本愛馬会のころは、募集馬も少なく、これといった馬が登場していませんでしたが、社名変更を機に、 全く違ったクラブに生まれ変わっています。

これまでは内国産が中心だったのですが、外国産馬なんかも積極的に取り入れているようなので、 新たに別のクラブが設立されたという感じです。
東日本愛馬会のここ数年の活躍馬は、5勝をあげ、賞金も1億を越えたアジサイトミオーでしょう。
ちなみに条件馬で、チチブブコウという馬がいたんですが、なんか気になりましたね。
なんてったって「チチ」「ブブ」です から(笑)。
名前といえば、このクラブに昔、ガンガンガンバっていう名を持つ馬がいました。(「ガンガンガンバ」て。)
未勝利に終わりましたが。
(ここはそういうコーナーか?)

ウインレーシングクラブになってからの活躍馬は、 2003年のアーリントンカップ(G3)、NHKマイルカップ(G1)を制したウインクリューガーをはじめ、 2002年の、カブトヤマ記念(G3)、福島記念(G3)、2003年の鳴尾記念(G3)を勝ったウインブレイズ、 2004年の東京新聞杯(G3)、京王杯スプリングカップ(G2)、2005年の富士ステークス(G3)を勝ったウインラディウス、 2004年の日経賞(G2)を勝ったウインジェネラーレ、 2005年のダイヤモンドステークス(G3)を勝ったウイングランツなどがいます。
ちょっと変わったところでは、2003年の京都9R京都ジャンプステークス(JG3)、小倉サマージャンプ(JG3)、 阪神ジャンプステークス(JG3)、京都ハイジャンプ(JG2)と、障害重賞を勝っている ウインマーベラスなんていうのもいます。
出資者にとって、息の長い活躍をしてくれるクラブ馬はありがたいので、平地でダメでも障害はどうかと可能性を探ってほしいものです。

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東京サラブレッドクラブ(東京ホースレーシング) 旧ユーワホースクラブ(ユーワライディング)
2006年、リニューアルしましたばかりですが、さらに、クラブ名も東京サラブレッドクラブとなりました。
2007年デビューの2005年産駒の募集馬は、2/3が社台ファームの生産馬で占めており、 美浦の藤沢和雄厩舎に入厩予定の馬がラインナップされているのも、今まではなかった気がします。
リニューアルで、もしかしたら爆発の予感もあります。
主要株主に、パチンコ・パチスロ遊技機の専門商社である株式会社フィールズの代表取締役社長・山本英俊氏の配偶者、 山本洋子氏の名前があがっています。

もともとは、「友和企画」という競馬の予想会社が元々の母体になっていたユニークなクラブで、 クラブの会員は、無料で予想を聞くことができたとか。
当たっていたのかどうかは知りませんが(^_^;;。
今回のリニューアルで、「友和企画」と切れたのかどうかは定かではありませんが、「ユーワ」の名前が残っているので、 まったく切れたわけではなさそうです。
ちなみに、予想が当たらないとすぐに社名変更する予想会社が多い中、「友和企画」は、30年以上の伝統がありますがね。

俳優で関西の競馬中継のキャスターもしていた宮川一朗太氏が、昔、ユーワ時代に会員だったようです。
(いまは社台サラブレッドクラブの会員で、ネオユニヴァースの一口馬主だったとか。)

募集馬は、かつては多かったのですが、ここ最近は、少数精鋭(決まり文句やなぁ・・・)にしていた(なってしまっていた)ようです。
代表馬は、1987年のニュージーランドトロフィー4 歳ステークスを制し、菊花賞でも3着、有馬記念では2着につっこんで、 メジロデュレンとの組み合わせで万馬券の片棒を担いだユーワジェームスでしょうか。
ちなみにユーワジェームスの生産牧場は、 あの野沢直子氏(「氏」ってつけんでもええんちゃうん)の実家だったような・・・。
他には、1990年の新潟大賞典(G3)を勝ったユーワフォルテ、 1993年のカブトヤマ記念(G3)を勝ったユーワビーム、 2000年の中日スポーツ賞4歳ステークス(G3)を勝ったユーワファルコン などの重賞勝ち馬がいます。
リニューアル効果でしょうか、 2009のフジテレビ賞スプリングステークス(G2)でレッドスパーダが2着し、 桜花賞(G1)では、レッドディザイアが2着しました。
続く優駿牝馬、いわゆるオークス(G1)でもブエナビスタのハナ差2着となり、悔しい思いもしましたが、 秋華賞(G1)で悲願の優勝を果たしました。

