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Bauddha

仏教入門 -釈尊について-

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仏伝について

釈尊の生涯を述べる前に、釈尊の生涯を伝えるために書かれた諸文献「仏伝」について述べておきたい。

本文書では様々な仏伝から取捨選択された釈尊の生涯を記述するため、仏伝と言うものが存在することとその概略を知る事を前提としており、先に本節において仏伝について解説する。

そのため、本来ならば事前に解説されなければならない仏教用語が現れる。それらの用語は全て後述されるので、不明な用語などはそちらを参照されたい。もし、難解で読みづらいならば、本節を読み飛ばし、然るべき知識を得た上で後に本節を読んでも構わない。

一般によく知られた仏伝としては、

等が挙げられるが、大正 本縁部に含まれる諸経、また律蔵にもまとまった形で仏伝が含まれている。1)また、パーリ経蔵のブッダヴァンサ (Bv.)も、南伝の独立した仏伝と言えるであろう。

外薗(1983-10)では上記リスト6種の他に次の13種を仏伝として取り上げている。

詳細は参考文献に譲るとして、少し補足的な説明をしておこう。

ブッダチャリタ

Bc.は作者が確実に判明している数少ない仏伝である。作者のアシヴァゴーシャ (ashvagho[s/.]a)(馬鳴)は西暦1、2世紀ごろの仏教詩人で、その中でもこのブッダチャリタは、サンスクリット文学の嚆矢とされる、マハーカーヴィア (mah[-/a] k[-/a]vya) にも分類され得る、正規のサンスクリットで書かれた、文学的に非常に高く評価される詩的な作品である。

Bc.にはサンスクリットテキストと漢訳、チベット訳が伝わるが、残念ながらサンスクリットテキストは14章31節で途切れて、以下の部分は失われている。漢訳は「仏所行讃」(T04n0192)、チベット訳はsangs rgyas kyi spyod pa (東北4156)で、いずれも28章まで完全に伝わっている。

内容は降下入胎からアショーカ王(ashoka)による8万4千の造塔までを含む。ほとんどの仏伝に含まれる燃燈(s. d[-/i]pa[m/.]kara, p. d[-/i]pangkara)仏授記などの本生的なものは含まない2)が、降下入胎は前世の釈尊が兜率天において現世の父母としてシュッドーダナ王、マーヤー夫人を選ぶのであり、兜率天に生まれるための大前提としての過去世における善業は必要である。Bc.はアシヴァゴーシャが現世における釈尊を賛美するために書いた作品ではあるが、誕生から始めずに降下入胎から始まる点は、本生的なものの残滓と言えるであろう。

アシヴァゴーシャの所属部派については、説一切有部、多聞部、鶏胤部、瑜伽行派、経量部、など諸説があり、確実なことは言えない3)

マハーヴァスツ

Mv.は大衆部、説出世部に伝わったものと考えられていて4)、現在サンスクリットテキストのみが伝わっている。そのサンスクリットは仏教混淆梵語 (Buddhist Hybrid Sanskrit)5)と呼ばれる特殊なもので、文法、語彙ともに正規のサンスクリットとは異なる。漢訳、チベット訳共に確認されていない。成立年代は非常に古いと考えられるが、長期に亘って手が加えられ続けたと思われ、現在の形になったのは、早ければ2世紀後半6)、遅くとも4-5世紀頃7)と思われる。

ラリタヴィスタラ

Lv.はサンスクリットテキストと漢訳2本、チベット訳が伝わる。Mv.同様、Buddhist Hybrid Sanskritによって書かれている。漢訳2本は前述の「普曜経」(T03n0186)及び「方広大荘厳経」(T03n0187)で、前者は竺法護によって308年に訳され8)、後者は地婆訶羅によって683年に訳された9)。漢訳2本とサンスクリットテキストの内容は同じではない。 Mv.同様、長期に亘って拡大していったものと思われ、「普曜経」が最も古く、恐らくはその後「方広大荘厳経」、そして現存するサンスクリットテキストに繋がると思われる10)。チベット訳の rgya cher rol pa (東北95) は、9世紀11)頃の訳で、こちらは現存のサンスクリットテキストと変わらない。

また従来、Lv.は、仏本行集経の跋文に「薩婆多師。名此經爲大莊嚴」(T03n0190_p0932a18)とあり、この「大莊嚴」を「方広大荘厳経」とみなして、説一切有部のものとされてきたが、最近の研究により、元々大乗の仏伝であることが明らかにされている12)

仏本行経

「仏本行経」は宋代5世紀前半の釋寶雲による訳で、漢訳のみ伝わっている。燃燈仏授記からアショーカ王の造塔まで、ほぼ全体を網羅する。特筆すべきは、定光(燃燈)仏授記の話が、釈尊のヴァイシャーリー訪問の後に挿入されている点。また、アショーカ王による8万4千の造塔が一番初めにあることである。

