Bauddha
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この文書は、仏教の事に詳しくない人などが、とりあえず仏教について一通り概観できるように書いた。
じつは筆者はよく人に仏教について色々と訊かれる。その内容からあまりにも多くの人が仏教について何も知らない事には驚いた。微力ながら、この文書が少しでも誰かの仏教理解の役に立てたら、と思い作成する事にした。それと、これを読んでもらえばいちいち説明する手間が省けると言う意図も含んでいる。
よく言われることだが、入門書は大家が書くものである。末木文美士「日本仏教史」にも、
一種の入門書だ。入門書とか、概説書とかは、大家が書くべきもので、ぼくなどが偉そうに書くものではないことはよく知っている。
末木文美士「日本仏教史」 pp.13-14.
とある。そしてこのように述べて入門書を書く人のほとんど全てが、末木氏を含め、実際には大家である。しかし筆者の場合は本当に初学者に等しいものであり、それこそ偉そうに入門書を書く等とはおこがましい。
それでも浅学無知な筆者が厚顔にも「仏教入門」などと題した文書を書くのは、先に挙げたように一般の人と仏教について話した経験から、「本当に仏教のことを何も知らない人々」のための「仏教入門」を、彼らにより近い立場から、何も知らない人々よりは少しだけ仏教を学んだ学徒が書く「仏教入門」にも幾らかの価値が与えられるかもしれない、との考えによるのである。
謂わば、凡夫のために凡夫が書いた「仏教入門」と考えて欲しい。
後で凡例にも挙げるが、この文書は宗教学の立場から客観的に仏教を論じる事を旨としている。しかし完全に主観を廃する事は不可能であり、そこかしこに主観の残滓があるだろう。従って、先ず筆者自身の宗教的立場を明らかにしておく。
筆者の家は臨済宗の檀家である。多くの日本人がそうであるように、代々継承されてきた宗旨を、特に意識することなく信仰してきた、家族は特に熱心に信仰していた訳ではないし、特別に反宗教的でもなかった。筆者は学生の頃から反宗教的立場により各宗教について学習し、結局宗教を受容し仏教に回帰してきた。
まず始めに仏教を批判しようと研究したのが始まりであった、次に宗教全般を批判するために様々な宗教を研究したが、結局、人間は宗教を持たずにはいられないとの考えに至り、今まで研究した宗教から、仏教がもっとも自分にふさわしいと判断し、さらに深く研究することにした。
現在、原始仏教をベースにして、臨済宗の方法論も取り入れた立場を採っている。
具体的には、自分自身の解脱を目指している。そこにおいて、他者の救済は意識しない。そう言った意味では南伝仏教的であり、大乗ではないかもしれない。しかし、諸行無常・諸法無我・一切皆苦(三宝印)の立場を採りながらも、三世実有法体恒有を主張する説一切有部などとは異なり「一切皆空」の立場を採る。それ故に、原始仏教的であると考えている。
筆者は仏教徒であり、「仏教の悟りが死を超える絶対智である」と確信し仏教を信じるが、信仰はしない。仏の教えと、臨済宗的方法によって解脱する事を目指す。
筆者は「信」と「信仰」とを明確に区別して考えている。信仰とは一般的には「信じ尊ぶ事」とされ、「信」や「信心」等と区別されずに使われているが、「仰」の字義から見れば「信じ仰ぐ事」であり、ただ神を信じて仰ぐ事を意味していると筆者は理解している。これは一神教的な、絶対神を置いた宗教の形であり、絶対神を強く否定する仏教徒とは正反対の宗教形態であると考えらるであろう。
仏教における「信仰」と「信」に関しては、次説も参考の事。
saddh[-/a]の訳語は慣用として漢訳の信仰 (['/s]raddh[-/a]) を用いたが、後代の教学で説くような絶対なるものに対する確固とした信心、すなわち仰信などとは非常にニュアンスを異にする点に注目すべきであろう。
右1)のいくつかの用例を通じて推測すると、saddh[-/a]は本来、信念もしくは確信に近い概念をもつ語打と思われる。したがってまた、「信仰を起こす」と言うのは、確信を寄せる、信じて頼るという程度の意に解されよう。
宮坂宥勝訳「ブッダの教え」(suttanip[-/a]ta) p.498.)