ま、なんにしても、リニューアル後のこれからが楽しみですね。

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広尾サラブレッド倶楽部(広尾レース) 旧サウスニアレースホースクラブ(サウスニア)
2007年3月より、広尾サラブレッド倶楽部(馬主登録は「広尾レース」)として生まれ変わりました。
どうやら、経営陣が入れ替わり、リニューアルしたようですね。
広尾サラブレッド倶楽部株式会社の代表取締役は、中尾公亮氏となっています。
中尾公亮氏は、サウスニアレースホースクラブとまったく無関係な人物でもないようです。
サウスニアレースホースクラブ時代の会員規約中にその名前が出てきます。
『愛馬会法人は、未勝利及び未出走のまま引退した当該出資馬について、日本中央競馬会に競走用馬として再登録する意志がある場合には、 当該出資馬を地方競馬に馬主登録のある第三者(中尾公亮)に売却します。』となっていました。
つまり、一度地方に転厩後、JRAに再登録し、再出資(再ファンド)する際の、地方在籍時のオーナーが、中尾公亮氏だったということです。
ま、何にしてもリニューアルということで、勝負服も、これまでの茶色を基調にしたものから、ブルーを基調にしたものに変わりました。

ちなみに、中尾公亮氏の広尾サラブレッド倶楽部株式会社代表取締役就任の挨拶で、
 ・クラブ募集馬のうち、9割以上をレースに出走させる。
 ・クラブ募集馬のうち、6割以上を勝ち上げる。
 ・クラブ募集馬のうち、2割以上をオープン馬にする。
の具体的数値目標が示されています。

さて、リニューアル以前の、サウスニアですが、「サウスニア」という名での馬主登録は以前からありました。
クラブとして本格的にスタートしたのは、1995年からです。
このクラブは、シンボリ牧場と関係からスタートしました。
実は、サウスニアレースホースクラブの代表の松平正樹氏と、 シンボリ牧場の代表取締役の和田孝弘氏は、高校時代の同級生という間柄だったそうです。
だから、このクラブは、シンボリ牧場を母体とする「シンボリホースメイト」を引き継いだ形でスタートしており、 募集馬もシンボリ牧場生産のものが含まれていました。

以前のサウスニアレースホースクラブは、募集は少頭数ながら、目移りするような外国産も結構募集されていました。
これらの外国産馬は、海外通の藤沢和雄、森秀行、角居勝彦といった厩舎に預けられていました。

歴史がまだ浅いのですが、2009年になり、ステラリードが函館2歳ステークス(G3)を制し、 広尾サラブレッド倶楽部(広尾レース)になって初めて重賞を制しました。

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シルクホースクラブ(サラブレットオーナーズクラブ・シルク)
「シルク」「シルキー」の名でおなじみのクラブ。
10数年の歴史があるのですが、95年にリニューアルし、大きく変わりました。
以前は年間7頭前後を100口ずつ募集していましたが、リニューアル初年度は、3歳馬20頭 、2歳馬38頭をそれぞれ500口と小さく分割して募集しました。
500口に分割したことで、一般サラリーマンにも 手が出せるようになり、会員数も大きくのばしました。
その後、当歳募集もはじめました。

以前のシルクホースクラブの「売り」は、あの早田牧場生産の馬を多くラインナップしていることと、 募集馬の育成もすべて早田牧場でしていることでした。
が、しかし・・・、早田牧場は経営破綻してしまいました。
早田牧場といえば、レオダーバン、ビワハヤヒデ、ナリタブライアン、マーベラスクラウン、ビワハイジ、マーベラスサンデー、 シルクジャスティス等のG1ホースを多く生産した牧場で、 社台ファームを追いかける有力牧場だったのですが・・・。
早田牧場との提携関係は、シルクホースクラブの代表だった阿部幸暉氏と、早田牧場の早田光一郎氏のつながりによるものらしい。
その早田光一郎氏は、ブライアンズタイムを共同所有する団体などから約4億円を横領し、牧場の運営資金に回していたとして、 起訴されており、本人もこれを認めています。
う〜ん、落ちるとこまで落ちたかという感じです。

