間歇日記

世界Aの始末書


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98年9月中旬

【9月20日(日)】
▼仕事のため、とあるビルに行く。おれが行かなければならないのは八百階だということはなぜかわかっている。エレベータに乗り込むと見知らぬ家族連れがいて、操作のしかたを教えてくれた。彼らは七百階に住んでいるのだという。やがて、ものすごいスピードでエレベータが上昇しはじめた。そのエレベータは透明で、外の景色がよく見える。ロケットのような勢いで上昇してゆくのに、まったく加速を感じない。二、三秒もしないうちに七百階に到着した。エレベータの壁を透して下のほうを見るともちろん地面など見えず、なにやら霞んだ雲のようなものが漂っているだけだった。件の家族連れはエレベータから降りて振り向くとおれを差し招き、おれは八百階へ仕事に行かねばならぬことをちょっとうしろめたく思いながらも、彼らについていった……。
――という、ヘンな夢を見たのだが、なんなんだろうな。『ハイ−ライズ』(J・G・バラード、村上博基訳、ハヤカワ文庫SF)を再読しろとでも、おれの無意識が語りかけているのだろうか。あれに出てくる“高層”住宅群はたかが四十階建てだ。七百階だの八百階建てだのという数字がどこから出てくるのだろう。あ、しまった。そもそもあのビルは何階建てだったのかを、あの家族に確認しておくのを忘れた。次に夢に出てきたら、忘れずに訊いておくことにしよう。
▼なぜかオートバイを買い取る竿竹屋(98年8月17日28日の日記参照)の続報が、大阪府枚方市マヘルさんから寄せられている。竿竹屋がなぜオートバイを買い取っているのか、いまだにはっきりしたことはわからないけれども、やはりこの多角経営のパターンは、枚方市に出没する竿竹屋も同じだそうだ。「最近はオートバイ買取専門の人が回っています」とのこと。ひょっとすると、このオートバイ買い取り専門の人とやらは、元竿竹屋だったのかもしれない。いま日本では、竿竹屋がオートバイ買い取り屋を兼業する、あるいは、オートバイ買い取り屋に転業するプロセスがじわじわと進行しているのであろうか。オートバイは買い取りしない、竿だけの竿竹屋(ややこしいな)は絶滅の危機に瀕しているのやもしれぬ。続報を待つ!

