間歇日記

世界Aの始末書


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2000年10月上旬

【10月10日(火)】
▼帰宅して晩飯を食っていると、テレビにニュース速報が走る。また鳥取で余震か……と思ったら、なんと白川英樹筑波大学名誉教授のノーベル化学賞受賞が決まったとの知らせ。おおお。とはいうものの、おれは白川英樹なる人を知らない。どうやら化学の分野ですごいことをした人らしい――って、まんまやがな。
 そうかー、ひさびさにノーベル賞が出たかー。いや、ノーベル賞は毎年出ているのだが、日本人から出たかー。ボケ防止に、日本人の受賞者を指折り数えてみる。八人めか。いや、九人めだ。いちばん最近の大江健三郎を忘れていた。むかしのことほどよく憶えているというのは、老化のはじまりである。うーむ、ちょっと残念だ。日本人がひと桁のうちに狙っていたのだが……。
 それにしても、誰もが思っているだろうが、湯川秀樹白川英樹という取り合わせは、できすぎではあるまいか。こういうとき、人は姓名判断などというくだらないものを信じたくなったりするのであろう。あっ。湯川川端利根川白川と、なぜか川の字がつく人が四四・四パーセントもいる。こういうとき、人は姓名判断などというくだらないものを信じたくなったりするのであろう。
 しばらくして、ケータイにメール着信の知らせ。あ、絶対ノーベル賞のニュースだと思い、すぐ落としてみる。案の定、CNN BREAKING NEWS―― Americans Alan J. Heeger and Alan G. MacDiarmid and Hideki Shirakawa of Japan win the Nobel Prize in chemistry for their discoveries that plastic can be made electrically conductive.
 なるほど、電気が通るプラスチックを作った人か。なんだかよくわからないが、とにかくすごいにちがいない。
 あっ。おれはさらにすばらしいことに気がついて、俄然、この先生が好きになってしまった。“筑波”“導体(コンダクター)”“カエルつながり”ではないか。いやあ、めでたいめでたい。

【10月9日(月)】
〈SFマガジン〉の原稿をようやく入稿。疲れている。疲れているときには、しばしば「今月の言葉」用のよいフレーズが浮かんだりするのだが、本格的に疲れているらしく、ろくなものが出てこない。ひさびさに、ボツにしたやつを放出することにしよう。「人生楽ありゃ真野あずさ」つ、つまんねー。「フェラチオ・ペプチダーゼ」わ、わかりにくーい。「有蓋コンテンツ」蓋を取ればいいのか、蓋を取れば。「ハルシオン大魔王」ラリってるラリってる。「本人殺人事件」それは自殺と言わんか、自殺と。「ケロリスト」カエル事典かなにかか。「一筆啓三、日野用心」あっ、なんという畏れ多いことを。国家安康じゃ。「武士道とは汁粉と蜜つけたり」甘そうだ。
 「今月の言葉」できそこない博物館でした。

【10月8日(日)】
▼銀行の前に黒いリムジンが停まる。中から現れた黒服にサングラスの屈強な男がつかつかと銀行に歩み入ってくると窓口カウンターの前に立ち、右手を懐に差し入れる。はっと息の呑む人々の前で男が懐から取り出したのはコンパクト。「肌が白くてきれいなあなた――」と男。「若奥様がファウンデーションを知りたいと……」 カメラが引くと、窓口に座っているのはオバケのQ太郎
 ――というネタを考えたのだが、これはどう考えても映像媒体向きである。四コママンガでもいいかな。なに、面白くない? うーん、やっぱり下手な絵でも四コママンガで出すべきだったか。そんな暇ねーよ。
 四コママンガといえば、「ザウルス電子まんが」をいくつか試してみたところ、奇妙なことに気がついた。紙で読んでもさほど面白くないであろうようなネタが、ザウルスで読むと妙に面白かったりするのだ。理由は単純、ザウルスで読むと、厳密にひとコマずつしか見えないからである。紙だと視界の隅にほかのコマも入ってしまって、下手をするとオチのコマまで一瞬にして見通せてしまったりする。それがないのだ。ちゃんと三コマめまでのタメが利いたオチがだしぬけに「ぽんっ」と表示される。紙芝居のようなわくわく感だ。紙芝居の醍醐味は、ザウルス電子まんがというメディアを得て甦ったと言えよう。ひとコマずつ見るということが、これほどまでに四コママンガの面白さを変質させるとは……。これだから、メディアってのは、使ってみなくちゃわからない。その使ってみなくちゃわからないところに、往々にして設計者の思惑をも超えた可能性が広がっているものだ。
 「パソコンで電子まんがを体感」ってコーナーで、疑似的に体験することはできるんだけど、やっぱりちょっと感覚がちがうなあ。スピードがないとダメだね。CATV回線使ってる人とかなら、けっこうザウルスで読むのに迫るものがあるかも。