1)引用者註:引用文献 pp.496-498.参照
また、仏教が信(信仰)をどのように考えてきたかについて、「スッタニパータ」(suttanip[-/a]ta)と言う原始仏典をめぐって、2つの相反する解釈がある。以下にその2例を挙げるが、現在筆者は前者の解釈を支持している。
[世尊]
「ヴァッカリが[目覚めた者に]信仰を起こしたように、またバドラーヴダとアーラヴィ・ゴータマも[同じく信仰を起こした]ように、そなたもまた信仰を起こすがよい。ピンギヤよ。そなたは死魔の領域の彼方に行くであろう。」
宮坂宥勝訳「ブッダの教え」(suttanip[-/a]ta) p.258. G1146.)
(師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。ピンギヤよ。」
中村 元訳「ブッダのことば」(suttanip[-/a]ta) p.241. G1146)
宗教学の立場に立ち、現在の日本において一般的と思われる仏教解釈に基づいた、できるだけ仏教史的な観点で、宗派に偏らない中立な内容を心がけた。各宗派の宗学的な部分も、多くの既存の仏教入門書にみえる一般論の立場をとる。
各宗派に対して、できるだけ批判的態度は控えるようにしたが、個人的な見解が入っている部分は多々あると思われる。誤謬、あるいは著しく中立性を欠いた表現などがあれば読者諸氏のご教示をお願いしたい。
いただいたメールなどは、断り無くその一部、または全てをこのサイトで公開する場合がある。また客観的に見て問題ないと思われる部分は訂正しない場合がある。
筆者の個人的見解は[column]として明示する。
仏教の開祖の呼称については、釈尊を用いる。欧米式にゴータマブッダ、あるいは釈迦とすべきとの意見もあるだろうが、釈迦と言うのは釈迦族という部族名であり、釈尊個人を示す固有名詞ではない、また、ゴータマブッダというのはどうにも語感的にしっくりしないし、欧米至上主義的で好きになれない。そこで伝統に従って釈尊と言う呼称を用いることとした。
厳密に言えば、成道前の釈尊は菩薩であって世尊(=如来)ではない。したがって成道前は菩薩とし、成道後を釈尊あるいは如来、と呼ぶべきであるが、ここでは煩瑣になるのでそれは用いない。(渡辺照宏先生は「新釈尊伝」 「仏教」等で区別して表記されている。)
その他の名称については、阿弥陀如来、観世音菩薩、ようにする。また歴史上の人物は最澄、空海、のようにし、尊号、諡号は使わない。これは仏教徒としてではなく、宗教学研究者としてのスタンスを採るためである。ただし、僧名などで同名の人物が複数存在する場合は道号や諡号等を付した。
仏教文献の中には、釈尊を神格化するために神話化された伝説や、神秘的な記述が多く散見される、それらの神格化要素をどのように扱うべきであろうか。
仏伝の研究に関しては、こう言った神格化要素を排除し、可能な限り「人間釈尊」を見出そうとするものと、それとは別に、多くの仏伝に現れる神格化要素はその宗教者における宗教的事実を伝えようとしているのであり、単なる神話・伝説として簡単に切り捨てるべきではない、とするものと、大きく2つのものがある。
歴史的事実としての「人間釈尊」を見出したいと言うのは当然の要求である。釈尊によって説かれた初めの仏教、根本仏教を明らかにできればそれが最も望ましい。しかしそれはほぼ不可能な事である。仏典は釈尊の没後数百年後にはじめて文字化され始め、さらにその後も様々な手が加えられてきたのである。
ゆえに、仏伝に見られる神格化要素には、純粋に信仰の対象としての神話的な部分、歴史的事実を含む部分、そして宗教における教理を釈尊に託した宗教的事実を示す部分、の3つが混在していると考えられる。従って筆者は、仏伝の一部分を簡単に排除してしまう事は好ましい事とは考えない。
したがって本文書での仏伝の構成方針は次のようのする。
また、仏伝以外の仏教説話、各宗教学に関しても、基本的に先に挙げた2.に準ずるものとする。