【9月19日(土)】
▼特殊翻訳家、またの名を“凶悪犯罪研究家”、またの名を“海外の猟奇犯罪に詳しい人”(97年6月21日の日記参照)、柳下毅一郎さんが宇能鴻一郎風に部分訳なさったスター特別検察官のレポート「裸の大統領執務室」が、やたらあちこちに流れているらしい。いやあ、こういう遊び心は嬉しいですねえ。英語の苦手な方は、ぜひこちらをお楽しみください。
 しかし、あの報告書騒ぎで思ったのは、まちがってもアメリカ大統領にだけはなりたくないものだということだな。クリントン氏の性行動って、それそのものはべつにたいして鬼畜なもんじゃないよね。あまりに月並みすぎて、「大統領やったら、もっと豪快なことせんかい」と思うほどのものだ。ふつうのカップルがふつうにする程度のことでしょう。スカトロでも獣姦でもなければ、ネクロフィリアでもペドフィリアでもなく、SMですらない。多少、花電車趣味があるくらいのものだ。それをこと細かに書き立てられて、あまつさえ、全世界へ向けて発表されるなんて、まことにお気の毒としか言いようがないよなあ。まあ、ああいうことしてた場所と、嘘ついたことが問題なわけで、自分で播いた種ではあるけれども……。とはいえ、まるで大統領は女性の胸にむしゃぶりついてはいかん、フェラチオしてもらってはいかんと言わんばかりのズレた論調には、首を傾げてしまう。そんなもん、あんたかてするやろうが、してもらうやろうが。たとえば、「おれに関する噂」(筒井康隆)よろしく、あなたのむかしの彼や彼女(いまのでもいいが)が、あなたのベッドの上(布団の上でもいいが)の手の内を詳細なレポートとしてインターネットに公開したら、これは厭だろう。「いやあ、あなたもあっち方面から攻めますか。じつは私も……」などという共感メールがきても、ちっとも嬉しくないと思うぞ。事実、そういう痴情が絡んだ脅迫やら復讐やらにインターネットを利用する外道が事件を起こしたりしている。論理的には、「誰でもやっていることなら知られてもいいじゃん」ということにはなるが、少なくともおれは、排便している写真をネットに公開されたくはない。
▼さてさて、一昨日の日記で「そのうち材料が揃ったらやる」などと言っていたが、さっそくやった。言わずと知れた“チョコ納豆”である。
 まず、手近にあった名糖「アルファベットチョコレート」を三個小鉢に入れ、電子レンジで約一分温めた。そのあいだに、納豆には添付のタレと芥子をかけておく。チーンとレンジが鳴ると、チョコはまだ原型を保っている。が、騙されてはいけない。この時点でスプーンで潰すと、いとも簡単にペースト状になってしまうのだ。よく練ったチョコが冷めて固まらないうちにスプーンで納豆に乗せ、タレや芥子と一緒によーく箸で混ぜ、糸を引かせる。面白いことに、納豆のネバネバと一緒になったチョコペーストは、まるで蜘蛛の糸のような強靭さを発揮しはじめる。箸に絡みつくと、切るのに力が要るくらいだ。チョコはなかなか納豆に混ざらないので、ここで丹念に箸で練るのがポイントと言えよう。
 さて、食ってみると、これがじつにうまい。こんなに合うものだったとは。まあ、甘納豆ってのがあるくらいだから、チョコ納豆があってもおかしくはなかろう。“納豆のヨーグルト和え”98年8月4日の日記)より、はるかにうまい。カカオ豆で作った納豆(?)を食っているような感じで、香ばしい風味と上品な甘みが口の中に広がる。納豆の嫌いなお子様には持ってこいのヘルシーなメニューだ。これは、おれのC級グルメ作品の中でも、出色の出来である。もしもSFだったら、「SFマガジン」の年間「マイベスト5」に入れるにちがいない。ん? なんか冷たい視線を感じるな……。嘘じゃないったら。ほんとにうまいんだよーっ!

【9月18日(金)】
▼雑誌に載ってる“YES/NOテスト”みたいなものを必ずやってしまう。どんなくだらないものでもやってしまう。おれは試験というものが大嫌いなのだが、なぜかこの手のテストはやってしまう。小市民である。
 今日も今日とて、「週刊SPA!」(9/23)に載ってた「適性診断 あなたはおやじキラーの素養があるか」などという、どうでもいいものをついついやってしまった。なんでも、男版の“おやじキラー”なるものが日本の会社で台頭しているらしく、『タイコ持ちとは違い、おやじにズケズケものを言うのに、なぜか「やんちゃなヤツめ」と愛される。生意気に見えてもおやじの権力を脅かさず、手練手管を駆使しておやじを操る』といった若手社員のことなのだそうだ。想像するだに精神衛生に悪そうなライフスタイルである。
 テスト結果は「反逆児」と出る。そんな勇ましいものに頼まれてもなりたくはないが、ほかの三つが「真性おやじキラー」「仮面おやじキラー」「タイコ持ち」であるからして、それらに当てはまらない人はみんな反逆児になってしまうのであろう。「基本的に他人のことには興味がないあなた。」そんなことはないぞ。他人を観察するほど面白いことはそうそうない。まあ、おれに火の粉が降りかからないかぎり、なんでも好きにやってくれ。「言葉とは違う腹の内を読むのも苦手だ。」うーん、これもそんなことはないぞ。ある人が腹の内とはちがう言葉を吐いているのであれば、「あ、腹の内とちがうことを言っているな」と読めたような気がしたとしても、言葉のほうを尊重して差し上げるのが誠実な態度というものである。他人の腹の内が“読めている”などと思い込むのは、度し難い傲慢だ。「おやじの気分を害そうが、意見の中身だけで正当に評価してほしい、と思っているはず。」まったくそうは思わん。これは「意見の中身だけで(その意見の持ち主である自分を)正当に評価してほしい」という意味だと解釈するが、意見を言っているやつが誰であろうが、そんなもの、どうでもいいことである。「意見の中身だけ“を”正当に評価してほしい」のまちがいではないのか。「ウェットな日本社会では頭角を現すのが難しいタイプだが、」ほっとけ。「逆に革命児になれる可能性もある。」そんなしんどいもんになりたくないってば。「強引に事を進めて、既得権を守ろうとするおやじを一掃して権力を握るべし。」冗談じゃない。強引に事を進めたら権力が握れるわけがないではないか。そもそも権力など握りたくもないし、おやじを一掃したりしたら、こちらがおやじの面倒を見なくてはならない側になってしまい、なんの得もない。
 うーむ。どういう根拠で作ったテストか知らんが、全然納得が行かない。くだらん。だったら、やらなければいいのだが、やってしまうおれがますますくだらん。まあ、“おやじキラー”なんぞになるより、人妻キラーにでもなったほうがなんぼか楽しかろう。これでいいのだ。