【10月7日(土)】
▼最近流行りの「Denpa - 電波ニュース」におれの日記を通してみたところ、あんまり面白いので思わず「棒を出してしまった」と、江藤巌さんからメールが来る。はて、「棒を出す」とは――と妙な想像をしてしまったあなた、ちがいますちがいます、上記のページにある窓にこの日記のURLを入れ[OK]ボタンを押すと、日記の文面がいわゆる“デンパ文”に変換され、ページ下部にある「冬樹 蛉にメールを出す」「冬樹 蛉に棒を出す」と変換されるのだった。いや、江藤さんが試みたときにはそう変換されたのである。デンパ文の辞書はどんどん成長しており、試みるたびに微妙に文面が変わる。
 それにしても、この「棒を出す」とは、いったいどういう意味なのか? 文字どおり、コートを羽織った怪しげな男が「おじょうちゃん、ほ〜ら!」と棒を出すケースもあるだろうが、おれにはピンと来た。以前聞いた話なのだが、ある人が下手な字で書かれた不幸の手紙をもらい、気色が悪いものだから、手紙の指示どおりに文面をそのまま書き写し次の人に回した。受け取った人は呆然としたという。そこには、「この手紙と同じ文面の手紙を○○日以内に○○人に出さないと、あなたには棒が訪れます」と書いてあったのだそうである。ここまで字が下手だったほうも下手だったほうだが、疑問に思わず“棒”が訪れると書き写した(?)ほうも書き写したほうである。もっとも、“不幸”なんぞが訪れるよりも、ある日突然あなたの家の玄関先に“棒”が訪れたほうが、なんとなく安部公房じみた不条理感が漂ってよっぽど怖いような気もする。
 おそらく、この“デンパ文”辞書には、上記のエピソードを踏まえて「棒を出す」というフレーズが登録されているのだと思う。通だなあ。でも、ひょっとしたら、コートのおじさんのほうかもしれないよ。
 しかし、3日の日記など、デンパフィルタを通しても「意外にと言うか、当然と言うか、違和感ないですね」と江藤さん。た、たしかに。