ま、シルクが悪いわけではないので、シルクの話に戻しましょう。
代表馬は、1997年の毎日放送賞京都4歳特別(G3)、京都大賞典(G2)、有馬記念(G1)を勝った シルクジャスティス、 2000年の優駿牝馬(G1)いわゆるオークスを制したシルクプリマドンナです。
シルクジャスティスは、東京優駿(G1)、いわゆる日本ダービーでも2着にきていました。
他の馬では、1986年のクイーンS(G3)を勝ったロイヤルシルキー、 1994年の福島記念(G3)を勝ったシルクグレイッシュ、 1999年のラジオたんぱ賞(G3)を勝ったシルクガーディアン、 2002年のデイリー杯2歳S(G2)を勝ったシルクブラボー、 2004年の日経新春杯(G2)、京都記念(G2)、 2006年のアメリカジョッキークラブカップ(G2)を勝ったシルクフェイマス、 2009年のユニコーンステークス(G3)を勝ったシルクメビウス です。

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大樹レーシングクラブ(大樹ファーム)
「タイキ」の冠名でおなじみのクラブ。
会員募集を始めたのは1992年と歴史はまだ浅いのですが、外国産馬を中心に、活躍馬が多数います。
最近でこそ、アイルランドで育成なんていうクラブが出てきていますが、大樹レーシングクラブがその走りといえます。
大樹レーシングクラブの外国産馬は、ほとんどがアメリカケンタッキー州で生産され、2歳秋までにアイルランドに移動し、 そこで3歳5月までじっくりと育成されます。
生産は馬産 の中心地アメリカ、育成は育成技術の高いアイルランドという使い分けをしているというわけです。
そして、賞金体系が世界でもトップレベルの日本で走らせればいうことないですね(笑)。
(売れ残りではなく)新馬戦が始まる同じ年に募集を開始するというのを始めたのは、大樹レーシングクラブでした。
こういったリスクがあってか、募集馬がやや高めでした。

第1回の募集馬の中に、クロフネミステリーという馬がいたのですが、1口の申し込みもなかったということです。
やはり、「クロフネ」が「ミステリー」だったのでしょうか(なんのこっちゃ!)。
設立当初から活躍馬を出していたのですが、重賞勝ちは、1996年の毎日杯(G3)を制したタイキフォーチュンが初めてでした。
「えっ、重賞勝ってなかったっけ」って感じですが、それ以前には、タイキブリザードが活躍していたといっても、 2着が最高で、優勝には手が届いてなかったのです。
タイキブリザードがどれだけ2着が多かったかというと、 1994年の毎日杯(G3)、ラジオたんぱ賞(G3)、函館記念(G3)、1995年の宝塚記念(G1)、有馬記念(G1)と、すべて2着でした。
(その後1996年の京王杯スプリングカップ(G2)、安田記念(G1)までもが2着でした。)
しかし、タイキフォーチュンの初重賞以降、 大樹レーシングクラブはセキを切ったように重賞を勝ちまくっています。
1996年〜1997年の3年間で、G1を6勝、G2を5勝、G3を4勝というからすごい。
そのなかみはというと、タイキフォーチュンが1996年の毎日杯(G3)、NHKマイルカップ(G1)を、 タイキブリザードが、1996年の産経大阪杯(G2)、97年の京王杯スプリングカップ(G2)、安田記念(G1)を、 タイキシャトルが、 1997年のユニコーンステークス(G3)、スワンステークス(G2)、マイルチャンピオンシップ(G1)、スプリンターズステークス(G1)を、 タイキマーシャルが、1997年のエプソムカップ(G3)を、 タイキエルドラドが、1997年のアルゼンチン共和国杯(G2)をそれぞれ制しました。
1998年に入って、タイキシャトルが安田記念(G1)を制しただけでなく、 クラブ馬としては初の海外G1(ジャック・ル・マロワ賞)を制するなど、まだまだ勢いは衰えません。
さらにマイルチャンピオンシップ(G1)まで制しました。
その他、タイキシャーロックが、1998年のエルムステークス(G3)に勝っています。
これらの活躍には、大樹グループの副社長ジョン・マルドゥーン氏の存在が大きいでしょう。
彼は、全米ターフチャンピオンのシアトリカルなど、多くの名馬を輩出しました。
日本でも第2回ジャパンカップの勝ち馬ハーフアイスト、同3着のエイプリルランの生産者として、また大樹グループに参画後、 あのシンコウラブリイを生産したことで有名です。
その彼が、生産から育成、募集馬の選定をしているのですから、走って当然という感じですね。