【9月17日(木)】
▼日中はまだ暑いのでさほどでもないが、そろそろ夜にはあれが恋しくなってくる。そう、チョコレートだ。この日記を書きながら、早くも板チョコを一枚丸噛りする。日記を続けて書いていると、去年のいまごろはどうしていたかが即座にわかって面白い。昨年チョコレートが恋しいと書いていたのは、10月29日であるから、今年は一か月以上も早く身体が疼きはじめていることになる。板チョコを粉砕してヨーグルトに混ぜて食うのはすでにやったことがあるから、今年は納豆チョコに挑戦してみるとしよう。ただ乗せて食うのでは面白くないので、なにか面白い調理法を考えておかなくてはなるまい。やはり、チョコを軽く電子レンジで溶かして、納豆に練り込むのがよさそうだ。そのうち材料が揃ったらやるから、乞うご期待。
▼今日付の讀賣新聞朝刊の芸能欄に戸田奈津子氏へのインタヴューが出ている。日本で封切られる洋画の字幕は全部この人が作っているんじゃないかと思うくらいだが、藤子不二雄岡嶋二人霧島那智とはちがい、なんと、戸田奈津子はひとりしかいないらしい。驚きである。
 それにしても、字幕ってのはすごい世界だよねえ。一行十字、二行が限界というのだから、ほとんどコピーライターのような才能が要求されるはずだ。ただ外国語がわかるだけでは絶対になれないプロ中のプロ、偉大な職人である。たとえば英語のような、論理構造自体がレトリックとしての面白さを持つような言語を、上記の制限下で一瞬にして読み取れる日本語に置き換えるなどという藝当は、まさに神業に近い。これはもう、翻訳しているというよりは、シナリオをもう一本最初から作っているようなものである。しかも、じっくり練っている余裕などなく、たいていが突貫工事みたいな作業だということなのだ。超人的としか言いようがない。“字幕翻訳者”ではなく、畏敬を込めて“字幕作家”と呼ぶべきであろう。
 一度はやってみたいと思った仕事ではあるが、おれにはどうも詩心というやつがないから、「君の瞳に乾杯」みたいなフレーズは逆さに振っても出てこないだろう。その代わり、海賊やなにかの出てくる映画で、「君の瞳に眼帯」などと遊んでしまい、二度と仕事が来なくなっていたにちがいない。自分にはどう転んでも才能がないと諦められる職業には、純粋に憧れることができる。字幕作家は、おれにとってはマンガ家と並ぶ憧れの職業だ。

【9月16日(水)】
▼先日、マイソフさんから「ネタの押し売り」という奇妙な表題のメールをいただいた。「こういう怪体なネタを発表すべきメディアとしては貴兄の日記しかない」とおっしゃるのだ。この日記もずいぶん見込まれたものだが、なるほど、これはまちがっても「諸君!」には載りそうにない。かといって、朝日新聞に投稿してもボツだろう。「SFマガジン」にも載せられないにちがいない。「SFアドベンチャー」であれば、あるいは載ったかもしれないが、いまはもうない。
 で、マイソフさんがこの日記を見込んで送ってきたのは、「アニソン縛りの紅白があったらどうなるだろう」という、じつにくだらないネタである。媒体特性を的確に把握しておられるなあ。よっしゃ、載せてしまおう。