【10月6日(金)】
▼昼飯から帰って会社で仕事をしていると、ズンッと尻が衝撃を受ける。なにしろボロビルであるから、ちょっと恰幅の良い人が通っても尻に衝撃を感じるのだが、あたりを見まわしてもそれらしき人はいない。と、続いて床がゆうらゆうらと左右に揺れているのが感じられた。地震だ。でかい。長い。ここはビルの十階である。ことによると、今日でおれの人生も終わりかと腹をくくる。こういう腹のくくりかたをしたのは二度目である。周囲の人間も、みなけっこう落ちついている。加速度の大きい揺れではなく、ゆったりとした振幅の大きな揺れで、さほどの破壊力を感じなかったせいだろう。それにしても、長い。ビルの上階のせいもあってだろうが、二、三分は揺れが止まらなかった。揺れが止まるや、すぐに右手にマウス、左手にPHSを握って、同時に然るべきところへアクセスする。ウェブの第一報は、さすがに共同通信が早く、ほとんど時間差なく朝日新聞も報じた。まず情報サービスに繋ごうとしたPHSは、地震直後にはたちまち繋がらなくなった。ひとつの基地局が捌けるのはせいぜい端末三つ、最寄りの基地局がだめなら隣の基地局に繋がるくらいにここいらは電波状態が良好なのだが(そのせいで位置情報があてにならないというデメリットもある)、まあ、これは予想されたことでいたしかたない。震源地は鳥取、震度6。おれのいる大阪は震度4である。
 思ったより早くPHSにメールが届きはじめる。通話も可能かと母のPHSと自宅にかけてみるが、繋がらない。妹の携帯電話からメールが届く。「今地震あったな。お兄ちゃんは大丈夫か?お母さんは大丈夫やったよ気をつけてね」 一筆啓上火の用心、必要にして充分である。妹のやつめ、ケータイ・メールをすっかり使いこなしておるではないか。iモード端末を使っている人は、「しばらくお待ちください」などというメッセージが出て、まったく使いものになっていない。ダメモトで母のPHS(NTTドコモ)にかけてみたが、自動応答メッセージがしばらく待てと言うばかりで、やはり繋がらない。こういうときに加入者の多いキャリアは、かえって使えなくなるのだった。おれはDDIポケット、妹は関西セルラーだ。親類縁者でキャリアを分散しておくのも危機管理にはよいかもしれんと思ったことであった。
 夕方、そろそろほとぼりも冷めたろうと、母のPHSに電話。繋がった。おそらく、家の中は本の洪水だろうと思ったら、まったく大丈夫だという。人が歩いてすら崩れてくるような不安定な本の山があるというのに、意外や意外である。やはり、京都にも加速度の強い鋭い揺れは来なかったようだ。本の山は意外と地震に強いことは本好きの方ならおわかりだろうが、京都ですら震度4と報道されていたはずで、時間も長かったから、これにはほんとうに驚いた。阪神・淡路大震災のときには、おれの住んでいるあたりは震度5であった。つまり、おれんちの本の山は震度4では大丈夫で震度5になると崩れるというわけか。そんなわきゃねーよな。地震がなくても崩れるときは崩れるのである。
▼二十二時すぎごろ、大阪地下鉄御堂筋線梅田駅と阪神電車梅田駅と口を開けている梅田地下街の大通路を歩いていると、なにやら黒山の人だかりができている。見ると、十六、七にも二十歳そこそこにも見えるなかなか可愛い茶髪の女の子が大道藝をしているのであった。アニメ声優っぽいおもちゃ声をアンプで増幅して雑踏の中でもよく聞こえるようにしており、藝はまあ、よくあるバルーン・アートや曲藝風のものなのだが、この女の子、けっこうトークがうまい。というか、むしろトークと藝の“見せかた”のほうに工夫があって、さほど珍しくもない藝を見られるものにしている。大阪の人はこういうのを好むのだろう、警察がやってきてもおかしくないほどの人数を、家路を急ぐ人が多いであろうこの時間に釘づけにしている。おれはあまりこのあたりを通らないのでこの藝人を見たのは初めてだ。ガッツあるね。
 おれが観はじめて十分ほどで終わってしまった。また機会があったら、じっくり観ることにしよう。集金の口上がよかったね。「みなさま楽しんでいただけたかと思います。わたくし大道藝人でございますんで、どうか、みなさまのお気持ちを、できるだけわかりやすい形で……」で、ちょっとウケを取り、みなが小銭を用意しはじめると、「ちゃんと折り畳んでお願いいたしますっ」でさらにウケを取っていた。決まり文句と言えば決まり文句だが、間がいい。たいしたもんだ。さすがにおれは折り畳むほど観ていないので、百円渡そうと財布を開けたら、あらら細かいのが五十円玉しかない。しかたがないので、五十円を缶に入れる。見ると、ほんとうに折り畳んで入れている人がけっこういて、人気のあるコなんだなあと驚く。でも、ワンセッションで二万にもならんだろうなあ。またの機会には、藝次第では五百円くらいは出してあげよう。よっぽどのことがないと、折り畳むほどは出せませんけどね、折り畳むほどは。

【10月5日(木)】
7月12日の日記でご紹介した「BOOK REVIEW GUIDE 本の評判」だが、「ブック・レビュー・ガイド b(ビー)」と名称変更、コンテンツも一層充実してきた。協力出版社も二五○社に増えたとのことである。紙媒体に載った書評データが調べられる稀有なデータベースということで期待しているのだ。まだいまひとつ爆発力に欠けるのだが、地道に続いてほしいので、本好きの方はブックマークしておきましょうね。

【10月4日(水)】
6月30日に買ったカシオリストカメラ「WQV-1」は、電池を一度も替えないのに快調に動いている。そうそうしょっちゅう写真を撮らないからだろうな。
 電車の中などで、「あ、リストカメラだな」という目でおれの腕を見る人がたまにあるのだが、このところなーんとなくうしろめたい気がする。田代まさしのせいだ。まったく、あのようにハイテクを悪用する軽薄な芸能人がいるせいで、善良なデジタルグッズファンが迷惑する。断っておくが、このカメラでは田代まさしが撮りたがるような“暗がり”は、まず撮れません。ええ、撮れませんとも。野坂昭如の名作に出てくるような少女が、「おじさん、マッチ買ってよ」と意図して照明をかざしてでもくれないかぎり、絶対に撮れません。いや、たぶんマッチでは撮れません。このカメラの性能では、撮らせてくれないかぎり撮れません。撮れませんからねッ!
 それはさておき、ひさびさにリストカメラのサイトを見にいったら、7月1日の日記に書いたトラブルが、FAQ「撮影した画像が乱れて記録されました」で説明されていた。どうやら、おれの推測どおりの現象だったようだ。たぶん、何件もクレームがあったんだろうな。まあ、それ以後、同様の不具合は起こっていないので、そうそうしょっちゅう起こる現象でもなさそうだ。
 リストカメラの「モニター実施報告」ってのはなかなか面白い。「最安値を探せ!」みたいな使いかたされると、家電ショップの人は厭だろうなあ。その道の人だけに、客が腕時計を手に持ってなにをしているのかわかるだろうしねえ。「単語暗記帳」なんてのも涙ぐましい。暗記帳に使うのはいいけど、李下に冠を正すなよ。

