間歇日記

世界Aの始末書


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2001年12月上旬

【12月10日(月)】
▼会社に置いているコンピュータ雑誌をしまおうとキャビネットを開けると、中に四季報がたくさん並んでいる。何冊かがねじ曲がって倒れていたので、おれはなにげなしにそいつらを立て直した。四季報、四季報、四季報……と同じタイトルが書かれた背表紙を目で追っているうち、なにやら徐々にフシがついてきて、いつしかあらぬことを口走っているのに気づいた――「四季報、四季報、四季報……四季報♪ 四季報♪ ラリルレロン♪」
 はっとしてあたりを見まわす。よかった。誰もいない。もっとも、誰かが聞いていたところで、同年輩のやつでもないかぎり、いかにくだらないことを口走っていたのかはわかるまい。まいったか。
▼帰宅して、テレビを観つつ飯を食いながら本を読む。さすがにテレビを観ながら小説は読めないので、飯を食いながら読むのは、いつもたいてい軽い企画本や論説文などだ。論説文というのは論理的に書いてあるから、ほかのことをしながら読んでもつるつると頭に入ってくるものなのである。読むのに小説ほどの集中力を必要としない。
 そんでもって、『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』東浩紀、講談社現代新書)を読んでいたのだが、うんうん、これはよくわかる。というか、インターネットが生活に密着しているような種属にとってはごくあたりまえの認識にすぎないことを、そうでない種属にもわかるように明晰に説明している。優れた論とはそういうものだ。身内に対しては、ことさら“説明”なんて要らないのである。外に対して説明するからこその論説だ。あたりまえのことをあたりまえに説明できるというのは、それだけでもたいした才能なのだ。おれの若いころで言えば、ジャン・ボードリヤールをそんな才能のひとりと感じて読んでいた。たぶん、いまの若い人は、東浩紀を自分たちの世代の代弁者と感じて読むのだろう。東浩紀論に照らせば、おれたちの世代は、まだ大塚英志の言う「物語消費」が生きていた時代の子なわけで、現象の背後に「大きな物語」を読み取ってしまうということになる。これは、自分自身の実感としても頷ける話だ。おれたちといえども、その後にやってくる東浩紀的「データベース消費」世代の精神構造を頭では理解しているし、みずからもデータベース消費に適応してはいるのだが、どこか心情的には割り切れないものを持っているものなのである。同じオタクでも、もうおれたちは旧人オタクなのだ(むかしはおれたちも“新人類”と呼ばれたものよ、なあ、婆さんや)。だからといって、旧人オタクの感性を時流に乗って売り渡すつもりはない。自分たちのコアをそんなにコロコロと時流に乗せられるようであれば、そもそもそれはオタクではないではないか。東浩紀の「データベース消費」論は、旧人オタクたるおれたちにもよくわかる。若いオタクを理解する(せめて頭では)ための概念装置として、非常に有効だ。でも、これを読んでいて感じたのだが、東浩紀自身はかなりおれたちの世代の側に近い感性の持ち主なんじゃないか?
 こいつを読むと、梅原克文氏の“サイファイ”論が、いかにおれたちの世代的なものであるか――すなわち、現代の消費に対して、いかにハズした戦術であるか――が厭というほど感じられて、微笑ましいというか、やっぱり彼もどうしようもなく同世代なのであるなあと、親近感さえ湧いてくるほどだ。梅原氏の論は、創作主体側の創作論としてその結論には心情的に(おれたち旧人オタクは)共感できるのだが、マーケティング論としてはハズしまくっている時代錯誤のもの言いであることが、東浩紀のスキームでエレガントに説明できよう。梅原克文必読の一冊――っつっても、読まねえだろうなあ。
▼買い損ねていた〈小松左京マガジン〉4号を買う。予告を見ると、次号は二○○二年一月二十八日に出るという。わははは、こりゃ粋な予告だ。小松先生の誕生日ではないか。なんの言及もなくても、〈小松左京マガジン〉を買うような人には通じるわけですな。

【12月9日(日)】
▼あっ、いかん。毎年ジョン・レノンの死んだ日(命日という特定の宗教用語はなんとなく好かんのだ)にはジョン・レノンを聴くことにしているのに、今年はなにやらバタバタして忘れてしまっていた。せめて Imagine だけでも聴こう。アメリカでは同時多発テロ以降、戦意昂揚(なんという人をバカにした言葉!)のため放送を禁じている放送局が多々あるというのはさんざん報道されたが、そういうことをされると俄然応援したくなるのがおれの性格である。さあ、唄うぞ唄うぞ――♪Nothing to kill or die for, and no religion, too...

