間歇日記

世界Aの始末書


ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →


2001年12月中旬

【12月20日(木)】
『さらば、愛しき鉤爪』(エリック・ガルシア、酒井昭伸訳、ソニー・マガジンズ)を読み終える。ハードボイルドである。探偵がかっこいい。どこからどう見ても、立派なハードボイルドだ。登場人物の多くがじつは恐竜であるという些細な点は気にしてはいけない。「よく聞こえなかった。登場人物の多くがなんだって?」ですと? いやだからつまりその、恐竜ですがな。キョーリュー。ダイナソー。六千五百万年前に絶滅したと思われている主に大型の爬虫類様の生物だ。なに、そんなことは知っている? いーや、あなたは知らないのだ。じつは絶滅していなかったのである。彼らの十数種は生き残り、そのことがばれないように、ヒトの皮をかぶって人間として生活しているのである。比喩的な表現ではない。精巧な“着ぐるみ”を着込んで、まんまと人間社会に入り込んでいるのだ。いや、入り込んでいるなんてもんじゃない、あなたが人間だと思っているあんな有名人もこんな歴史上の人物も、かなりの人間がじつは恐竜なのである。なに、そんなことは知っている? えっ、じゃあもしや……。
 というわけで、なんともアホな小説だ。もちろん、褒めている。ふつう、こんなアホなこと、思いついたとしてもほんとに書くか? ちゃんと一本筋の通った立派なハードボイルドとして書き上げて、出版社に渡すか? アホである。邦訳を出そうと考えた編集者もアホなら出した出版社もアホ、訳した翻訳家も読んで喜んでいるおれも、みんなアホである。同じアホなら踊らにゃそんそん。
 よく田中啓文さんがとくに名を秘す我孫子武丸さんたちに、「これだけちゃんとした話をこつこつと作り上げておいて、なんでわざわざ最後にこんなしょっ〜もない駄洒落でぶち壊しにするかな。頭おかしいんとちゃうか?」などと評されているが、田中さん本人は、全身全霊を傾けてこつこつ作り上げている本格的な部分はすべて駄洒落を効果的に発するための下ごしらえのつもりであるらしく、その下ごしらえが凡庸な作家がマジメに必死で考えた話をたまたま凌いでしまうにすぎないらしいのである。同様に(?)この小説に関しても、「なぜ主人公の探偵が、登場人物の多くが、恐竜でなくてはならないのか?」などという愚かな問いを発してはならない。「なぜ恐竜であってはいけないのか?」と問うのが正しい。いや、全然いけないことはありません。ハードボイルドの登場人物というものは、とくに主人公は、思い出したくもない重い過去やら人には言えないトラウマやらなにかといろいろなしがらみを抱えながらも、カッコよく“やせ我慢”するものだ。“やせ我慢”の美学がハードボイルドである。そうしたしがらみのひとつが、たまたま「じつは恐竜である」であってなにが悪い? 悪くはない。アホだが、悪くはない。田中啓文が「すべての小説は駄洒落を取ったらなにも残らない」と考えているように、エリック・ガルシアが「小説というものは、なにはともあれ恐竜が出てくる」と思い込んでいたとしても、誰がそれを責められよう?
 なんでも、この恐竜探偵(ヴェロキラプトルなのだが)ヴィンセント・ルビオのシリーズは、続刊も翻訳が出るのだそうだ。とことんアホである。アホだが、なにやらもの哀しい疲れた笑みのようなペーソスが薫ってくるのだから、アホもここまでくれば上等だ。アホやアホやおれはなぜこんなアホなものを読んでいるもっとほかに有意義なことはできんのかと頭の隅で思いつつ、やっぱり続きも読んじゃうだろうなあ。まあ、この宇宙に生きていて“ほかに有意義なこと”が次々と見つかるように幸か不幸か生まれついている人間は、最初からそもそも小説など読まないにちがいない。考えてみたら、小説を読むほどアホなことはない。さほど長くもない人生のなけなしの貴重な時間を、絵空事をほざいているインクの染みを目で追うことで費やすわけだ。人によっては、目を覚ましている時間の大部分を! 正気の沙汰とは思われない。小説を書くとなると、なおさらである。アホやアホや、みぃ〜んなアホや。
 それにしても、なぜ恐竜?

【12月19日(水)】
▼前から言おう言おうと思っていたのだが、浜崎あゆみって、あんなにレコ、じゃねえや、CDが売れそうなほどに歌うまいか? 下手ではないけれども、もどかしいほどに声量がなくて、絞り出すようにして唄っているのがなんだか痛々しく、おれは苦手である。聴いていて落ちつかないのだ。あの痛々しいのがいいって人が多いのかねえ? 「ああ〜いつ〜か、永遠の〜〜〜」なんてあたりなど、いまにもほんとうに永遠の眠りにつきそうだ。「ぷちっ」という音が聞こえてきそうなのである。