これは仏教・各宗派が宗教である以上当然の事である。もし如来や菩薩に関する説話を事実ではないとして切り捨てれば、宗教として成り立たない。阿弥陀の本願がただの神話であるならば、浄土教諸宗派は根本的に成立できない。
そのように当たり前の、いわば公理のような事を敢えてここで述べておく理由は次のような事を筆者は現実に経験したからである。
ある人物(仮にA君とする)から筆者は仏教や宗教について教えて欲しいと依頼された事がある。A君の最終学歴は高校卒業で、彼を含め家族は宗教家などではない、この依頼をしてきた当時、寺院、仏教、その他宗教と職業的に深く係わる必要が生じたが、今まであまり仏教や宗教について詳しくなかった為、筆者に教えを依頼してきた。
そんなA君に浄土宗について話している時の彼は次にように問い掛けてきた。
「阿弥陀さんはほんまにいやはった人なん?」(念のために標準語訳をしておく。「阿弥陀さんは本当にいた人なの?」)
A君には申し訳ないが、筆者はこの質問に驚愕した。正直なところ、このような反応はまったく予想していなかった。しかしむしろこれが一般的な仏教の知識なのかもしれない。
宮元(2001)に次のような驚くべき話がある。少し長いが以下に引用する。(なお、強調は筆者による)
ところが、五年ほど前、わたくしは、この企画案の重要性にいやがおうにも気づかざるをえないことがらに行き当たりました。
まず、わたくしは、知人の母親の通夜に行きました。真言宗の若いお坊さんが法要を務めたのですが、そのあとのお説教がいけない。なんとその若いお坊さん、「お釈迦さまはチベットでお生まれになりました」とのたまうのです。これには本当にびっくりさせられました。
また、同じころ、テレビのワイドショーを見ていたところ、マルチタレントでなかなかの博識を誇っていた人物が、玄奘について語っているのを聞いて、またまたびっくりしたのです。すなわち、「『西遊記』の三蔵法師のモデルは玄奘なんだよね」まではよかったのですが、なんとそのあとに、「玄奘さんは、すごかったんですよ、あのヒマラヤを、酸素ボンベもなしに越えてインドに行ったんですね」とのたまわったのです。これにはほんとうにのけぞりました。
これはいよいよわかりやすい仏教史の本を書かなければと思い、春秋社の佐藤清靖氏に相談したところ、ふたつ返事で承諾されました。三年ほど前のことです。しかし、苦手な中国仏教で難渋し、また、所属する大学が自己改革に突入したために仕事が激増したりということもあり、原稿完成に思いのほか時間を費やしてしまいました。
宮元啓一「わかる仏教史」 p.244.
博識のタレントなどは別として(そもそもその博識自体が疑わしい)、僧侶にしてその程度の人がいるのだから、A君の反応も当然なのかもしれない。
一部かもしれないがこの様な、宗教に関しての知識、認識のレベルの人々が存在しているために、伝説的、神話的な神格化要素に関しての扱い方法を詳しく定義したのである。
参考文献はできる限り明示するようにする。
参考文献は著者名(姓)刊行年、または著者名「書名」で示すようにした。
原典に関しては次にようにする。
サンスクリット、パーリ、チベット文献の略号は以下のようにする。
原語の表記はサンスクリット語 s. パーリ語 p. チベット語 t. のあとにそれそれ示す。
サンスクリット語・パーリ語は辻1974「サンスクリット文法」、水野1955「パーリ語文法」で用いられるローマナイズを別文書で示す、独自の「拡張可能な転写方式」を用いて表記する。また、この表記方式は一般的にコンピュータ上で表示できない漢字の表記にも用いる。チベット語に関しては当サイトのチベット文字を参照の事。
ただし、サンスクリットのङ は[./n]a では無くngaを、ञ は[~/n]a では無くnyaを、श は['/s]a では無くshaを用いる。
「京都・ハーバード方式」の使用も検討したが、チベット語の表記にACIP方式を導入しない理由同様に、大文字やRRのように同じ文字の連続があまり好ましく思えないので用いなかった。