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2000年9月中旬 |
【9月19日(火)】
▼会社の帰りにコンビニによったところ、酒のコーナー(酒も売ってるコンビニなのだ)に並んでいるワインを衝動買いしてしまう。720mlで六百八十円(実売価格)とは、いったいどのようなものなのか興味が湧いたのだ。めちゃくちゃに安い食卓ワインがけっこう出ているのは知っていたが、飲んでみる気にならなかったのである。その気になったときに実行しないと、次にその気になるのがいつになるかわからないタイプの人間だと自覚しているものだから、とにかくその気になったときにはなるべく実行するようにしている。
というわけで「Bon Rouge Plus」(メルシャン)などというソフトウェアみたいな名前の赤ワインを晩飯を食いながら飲んでみる。なんでも目にいいからとブルーベリー果汁が添加されていて、しかもポリフェノールが通常の二倍入っているらしい。なんとなく厭な予感はするものの、怖いもの飲みたさというのはある。かなり前にも書いたけど、人はポリフェノールが食いたいのではなくチョコレートが食いたいのだと思うのだが……。
飲んでみて驚愕。思ったほどまずくはない。下手をすると、なかなかいける。なかなかいけるのだが、ワインとしていけるのではなく、ワインとはなにか別の、新種の飲みものとしていけるのであった。ワインが原料ではあるらしいが、やっぱりこれをワインと呼ぶには相当抵抗がある。
とはいえ、六百八十円で、このワイン様の飲みものが飲めるのであれば、まあまあお得ではあるまいか。そもそも、ほんとうにワインが飲みたい人が、嬉々としてこれを買うとは思われない。ほんとうにビールが飲みたい人が発泡酒を好んで飲みそうにはないのと同じだ。それにしても、ちょっと甘すぎる(赤玉ハニーワインという怖ろしい飲みものよりはましだが……)。平日に一日で飲むには量も多い。もしかしたら、こいつは開栓して二、三日置いたほうがうまくなるのであるまいか……と妙なことを考え、三分の二ほど残して冷蔵庫に放り込んでおく。
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
……といま打ち込んだら、「第一部 摂食」と変換されてしまい、これでは小林泰三ではないかと、あわてて直す。
ハルキ文庫が隔月ではじめた書き下ろし日本人作家シリーズの第一弾である。第一弾の顔ぶれを見ていると、個人的にはな〜んとなく@niftyの「SF&ファンタジー・フォーラム」でチャットをしたくなってくるのはどうしたことか。
「数百年前に那國文明圏が放った無人恒星間探査船が、後にエキドナ文明と命名される異星文明を発見した。合同調査隊は、産業革命後の文明を持った人類型異星人を発見する。しかも衛星ラミアには、彼らの技術水準では不可能な核融合炉、大規模マスドライバーなどの遺跡が存在していたのだ」――とアオってあって、キテるキテる、接触、探査船、異星文明、人類型異星人、核融合炉、マスドライバー、遺跡である。コンタクト・フリーク(?)の林譲治がコンタクトを書くのである。わくわく。「装画・装幀 佐藤道明」である。「第一章 ラミアの遺跡」である。わくわく。「第二章 電波姫」である。おお、牧野修と真っ向から勝負しようというのか――って、んなわけねーだろ。解説は谷甲州。作風からいっても、これ以上の人選はない。
こういうものを堂々とSFと謳って書き下ろしで出せるようになったのだから(べつにずっと出せていたはずであるが、なぜか久しくそうする出版社が少なかっただけだ)、なんだかよくわからない論理を展開しようがなにしようが、角川春樹は有言実行の人である。
【9月18日(月)】
▼朝から晩までオリンピックオリンピックで、別段オリンピックに興味のないおれも、テレビで流れていると観てしまう。やっぱり格闘技がいちばん面白いよね。日本人がメダルを獲るかどうかにはこれまたなんの興味もなくて、とにかく観ていてすごかったり美しかったり面白かったりすればそれでいい。
むかーしから感じていることなのだが、オリンピックに団体競技があるのはなんとなくヘンだ。いやべつにいいんだけどさ、なんというか、主観的に居心地の悪いものがあるのである。ものを遠くに投げるとか走るとか跳ぶとか相手を倒すとか的に当てるとか重いものを持ち上げるとか、ひたすら単純な技能に関して、人類の中でとくに秀でた個体たちが競うのを観るのは楽しい。よくわかる。清々しい。だが、野球だのサッカーだのバレーボールだの、いかにも頭で考えてとってつけたようなルールの下で行うゲームがオリンピックにあるのは、な〜んかちがうんじゃないのって気がしてならない。どの国の集団がそのルールの下で行うゲームがうまいかを競っているわけだから、どうしても国の背比べみたいなものに見えてしまう。個人競技だと、勝ったり記録を出したりした選手がどこの国の人間だろうと、国籍はまったく気にならない。「すげー、地球人はあんなに跳べるのか」「あんなに速く走れるのか」と、ひたすら単純に感動してしまう。ところが団体競技だと、「あの国が強いのか……それで?」と思うだけである。まあ、多分におれの性格的な欠点(長所ともいうが)に起因する感想なのであろう。でも、じつはあなたも薄々そう感じてませんか?