まさか種牡馬になる馬が出てくるとは思っていなかったのでしょうか、 タイキシャトルがあまりに走ってしまったということで、種牡馬になる際、 会員への分配でトラブルもあったようです。
また、2007年6月29日、商品ファンド法に違反したとして、大樹レーシングクラブと、大樹ファームに対して、 農林水産省と関東財務局から業務改善命令が出されました。
大樹ファームは牧場の運営費に賞金を流用していたといいます。
このため、同クラブに賞金が入らず、投資家から預かった会費の一部を還元分に回していたらしいです。
今の時代になっても、このようなことが起こるのは残念ですね。
はやく信頼を回復してほしいものです。

1999年以降では、1999年の夕刊フジ賞クリスタルカップ(G3)を勝ったタイキダイヤ、 2000年の函館スプリントステークス(G3)を勝ったタイキトレジャー、 2001年のマーメイドステークス(G3)を勝ったタイキポーラ、 2002年のニュージーランドトロフィー(G2)を勝ったタイキリオン、 2004年の夕刊フジ賞クリスタルカップ(G3)を勝ったタイキバカラ、 2008年の東京オータムジャンプ(G3)を勝ったタイキレーザー などが出てきています。

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ユニオンオーナーズクラブ(ヒダカ・ブリーダーズユニオン)
日高地方の25の牧場が集まってできたクラブ(現在は24の牧場)。
集まった牧場はいずれも有名な牧場で、 スズカマンボを生産したグランド牧場、 ウインクリューガーを生産した橋本牧場、 アローキャリーを生産した矢野牧場、 チアズグレイスを生産した白井牧場、 リーゼングロス、タケノベルベットを生産した武岡牧場、 サクラチヨノオー、サクラローレル、サクラキャンドルなど、「サクラ」の名の付く活躍馬を多く出している谷岡牧場、 イシノサンデーを生産した服部和則氏、 ミホシンザン、マサラッキを生産した日進牧場、 サクラスターオー、ウイニングチケット、サクラユタカオーを生産した藤原牧場、 キタノカチドキ、ニホンピロウイナーを生産した佐々木節哉牧場、 ホウヨウボーイを生産した豊洋牧場などです。
設立当初は、各牧場が牡馬・牝馬1 頭ずつ提供する方式でスタートしましたが、 現在は牧場の都合もあって、生産馬以外の馬を募集馬とする場合もあるようです。
いずれにしても、各牧場の責任において、クラブに馬を提供するということです。
牧場系のクラブは、売れ残った馬をクラブに提供しているんじゃないかと思われがちですが、このクラブはその心配はなさそうです。
普通、全口売れなかった残りの分は、クラブが持つのですが、ユニオンオーナーズクラブでは、その馬を提供した牧場が持つことになっていますし、 馬が走らなかったときの補償も、その牧場が持つというシステムになっています。
したがって、あまり売れそうにない馬や、走りそうにない馬を提供すると、自分で自分の首を絞めることになりますから、 牧場も変な馬を提供できないということになります。
入厩先についても、各牧場が責任を持って確保するそうです。

代表馬は、第1期生の中から、最低人気で1989年のエリザベス女王杯(G1)を勝ち、 単勝4万円もつけたサンドピアリスでしょう。
クラブの男性職員は「出るだけ」と言って誰も馬券を買っていなかったそうですが、偉いもんです、女性職員は単勝を勝っていたそうです。\(^o^)/
同馬は後に、1991年の京都記念(G2)で2着になっています。
他に重賞勝ち馬としては、1993年の鳴尾記念(G2)を制したルーブルアクトがいます。
同馬は、94年の京都記念(G2)で、ビワハヤヒデの2着になっています。
ここ数年の重賞活躍馬 は、1996年のステイヤーズステークス(G3)2着、1997年のアメリカジョッキークラブカップ(G2)2着、 1998年の日経賞(G2)2着、さらには1999年のエプソムカップ(G3)で2着、七夕賞で2着のシグナスヒーロー、 1997年の毎日杯(G3)2着のヒダカブライアン、 2006年のマーメイドステークス(G3)を勝ったソリッドプラチナム、 2007年のキーンランドカップ(G3)を勝ったクーヴェルチュール、 2008年の新潟大賞典(G3)、金鯱賞(G2)で2着し、福島記念(G3)を勝ったマンハッタンスカイ などです。