アニソン縛り紅白歌合戦(出場順)
森高千里私の彼はパイロットペガサス幻想V6
MAX海のトリトン永遠のアムロ武田鉄矢
サーカス残酷な天使のテーゼヤットデタマンの歌郷ひろみ
葛城ユキ君だけを守りたいクリスタルナイツ・ネクライムSHAZNA
水前寺清子おいら宇宙のパイロット鳥人戦隊ジェットマンのうた西城秀樹
大黒摩季ダンバインとぶ佐武と市捕物控サザンオールスターズ
松任谷由美やさしさに包まれたならThe Galaxy Express 999タケカワユキヒデ
モダンチョキチョキズ 今日もどこかでデビルマン あしたのジョーシャ乱Q
島倉千代子あしたがすきZのテーマ五木ひろし
石川さゆりアタックNo.1ジャングル大帝三波春夫
加藤登紀子ランナー宇宙海賊キャプテンハーロック村木賢吉
小林幸子ポケモン音頭おそ松くん音頭細川たかし
八代亜紀エースをねらえ!宇宙戦艦ヤマト北島三郎

 いやはや、よく考えましたねえ。イカニモな人がイカニモな歌を唄っていて、番組の展開が目に見えるようだ。ちゃんと自分の持ち歌を唄っている人も絶妙の間で混ぜてある。サーカスの「残酷な天使のテーゼ」ってのは、マジで聴きたいよ、おれ。終盤の盛り上げかたは圧巻である。小林幸子の衣装(というか、モビルスーツ)を思わず頭の中でデザインしてしまう。
 投稿には、司会や審査員がなかったので、おれがつけ加えることにしよう。紅組司会は林原めぐみ、白組は塩沢兼人、応援団長は、紅組・武藤礼子、白組・永井一郎である。審査員は、大槻ケンヂ京本政樹水玉螢之丞さいとうよしこ堺三保日下三蔵タニグチリウイチ菅直人千葉麗子長嶋三奈貴乃花の整体師といったところか。
 水前寺清子と西城秀樹の前に軽いコントが入り、特別出演の森奈津子が西城秀樹を紹介する。フィナーレでは「蛍の光」など歌わない。これもまた特別出演の清水マリを舞台中央に、みんなで「鉄腕アトム」を合唱するのである。ほんとにやりたいなあ。三十代にウケると視聴率が上がるぞ。

【9月15日(火)】
▼また、やけに暑くなってきた。さっさと秋にならんか。風呂上がりにあまりに暑いので、250ml缶のビールを一気飲みする。「あはぁあぁああぁーっ」と、一応、中山美穂の真似をして手を振りまわしてみると、いっそうおいしく感じられる。天国だ。おれはビールそのものの味はさほど好きではないが、やはり喉が渇いているときには最高だ。いわば、ジュースのような感覚で飲んでいるものだから、酔うほどには飲みたいとは思わない。100mlでは少なすぎ、350mlだと少し多い。よって、最近は250mlをよく飲んでいる。
 むかーし、渡部昇一氏が、知的生活にはビールよりワインのほうがいいといったことを書いていたが、そんなもんほっといてくれや。ビールが欲しいときはビールを飲み、ワインが欲しいときはワインを飲む。そうした多様性を楽しむ余裕こそが、真の知的生活に繋がるというものではあるまいか。まあ、たしかに身体にはワインのほうがいかにもよさそうだが、「ああ、ビールが飲みたい」と身体が欲しているときに無理にワインを飲むのは、精神に悪影響を及ぼすと思うぞ。たしか渡部氏の根拠薄弱な論によれば、ビールを継続的に飲むとおおらかで平和な明るい性格になってしまい(要するに、アホになってしまうと言いたいらしい)、ゲーテやらカントやらが飲んでたワインは知性を鋭敏にするにちがいないということであった。偏見やと思うぞ〜。フランス人だのドイツ人だのは、ろくな水がないからしかたなしにワインを飲んでるようなものであって、おいしい水が豊富なわが日本の国民が猿真似をしてお茶代わりに飲んだところで、知性が鋭敏になるどころか、悪酔いして身体を壊したうえに、財布まで軽くなるだけである。だいたい、ビールを続けて飲むとアホになるというのなら、田中啓文さんなんかとっくにアホになっているはずであり、あのような知的な作品が書けるはずがない。嘘だと思うなら、ガイナックスのサイトに連載されているエッセイを読んでみればいい。え? やっぱり、明日から風呂上がりにワインを飲もうと思う? おいおい。

