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2000年10月中旬 |
【10月19日(木)】
▼このところなにが面白いといって、岐阜県のポルターガイスト町営住宅騒ぎほど面白いものはない。もちろん“ポルターガイスト”というのは、こういう現象一般を指す術語として使っているのであって、おれはあんなものが“騒ぐ霊”だとは微塵も思っていないことは言うまでもない。政教分離のため、町役場が“祈祷料”を払うわけにはいかないってのには爆笑。むかし、まったく同じショートショートのネタを考えたことがあって、あまりにありがちなのでアホらしくなって書くのをやめたことがある。
しかし、だ。もし、再現性のあるポルターガイスト現象があからさまにしょっちゅう起こるというのであれば、これはポルターガイストを研究する絶好の機会である。まともな学者が調査をすべきではあるまいか(しているのかな?)。ラップ音はまあ、いろいろ説明がつくだろう。気温の変化による建材の膨張・収縮によるものかもしれんし、それによる歪みの応力が特定の部屋に集中する構造に図らずもなっているのやもしれん。川の流れ、自動車、列車などが発する低周波に建物の全体あるいは部分構造が共鳴しているのやもしれん(ご存じのように、むかしから“家鳴り”の原因はたいていこれだと説明されている)。それがさらに気温の変動と相剰的に働いているのやもしれん。ご丁寧に、現場は木曽川と長良川に挟まれており、しかも自動車道も鉄道も近傍を走っている。とくに大きなラップ音を発するなんらかの複合的な好条件(悪条件というべきか)が生まれている可能性はあろう。これはテレビで聞いたのだが、上の階にゆくほど怪現象が増え、最上階の四階が最も多いという。この“法則性”にも、いかにも物理的に説明がつきそうな“匂い”がする。問題は、食器が飛んだり、シャワーが出たり止まったりする現象だが、これは情報が少ないのでなんとも推理できない。食器が「飛ぶように落ち」ると「飛んだ」とはえらいちがいであり、テレビでは丼鉢がびゅんと二メートルくらい飛んだように言っていたが、実際どうなのかはなんとも言えん。“幽霊”云々に関しては、見たと言っている人がいるだけで、客観的に観察できる物理現象ではないから、こっちのほうはちっとも不思議だとは思わん。人間、見ようと思えば、なんだって見えるのである。住民の方々には失礼だが、持続的な恐怖のあまり、一種の集団ヒステリーのような状態になってしまっていると考えられんこともない。
まあ、乏しい情報で推理していたってしかたがない。ぜひ、飛ぶ食器やシャワーの謎は解明してほしいものだなあ。いやべつに、おれは既知の科学でなにもかも説明がつくなどと非科学的なことを言うつもりはない。ポルターガイストが起こる際には、周囲に幼い子供がいることが多いという話もあるし(この町営住宅にはいる)、ほんとうに幼い子供が制御しきれぬのかもしれぬサイコキネシスが科学の対象になったら(旧ソ連やアメリカでは軍事目的で研究していた/しているという話もあるよね)、それはそれで面白いし、めでたいことだと思っているのだ。だからといって、ちっとも“超常現象”だとは思わないけどね。“超常現象”なるものに関するおれの考えは、SFファンなら多くの方がご存じであろう筒井康隆の名言に、これ以上ないほど的確に言い表わされている。
〔質問24〕超能力や超自然現象はあると思いますか?