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エプソム愛馬会(ジャパン・ホースマン・クラブ)
毎年の募集馬はそれほど多くはないものの、1978年創設という伝統のあるクラブ。
このクラブの特徴は、それぞれの会員に専任のスタッフが割り当てられる担当制でしょう。
レース出走日はもちろんのこと、ゲート試験に合格したり、放牧したりした時も、担当者が会員それぞれに電話で連絡してくれます。
会報だけのつながりでなく、担当者と直接話ができるので、ささいなことでも、いろいろ質問できる点がうれしいです。
ただしこの担当制、資料請求をした時点から始まっていたりして、資料請求をすると、 気にいった馬がいたか等と必ず電話してきますけど・・・(^_^;;。
ここ数年重賞での活躍馬は出ていません。
(オープン馬が出ていない?) 正直、条件馬ばかりではという感じなのですが、条件馬でも、息の長い活躍をして、賞金を稼ぐ馬がいました。
エプソムマックスエプソムカラーエプソムビクトリーなどがそうでした。
エプソムビクトリーは、1勝馬にもかかわらず、 1着から5着までの本賞金だけで6,000万近く稼いでいました。
エプソムボスエプソムアルテマエプソムアーロン なんかも比較的賞金を稼いでいます。
1億ちょっとくらいですが、もっとも賞金を稼いだ馬は、エプソムシアターでしょう。
もうちょっと大物が出てきてほしいものです。

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キャロットクラブ(キャロットファーム)
2001年秋に、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのノーザンファームの協力を得て、全面リニューアルしたクラブ。
その前は、1991年にグリーンヒルスタッドがクラブを全面的にバックアップする形で生まれ変わったのですが。 (生まれ変わるのは2回目?)
以前協力を得ていたグリーンヒルスタッドは、プロゴルファー青木基正氏の実の兄、青木基秀氏が代表を務める牧場です。
以前のキャロットクラブの募集馬の母馬は、ほとんどが外国産馬や持ち込み馬なのですが、 これは青木氏が個人輸入したものだということでした。
2002年の募集馬から、ノーザンファームをはじめとする社台グループの馬を導入するようになり、 その馴致・育成もノーザンファームをはじめとする社台グループで行うので、頼もしいかぎりです。

その甲斐あって、2005年になって一気にブレイクしました。
これまで、クラブの重賞勝ちはなかったのですが、2005年に入って、 ハットトリック(追分ファーム生産)がスポーツニッポン賞京都金杯(G3)を勝ったのを皮切りに、 東京新聞杯(G3)も勝ち、ついには、マイルチャンピオンシップ(G1)も制覇したばかりでなく、 海外G1である、香港マイル(G1)に優勝するという快挙を成し遂げました。
シーザリオ(ノーザンファーム生産)は2005年になって、時事通信杯フラワーカップ(G3)を勝ち、 桜花賞(G1)に2着し、さらには、優駿牝馬(オークス)(G1)を制しました。
その後、シーザリオがアメリカンオークス(G1)に挑戦し、見事優勝するという快挙を成し遂げました。
日本の優駿牝馬(オークス)(G1)で3着にきたディアデラノビア(ノーザンファーム生産)は、 桜花賞(G1)には間に合わなかったものの、サンケイスポーツ賞フローラS(G2)を勝ち、 2007年に入ってから、京都牝馬ステークス(G3)も勝ちました。
2006年に入って、フィフティーワナーがアンタレスステークス(G3)を勝ち、 トリリオンカットが朝日チャレンジカップ(G3)を勝ちました。
さらに、2006年のジャパンカップダート(G1)をアロンダイトが制しました。
その後、 2007年の阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)を制し、 2008年の優駿牝馬(G1)を制覇した、トールポピー、 2008年のマイルチャンピオンシップ(G1)ブルーメンブラット が出てきています。