子供のころ、白黒のブラウン管の中で宇宙服を着た人が月面をぴょんぴょん跳ねていたとき、「ああ、アメリカ人が跳ねている」とは思わなかった。人類が月に行ったのだと、ただただ単純に感動していた。アメリカの旗を立てているのは、なにかの洒落だと思っていた。あれを立てないと、ほかに立てる旗がないからだ。どうやら当のアメリカ人には、人類が月に立ったというよりも、アメリカ人が月に立ったと強烈に意識している人が多いらしいと気づくのは、長じてのちのことである。
あのころから、おれの感じかたは全然変わっていない。要するに、ガキのままなのだ。インターナショナリズムは頭でいろいろ考えなきゃ理解した気にならないが、グローバリズムはすんなり自明の理としてわかる。要するに、難しいことを考えるのが苦手なだけである。こういうのがいいのか悪いのか、いまだによくわからない。わからなくたって、そういうふうに感じてしまうものはしかたがないよなあ。自分が使っている機械と同じメーカのものを使っている人になんとなく親近感を覚えるのと同じ程度には、日本語を話して納豆やお茶漬けを食う人がオリンピックで好成績を収めるのは嬉しいのだけれども、それ以上でもそれ以下でもないよなあ……。
【9月17日(日)】
▼「アリー・myラブ」がいまごろ気に入ったもんだから、ついつい amazon.com で Ally McBeal Box Set (1997) なるものを買ってしまう。うーむ、いかん。ひさびさにテレビドラマにハマってしまったようである。ジョージアは美人すぎていかんが、ハスキーな声がいい。由紀さおりそっくりのエレインも、存在様態がヒョウタンツギみたいでいい。とにかく、なにやらヘンなやつばっかりでいい。しかし、こんなことで散財していていいのか。いいのだ。Ally McBeal: The Official Guide は、いくらなんでも今月は我慢しよう。
▼『ザウルス最強化パック』(福田信哉、アスキー)に入っているめぼしいソフトを、いくつかザウルスにインストールしてみる。ZPDVIEW というソフトがあって、ありがたいことに PDICの辞書をザウルスで読めるようにする優れものである。いやあ、こりゃ便利だ。あくまでヴューアーだから書き込みはできないし、あの、入力と連動したニートなインクリメンタル・サーチは備えておらず、いちいち検索ボタンを押さなきゃならないのだが、それでも十二分に使える。とりあえず、GENE英和と英和・和英のライフサイエンス辞書をぶちこむ。PDIC辞書が持ち歩けるのなら、半分くらいモトを取ったようなものである。こんなMOREソフトがあるなんて、この本買うまで知らなかったぞ。シャープも宣伝が下手だね。これを売り込めば、それだけのためにザウルスを買う人だって、少なからずいそうな気がするのだが……。
さて、コンパクトフラッシュの容量と相談しながら、おいおい使えそうな辞書をぶちこんでゆくことにしよう。
【9月16日(土)】
▼この日記のルールでゆくと、金曜の深夜の午前零時以降に起こったことは土曜日の日記なので今日書く。帰宅するのが遅かったため、晩飯を食いながらテレビを観ようと、盆に乗せた晩飯を自室に運んでソファーの上に置き(なにしろ置くところがないのだ)、ちびちび食いながらチャンネルをスキャンしていった。美人ではないがなかなかおれ好みの金髪女性がブランドもの(らしきもの、だ。おれにわかるものか)を着込んで奇妙なことをまくし立てているドラマがあったので、しばらく観ていた。
お、おもしれ〜じゃん。あ、そうか、これが噂に聞く「アリー・myラブ」(どうでもいいが、この邦題はなんとかならんか)であったか。ダンシング・ベイビーは知っていても、いままで観たことがなかったのだ。たまたままとめて再放送をしている時期にぶつかったらしい。いいねえ。いい。このジョン・ケイジという大それた名前のボスが。