【9月14日(月)】
▼久々に「迷子から二番目の真実」を更新。おやまあ、一年半近くもほったらかしにしていたのね。「『迷子から……』のファンなので、こちらも新作を書いてほしい」という嬉しいお便りも何通かいただいていて、書かなきゃなあと気にはなっていたのだ。“迷子二”ファンの方々、たいへん長らくお待たせいたしました。あまりにもブランクが長かったためか、どうも本調子が取り戻せていない気もするのだが、ご笑覧いただければ幸いです。
『SFバカ本<たわし編>プラス』岬兄悟大原まり子編、廣済堂文庫)を買う。むろん、ジャストシステムの『SFバカ本<たわし編>』は読んでいるが、今回、廣済堂文庫から発売された“プラス”には、百ページ近い座談会『SFバカ本「おもろ大放談」』(大原まり子・岡崎弘明・高井信・火浦功・岬兄悟・森奈津子)が新たに加えられているのがたいへんお得である。古典を踏まえたタイトルが年配のファンには嬉しい。そのむかし『おもろ放談』(石川喬司・大伴昌司・小松左京・筒井康隆・豊田有恒・平井和正・星新一・矢野徹、角川文庫)という、まるまる一冊SF作家のバカ話座談会の本があり、転げまわって笑ったものである――

小松「また科学的な話に戻るけど(笑)。これだけ医学が進歩すると、たとえば指の先にペニスをつけることも可能になるね。」
筒井「目玉をつけたほうが面白いな。」
大伴「両方つければ便利だね。痴漢とデバカメが一度にできる(笑)」


「だいたいみんなウンチするけど、はたして各人の姿勢が、みんな同じ姿勢であるか、なんて考えると、自分だけ違ってるような気になって心配になる(笑)。」
小松「ウンチのしかたに流行なんてあんのかな。」
「ふくのにいちばんいいのは、生きたウサギとか(笑)。」
小松「そういえば筒井さんとこで黄色いウサギを見たけど、あいつは使い古しか(笑)。」
矢野「実際、ヒヨコなんか使えそうだな。」


「それにしても、セックス以外に面白いことの開発が遅れているんじゃないかな。」
小松「ギャンブルがあるよ。」
石川「セックスとギャンブルのどちらをとるかといえば、ぼくはギャンブルをやるね。」
大伴「セックスとギャンブルがくっついたものができないかな。どのカップルが一番長いかを“人券”を売って競わせるとか。」
石川「結婚がそれに近いな。」
「刺激の番付を作ったら、セックスはトップにはこないね。」
小松「うん、セックスよりウンコをがまんして、いっぺんに出した時のほうが気持ちいい(笑)。」

 とまあ、こういうのが一冊分続くわけである。こんな本が出せたのだから、まことによい時代もあったものだ。いまでも、小林泰三田中啓文牧野修のマンガトリオの方々で座談会をやって本にしたら売れるんじゃないか?
 『SFバカ本「おもろ大放談」』も、奇ッ怪な人々ばかりで楽しめた。中でも、やっぱり森奈津子さんがその特異な思考回路で異彩を放っている。おれはヘテロなので、ホモやレズの人にはさほど引けめを感じないのだが(対象の性別が一種類なのは同じだ)、森さんのようなバイセクシュアルの人には、なんとなく羨望を覚えるなあ。だって、全人類が潜在的な性的対象なんだぜ。人生、倍楽しめるようなものだ。女性にしか欲情しない己が、なにやらとてつもなく不自然で狭量な変態であるかのように思われ、ちょっとくやしい。でも、こればっかりは、そうできちゃってるんだから、いまさらどうしようもないよね。