以前は、ポジーというのが活躍していました。 (ポジーって!)
名前からして印象ある馬ですが、ダートを中心に走り、9勝し、本賞金2億以上稼ぎました。
1996年の天皇賞・秋(G1)では牝馬ながら5着と健闘しました。
この馬は、ユニオンオーナーズクラブに株主牧場として参画している鮫川牧場の生産馬で、 募集当時は23頭募集した中のわずか2頭の父内国産馬でした。
父ヤマニンスキーですからねぇ。
募集価格も安かったんでしょうねぇ。(^_^)
このポジーが出たことで、当時キャロットクラブの規約そのものを改正したというからすごい。
たとえば、牝馬は6歳末にクラブに買い戻されることになっていましたが、「引退させないで欲しい」との会員の声で、 7歳以降も走ることになったとのことです。

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ロードサラブレッドオーナーズ(ロードホースクラブ)
グリーンファーム愛馬会の所でも述べましたが、 1997年、グリーンファーム愛馬会の募集予定馬の多くが、最終的にロードサラブレッドオーナーズに移ったことがありました。
それだけでなく、当時、アイルランドのバリードイル調教場での育成、天才調教師エイダン・オブライエンの管理下での調教、 国内ではファンタストクラブでの育成、藤沢和雄厩舎や伊藤雄二厩舎をはじめとする当時の東西リーディング上位厩舎への入厩といった、 当時のグリーンファーム愛馬会の「売り」までも移りました。
実は影のキーマンが同じだったんじゃないだろうかと勘ぐってしまいます。
いったい何があったのでしょうか?

ともかく、1997年からロードサラブレッドオーナーズは生まれ変わりました。
グリーンファーム愛馬会の募集予定馬で、重賞戦線を活躍した馬に、 1997年のラジオたんぱ杯3歳ステークス(G3)を制したロードアックス、 1998年のフラワーカップ(G3)2着のレディボナンザなどがいました。

クラブの代表馬は、2001年の優駿牝馬(G1)いわゆるオークスを制覇したレディパステルでしょう。
レディパステルはその後、2003年のローレル競馬場賞中山牝馬ステークス(G3)、 東京11R府中牝馬ステークス(G3)にも勝利しています。
他の重賞勝ち馬に、 1999年の京都ハイジャンプ(G2)を勝ったロードアトラス、 2001年のトヨタ賞中京記念(G3)を勝ったロードクロノス、 2001年の函館記念(G3)を勝ったロードプラチナム、 2004年の小倉サマージャンプ(G3)、阪神ジャンプステークス(G3)、京都ハイジャンプ(G2)を勝った、 ロードプリヴェイルがいます。

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ローレルクラブ(ローレルレーシング)
かつては「カネツ」の冠名を持っていたクラブ。
「カネツ」といえば、1995年のエプソムカップ(G3)、鳴尾記念(G2)、 1996年のアメリカジョッキークラブカップ(G2)を勝ったカネツクロスが代表馬でしょう。
最近では「ローレル」の冠名を持つ馬も出てきていますし、冠名がつかない馬名も出てきました。
以前は募集馬も10頭以下で、総口数は決まっていなく、一口5万になるように分割して募集していた時期もありました。
最近では、募集頭数も増え、200口、300口、400口、500口のパターンもあります。
さらに、当歳募集なども行われるようになりました。

北海道新冠町の牧場を中心に提携しており、募集馬はそれらの牧場から提供されています。
それらの牧場には、G1馬を生んだ有名な牧場が多く含まれています。
アインブライドを生産した北星村田牧場、 ファイトガリバーを生産した天羽牧場、 ドクタースパートを生産した須崎牧場、 アラホウトクを生産したアラキファームなどです。
シブイ牧場では、ユキノビジンの村田牧場、ライデンリーダーのヒカル牧場、 ライブリマウント、キョウトシチーの2頭のドバイワールドカップ出走馬を出した若林牧場などが名を連ねています。

カネツクロス以外の重賞馬は、フィーユドゥレーヴで、 2003年の函館2歳ステークス(G3)に勝っています。
また、ローレルゲレイロは、 2006年の函館2歳ステークス(G3)、デイリー杯2歳ステークス(G2)、朝日杯フューチュリティステークス(G1)、 2007年のアーリントンカップ(G3)、NHKマイルカップ(G1)で惜しい2着を繰り返した後、 2008年の東京新聞杯(G3)で重賞初制覇を達成し、その後、阪急杯(G3)も制覇しました。
その後、2008年の毎日放送賞スワンステークス(G2)、2009年の阪急杯(G3)でまた、2着のあと、 ついに、ついに、高松宮記念(G1)を制覇し、さらに、スプリンターズステークス(G1)も制覇しました。
G1も制覇し、これだけ、重賞で活躍したら、会員としても言うことないですね。