【12月18日(火)】
▼テレビは堰を切ったように崩壊してゆく。いきなり画面が白くなり、久米宏がうっすらと映っているといったありさまだ。テレビの横っ腹をどつくと、はっとしたように色調が戻る。が、しばらく観ていると、また画面が白くなってくる。「寝るな、寝たら死ぬぞ!」などとわけのわからないことを言いながら、テレビに往復ビンタを食らわせてやる。ビンタが効いたのか、今日はなんとか保った。ボリュームのつまみ(つまみなのである!)にも、いわゆる“ガリ”が来ており、低い音量だと急に音が出なくなったりする。「われこそは、玉梓が音量〜っ!」などとわけのわからないことを言いながら音量のつまみを最大のところまですばやく回し、音が出たところでちょっと戻してやるとうまく音が出る。小から大へと上げてゆくと音が出ないが、いったん大にして小にしてゆくと、適当な音量が得られる。狙った音量を得るのには、かなり試行錯誤が必要だ。
 だから、もう買えよ。

【12月17日(月)】
二十三年間使ってきたテレビの調子が、二十四年めを目前にして著しく悪くなってきた。どうやら、そろそろ寿命らしい(やっと気づいたか)。画面にどんよりとした横縞が横断歩道のように映り、渡辺真理の顔がいきなり電線マンのようになる。上山千穂の顔がだしぬけに埴輪のようになる。あ、もともと埴輪か。
 埴輪、いや、なにはともあれ、ボーナスが出たら新しいのを買おう。そう、おれの勤めている会社はまだボーナスが出ていないのである。やたらもめているのだ。出ることは出るらしいので、このご時世、まだまだ贅沢と言えよう。今度買うテレビが二十三年保てば、おれが次にテレビを買うことになるのは六十二歳か。たぶん、もう死んどるよな。テレビが四台弱あれば、一生使えるわけだ。こんなやつがおるから景気が回復せんのだ。だけど、むかしの家電製品とちがって、最近のは適当なところでアポトーシスを起こすように設計してあるとしか思えんからなあ。次のは何年保つだろうなあ。

【12月16日(日)】
「はて、朝松健にしては、すいぶんとほんわかした感じの本だなあ」と思って先日買った『踊る狸御殿』朝松健、東京創元社)をなんの気なしに読みはじめたところ面白くてやめられず、一気読みしてしまう。朝松健がこんなのを書いていたとは知らなかった。大人のためのほのぼのファンタジーである。一生に一度だけ迷いこむことのできるキャバレー〈狸御殿〉で、リストラされたサラリーマンやら落ちぶれた往年の人気映画俳優やら心中しようとする若いカップルやら、心傷ついた人々が一夜を過ごし、ほんのちょっとしあわせになるという、まあこんなふうに言ってしまうと単純な話なのだが、定型だからこそほんのりあったまる“ええ話”なのである。“癒し系”というやつだ。疲れたおとうちゃん、おかあちゃんにお勧め。『踊る狸御殿』ですからね。書店で店員に尋ねるときは、うっかり『踊るさんま御殿』とか『クトゥルー狸御殿』とか言ったりしないように。

【12月15日(土)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『21世紀本格』
島田荘司責任編集/響堂新、島田荘司、瀬名秀明、柄刀一、氷川透、松尾詩朗、麻耶雄嵩、森博嗣/光文社)
「Treva」で撮影

 あっ。この日記の常連読者の方はおそらくご存じだろうが、おれはだしぬけに予知能力の発作(?)に襲われることがある。日記を書いていると、まるですでに起こったことであるかのように“未来の記憶”がまざまざと脳裡に浮かぶのだ。こういうときのおれの予知は、的中率が非常に高い。どうもおれは、この本の書評をどこかに書きそうな気がする。書くのではないか。いや、書くにちがいない――って、もういいですかそうですか。いやそれにしても、このところおれの予知能力は冴えわたっている。二○○一年十二月二十五日に発行される〈SFオンライン〉58号の書籍レビューで紹介することすら、手に取るようにわかってしまうではないか。宝くじ買おうかなあ。

【12月14日(金)】
▼明日、母が妹の家へ行って、姪どもにクリスマスのお小遣いをやってくるというので、おれはプレゼントを買ってやることにする。金を渡すのがお手軽なのだが、あんまり子供に金ばかり渡すのも味気ないであろう。自分の金ではまず買わないが、人からもらったらそれなりに嬉しいものというのがプレゼントの真髄である。小学校入学のときに伯母と祖母に買ってもらった地球儀を、おれはまだ持っている。
 とはいえ、地球儀はビーチボール式のやつを以前に買ってやった。まあ、今回は電子ものにするかと、電子辞書を買ってやることにする。つったって、いま売れ筋の二万も三万もするようなやつではない。実売三千円くらいの電卓に毛の生えたようなものだ。中学生の上の姪には英和辞書を、小学生の下の姪には漢字辞書を買った。下の姪のほうは漢字を覚えるのが楽しくてしかたがないらしく、トイレに漢字の表を貼って覚えているそうだ。うちの親類縁者では珍しいやつである。妹までが、自分の娘ながら変人扱いしており、あげくのはてには「お兄ちゃんに似たんや」とまで言い出す始末だ。おまえの子じゃろうが。上の姪のほうはといえば、どうも英語は苦手らしい。まあ、おもちゃだと思って遊んでくれればよかろう。
 あまりこういう無粋なものは買い与えたくないのが正直なところである。紙の辞書をあちこち引いては感動する楽しみを覚えてほしいものだ。が、ああいういかめしいもの(本が苦手な人にとって辞書の類はたいへんいかめしいものに見えるそうだ)を与えて、本棚の飾りになってしまったのでは本末転倒である。現代っ子には、やはり多少のガジェット性があるもののほうが親しみやすいだろう。
 結局のところ、馬を水辺に連れてゆくことはできても、水を飲ませることはできない。無理やり飲ませたのではなんの意味もないのだ。無駄なおもちゃでも、身近にあればそのうち気が向いて興味を持つこともあるやもしれぬ。ないやもしれぬ。ま、なければないで、死ぬわけじゃなし。自分の子じゃないから気楽だといえばそれまでだが、おれ自身、強いられて身についたものなどほとんどないので、“オベンキョー”を強いることほど虚しいことはないと思っている。その気になれば、こんなに勉強のしやすい時代もないのだから、なにも焦ることなどあるまい。時間は一生ぶんあるじゃん。