【9月13日(日)】
▼この日記のカウンタが、ついに十万を突破した。ホームページ開設から、ほぼ二十三か月である。ご愛読くださっているみなさま、一度でも来てくださったみなさま、まことにありがとうございます。今後も、感動のあまり滂沱の涙を流し、目から鱗が落ちたついでに悟りを啓き、一日二十分読むだけでペン字検定に合格するようなホームページにはけっしてならないことでありましょうが、役にしか立たないような味気ないページにだけはするまいと(適当に)努力してまいる所存でございますので、変わらずアホ話におつきあいくださいますよう、謹んでお願い申し上げます。世界で唯一、ここへ来ないと味わえないようなアホ話をするのが、究極の目標でございます。
▼スター特別検察官によるクリントン大統領婚外性交渉&偽証教唆&偽証疑惑に関する話題の報告書、通称 Starr Report とやらがどんなものか、興味本位で(興味本位以外になにがあるというのだ)拾い読みしていてうんざりする。大統領とルインスキー氏の Sexual Encounters が、日付入りで微に入り細に渡り描写されている。November 15 Sexual Encounter, November 17 Sexual Encounter, December 31 Sexual Encounter などと果てしなく続いているのを見ると、まるでUFOとの遭遇レポートでも読んでいるかのようだ。やたら堅苦しいお役所用語で濡れ場が描写されているのが、かえって奇妙に“エロい”。思い込みというのは怖ろしいもので、the Oval Office と書いてあるところが、何度も the Oral Office に見えてしまってしかたがない。報道官が記者たちの面前でうっかりまちがえたら、さぞや面白いだろうなあ。人間、「まちがえちゃだめだまちがえちゃだめだまちがえちゃだめだまちがえちゃ……」とびくびくしていると、もののみごとにまちがうものである。begleiten(ご一緒する)を beleidigen(陵辱する)とまちがえて、「お嬢さん、お送りしましょうか?」と言わねばならぬところを「ねーちゃん、やらしてくれへんけ?」とうっかり口を滑らせてしまい、下心見えみえになっちゃう例をフロイトが典型的錯誤行為の例として挙げていたが、これからは“オーヴァル・オフィス”(大統領執務室)もアナウンサーにとってたいへん危ない言葉になってしまったにちがいない。あるいは、“オーヴァル・セックス”という言葉が流行してしまったりして。でも、そんなのができるのは、大統領くらいのもんだよなあ。