【10月3日(火)】
▼どうも、ぼーっとする時間がなくていかん。以前にも書いたように、おれは「ノルマを消化するようにして、次々といかにも有意義なことばかりしていると、だんだんアホになってゆくような気がする」のである。こういう忙しい日々が続くときには、もう、自分で呆れかえるようなくだらないことに意識的に時間を使うようにしなくてはならない。部屋の中でシャボン玉遊びをするとか、夜中に突如立ち上がって仮面ライダー1号の変身ポーズを取ってみるとか、漢字を飛ばして小説を音読してみるとか、手鏡で肛門を観察してみるとか、箪笥についてる姿見の前で“直角フェース”を練習するとか、そういう類のことをしなくてはアホになってしまうのだ。アホを以てアホを制すとでもいおうか、要するに、これ以上アホになりようがないことを意図して行うと、少なくとも知らないうちにアホになってしまうという最悪の事態は予防できるような気がする。そんな気はしませんか?
 で、突然だが、洋式トイレでなるべく肛門周辺を汚さないように大便をするには、みんなやっていることと思うが、尻肉を両側から掴んで肛門を強引に剥き出しにし、そのまま便座に座って肉を固定するのがベストである。この座りかたにも熟練が必要で、便器に溜まっている水と便器との境目、つまり“岸辺”が肛門の直下に来るようにピタリと狙って座らねばならない。前すぎると便器が汚れるし、うしろすぎると“おつり”が来る。
 今日も今日とて会社のトイレで尻肉を押し広げていると、われながら呆然とするほどくだらない言葉が前頭葉のスクリーンに天啓のごとく浮かび上がった――「ケツ割るコアトルス」
 こういうのは怖い。なぜなら、おそらくおれは、これから一生、大便をしようとするたびに「ケツ割るコアトルス」というわけのわからない言葉を頭の中で一度は唱えてしまうにちがいないからだ。ふふふふふ。これを読んでしまったあなたも同じである。考えまい考えまいとすればするほど、「ケツ割るコアトルス」があなたの脳を襲うことになる。絶対そうなる。次に大便をしようとするとき、あなたはこの言葉の呪いを思い知ることになろう。なぜこんなくだらないことを考えながら大便をしなくてはならないのか、不条理感に苛まれながらも、やっぱり「ケツ割るコアトルス」と考えずにはいられない。死ぬまでずっとだ。けけけけけ。
 出すものを出し、便座に座ったままほっとひと息ついていたら、勝手に暴走する脳が今度は鮮烈な画像を紡ぎ出した。それは「ケツナシコアトルス」という巨大な翼竜が雄々しく羽ばたき大空を駆ける姿であった。ケツナシコアトルスは、なにしろケツがないわけであるから、成獣は糞をしない。サナギから出て(サナギになるのだ)死ぬまでの数日のあいだに、交尾をして子を産み(サナギになるくせに子を産むのだ)一生を終える。メスにももちろんケツがないが、子を産むからには前の穴はあるわけだ。これがほんとの一穴動物。
 はっ。おれは会社のトイレに座り込んで、いったいなにをしている? ケツナシコアトルスはどこから小便をするかという問題点には気づかないふりをして、そそくさとトイレを出た。仕事をしていても、「ケツナシコアトルスはどこから小便をするんだ?」と誰かが耳元でささやくのだけれども、徹底的に無視し続ける。おれはなんと模範的なサラリーマンであることだろう。

【10月2日(月)】
▼どなたがどこで紹介してくださっているのか知らないが、なにやらここ一、二週間ばかり、サイト全体へのアクセスが増えている。古い日記ファイルにもやたらアクセスがあるのだ。とくにアクセスの多いファイルや少ないファイルがあるから、どうもロボットばかりというわけでもないらしい。常連さんが一気に百人近く増えたかのような感じなのである。不思議だなあ。

【10月1日(日)】
▼原稿に追われる。追われてみたのは〜いつの〜日〜か〜。
 などと唄っていたら、あっ、なんてことだ。昨日から今日にかけてが「DASACON4」だったのか。いつもくだらない祝電を打って遊ぶことにしているのに、今回はすっかり忘れていた。祝電と宿便くらいちがう、ってもういいですかそうですか。
▼今月の「今月の言葉」だが、じつは「タイ風娘エミリー」にしようかと思っていた。わからん? わからんよなあ。おれだってぼんやりとしか憶えていないくらいの元ネタの古さなのだ。え? 薄井ゆうじじゃないよ。


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