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2000年6月中旬 |
【6月19日(月)】
▼やあ忙しい忙しい、今月はおそらくいまだかつてないほど忙しい。忙しいときにかぎって、無性にあちこちの掲示板で遊びたくなるのは困ったものである。不思議なことに、人間、じわじわと忙しくなることはあまりなくて、忙しくなるときには、電子のエネルギーかなにかみたいにぴょこんと準位が上がるらしい。で、暇になるときには、またぴょこんと下がる。そのときに、いままでエキサイトしていたぶん、「ほっ」と一定のエネルギーを持ったため息が放出されるので、これを集めてレーザーと成す。世の中の面白いことは、たいていこのレーザーの力で動いているのである。面白いレーザーを出している分野には、あちこちでバラバラに吐いているため息がどんどん引き込まれて、より強力なレーザーを出すようになるのだ。ゆめ疑うことなかれ。
▼『シビュラの目』(フィリップ・K・ディック、浅倉久志・他訳、ハヤカワ文庫SF)が出ていたので、ほとんどスーパーで納豆を買うようにして買う。ディックの短篇集である。本邦初訳の作品も収録されているから、なにはともあれ買っておかねば。また年末年始になると、短篇のベストを選べとか総括をしろとかいう仕事が来ないともかぎらないから、ちびちびと読んでおかなくては、あとがしんどい(と言いつつ、毎年駆け込みでまとめ読みしたりするのだ)。もっとも、よっぽどその気にならないかぎり、いまさらディックの短篇をなにかのベストに挙げる気はしない。別格である。「いやあ、あのおばさん、歌うまいわ」((C)近藤真彦)と言ったってしようがないというか。まあ、ディックは、そういう意味でうまいんじゃないから広くお薦めする気にならないってこともある。おれだけのものにしておきたい――と、ディックのファンはみんな思っているんだろうな。
【6月18日(日)】
▼なぜかトマトジュースがむらむらと飲みたくなり、500mlペットボトルをがぶ飲みする。「トマト17個分」などとボトルには書いてある。こういう飲みかたをして身体にいいのか悪いのか、さっぱりわからない。おれにはときどきこういうことがある。なにかが飲み食いしたくなると、身体の欲するままに、休業中のキリスト教会のように欲望に従ってしまう。なに? “休業中のキリスト教会のように”という比喩がなんのことやらわからん? そりゃあなた、“ミサ会なく”という意味である。かなり無理があるな。これは田中啓文さんの藝風だ。やはりトマトジュースの過剰摂取は脳に悪影響があるようだ。
▼今日は父の日であったことを、残り十五分になってようやく思い出す。父などというものを忘れ、またみずから父でもないと、こんな日があったことすら意識に上ってこない。それにしても、世間でもほんっとに存在感のない日だなあ。二番煎じだからいかんのだろうか。でも、まだホワイトデーのほうがずっと存在感あるよなあ。「お父さんがんばって」と言いたいところだが、そういう商品名の海苔の佃煮があって、そんなものでがんばれるかと、むかし丸谷才一が怒って書いていたくらいに、やっぱり父とは損な役まわりらしい。
【6月17日(土)】
▼このところ、最も気に入っているテレビCMはといえば、ダイハツ工業のCMである。体感試乗会とやらで「あかんベアー目覚まし時計」とやらがもらえるというもので、池の上をホバリングしながらプレゼントがもらえるぞと人を小馬鹿にしたような口調で教える二匹のトンボに、「ほっしぃ〜!」と叫びながら大口をあけてカエルが跳びつく。ついっと横に逃げるトンボ。虚しく再び水面に落ちてゆくカエル――あれ、好きだなあ。ドラマだ。まるでおれのためにあるようなCMだ。実写映像とアテレコがぴったりと合っている。あのカエルが、いかに「あかんベアー目覚まし時計」を欲しがっているかが、ひしひしと伝わってくる。すばらしい。このCMがはじまると、おれはあわてて振り向いて(ふだんはテレビを背にして仕事をしているのだ)テレビの前に跳んでゆく。そして両手を上げると、カエルと一緒に「ほっしぃ〜!」と叫ぶのである。べつに目覚まし時計が欲しいわけではないのだが、なんとなく真似せずにはおられぬ気魄があのカエルにはある。あなたも真似してしまうでしょう? しない? いいんですいいんです、なにも恥ずかしがることはありません。おれにはわかっているんです。
