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めかた


 
「めかた」の姓を称している人達、「めがた」或いは「めかだ」とも言う人達が全国目加田会 を秦荘町目加田の住民達と

一緒になり作られています。

目加田会は滋賀県愛知郡秦荘町(現愛荘町)目加田(旧目賀田村)に事務局があり,在地の方達と共になって活躍している。

「めかた」には目賀田、目加田、目片、目方、目賀多、目加多、目堅,銘形、目形、女鹿田,妻方,芽形

米加田,米ヶ田,米賀田の姓の人達のいることが今までの調べで判りつつあります。

確かに判明しているのは数氏で江戸時代以前になると不明なな所が゜多くなって来てしまう。

元は滋賀県内の豪族目賀田氏に由来するもので,中世から戦国時代にかけ佐々木六角氏、京極氏の家臣として、

活躍していました。

中には近江守護佐々木氏の守護代,或いは山城守護代を勤めた人もいました。

現在の安土山は織田信長が安土城を築くまでは目賀田山と呼ばれていた。、

「めかた」はその目賀田(めがた)から来ているとも考えられています。

叉目賀田山に目賀田氏が居住したから目賀田山と称した説が有るが確かなことは判っていない。


目加田誌よりの引用(平成10年3月発行


滋賀県百済寺に安置された目加田仏て゛寺宝になっている。




目賀田の語源は何かと色々考えている際に,目潟から転じたのでは
ないかと以前ひらめいたことがある。インターネットで検索してみると
秋田県の国定公園男鹿半島に目潟と名ずけられた火山から出来た潟が見つかり,
地形も,海と湖の違いは有っても,昔の安土山(旧目賀田山)のあった地形に
よく似ている。一の目潟,二の目潟,三の目潟があり総称して目潟ともいうそうです。
あくまでもこれは私的な想像です。



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