【9月12日(土)】
テポドンなら、毛糸洗いに自信が持てます♪…………な、なんとなく言ってみたかっただけ。
▼またもや“水の検査男”情報である。といっても、今回は新たに現れたという報ではなく、以前に報告をくださった(98年8月11日の日記ねこたびさんが、神戸新聞に載った関連記事の内容を教えてくださったのだ。県立の生活科学センターから、“水の検査男”ほか、計三種類の悪質訪問販売について警告が発せられているとのこと。商品は、換気扇のフィルタ流しのディスポーザ浄水器である。
 読者のみなさんからのご報告で“水の検査男”にもいろいろあるらしいことがわかってはいるのだが、今回は場所が神戸であることにご注目いただきたい。つまり、復興住宅から公営住宅へ引っ越した家を、この手の訪問販売が狙ってくるというのだ。「いずれも、引っ越しまもなくでばたばたしている時に、団地全体で既に説明がなされているようなことを匂わせて金を払わせる」ということである。家がぶっ潰れてえらい目に会って、ようやく公営住宅へ入れた被災者だ。当然、近所に親しい人もまだ少ないだろうから、情報網も薄い。経済的にも苦しいにちがいない。そういう人々から金を毟り取りにくるような輩は、これはもう人間ではない。叩っ斬ってもよかろう。火事場泥棒と同等の外道――いや、火事場泥棒はまだ目撃されれば「火事場泥棒め」と非難されるリスクがある。こいつらは実質的に火事場泥棒のくせに、堅気の商売の仮面をかぶっているのだから、火事場泥棒以下の、餓鬼の腐れ金玉から垂れ落ちた精虫の尻尾の垢にも劣るやつらだ。
 ねこたびさんも、「ひとつ引っかかる」とおっしゃっているのだが、こいつらはいかにして、引っ越してきたばかりの家を知るのかが気にかかる。ねこたびさん宅にも、表札を掲げた翌日に“水の検査男”がやってきたのだそうである。その情報源については、おれはおれなりに相当確信のある推理を持っているが、証拠もなくその人々を疑うわけにもいかないから、ここには書かない。熾烈な競争のためか、ときとして著しくモラルを欠く集団もある“その人々”の非常に鵺的な位置づけや性格をご存じの方は、「あ、あれか」と、すでにおれと同じように考えておられるかもしれない。
 ともかく、神戸の被災者の方々も、そうでない方も、くれぐれもご注意を。
野尻抱介さんの掲示板で、なにやら“めがねっこ”が話題になっているので、おれも嫌いでないから――いや、はっきり言って、好きであるから、リンクを辿っていろんな“めがねっこ”サイトを見てみた。は? これは失礼。えー、ご存じない方のためにご説明いたしますと、世の中には、眼鏡をかけた女性に(“眼鏡に”ではない、“眼鏡をかけた女性に”である)一種独特のフェティッシュな嗜好を持つ男性がおり、彼らは、そのフェティシズムの対象を愛着を込めて“めがねっこ”と呼び習わすのである。“彼らは”などとひとごとのように言っているが、「迷子から二番目の真実 〜 眼鏡 〜」なんてのを書いているくらいであるから、おれも立派に“彼ら”の一員と言えよう。
 でもって、あちこちの“めがねっこ”を楽しんでいると、「ぶまひ!の眼鏡っ娘の部屋」というサイトで、「眼鏡っ娘好き2度チェック!」なるものに遭遇した。おれも嫌いではないから――いや、はっきり言って、好きであるから、さっそくやってみた。えっと、いまから行こうとしているあなた、一応十八禁サイトなので、そのつもりで。さて、チェックの結果であるが、「好き好き度=210 もう完璧な眼鏡っ娘好きです。逃げられません。やったね!」って、なにが「やったね!」なのか、いまひとつよくわからんけれども、とにかく「やった」らしい。もうひとつ“むっつり度”という指標があって、これは“めがねっこ”好きであることをどのくらい隠しているかを表すものである――「むっつり度=0 眼鏡っ娘嫌い。または自他ともに認める眼鏡っ娘フェチのどちらか」だと。なるほど、嫌いでも零点にはなるわな。なかなか論理的なテストだ。ということは、おれは“自他ともに認める眼鏡っ娘フェチ”であったわけか。結局、わかり切ったことを再確認したにすぎないテストではあった。それでもやってみたくなるのが業というものである。
 ところで、葉月里緒菜が眼鏡をかけている写真ってのは、どこかにありませんかね? 篠山紀信さん、べつにヘアなんてどうでもいいから、次は眼鏡でよろしく。