このCMは、ぜひシリーズにしてほしいなあ。ウェブサイトに動画ファイルにして置いてないかと捜してみたのだが、残念、どうもそこまで力を入れてないみたいだ。目覚まし時計なんかより、よっぽど欲しいんだがなあ。
ついでに、もひとつCMネタ。サントリーのマグナムドライのCMで、若き植木等が「こつこつやる奴ァ、ごくろうさん」と意気揚々「無責任一代男」を歌う映像をぶち破って、高橋克典が熱く叫ぶ――「ちがぁうっ! こつこつやるやつが日本を支えてるんすよぉっ!」
いいこと言うなあ。まったくそのとおりだ。だから、こつこつやる人たちは、しっかりがんばって日本を支えていただきたい。でないと、おれたちスーダラ人間が生きてゆけないもんね。ちなみに、「無責任一代男」は昭和三十七年、ご存じのように、いろいろな意味でとんでもない人がたくさん生まれたらしい年の曲だ。もしかすると、おれが揺りかごの中で人生最初に聴いた曲だったのかもしれないぞ。
【6月16日(金)】
▼朝刊を見ると、第一面に金大中大統領と海原小浜――はもういいか――金正日総書記が抱き合っている姿がでかでかと出ている。このようなことが起ころうとはまったく期待していなかっただけにめでたいことではあるのだが、お世辞にも目に心地よい光景ではない。いまごろ、おそらくその筋(外交筋とかいう意味ではない。やおいムニダ、アンニョンはめよ、の筋である)では、さっそく“金/金”とでも呼ぶべきジャンルが開拓されている最中であろう。あるいは、むかしからあったのかな? “冷麺責め”とか、書いている人がいたら読んでみたいものだ(っつって、ほんとに送ってこないでね)。
【6月15日(木)】
▼またまた会社からの帰り、発作的にハンバーガーが食いたくなる。いまから家へ帰って飯を食うというのに、ハンバーガーを食って帰るのもどうかと思うが、とにかく頭の中がハンバーガーでいっぱいだ。ふらふらとマクドナルドへ入り、とにもかくにもチーズバーガーを貪り食う。あまり血糖値を上げてしまっては晩飯が食えなくなるので、コーラはSだ。ああ、この世にハンバーガーと納豆がなかったら、どうやって生きてゆこう。なんでも六月二十二日からマックは“抹茶シェイク”ってのを出すそうだ。以前にも書いたが“納豆シェイク”もぜひ検討されたし。あんなにシェイク向きの食べものもないと思うのだが……。
あっ、そうだ。納豆といえば、こないだ驚いたことがあるのだ。おれに言及しているウェブページを探索していたら、「不味屋(まずいや)」というところが見つかった。おれにとっては馴染みのないサイトだ。さくまさんという方が作ってらっしゃるらしい。なんとこの方は、「不思議の謎を食わねばならぬ」と称して、“マダム・フユキの宇宙お料理教室”みたいなことをやってらっしゃるのだった。この、コーナー名がいいや。おれとさほど歳の離れた人ではあるまい。『ファイヤーマン』主題歌歌詞のパロディーだとわかるあなたは、おじさんかおばさんかオタクだろう。子門真人のやたら力の入った声が聞こえてくるようだ。
で、このコーナーに、あるのである。「チョコ納豆」が――! 驚いたことに写真入りだ。『「まさかチョコと納豆をまぜるなんて事、誰も考えやしないよなあ」などと思いつつインフォシークで検索してみると、なんと先人がいらっしゃるではないか。図らずもチョコ納豆をきっかけに冬樹蛉氏のHPを知り、愛読するようになったのだがそれは置いといて』などと書いてあって大爆笑。おれもまさか、そんなことを考える人が――いや、考えるばかりか、やってみる人がほかにいようとは夢にも思わなかった。げに、世間というのは広い。写真を見ると、おれが作ったやつよりうまそうだ。どうです、やってみませんか?