【12月8日(土)】
▼今日になってから帰宅して、録画しておいた『アリー・myラブ4』を飯を食いながら観ようとビデオを巻き戻すと、なにやら様子がおかしい。あやや、アリーがはじまらないではないか。なんと、開始時間が十分遅れている。ということは、ケツが十分切れているということではないか! どついたろか。
 うーむ、ドジった。こういうことがあるから、連続で番組を撮らないとき以外、いつもは一時間くらいは余分に録画しておくのだが、今日に限って、放映時間ぴったりにセットしていたのだった。ええい、けったくそ悪い。ケツが十分切れるくらいなら観ないほうがましだ。だから観ない。
 それにしても、なぜ十分遅れたのだろう? ははあ、大方、雅子氏出産関係であろう。ニュースを延ばしたな? 生まれたことはわかった。名前も決まった。それ以上、なにをうだうだと放送することがある? 公共の電波の無駄遣いである。だいたい、そのようにうだうだと放送されることは、本人たちですら望むところではあるまい。ありがた迷惑なのではなかろうか。自分たちについてのニュースが必要以上に国民の娯楽に悪影響を及ぼしているであろうことは、皇族といえどもわかるはずである。すなわち、過剰報道は当の雅子氏らにも、余計な心労を強いているのではあるまいか。雅子氏とて、そりゃあ、え〜とこのお嬢さんかもしれんが民間人として育っておるのだ。「おお、テレビが通常の放映スケジュールを必要以上にねじ曲げて私らのことを放送しておるわ。毛唐の作ったドラマなんぞはどうでもよろしい。嬉しい嬉しい」などとは思っておらんと思うぞ。NHKには、そこいらを考慮してもらいたいものである。

【12月7日(金)】
荻野アンナ初挑戦の戯曲『美女で野獣』ってのをやるそうで、さすが小田島雄志和田勉と並び称される駄洒落の大家だけあって、いいタイトルである。いや、皮肉ではない、このタイトルにはほんとに笑ったのだ。主演が松本明子だと聞いて、もっと笑った。
 で、ふと思ったのだが、こいつの英語タイトルはどうなるのだろう? 『美女と野獣』Beauty and the Beast として人口に膾炙している。パロディとしての味を出すには、この原題を生かさなくてならない。となると、The Beauty and Beast とでもするのが、ほとんど唯一の道だろう。beast に定冠詞がなく、しかも、そいつが冒頭に移動しているのがミソである。a knife and fork といった表現と同じように、ひとまとめにしちゃうわけだ。
 ――で、ウェブで検索してみたところ、はたして、荻野アンナはちゃんと英語タイトルをつけていた。さすがはダジャラー、おみごと。

【12月6日(木)】
▼またもや風邪でダウン。添付ファイルを実行した覚えはないのだがなあ……なんてベタなネタはさておき、毎日のように“新しいウィルス”に対応したワクチンが各戸に配布されてくるなどというディストピアものなんてのはあったっけ? 生物テロが繰り返された結果、未来はそのようになってしまうのだ。シマンテックトレンドマイクロネットワークアソシエイツ(マカフィー)も、そのころにはみな人間相手に商売しているのである。いやな未来だなあ。