【9月11日(金)】
▼わわわ、日記のカウンタが十万に迫っている。いつものペースなら、日曜日には届きそうだ。わくわく。
▼後頭部・側頭部から首筋・肩、背中から腰にいたるまでがバリバリに凝っている。鉄板でも入れたようでもあり、鍋をかぶっているようでもある。しかたがないので、バンテリンコーワ1.0%液(興和新薬)を凝っている部分に塗布する。この薬、たしかによく効くのだが、二日続けて使えない。たちまち皮膚が荒れてしまうのだ。おれの体質に合わないのか、よほど強い薬なのかよくわからないが、最後の手段としてだましだまし使っている。肩凝りや頚の痛みがケロリと治るというのなら、百万円だって出すぞ(ただし、五年ローンくらいにしてほしい)。
 それほど上等なものが詰まっているわけではないはずだが、やはり頭が重すぎるのがおれの身体の設計ミスだろう。この問題を解決するには、なんとか頭を軽くしてやるしかあるまい。いくつか方法は考えてある。たとえば、ケイバーライト(H・G・ウェルズ発案の重力遮蔽物質)で作ったカラーをエリマキトカゲのように頚に装着すれば、肩凝りなどいっぺんにふっ飛ぶはずだが、いまひとつ実現性に乏しい。ケイバーライトに相当するものが作れたとしても、それは人類が重力工学を手にしてからのことになろうから、おれの生きてるうちには難しかろう。そこで、より安直な方法を考えた。タケコプターを作るのである。そう、ドラえもんのポケットから出てくる、あのタケコプターである。あんなもので空を飛ぼうとしたら、身体が浮かぶ前に頭の皮が剥がれて飛んでいってしまうんじゃないかと思うが、あれを飛行用の機械だと思うからいかんわけで、頭の重さだけでも揚力で相殺できれば、立派な肩凝り治療器として使えるのではなかろうか。アイディア料は要らないから、ぜひどこかで作ってみてもらいたい。
 余談だが、あれは当初“ヘリトンボ”と呼ばれていたものである。おれが小学生のとき、連載がはじまったころはそうだった。おそらく、竹トンボなる玩具を知らない子供が増えてきたため、ヘリコプターにより近い語感に変えたのだろう。お子さんのいらっしゃる方は、試しに訊いてみていただきたい。「“タケコプター”の“コプター”は“ヘリコプター”の“コプター”だよね。じゃ“タケ”は?」 答えられない子が多いと思う。そこで、竹トンボの作りかたでも教えてあげてほしいものだけれども、土日くらいゆっくりゴロ寝していたいのが大人というものであると、いまになってよくわかる。そこで発奮し、ギシギシ音を立てる身体に鞭打って子供と一緒に竹トンボ作りに興じたとしても、「へー、ナイフって人を刺す以外にも使いみちがあったんだぁ」などと感心されるのがオチであろう。
 ドラえもんにイチャモンをつけてもしかたがないが、タケコプターはどう考えても竹トンボと同じ原理で飛んでいるとは思えない。おそらくあれは一種の反重力装置であって、プロペラは洒落で回っているのだ。あるいは、反重力が働いている状態か否か示すためのパイロットランプのようなものなのである。ふつうのパイロットランプでは、頭頂部に装着した状態ではユーザに見えないため、あのような仕組みになっているのだ。「なにやら頭の上が涼しいぞ」と感じるときには、反重力装置が正常に動作しているというわけである。
 ドラえもんの話なら、瀬名秀明さんにかなう人は少ないだろうけれども、おれはおれなりにふと考えてみた。ドラえもんの小道具で誰でも知っている有名どころと言えば、“どこでもドア”“タケコプター”“タイムマシン”“スモールライト”“暗記パン”あたりであろうが、いちばん実現性が高いのはどれだろう、と? おれは、案外、暗記パンではないかと思う。タケコプター反重力装置説を取るなら、暗記パン以外のものは、いずれも時空そのものに作用する装置だが、暗記パンはバイオテクノロジーやナノテクノロジーや脳科学の進歩の果てには可能になりそうな気がするじゃないか。少なくとも、時空工学(?)や重力工学よりは、先にできそうに思うなあ。大量のナノマシンを染み込ませたパンの表面に印刷物を写し取る。むろん、そのナノマシンたちには紙面の明暗を感じ取る機能があるのだ。集合知性として文字のパターンと意味を解析したナノマシンたちは、パンと一緒に口から体内に入り、胃酸に晒される前に口内粘膜や食道壁に避難する。粘膜から血流に侵入したナノマシンは脳にたどり着き、自分たちが解析した情報を化学的に脳に固定する(ここがいちばん難しそうだが)――とかなんとか、ナノマシンって小道具を使うとなんでもできちゃうような気になってくるところが、面白くもあり、厄介でもあるなあ。


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