いやまあ、アリーもいいすよ。奇妙な魅力がありますな。誰かに似ていると思って、しばし首を捻りながら観察していたのだが、怒った顔で確定的になった。そうだ、このキャリスタ・フロックハートなる女優は、ドナルド・ダックにそっくりなのだ。子供がそのまま大人になったような顔である。だからウケるんだろうな。眼フェチ声フェチ脚フェチ的にクるものがあるので、こやつ何者かと(遅れてるおれが知らないだけなのだが)調べてみたら、この道で苦節十数年の人なのか。なんとおれより二歳若いだけだ。人間、どこでどう花咲くかわからない。こんなおもろい半美人がどうしてアリーまでブレークしなかったのか、はなはだ不思議ではある。やはり当たり役がめぐってくるという運はあるんだよなあ。
じつによくしゃべるコメディーなので、英語の耳慣らしに流しっぱなしにしておくにはちょうどよい。明日(というか、今晩)から録画しておくことにしよう。
【9月15日(金)】
▼投稿ネタが続く。9月10日の「妖怪巨大女」の話を読んだおがわさとしさんが、とんでもない事実を教えてくださった。もしかしたら、その筋の世界では常識の範疇に属することなのかもしれないのだが、なんでも世の中には“巨大女フェチ”なる人々が存在するらしいのだ。大柄な女性にそそられるとか、そういったマイルドな話ではない。文字どおり、“巨大女”に萌える人たちである。萌えるたってあなた、身長十五メートルくらいの巨大女がそこいらへんを歩いていたりはしないのだ。
いくらなんでも、それは嘘だろう。マンガ家は嘘つきと相場が決まっている。作家も嘘つきである。編集者は正直者である。とくに早川書房と東京創元社とSFオンラインと@niftyとbk1の編集者はことごとく人格高潔で、マザー・テレサのごとく慈愛に満ち溢れた人ばかりである。
だが、おがわさんが教えてくださったサイト「巨大女性についてのリンク集」を見て、おれはわが目を疑った。いくつかリンクをたどって(死んでるページが多いが)のけぞった。蓼食う虫も好きずきである。ぜありずのーあかうんてぃんぐふぉーていすつ、である。ゆーばーでんげしゅまっくれすとずぃっひにひとしゅとらいてん、である。ふらんす語は知らん。
いやまあしかし、こういう特異なテイスツだかゲシュマックだかに比べれば、眼フェチ声フェチ脚フェチ眼鏡フェチのなんとおとなしいことか。まこと、世界は驚異に満ちている。それにしても、巨大女フェチの人は、いったい全体、どういう想像をして楽しむのだろう? わ、わからん……。生まれもつかぬ宇宙生物にすら性的興奮を覚えねばならないSFファンとしては(誰が決めた、誰が)、まだまだ修行が足りんのかもしれん。
【9月14日(木)】
▼先日からケータイとPDAの話が多いところへ、林譲治さんから面白い話を頂戴した。林さんが御堂筋線(というのは、もちろん大阪の地下鉄であり、冥途筋線とも呼び小糠雨がよく降り七色のネオンさえ甘い夢を唄っている)で目撃なさった光景――「私の近くにサラリーマン風のおじさんが座っていました。何か用件を思いついたのでしょう、鞄の中から二年くらい前の型のザウルスと最近買ったらしい携帯電話を取り出しました」
おお、おじさんモバイラーだろう。おじさんだからといってバカにしてはいけない。バリバリ使っている人だっているのだ。『「あぁ、ザウルスと携帯をつないでメールの確認でもするのかな」その時の私はそう考えていました』 そりゃあそうだろう。ほかになにをするというのだ。「ところがおじさんは一向にザウルスと携帯をケーブルで接続する様子がない。そのかわり、ザウルスで何かを熱心に読んでいる。やがておじさんはおもむろに携帯を操作しだし、携帯電話でメールの確認をはじめました」 なんだなんだ? 結局、繋ぎかたがわからなかったのだろうか?