【6月14日(水)】
▼会社からの帰路、駅へと歩きながら、なぜか『サンダーバード』のことを考える。さっきまでIR関係のウェブサイトを見ていたからかもしれない。ビジネス雑誌やらにだしぬけに“IR”と書いてあると、いつも反射的に International Rescue と読んでしまう。
「『サンダーバード』のあいつら、名前はなんつったかな……スコット、バージル、アラン、ジョン……」 おや、一人足らん。誰かを忘れている。きっと、日本の都道府県を順に思い出して挙げていったときに鳥取とか佐賀とかに相当する誰かだ。鳥取県や佐賀県にお住いの方、ごめんなさい。えーとトレーシー兄弟のあと一人は……あれは誰だ? 誰だ? 誰だ? デビルマンでないことはたしかだ。ディックでないこともたしかだ。ハイドでもない。ジキルではもちろんない。
気になってしかたがなく、地下の駅に降りていってからも、ホームでずっと考えていた。電車が入ってきて、乗り込んでからもずっと考えていた。電車がゴトンと動き出したとき、やっと思い出したのだった――「ゴードンだっ!」
▼地元のバスの本数が少ないため、駅から家へと歩いて帰る。暗い堤防を歩いていると、街灯がうしろからおれを照らし、ソフトアタッシェを片手に提げたおれの影が数メートルに引き伸ばされて行く手のアスファルトの路面に落ちる。それを見て、思わずつぶやく――「……エクソシスト」 どうも、さっきから連想が古い。
▼団地の階段を昇ってゆくと、踊り場に置いてある消火器のそばに、煙草の吸い殻が何本も落ちている。そういえば、母が言っておった。最近、この棟の階段の踊り場に吸い殻がたくさん落ちていて、みな気持ち悪がっているのだという。誰も吸い殻の主を見たものはいないのだそうだ。おおかた、ここいらの中学生だか高校生だかの女の子にストーカーでもついたのであろう(爺婆ばかりが住んでいるので“妙齢の美女”なんてものはいないのだ)。ストーカーのみなさま、ストーキングは捕まらない程度にご自由になさればよろしいが、火の始末だけはきちんとしてね。おれの家には燃えやすいものがたくさんあるのだ。
▼慌ただしく晩飯を食ってテレビを点けると、韓国の金大中大統領が海原小浜師匠と談笑していた。なかなか微笑ましい光景ではある。
【6月13日(火)】
▼biosphere records から“紙のダイレクトメール”が来ていた。なんでも、今度 e-mail会員の制度を設けたので、登録してくれれば今後は紙のDMは届かなくなり、電子メールに一本化してくれるらしい。こりゃあ、ありがたい。いやまあ、そりゃアーティストの写真などが載った紙きれが欲しいという人もあろうが、おれはこのレーベルのそういうタイプのファンではない。さっそく登録しようと、指定のURLへ行ってみたら、まだオープンしてなかった。よくあることである。
紙で送ってくるDMは、全部こうしてくれるといいのだがなあ。ハガキだの封書だのって、すぐどっか行っちゃうんだよ。電子メールなら、内容をちょこっとでも覚えていれば、ヒットしそうなキーワードですぐディスクの中から捜し出せるし、ぜひ残しておきたいものならいくらでも複製して残しておけるし、ぜひ知人にも送ってやろうというものなら、そのまま転送できる。紙も無駄にならず、いいことずくめだ。もう十年もしたら、「か、紙のDMが来た……」などと、あまりの珍しさにすぐゴミ箱に捨てるのが憚られ、そっちのほうが対費用効果が大きいという世の中になっているかもな。
【6月12日(月)】
▼大阪市港区の水族館「海遊館」の看板魚、ジンベエザメの「海くん」が昨日死んだとのこと。「海くん」とかなんとか親しみやすそうな名前がついているが、おれにはどうもサメというやつはなにを考えているのかわからず(まあ、タコだってわからんけれども)、あまり感情移入できない。まだクラゲとかのほうが親身になってやれそうな気さえする。世話をしている人は情が移るだろうけれど(そりゃそうだ、機械にだって情が移る)、新聞で哀しそうに報道されても「はあ、さよか」としか思えないのが正直なところだ。この「海くん」、体長五・九五メートル、体重二・七トンなどと書いてある。まるで怪獣図鑑のようだ。こういうのを読むと、おれなんかはすぐ不埒な想像をするのである――カマボコにしたら、何人前になるだろう?
【6月11日(日)】
▼最近、「goo」 のテレビCMなんぞをやっていて、「アノマロカリス」などと検索して見せたりしている。おいおい。半年ほど前に浜崎あゆみがやってた「LYCOS Japan」のCMでは、「トリケラトプス」を検索してなかったか? なんだかパクリみたいである。検索エンジンの威力というものを示そうとすると、発想が似てくるのはわかるけど、なんだかなあ。そのうちエスカレートしてきて、ケツァルコアトルスとかプロトケラトプスとかパキケファロサウルスとかをCMで検索しはじめるんじゃなかろうな。
それはともかく、一応は「アノマロカリス」を検索してみたくなるのが人情というもので(CMの思うつぼという説もあるが)、「goo」で検索してみる。すると、やっぱり「Lycos Japan」の「トリケラトプス」のときと同じく、テレビCMを紹介したページへのリンクが特別枠で出てくるのであった。『アノマロカリス「古代生物」篇』も RealPlayer で動画が観られるようになっている。けっこうクるものがあるよね。海水浴に行ってちょっと水中眼鏡で海中を覗いてみると、こんなのが自分の脚のまわりを群れをなして泳いでいた――なんてところを思い浮かべると、もう、たまりませんなあ。想像することの快感である。『おおかむろ「妖怪」篇』も水木しげるの絵がいいぞ。
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