仏本行集経

「仏本行集経」はガンダーラの出身で後に中国北周の時代に長安に渡った訳経僧、闍那崛多(523-600)による訳で、漢訳のみ伝わる。Mv.の漢訳とする説もかつてあったが、誤りである。燃燈仏授記から、主要弟子の教化とカピラヴァストゥへの帰国までを含む。「集経」の文字通り、多くの律蔵や教蔵から仏伝部分を集めたものである。

過去現在因果経

「過去現在因果経」は宋代のインドの訳経僧、求那跋陀羅(394-468)による訳で、漢訳のみ伝わる。普光(燃燈)仏授記からマハーカーシャパ (s. mah[-/a]k[-/a]shyapa, p. mah[-/a]kassapa)の教化までを含む。

唐代中国、奈良時代以降の日本では巻子の下半分に経文を書き、上半分に対応する絵を描いた絵巻「絵因果経」が作成され、広く流布した。

ブッダヴァンサ

Bv.はパーリ経蔵に含まれる。日本語訳は「南伝大蔵経」の「佛種姓経」(vol.41. pp207-362.)である。

ジャータカ(p. j[-/a]taka)(J.)の序文として、5世紀前半に注釈者として有名なブッダゴーサ(p. buddhaghosa)によって書かれた、ニダーナカター(p. nid[-/a]nakath[-/a])(Nk.)はBv.の偈に解説を加えたものである13)。また、Bv.の注釈書 ブッダヴァンサッタカター(p. buddhava[m/.]satthakat[-/a])(BvA.)(別名 : madhuratthavil[-/a]sin[-/i])はブッダゴーサと同時代のブッダダッタ(p. buddhadatta)によるものである14)。以上の事から、Bv.の成立年代は少なくとも5世紀前半以前と考えられる。

燃燈仏(p. d[-/i]pangkara buddha)が釈尊の遠い過去世であるスメーダ(p.sumedha)に将来の成仏を授記することから始まり、燃燈仏以下25番目の仏陀である釈尊に至るまでの各仏陀の因縁を説き、最後に釈尊の舎利配分を述べている。

「南伝大蔵経」vol.41.「佛種姓経」第25品の釈尊の項に関して含まれる内容の要約を以下に挙げる。

  1. 成道
  2. 梵天勧請
  3. ラーフラ(p. r[-/a]hula)の教化
  4. 弟子の集会にあたって、1250人の比丘衆が集まる
  5. 四諦を説く
  6. カピラヴァットゥ(p. kapilavatthu)において、スッドーダナ(p. suddhodana)王を父に、マーヤー(p. m[-/a]y[-/a])夫人を母に持つ
  7. 29歳まで在家の生活をし、悦楽(ラーマ p. ramma)善悦楽(スラーマ p. suramma)善養(スバタ p. subhata)と言う、3つの宮殿がある
  8. バッダカッチャーナー(p. bhaddakacc[-/a]n[-/a])夫人との間にラーフラ(p. r[-/a]hula)と言う実子があり
  9. 4種の相を見て(四門出遊)出城し、6年間精勤と苦行を行い
  10. バーラーナシのイシパタナ(p. b[-/a]r[-/a][n/.]asiya[m/.] isipatane)で初転法輪を行う
  11. コーリタ(p. kolita)と、ウパティッサ(p. upatissa)は上首の弟子で、アーナンダ(p. [-/a]nanda)は我(釈尊)の近侍の侍者である
  12. ケーマー(p. khem[-/a])とウッパラヴァンナー(p. uppalava[n/.][n/.][-/a])比丘尼は上首の女弟子で、チッタ(p. citta)と、ハッターラヴァカ(p. hatth[-/a][l/.]avaka)は上位の常侍信士である。
  13. ウッタラー(p. uttar[-/a])とナンダマーター(p. nandam[-/a]t[-/a])は上位の常侍信女であり、我はアッサタッタ(p. assattha(樹)の下で最上の菩提に達した。
  14. 1尋の我が光明は常に16肘に上昇する。今この時に存在するものの寿命は僅か100年である。その間、我は多くの人々を渡らせる。
  15. 我もまた久しからずして弟子達と共に、ここにおいて涅槃に入る、火が燃やすものを燃やし尽きた時のように。
  16. それら並ぶものの無い威光の人々、これら十力ある人々、この32相を具え、優れた徳を持てる身。
  17. 6色の太陽のように、並びなく光明を放ち、全て無に帰す、実に一切諸行は空である。

上記の行番号は「佛種姓経」とは一致しないので注意してほしい。一部、パーリ原典(GRETIL - Göttingen Register of Electronic Texts in Indian Languages)から固有名詞などを参照した。また、14行目は「佛種姓経」を参考にしつつ、独自の訳を試みた。