「どうやら最新式の携帯電話は機能が多いため、このおじさんはザウルスに携帯電話の使い方をあらかじめ入力していたようです。どうも状況から判断してそうとしか思えません」 なななーるほど。「ザウルスを開発した人達も、携帯電話と接続してメール確認をする人間は予想していたでしょうが、ザウルスに携帯電話の使い方を入力し、そっちでメール確認をするというような使い方までは予想していなかったでしょうね」 すすすばらしい! 「このおじさんに関して、違和感を感じないといえば嘘になるものの、手持ちの道具と柔軟な思考で問題を解決した点はすなおに称えたいと思いましたです。こうやって機械は新たな使い方が開拓されて行くわけですから」
いやあ、まったくそのとおりである。このおじさんは、ある意味で“パワーユーザ”と言えよう。おれが以前「迷子から二番目の真実 〜 機械 〜」で書いたことを地で行っているわけである。こういうのが目に留まるところ、さすがは林さん、ハードSF作家だ。
イラン革命は日本製の(ソニーのらしいが)テープレコーダが起こしたなんて有名な話がある。あちこちで読んだり聞いたりするが、おれが最初に知ったのは『私のアラブ・私の日本 在日アラブ特派員が語るイスラムの心と行動』(U・D・カ−ン・ユスフザイ、ソニー・マガジンズ)でだったと思う。最近では New Rules for the New Economy - 10 Radical Strategies for a Connected World(Penguin Books)で Kevin Kelly が書いていた(まあ、ケヴィン・ケリーの話は、トーンを半分くらい下げて読むのがちょうどよいとは思うが……)。ご存じない方のために簡単にご紹介すると、こういう話である――ホメイニがパーレビの弾圧を逃れてパリに潜んでいたころ、ホメイニのシンパは彼の説教(というか、アジ演説)をカセットテープに録り、大量にダビングして地下で組織的に流通させた。イラン中のモスクでは、お祈りの時間、まったく同時にホメイニの声が流れていたのだ。つまり、効果としては、ラジオと同じである。いまこの時間にイラン中の同志がホメイニ師のお言葉に耳を傾けているという連帯感が生まれるのだ。もちろん、通常の放送媒体はパーレビが押さえている。だが、ホメイニのシンパたちは、カセットテープをブロードキャスティングに用いるという、技術史上じつに特異なことをやってのけたのだった。林さん流に言うと(ケヴィン・ケリーも書いているが)、こんな使いかたはカセットテープの開発者ですら夢にも思い描かなかったであろう。
単純な話ではあるが、何度聞いてもわくわくする。なにか新しい媒体が登場すると、たちまち風俗系などでわれわれの度胆を抜くような商売が出現するものだが、ああいうのが出てくるたび、おれはイラン革命を連想してしまい、「ようこんなアホなこと考えつきよるな〜」と、名も知らぬ偉大なクリエイターに尊敬と羨望の念を抱く。
だけど、ザウルスのおじさん、偉大なクリエイターたるのもいいけど、いまはケーブル一本で簡単に繋がるんだから、そろそろ新しいの買えよ。
【9月13日(水)】
▼コンビニで買いものをしていると、どこかで聞いたような歌声がBGMに流れはじめる。たしかにどこかで聞いている。が、それが誰だったか思い出せない。雑誌のコーナーで住宅情報誌が目に入ったとたん、おれの胸のつかえが取れた。そうだ、これはクレヨンしんちゃんの声ではないか。声質も、舌足らずなところもそっくりだ。正確に言うと、クレヨンしんちゃんが少し大きくなったらこんなふうになるであろうような声である。だが、矢島晶子が歌手デビューしたという話は聞かないぞ。やがて曲が終わり、DJが言った――「お送りしましたのは、リンドバーグの……」
【9月12日(火)】
▼先日、このサイトにリンクを張ってくれていた「e-sekai」の「厳選ホームページ」のコーナーがリニューアルに伴って廃止されるからリンクが切れるという通知が来ていたと思ったら、入れ替わりのように infoseek JAPAN から、「チャンネルリンク集」に入れてくれるというメールが来る。そりゃあ光栄なことだ。数ある検索エンジンの中でも、おれはとくに infoseek JAPAN を愛用している。まず infoseek JAPAN で調べてから、あちこちのエンジンを使うというパターンだ。検索エンジンには調査対象によってそれぞれ得手不得手があるのだが、infoseek JAPAN にはひどく不調法なところがなく、総合的にバランスのとれたサイトとして重宝している。ルック&フィールも好きだ。なに、また冬樹の判官贔屓がって? まあ、それもないではないが……。