【12月5日(水)】
▼今年はタチの悪いウィルスやワームが大流行だが、今度は「Goner」とやらが出現。欧米ではとんでもない勢いで広まっているらしく被害はアジア諸国にも拡大しているようだ。
 それにしても奇妙なのは、悪名高き藝術品とも言える「Nimda」などと比べるとこいつはさほど洗練されたワームだとも思えないのだが、なぜこれほどのスピードで広まるのだろう? Windows 環境での拡張子「.scr」のファイルが実行可能なファイルだと知らない人はかなりいそうではある。だとしても、いかにも添付ファイルを実行させようと誘っている文面のメールが来たら、ふつうピンと来るわなあ。ICQを通じても広まるというが、逆に言うと、eメールとICQを通じてしか広まらないわけで、なんとも古典的で武骨なワームである。世界には、まだまだ古典的手口にひっかかる人がた〜くさんいるということなのだよなあ。日本人はといえば、「Love Letter Worm」のときもそうだったが、言語の壁で助かっているところが大なのだろう。
 常時接続があたりまえの時代になるのも目前。すっかり家電化してしまうことはパソコン・ユーザの長年の夢ではあったけれども、一昨日も書いたように、昨今のウィルスやワームはむしろ感染者以外の他人に迷惑をかけるのを目的とするものが増えつつあるのだから、こうなると初心者は一定レベルの講習を受けないとパソコンが買えないようにするとか、免許がないと常時接続させてもらえないとか、そういったこともかなりマジで考えなくちゃならなくなってくるやもしれない。クラッカーたちの踏み台にされて、知らぬまに世間に迷惑をかけるサーバが家電製品並みのスピードで増殖してゆくとなると、インターネットの信頼性(現状でもたいした信頼性はないけれども)が危殆に瀕するだろう。
 てなことを言っていると、おれがやたら情報セキュリティーに詳しいように見えてしまうかもしれないが、そんなことはまったくない。容易に入手できる情報を極力入手するように心がけているだけだ。IT業界の片隅におるからして平均以上には詳しいだろうけれども、その“平均”というのがどのあたりにあるのか、パソコンの家電化が進むにつれ、だんだんわからなくなってくるのである。今回の「Goner」は、IT先進国での平均的セキュリティーレベルがどのあたりにあるのかを教えてくれているのかもしれない。

【12月4日(火)】
▼世紀の大発明との噂ばかりが先行していた“ジンジャー”とやらの正体が判明。なんじゃ、スクーターみたいなものか。空を飛ぶ乗りものではないかといった話すら出ていて、内心かなりわくわくしてはいたのだが、さほどワイルドなもんではなかったなあ。だが、乗ってみたいことはたしかだ。あれで毎朝駅まで行けたら楽そうである。いかにもものぐさなやつが喜びそうな発明だ。ウェイターやウェイトレスがみんなアレに乗っているレストランなどという光景がすぐ浮かぶ。
 真面目な話、アレはお年寄りとか足の不自由な人とかには福音なのではあるまいか。お年寄りや脚の不自由な人を見ていると、リズムに乗ってまっすぐ歩いているぶんには、さほど難渋しているようには見えない。自分の身体に合わせて、移動のコツを掴んでいるからだろう。ああ、たいへんだろうなと傍目にも思うのは、彼らには小回りが利かない点なのである。ジンジャー(「セグウェイ」ってのが商品名だそうだが)なら、重心の移動だけでジグザグに動いたり、咄嗟に後ずさったり、くるりと踵を返して(?)走り去ったりできそうだ。病院などに常備してはどうか? でも、かえって脚が弱っちゃってよくないかもしれないな。

【12月3日(月)】
▼コンピュータ・ウィルス「W32/Badtrans」の亜種がやたら流行っている。サブジェクトが「Re:」だけのメールが、次から次へとやってくるのだ。このところ、会社と家とで一日に二十通くらいは受け取っているだろうか。世の中には、自分のパソコンにワクチンソフトを入れていない人がた〜くさんいるのであろう。この不景気では、絶対入れろと責めるのも酷なような気がする。そう高いものでもないけれども、けっして安いもんじゃないしねえ。
 最近のウィルスやワームのいやらしいところは、感染したパソコンそのものにはあんまり派手な悪さをせず、やたら他人にばかり迷惑をかける点である。まあ、生物としては正しい戦略ですなあ。
 ともあれ、そう無駄遣いもできないご時世とはいえ、パソコンが買える程度に裕福な人は、もうひとふんばりして、ぜひワクチンも入れてもらいたい。Internet Explorer を使っている人は、めんどくさいけど、ちゃんとパッチも当ててください。ああ、なんてまともな日記だろう。

【12月2日(日)】
▼原稿にヒーヒー言う。年末はいつもこくだ。恒例の『SFが読みたい!』(早川書房)のベスト選びも遅れている。ヒーヒー。

【12月1日(土)】
――逃した。


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