〔回 答〕ないない。もしあればそれはただの能力、ただの自然現象だ。
「筒井康隆に25の質問」(『言語姦覚』中央公論社・所収)
【10月18日(水)】
▼体調最悪のため、なぜか味つけ海苔を貪り食う。ことに体調が悪くなると味つけ海苔が食いたくなるのはどういうわけだろう? もしかすると味つけ海苔に含まれているある種の成分をおれの身体が欲しがっており、未知の力で脳に働きかけて味つけ海苔を選択的に欲しがらせるのかもしれない。まあ、そんな具合に、ひょっとしたらひょっとするのではあるまいかと思うものだから、おれは奇妙なものが食いたくなったときにはできるだけ我慢せずに食うことにしている。それは味つけ海苔であったりアスパラガスであったり出前一丁についているごまラー油(麺はどうでもよい。ごまラー油だけが欲しくなるのだ)であったり縁日で売っているリンゴ飴であったり都こんぶであったり満月ポンであったりコンビーフであったりワンタンであったりするのだが、手近にないことも多くて哀しい。欲しいものが手近にないときには、とにかく納豆を食う。苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ、だけど人間、納豆さえ食っておればなんとかやっていけるという確信のようなものがおれにはある。なぜか夜中に突然キャビアが食いたくなったりフォアグラが食いたくなったりはしないのであって、これはたぶんおれの細胞が貧乏性なのであろう。あっ、突如、パスタが食いたくなってきた。ほかほかの茹で立てのアルデンテにオリーブ油をどぼどぼかけて、インスタントのペペロンチーノの素を麺を茹でた湯で溶いてざっぱざっぱと絡めて食いたいという衝動がむらむらと湧き起こってきてしまった。しかし、深夜にパスタを茹でるのは家族に迷惑である。しかたがない。明日の昼にでもミートソース・スパゲッティでも食うことにして我慢しよう。今日の欲望をしのげば、そのうちなんとかなるだろう。むかしからよう言いまんがな、パスタはパスタの風が吹く、て。
【10月17日(火)】
▼どうやらこの世界は、「離島戦隊タネガシマン」らをはじめとする、おれたちの知らない数多くの正義の味方たちによって守られているらしい。林譲治さんから寄せられた情報によれば、青森県でも「県立戦隊アオモレンジャー」なる人々が悪と闘っているようだ。イタコブラックってのがいいですなー。
ほかにないかなと思って、ちょっと検索エンジンで調べてみると、「平戸防衛戦隊 ひらどしマン」なる勇士たちの活躍が見つかった。平戸牛ピンクってのはすげー無理があるような……。“「戦隊」AND「マン」”とか“「戦隊」AND「ジャー」”とかの条件で捜すとうようよ出てくるのだが、けっこうアダルト系のウェブ企画モノだったりするのが多くて、真面目な地域振興戦隊はタネガシマンとひらどしマンくらいしか見つからなかった。ほかにご存じの方は情報をお寄せください(っつっても、面白いものがあれば、ただただここで紹介するだけでありますが……)。どうやら、やたら北だったり南だったり離島だったり、正義の味方というのはそういうところに発生するらしい。
思えば、先日の長野県知事選挙に於ける田中康夫氏の勝利も、そんな正義の味方の活躍がもたらしたものにちがいない。長野県にも地域振興戦隊がいたのだ。真面目な話、あの選挙戦のノリは、タネガシマンやひらどしマンのノリと本質的には同じようなものに思われる。悪役は“帝国”だの“秘密結社”だのの大集団だったりするわけで、「イジメンガー」(ひらどしマン)や「ジャアスロウ(種子弁で“泣かせる”“いじめる”の意)」(タネガシマン)が悪いやつなのである。正義の味方側は“戦隊”とはいっても“個”のキャラが立っている小集団だ。一人ひとりちがうキャラクター、ちがう能力の持ち主が集まって闘うところに、人を惹きつけるものがあるのだろう。数だけが頼りの没個性的な“集団”が、寄ってたかって個性的な候補者をいじめている図式ができあがったとなれば、これはもう選挙戦隊カッテレンジャーが立ち上がるしかないではないか。うむ。インターネット時代の選挙戦は、地域振興戦隊に学べということだな。
【10月16日(月)】
▼森山和道さんが、南日本新聞・1999年11月08日(月)の記事を教えてくださった――『島おこしに新ヒーロー登場 「離島戦隊 タネガシマン」!』
なななんと、11日の日記で取り上げた「離島戦隊タネガシマン」は、真面目な島興し企画であったのだったのだった。道理でテーマソングまであるはずだ。おれはてっきりそのスジの趣味のお兄さんたちがコスプレノリでやってるのかと思っていた(そうなのかもしれんが……)。「タネガシマンショーでは、島の自然保護や過疎化など社会問題を取り上げ、大人にも訴える演出をしていきたい」というのだから、これはあまり茶化してはいかんかもしれない………………でも、これが茶化さずにおらりょうか。というか、これは往年の「スチュワーデス物語」のように、茶化しながら真面目に受け止めるのが正しいのであろう。「子供たちに大受け」ってのが、なんだか歓声が聞こえるようで嬉しいよね。がんばれ、離島戦隊タネガシマン! 闘え、離島戦隊タネガシマン!
