間歇日記

世界Aの始末書


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2002年12月上旬

【12月9日(月)】
▼やたら忙しいと、ふっと忘れていたことを思い出したりするもので、突然だがゴーバンズはいまなにをしているのだろう? 正式に解散したのかもしれんが、おれの主観ではいつのまにか消え失せたように感じられる。世間一般的には「あいにきてI・NEED・YOU!」だけの一発屋だと思うが(熱狂的なマニアもいまだにいるみたいだけど)、あの“おもちゃ感”とでも言うべき雰囲気はなーんとなく捨て難いものがあった。「チキ・チキ・バン・バン」のカバーとか、なかなか特異なカラーでおれは好きだ。おれは聴いたことないんだけど、「リボンの騎士」もカバーしてたらしい。選曲が渋いな。あの背の高いドラムのコは好みだったんだがなあって名前も知らんくせに。
 考えてみれば、ゴーバンズは北海道発の女性バンドとしては、ZONEの大先輩ということになるんだよな。いまの若いコたちは、おれたちがゼルダプリンセス・プリンセスやゴーバンズを見ていたような感覚でZONEを見ているのだろうか。そんなこたぁ、ないよなあ。女の子だけのバンドなんて、いまは珍しくもなんともないもんな。こんな世の中でも、やっぱりちょっとずつは進んでいるにちがいない。

【12月8日(日)】
Pocket LOOX のジョグダイヤルのようなものの調子がおかしくなる。上方向に倒せなくなった。ここが機構上の最大の弱点だろうと思っていたら、案の定である。富士通はPDAには初参入だからな。ソニーのお家藝の真似がそうそううまくゆくとは思えない。
 ダイヤルが上に倒れなくなったものの、上向きに力を加えると一応動作はするのである。電気的な接触は断たれていないらしい。あくまでメカニカルな故障だ。まあ、使えないわけではないので、面倒くさいから、そのうち機会があれば修理に出すとするか。“修理に出す”と気楽に言うが、PDAの場合、よほどのことがないと“出して”しまいたくはないのである。いったん使いはじめると、何日も手元になくては不便きわまりない。簡単な修理なら、その場でしてほしい。持ち込みを受け付けている修理センターなら、数時間でやってくれんこともないだろう。やってほしいものだ。預けなきゃならんのなら、これくらいの故障ならそのまま使い続けるほうを選ぶな。

【12月5日(木)】
▼会社のそばにある歩行者用横断歩道は、青になると「♪通りゃんせー、通りゃんせー、ここはどーこの細道じゃー」とあのメロディーが流れる――ことになっているんだが、機械の調子が悪いのか、今日おれが渡ろうとしたときには、「♪通りゃんせー、通りゃんせー、おいらはドラマー」と聞こえた。そういえば、なんとなく似ているよなあ。嘉門達夫の《途中で歌が変わる》ネタみたいだ。おれも裕次郎でひとつ考えた。「♪月の〜砂漠を〜はーるばると〜、真っ赤に〜錆〜びた〜ジャックナイフが出てきたよ〜」 “砂繋がり”で曲風まで似ているのである。

【12月4日(水)】
浜崎あゆみが唄っている缶コーヒー『BOSS』のCMソング(替え歌だけど)、どう耳をかっぽじって聴いても“I can live without you.”としか聞こえない。“can't live”“t”“l”の連続が浜崎にはうまくできていないのだ。舌の先を前歯の裏の根元につけたまま、舌の中央部を硬口蓋から引き剥がすときの破裂音で通常の“t”音に代える。“d”+“l”なら“d”にも声を乗せる。はい、マザーグースでやってみよう、Hey, diddle, diddle, the cat and the fiddle...って、なんでおれが浜崎あゆみに発音指導をせねばならん。それくらい、プロの歌手ならCMを商品として出す前に特訓してもらわんと。ろくな音楽教育も英語教育も受けていない美空ひばりを見習え。
 それにしても不思議なのは、浜崎あゆみの周囲には英語ができるやつがいっぱいいるはずである。「ヘンだぞ」と教えてやるやつはいないのか? いないんだろうなあ。日本人ってそうだし、日本人の組織となると、なおさらそうだ。いったん“ビッグネーム”になってしまうと、ヘンだろうがまちがっていようが、誰もなにも教えてくれなくなるのである。ひたすら陰で笑う。陰で社員に笑われている管理職やら経営者やらは掃いて捨てるほどいるだろう。それに気づくであろうような人は最初から笑われていないはずで、なんちゅうか、キャッチ22ですなー。厭らしいといえば、たいへん厭らしい国民性ではある。偉くなる可能性のある人は要注意だ。うっかり偉くなってしまったら、みんなあなたをそれ以上進歩させまいとして、気がついたことをなにも言ってくれなくなるのだ。
 美空ひばりがすごいのは、美空ひばりの最も厳しい批評家は常に美空ひばりだったと言われているところである。というか、自分がいつのまにかアンタッチャブルの女王様にされてしまったことに美空ひばりは気づいていたからこそ、最も厳しい批評家を自分の中に飼い続ける必要性に迫られたのだろう。そこが凡百の一過性の人気者とは異なる。相対評価などというものは、せいぜい自分が落ち込んだときに「少なくとも平均よりは上」などと気休めにするためのものであって、冷静に考えれば、屁の突っ張りにもならない。周囲がダメなら自分もダメにされてしまうのである。人気者とアンタッチャブルは紙一重であって、自分が「あの人は別」と括弧に入れられちゃったのかどうかに気づく能力も、やっぱり才能なんだろうな。「あの人は別」というのは、小物にとっては褒め言葉、大物にとっては貶し言葉になる。「あの人は別」扱いされるのを著しく嫌い、常にその時代その時代の活きのいい新人と同じ土俵で勝負しようとした手塚治虫という人もおりましたな。
 まあ、おれなどは最初から「あの人は別」扱いされる心配がないからいいようなものの、うっかり名前が一応の権威になってしまいそうな才能の持ち主は、(個人ではなくブランドとしての)浜崎あゆみを以て他山の石としていただきたい。とくに日本の社会では、注意してしすぎることはない。