うちのサイトを入れてくれたディレクトリは、「カルチャー&ホビー> 文芸> 小説> SF」で、Lycos Japan とはまたちがったおとなしいセレクションになっている(のに、おれのが入っているのはこれいかに)。Lycos Japan の「芸術と人文科学 / 文学 / SF・ホラー・ファンタジー /総合情報」のほうがはるかにマニアックで、“濃い”人にはこっちのほうが使えそうだけどね。infoseek JAPAN もよろしく。
▼団地の狭苦しい階段をとぼとぼ昇ってゆきながら、“軌道エレベータ”というのがあるなら“軌道階段”があったっていいじゃないかとふと思う。上にゆくにしたがって、徐々に身体が軽くなり昇りやすくなってくる。高度三万六千キロメートルあたりにひときわ大きな“踊り場”を作っておき、そこでジャンプする。踊り場をふわりと遊泳する途中で身体の向きを変え、さらに上へと続いている階段の“裏側”に着地する。そこからは、階段を降りてゆくのだが、地球からはどんどん遠ざかってゆく。階段を降りて昇ってゆく(ややこしいな)につれて、遠心力でだんだん身体が重くなってくる。いよいよ迫ってくる階段の末端はジャンプ台になっており、えいやっと飛び出すと、時間はかかるが月くらいなら行けるだろう。飛び出すタイミングと方向をまちがえると、永遠に宇宙のゴミになってしまう。わざと適当に飛び出せば、じつにエレガントな自殺ができる。どうもおれが考えると殺伐とするのだが、基本的に同じネタは「果てなき蒼氓」(谷甲州&水樹和佳子)にあったよな。
【9月11日(月)】
▼駅にハリガミがしてある。「キヨコが倒れたので……」とかいうやつじゃなくて、「京都看護婦殺人事件」と、まるで土曜ワイド劇場のようなタイトルがいつのまにかついてしまっているあの悲惨な事件に関する情報提供を求めるハリガミだ。「謝礼金200万円」などと大書してある。なんとなく中途半端が額が、遺族の必死の想いを感じさせ、じつに鬼気迫るものがある。できれば情報を提供してあげたいものだが、残念ながら、おれはあの事件についてはなにも知らない(ほかの事件は知ってるのか?)。
なにやら、近年ああいう西部劇みたいなハリガミが増えてきて、フクザツな心境になる。ひとつには、情報を持っていながら金で釣らないと教えてくれない人が増えているような気になるからである。実際どうなのかはわからないが、たしかに余計なことに巻き込まれたくないという気持ちは誰にでもあるものだ。いまひとつには、ああいう賞金、じゃない、謝礼金が出せない人の家族が理不尽な殺されかたをした場合、この手のハリガミを見てどのように感じるものか、なんともやるせない気がするからである。そりゃあ、金さえあれば、一千万でも一億でも出して亡き被害者の無念を晴らしたいと思うのが人情であろう。損得の問題ではない。しかし、出せない人はさぞややりきれない気持ちになるのではあるまいか。
今後、こういうハリガミがますます増えてくるにちがいない。だが、おれは「やめろ」とはとても言えん。ああやって多額の謝礼金を申し出て、提供された情報でめでたく捕まった犯人がじつは少年で……などという事件がいつかは起こるのだろう。被害者側のやり場のない怒りは、どこへ向ければいいというのだ。おれは欧米の尻馬に乗っての死刑廃止論には懐疑的である。たしかに冤罪というやつがあるから、そうそう簡単に犯罪者の命を奪ってはならんとは思うよ。でも、世の中には、ほんとうにどうしようもない、ひき裂いても飽き足らん人間というのはいるのである。おれは精神科医でも牧師でもないので、そういう存在を抹殺せよと率直に思うだけだ。むろん、おれもいつの日かなにかの弾みでそう判断されて抹殺されるかもしれないのだが、そのリスクを負ってでも、滅ぼすに足る存在はやはりいる。文句あるか。
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