▼「ザウルス文庫」の「徳間web書店」に『さよならジュピター』(小松左京)が出ていたので、迷わず買ってしまう。だって、五百五十円(税別)は安いよ。おれは徳間文庫で持っているけれども、せっかくテキストデータになってるんだから、その形でも持っていたいではないか。なんたって検索に便利だ。たとえば、『さよならジュピター』に一箇所だけ「重力波レーザー」という言葉が出てくるが、それはどこだろう――ほうら、ザウルスで一発で検索できた。だからなんなんだ? まあ、いいじゃん、とにかくテキストデータは便利なのである。そのうち、なにかの役に立つこともあろう。
ちなみに、『さよならジュピター』はベタのテキストでどのくらいの容量かというと、意外と小さく約1.1メガバイトだ。コンパクトフラッシュ・メモリカードにはまだまだ空きがあるから、今日から『さよならジュピター』も持ち歩くことにしよう。だからなんなんだ? まあ、いいじゃん、映画のほうはお世辞にも名画とは呼べないが、小説のほうは大好きなのである。なぜ小松左京の小説を映画にすると、どれもこれも小説に比べてもののみごとにちっぽけなものに見えてしまうのか(最もましだったのは『復活の日』だと思う)は、@nifty「SFファンタジー・フォーラム」の本のミニ情報誌「本屋の片隅」−「『さよならジュピター』――虚無への問いかけ」で思うところを書いたことがあるので、ご用とお急ぎでない方はどうぞ。
▼二十歳になった広末涼子が、これでみんなとビールが飲めるとCMで喜んでいるが……あまりのしらじらしさに感動すら覚える。二十歳になるまでビール飲んだことねーわきゃねーだろー。あっ、そうか。いままでひとりで飲んでたのね。
【10月15日(日)】
▼宮崎恵彦さんからカエルのチョコレートを頂戴する。“カエルのチョコレート”としか言いようのないもので、パッケージがカエル型なのではなくて、もろにチョコレートそのものがリアルなカエル型なのである。こ、これはうまそうだ。宮崎さん、ありがとうございます。
宮崎さんはふだんニュージーランドにお住いで、ときおり日本に帰っていらしてSF関係の催しなどでたまにお目にかかるのだが、カエルチョコは今回の帰国途上オーストラリアのアデレードで発見なさったとのこと。どうやらオーストラリアの人も、カエルには“ご当地生物”としての愛着を持っているようなのである。どうもカンガルーやコアラばかりが目立ってしまっているが、オーストラリアの生物というのは、どれを取っても独自の進化を遂げていてけっこう面白い(SFもそのように思われる)。カエルも例外ではない。きっとみなさんも写真をご覧になったことがあると思うのだが、カエルの姿になるまでオタマジャクシを胃袋の中で育てるという、あのイブクロコソダテガエルはオーストラリアのカエルである。『カエルの不思議発見』(松井孝爾、講談社ブルーバックス)によれば、イブクロコソダテガエルの驚くべき育児を発見したのは、アデレード大学のM・タイラー教授だ。イブクロコソダテガエルは一九八一年に数年間続いていた旱魃で絶滅、飼育されていた最後の一匹も八三年に死んでしまったのだそうだ。その二か月後にクィーンズランド北部で発見されたキバライブクロコソダテガエルも、絶滅の危機に瀕しているという。