【12月3日(火)】
▼げげげっ。朝日ソノラマのページを見ていて、『サラマンダー殲滅(上・下)』(梶尾真治、ソノラマ文庫/ソノラマ文庫NEXT)が“品切”になっているのを知る。あんなに面白い作品が、なんということだ。世の中まちがっとるよ。でも、よく考えたら、おれの持ってる新書版が出てから、もう十二年にもなるのか。なんか、つい最近の作品のような気がするんだけどなあ。こっちも『黄泉がえり』(梶尾真治、新潮社/新潮文庫)の映画化に便乗して重版すればいいのに。徳間デュアル文庫《エマノン》シリーズ復刊&新作刊行で、初めて梶尾真治を知ったという層だって出てきているんだしね。

【12月2日(月)】
▼あっ、おれはなにやら勘ちがいをしていたようだ。昨日の日記に書いた“つるんとした背の高いほう”というのは、アコムのねーちゃんじゃなくて、アイフルのねーちゃんではないか。どういうわけだか、アイフルとねーちゃんはアコムのねーちゃんの一代目で、いまのアコムのねーちゃんは二代目であるという妙な思い込みがあったのであった。アイフルといえば“チワワ”のインパクトがあまりにも強いせいであろう。アイフルのほうが印象が分散しているからややこしいのである。すっかりチワワにお株を奪われてしまったアイフルのねーちゃんは、辰田さやかというのか。アコムの小野真弓のページよりも豪華なオフィシャルページがあるのに、まったく動物と子供にはかなわないとはよく言ったものである。
 最近、“シェアード・ワールド”風のテレビCMがけっこうあって、ちがう会社・ちがう商品のCMが同じ設定で展開されていたりするのだが、アコムのCMもそうしてはどうかと思うのである。小野真弓があのカッコで長嶋茂雄の家を訪れ、その厳重なセキュリティに驚いてみせる。もうおわかりであろう。二人で「♪は・じ・めて〜のセコムと唄うのである。あまりにもベタなネタなので、必ずやあちこちで言われているにちがいないと思い、Google で「はじめてのセコム」を検索してみたら、やっぱりけっこういますなあ、同じようなこと考えてるヒマなやつが。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『フィリップ・K・ディック・リポート』
(早川書房編集部編、ハヤカワ文庫SF)

 映画『マイノリティ・リポート』のヒットに合わせた企画本。フィリップ・K・ディックに関する作家やら評論家の論評やらエッセイやらベスト企画やら映画紹介やら、本邦初訳短篇「不適応者」やらが載っている豪華ディック案内書である。OVA『戦闘妖精雪風』に合わせて『戦闘妖精・雪風解析マニュアル』が出たのと同じような感じだ。便乗企画と言ってしまえばそれまでなのだが、こういうのがタイミングよく出ることはきわめて重要である。出版社としては、むろんビジネスでやっているわけで、自社で出しているディック作品の宣伝でもあるだろうが、一個人、一ディック・ファンとしての編集者や執筆者としては、「せっかくハリウッドが巨費を投じて話題作りをしてくれているのであるからして、これを機にディック作品を“読む”やつを一人で増やしてくれよう」と、要するに、仲間を増やそうとしている吸血鬼みたいな思いで作っているにちがいないのだ。「ほれ、トム・クルーズの映画の原作のフィリップなんとか」なんて人も絶対たーくさんいるのであり、そういう人々を正しいビョーキの世界に導くガイドブックは、繰り返しくりかえし必要なのである。『トータル・リコール』やら『ブレードランナー』やらだけ観てわかったような気になり、フィリップ・K・ディックの小説を読んでいない人は、じつにもったいない人生を送っていると言わざるを得ない。『笑っていいとも!』だけ観てタモリのイメージを形成しているようなものだ。
 いったんビョーキになってしまった人は、入門書やらガイドブックを軽く見る傾向があるけれども(まあ、そういうダンディズムみたいなものはおれにもある)、そういう人々だって、最初にビョーキに感染したきっかけは子供向けのリライトだったり雑誌の特集だったりテレビだったり映画だったりするわけなのである。ここは、「トム・クルーズファン必読!」くらいに言っておくのが、正しく凶悪だと思う。教職の方々は、こっそり購入書籍のリストに紛れ込ませて図書室・図書館に置くのが吉。そのうち、ディック作品の購入希望票がちらほら来はじめたらしめたものである。あるい逆に、悪書に指定するのも効果的であろう。そっちのほうが骨のあるやつが釣れそうだ。

【12月1日(日)】
アコムのCMに出てくるコがなかなかいい。つるんとした背の高いほうじゃなくて、背の低いO脚のコのほうである。思いきり普通なところがいい。そうか、小野真弓というのか。このところ、おれが「おっ」と思った女性タレントは、たいてい“真弓”だな(二例くらいでなにが“たいてい”なんだか)。実生活でも“真弓”に気をつけておくことにしよう。だけど、小野真弓、所属プロダクション(サンミュージック ブレーン)サイトの写真より、アコムのCMのほうがずっと普通でよいぞ。
 はて、こんなふうに「あれは誰だろう?」と思ったとき、インターネットが普及する以前には、おれはいったいどうやって調べていたのだろう? 調べよう調べようと思っているうちに、忘れてしまっていたような気がする。世界は変わったよなあ。
 それにしても、どうでもいいけど、朝から晩までテレビは金貸しのCMばかりだなあ。


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