次に少し解説を加えておこう。

1.から6.までは特筆するべきことは無い。7.の3つの宮殿(一般に「三時殿」稀に「三時宮」)を示すが、通常、涼時「居秋殿」、暑時「居涼殿」、寒雪時「居温殿」のように季節毎に住まう宮殿を挙げる場合がほとんどで、このように、それぞれの名称が示されるのは珍しい。CBETACD18のText Searchで三時殿or三時宮で検索した結果の限りでは、「父子合集経」浄飯王信解品(T11n0320_p0974a22)に月光、瑠璃藏、日光、の名を挙げるのみである。

8.釈尊の夫人をバッダカッチャーナーとするが、赤沼(1967)によればMah[-/a]va[m/.]sa,には王妃をyasodhar[-/a]とはいわず、bhaddakacc[-/a]n[-/a]と呼ぶ。(中略)提婆達多の兄とす。、とある(兄は姉の誤りであろう)15)。また、ラーフラの母とすることから見ても、ヤソーダラーの別称である。

11.コーリタと、ウパティッサ、はマハーモッガラーナ(p. mah[-/a]moggall[-/a]na)とサ-リプッタ(p. s[-/a]riputta)の別称である16)

12.ケーマーとウッパラヴァンナーは後述するが、言うまでも無い程よく知られた比丘尼である。チッタ(質多)は、amb[-/a][t/.]avanaと言う林を布施し精舎を建てている17)。また、ハッターラヴァカは、ibid. に見る、hatthaka [-/a][l/.]avaka であろう、優婆塞の質多と共に優婆塞中の鏡なり手本なり。とある18)

13.「佛種姓経」では難陀ナンダマーター(p. nandam[-/a]t[-/a])、ウッタラー(p. uttar[-/a])の順になるが、GRETIL. "Buddhavamsa"ではウッタラーが先になる。詳しくは後述するが、ウッタラーは、後に、死してその朽ちた遺骸を以て釈尊が弟子達に美しさの無常を説いた遊女シリマー(p. sirima[-/a])を、忍辱によって釈尊に帰依させた人である。ナンダマーターはナンダの母であるが、このナンダは釈尊の異母弟のナンダではない。ibid. pp.751-752.に拠れば、khujjuttar[-/a]と共に、優婆夷の手本なりと曰はる。とある。また、ibid.には、uttar[-/a]はその名なり。ともある19)、前述のウッタラーとは別人であるが、敢えてこの組み合わせになっている事には何か意図があるのかもしれない。

アッサタッタは言うまでもなく菩提樹のことである。この木はイチジク科の樹木で、サンスクリットではピッパラ(s. pippala)等と呼ばれる。Bv.では25仏それぞれに菩提樹となる樹木の名を挙げている。

Bv.はパーリ経蔵の中でも最も新しい部類であり、また、仏伝経典は多く大乗的な性格のものである。20)授記の思想が、大乗仏教で重要なことは言うまでもない。21)とあるように、仏伝と授記思想が大乗的である以上、大乗による過去仏思想の影響を強く受けている。特に25仏を挙げるのは、事実上Bv.のみであり22)、この点にのみ注目するならば、7仏を挙げる他の大乗経典よりも大乗的といえる。筆者は、このように南伝仏典中にありながらも、非常に大乗的色彩の強いBv.に強い興味を持っている、このため少し詳しくBv.については解説を加えた次第である。

  1. 外薗 (1983-10) p.49.
  2. 干潟 (1978) p91.
  3. 梶山・小林・立川・御牧(1984) pp.478-479
  4. 干潟 op. cit. p83.、平川 (1974) p.336.、水野 (1977) p.70.
  5. Edgerton (1953_1)
  6. 干潟 op. cit. pp.83-86.
  7. 水野 op. cit. p.70.
  8. 外薗 (1994-2) p.96.
  9. ibid. p.97.
  10. ibid. pp.108-110.
  11. ibid. p.98.
  12. ibid. pp.103-108.
  13. 勝本 (1999-12)p.44., また、「因縁物語」p.6.には「この物語は佛種姓経の中によく出て来るのであるが、それが偈ばかり並べて出してあるために、よく判らない。それ故処々に偈を交えた語でその物語をしよう。」とある。
  14. 勝本 (1999-12)p.44, p.51.
  15. 赤沼(1967)p.84.
  16. ibid. p.375., 593.
  17. ibid. p.21.,p.132.
  18. ibid. p.222.
  19. ibid. pp.751-752.
  20. 外薗 (1983-10) p.53.
  21. 平川 op. cit. p.337.
  22. 勝本 (1999-12) p.44.

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