あっ、そういえば、以前、どこのどの大会だったか、オーストラリアのSFコンベンションでカエル型のトロフィーを作っていたところがあったように記憶しているぞ。ことほどさように、オーストラリアの人もカエル好きなのである。だが、考えてみると、カエルにとってはニュージーランドのほうが天国であるはずだ。なぜなら、ニュージーランドには土着のヘビがいないからである。とはいえ、これはどこぞで読みかじった知識であって、このボーダーレス時代にニュージーランドにヘビが入っていないはずもない。「北海道にはゴキブリがいない」というのと同じ程度には、ニュージーランドにはヘビがいないのだろう、たぶん。
宮崎さん、ありがとうございました。ゆっくり味わわせていただきます。
▼田中康夫氏が長野県知事に当選。どろどろべたべたの組織票ばかりに頼る農村型池田陣営の田中攻撃がもろに裏目に出た形で、他府県人ながら非常に痛快である。べつにおれは長野県知事選挙などに興味はなかったのだが、池田陣営の厭〜な演説をテレビで聴いたときにキレた。『なんとなく、クリスタル』などという女子大生のセックスを描いた小説(読んだのか、おっさん?)を書いた田中氏などを知事にしては大阪の二の舞にならないか心配だとほざいた演説である。ここまで品性下劣な演説ができるとは、いや、しなくてはならなくなっているとは、池田陣営、よほど焦っておるなと聞く人をして思わしめるに充分であった。おれが長野県民であっても、あれを聞かされては田中康夫に投票したであろう。みごとな演説だった。
それにしても池田陣営、近年の衆議院選挙からなにも学んでいないことが明々白々。これすなわち、公共事業を呼び込み財界や中央とのパイプを太くし長野を都会にしましょう的手法にぬくぬくとしていた池田陣営自身が、長野県はまだまだ田舎だと思っており田舎であり続けてくれなくては困ると思っていたことを露呈した結果と申せましょう。
【10月14日(土)】
▼昨日の日記に入るべきであったが、放送時間が遅れて今日になってしまったのは、「アリー・myラブ3」である。第三シリーズ放映開始に伴って、NHKにも公式サイトができているものだから、excite の〈「アリー・マイ・ラブ」スペシャルサイト〉と合わせて、二箇所で楽しめるって、だからどうした。
▼若田光一さんがスペースシャトルの中で草加煎餅を食ったというのだが、まさかあのトンガラシのやつじゃないよね? 東京駅でよく売ってるトンガラシで真っ赤っかのやつがあるじゃないすか。おれはあれ、好きなんだけども、あれをスペースシャトルの中で食ったらたいへんなことになりそうな気がする。トンガラシの粉がシャトル内を漂い、あちこちで眼や鼻を押さえて叫び声を上げる乗組員続出――てなことになるのではなかろうか。
草加煎餅に対抗するわけではないが、シャトルの中でたこ焼きを焼いてみてほしいと思うのはおれだけではあるまい。きっと、非常に真球に近い美しいたこ焼きが焼けると思うのだ。
【10月13日(金)】
▼どこかに有名人の親戚関係を調べまわっている人がいるのであろうか、モーニング娘。の吉澤ひとみも高橋尚子の親戚だったということを知るに至って、さすがに開いた口が塞がらない。ノーベル賞と金メダルはなるほどと思わないでもないのだが、「モーニング娘。」の一員であることがそれほどすごいことなのかどうかはちょっと疑問ではある。日本の未来を世界が羨むものにしてくれそうな気がする点に於いて繋がるのかもしれないが……。さて、問題です。白川英樹名誉教授と吉澤ひとみの関係を述べよ。すらすらと言えたら、あなたもノーベル賞を狙ってみるべきかも。
▼ザウルスで走るPDFヴューアを作ってくれないかと切に願う今日このごろ。fictionwise を利用するためだけに Palm OS機やWindows CE機を買うのも癪に障る。どこぞの安売り店で Visor を一万円くらいで売っていたら買ってしまうかもしれないが、PDAを二台も三台も持ち歩いたのではちっともPDAの旨みがない。たいていのことは一台でできてしまうからこそPDAなのである。秘書が何人もいたらややこしいだけだ。