【12月13日(木)】
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『蛇怨鬼』
(天沢彰、ハルキ・ホラー文庫)
「Treva」で撮影

 “ヘビもの”ホラーのようだ。どうも世間ではヘビというものは気色の悪いものだということになっているらしく、ホラーなんかでは、ヘビが出てくるだけでかなり得をしている話がないでもないような気がする。くやしいことに、おれにはあんまりヘビが気色悪いという実感がない。そりゃあ、さすがに毒ヘビだと怖いが、それはあくまで毒が怖いのであって、ヘビそのものが気色悪いわけではない。触ると冷たくて気持ちがいい。なかなかあどけない顔をしている。まあ、EVEさんみたいにいっぱい飼いたいとも思わないけれども。
 それはともかく、なんだかアオリや腰巻がすごいのである。「思わず皮膚をかきむしりたくなる恐怖! 電脳世界と霊的世界を結ぶミステリー、視覚的臓物感覚に満ちたサスペンス・ホラーの傑作!」橋本以蔵)ときたもんだ。さすがは脚本家、コピーがうまい。「皮膚をかきむしりたくなる恐怖」ってのがいいね。ふつう、「怖い怖い、ああ、怖い」と言いながら皮膚をかきむしったりはしないし、そんな経験のある人はめったにいないと思うが、言いたいことは不思議とわかる。「視覚的臓物感覚」ってのもいい。それはいったいどういう感覚であるかと考えはじめるとわからなくなるけれども、言いたいことは不思議とわかる。奇妙な言語感覚である――って、推薦者ばかり褒めてもなんであるが、とにかく面白そうだ。

【12月12日(水)】
発泡酒を増税するかどうかで擦った揉んだしている。おれは冬場はあんまり飲まないが、やっぱり近年夏場は発泡酒だ。増税されてはかなわん。だいたい、金持ちは発泡酒なんぞ飲むのか? そりゃまあ、ビールが嫌いで、発泡酒の“味”が好きで飲んでいるという変わった大金持だってどこかにいるかもしれんが、総じて発泡酒というのは貧乏人が飲むものだと相場が決まっている。貧乏人が発泡酒を一本飲むところを、金持ちは発泡酒を十本飲んだりするのか? せんじゃろう。むしろ、傾向としては逆かもしれん。そんなものを増税しようとはけしからん。発泡酒があそこまで安くなっているのは、いや、そもそも発泡酒なるものが出現したのは、酒造業者の弛まぬ企業努力があってこそだ。まだまだ省ける無駄や、取り立てられる税収源はいくらでもあろうが。許さん。発泡酒の増税は許さんぞ。

【12月11日(火)】
▼買い損ねていた〈SF Japan〉Vol.3 を買う。会社のそばにはなかったため、梅田の紀伊國屋書店まで足を伸ばす。「手塚治虫スペシャル」である。錚々たる作家・イラストレータの面々が、手塚へのオマージュ作品を寄せている。単行本未収録の〈COM〉版『火の鳥 望郷編』(未完)の掲載は嬉しい。おれも初めて読んだ。「望郷編」は「羽衣編」と繋がるはずだったのか。結局、〈マンガ少年〉版の「望郷編」は、不定形生物ムーピーの登場で「未来編」に、宇宙飛行士・牧村の登場で「宇宙編」に、チヒロ型ロボットの登場で「復活編」に繋がっているわけだが、〈COM〉版の続きも読みたかったなあ。まあ、どこかの宇宙では続いているかもしれん。いつの日か読めることを期待しよう。
 紀伊國屋まで行ったついでに、来年のカレンダーも買う。さすがに葉月里緒菜は見当たらないため、来年も本上まなみにした。ちょっと井川遥にも心が動かないではなかったが、最近露出が多すぎて、あえて壁にかけてまで眺める気にもならんしねえ。


↑ ページの先頭へ ↑

← 前の日記へ日記の目次へ次の日記へ →

ホームプロフィール間歇日記ブックレヴューエッセイ掌篇小説リンク



冬樹 蛉にメールを出す