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ターファイトクラブ(ターフ・スポート)
かつては、「ターフ○○」「○○スポート」の名で募集馬を走らせていたクラブ。
クラブの歴史はかなり古く、戦後の馬主不足の時代に、競走馬を確保するため設立されたとのことです。
その後月日は流れ、1994年に22の牧場が集まり、新体制でスタートすることになりました。
多数の牧場主体のクラブ形態は、ユニオンオーナーズクラブと同じです。

再生時の代表は、1989年の優駿牝馬(G1)を制したライトカラー、 1994年の安田記念(G1)、マイルチャンピオンシップ(G1)を制したノースフライトを生産した大北牧場の斉藤敏夫氏でした。
ノースフライトなどを大北牧場の馬主名義で走らせていた斉藤氏は、クラブの代表になるにあたって、 馬主名義が抹消されてしまうので悩んだということですが、おもいっきて決断し、クラブの代表となったようです。
1997年からは、さらに参加牧場が増え、2007年現在では44の牧場となっています。

大北牧場以外では、あのオグリキャップの妹、1994年の桜花賞(G1)を制したオグリローマンの生産者の稲葉牧場、 1987年の桜花賞(G1)、優駿牝馬(G1)を制したマックスビューティ、 1993年のエリザベス女王杯(G1)を制したホクトベガの生産者の酒井牧場、 1997年の皐月賞(G1)、東京優駿(G1)を制したサニーブライアンの生産者の村下ファーム、 1991年の朝日杯3歳ステークス(G1)、1992年の皐月賞(G1)、東京優駿(G1)を制したミホノブルボンの生産者の原口圭二氏、 1994年の優駿牝馬(G1)を制したチョウカイキャロルの生産者の谷川牧場、 1990年の皐月賞(G1)を制したハクタイセイの生産者の土田農場、 1986年の天皇賞(春)(G1)を制したクシロキングの生産者の上山牧場、 1987年の天皇賞・秋(G1)を制したニッポーテイオー、エリザベス女王杯(G1)を制したタレンティドガール、 2002年の優駿牝馬(G1)を制したスマイルトゥモロー、阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)ピースオブワールドなどの生産者の千代田牧場、 2001年の高松宮記念(G1)、スプリンターズステークス(G1)を制したトロットスターの生産者の荻伏三好フアーム、 2004年の高松宮記念(G1)を制したサニングデールの生産者のタイヘイ牧場 2006年の優駿牝馬(G1)、秋華賞(G1)を制したカワカミプリンセスの生産者の三石川上牧場 などが名を連ねています。
他に、93年の桜花賞、オークスともに2着のユキノビジンを生産した村田牧場が・・・、あれぇ〜、 ローレルクラブの提携牧場でもあるのかぁ。

とはいっても、44の牧場がターファイトクラブにしか馬を提供しないわけではありません。
千代田牧場の生産馬で、1998年の京阪杯(G3)を勝ったブラボーグリーンはグリーンファームでしたし、 ミルファームの生産馬で、2000年の中日スポーツ賞4歳ステークス(G3)を勝ったユーワファルコンはユーワでした。
結構ライバルクラブに重賞馬がいたりして。

ターファイトクラブは、募集方法をいろいろ模索しているのか、1996年秋に当歳募集を初めて実施しました。
1995年の春に3歳馬を募集して以来、1年半で、4世代の馬を募集したことになるからおどろきです。
再スタート以前の活躍馬は、1987年のダイヤモンドステークス(G3)を勝ったドルサスポートなどで、 再スタート以降では、2002年の京成杯(G3)を勝ったローマンエンパイア、 2002年の小倉2歳ステークス(G3)を勝ったメイプルロード、 2006年の函館スプリントステークス(G3)を勝ったビーナスラインなどがいます。

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G1レーシング(G1サラブレッドクラブ)
2010年にできた社台系の新規クラブ。
2011年の2歳馬からの募集。
他の社台系クラブと同様、1頭40口だが、比較的リーズナブル。
結果は、これからですね。

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