【10月12日(木)】
▼高橋尚子選手と白川英樹名誉教授とが遠い親戚であったことが判明。まったく日本は狭い国である。この二人の遠縁に当たる子供にはあんまりなりたくないものだ。
「また理科と算数が2かいな。白川のおじさんに恥ずかしゅうないんか」
「そういうのは苦手なんや。その代わり、体育は4やんか」
「高橋のおねえちゃんは金メダルやで」
「どないせえっちゅうんや」
じつは、ああ血が繋がっていなくてよかったと思うのが、広中平祐氏である。おれの母方の伯父の配偶者の実家の遠縁が広中家なのであった。おれになんの才能がないといって、数学ほど才能のないものはない。いや、才能が“ない”どころか、もし“マイナスの才能”というものがあるとすれば、おれは数学のマイナスの才能にたいへん恵まれている。いろいろ数学の話を読んだり聞いたりすれば面白いと思うし、わくわくしたりもするのだが、それはちょうど名音楽家や名演奏家の曲を聴いて感動するのと同じなのである。自分で新しいことが考えつけるかというと、そんなことはまったくない。
学校で数学ができるやつには三とおりあって、期待される解法でみごとに問題を解くやつと、期待される解法以上にややこしい考えかたをして解くやつと、期待される解法以上にシンプルに問題を解くやつがいる。後二者にはたぶん数学の才能があるのだろう。そういうやつは、放っておくと次から次へとちがう解法で同じ答えを出しては喜んでいたりする。な〜にが面白いんだかって、本人には面白いらしい。ほとんど人間業とは思われない。おれはといえば、期待される解法ですら問題が解けないありさまで、それはただ単に勉強しとらんうえに頭が悪いというだけのことなのである。頭がよければ、なにしろ論理だけの世界なのだから、すでに学校で教えられている程度のことなど人に教わらんでも自分でいくらでも解法が編み出せるはずである。頭のいい連中はこの段階で横並びになってしまうはずで、そこからさらに抜きんでるやつは、きっと問題を作り出してしまう能力に優れたやつなのだろう。一般社会ではあんまり歓迎されない才能である。どうしようもなく問題を作り出してしまうタイプの人は、数学者にでもなるしかあるまい。ああ、じゃあ、うちの子は数学者に向いているわ、シンナーは吸うしカツアゲはやるしクラスメートをいじめ殺すし近所の子の首切って校門の前に置くしバスジャックはするしってそれはちょっとちがうと思うぞ。
【10月11日(水)】
▼な、なんだこれは……。種子島出身のタカアキラ ウさんが教えてくださったサイトに行ってみてたまげる。「離島戦隊タネガシマン」って、あのねえ……。思わず、黄色い看板がないかあたりを見まわしてしまったくらいだ。「さぶ〜〜」と言うためである。しかし、よくよくコンテンツを見てみると、これでもかこれでもかと出てくる労を惜しまぬおふざけに、バカもここまでやれば立派だと、おれの心に畏敬の念が芽生えはじめた。MP3でテーマソングまで聴けるようにしてあるのには、開いた口が塞がらない。「アクセスありがとう! TVでは語られなかったタネガシマンの秘密をここに公開!」って、むむむ、う、嘘ではない嘘ではない。宇宙作家クラブの方などはよく種子島へいらっしゃるだろうから、赤青黄色のヘンな三人組が空地で暴れていないか探してみてください。
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