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2002年12月中旬 |
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おなじみ現代ハードSFの雄、スティーヴン・バクスターの《ジーリー》シリーズに属する中短篇を集め、文字どおり年代記として編集したもの。(2)も来月出るそうだ。おれはバクスターは長篇よりも短篇のほうがキレがあって好きだから、読むのが楽しみである。あ、『天の筏』(古沢嘉通訳、ハヤカワ文庫SF)と『タイム・シップ(上・下)』(中原尚哉訳、ハヤカワ文庫SF)は、長篇でも例外ね。それにしても、『天の筏』が“品切”とは世の中まちがっとる! 「そんな死出の旅にむかわないように、リース、われわれには科学師が要る。若い科学師だ。〈星雲〉がしかけようとしている罠から脱出する方法を考えだしてくれるかもしれない、知識欲旺盛な若者が。リース、科学師の神髄は、その人間の知っていることではない。疑問に思うことなのだ。おまえにはその才能があると思う。たぶん、な……」(『天の筏』)ってわけでつまり、『占星師アフサンの遠見鏡』(ロバート・J・ソウヤー、内田昌之訳、ハヤカワ文庫SF)が好きな人は絶対『天の筏』も好きなはずなので(ツボが同じだ、ツボが)、アフサンが新装で出たんだから、早川書房さんもぜひ復刊なり重版なりを考えていただきたい。
さて、おれのいつもの予知によると、本書の書評を〈週刊読書人〉2002年2月7日号に書くにちがいないので、ご用とお急ぎでない方は、そちらをご参照ください。
【12月19日(木)】
▼会社にはいろんなところからいろんな宣伝資料が送られてくるが、今日はマンガが送られてきた。宣伝資料の挿絵のことではない。一冊まるまるちゃんとしたマンガになっている宣伝資料である。いままで何度かこういうのはあった。金がかかりそうだなーと、いつも感心して読む。やはり、マンガになっていると一応目を通してしまうのだから、金をかけるだけの効果はあるのやもしれない。今日送られてきた『ブロードバンドが変える中小企業』(富士ゼロックス)と題するマンガ宣伝冊子の表紙を見て、「おや」と思う――「原作/夏緑 作画/海老原優」
『イマジナル・ディスク』(ハルキ文庫)の夏緑である。「いろんなとこで仕事したはりますなー」と思ったが、あ、そっか、こっちが本業、というか、こっちも本業なわけか。この人には“夏緑”のほかにも“秋田茜”という名前があって、ほかにも過去に使っていたペンネームがいろいろあるようだ。一応チェックしとかんと、おれはたまに同一人物を別人と思っていたり、別人を同一人物と思っていたりすることがあるからな。夏緑サイトの「よくある質問」によれば、なんでも投稿時代には“秋茜”と名告っていたこともあるそうで、つまり、“秋茜”と“夏緑”の関係は、“IBM”と“HAL”の関係(アーサー・C・クラークはそういう意図はないと言っているが)に少し似ているわけである(似てることにしとこう)。“秋茜”ってのも、やおい・JUNE作家の安芸茜と混同するおそれはあるとしても、おれはなかなか捨て難い名前だと思うんだがなあ。世にも珍しい“トンボ系ペンネーム”だし。おお、そうじゃ、考えてみれば、この人なんかは、“虫愛づる姫君”が行くところまで行ったなれの果ての一人であろう。姪にもがんばってもらいたいものである、ってなにを。
さすがに経済マンガやITマンガの原作をやっている作家だけあって、無償配布の宣伝冊子とはいえ、構成がしっかりしていて面白い。ま、最後は富士ゼロックスの「beat」の宣伝になっちゃうんだけど、これはあたりまえ。それにしても、こんなものをタダで配っているとは、富士ゼロックスも豪快だなあ。“無償配布の宣伝冊子”と言うとべつにどうということはないが、“非売品”と言うとビビビビッと反応する血が流れている人が、この日記の読者には通常より高い割合で含まれていそうだ。いまのうちに富士ゼロックスでもらっておくと、あとでお宝になる可能性がありますぜ、ダンナ。
【12月17日(火)】
▼何回か観逃したけど、わりとちょこちょこ観ていた『アルジャーノンに花束を』(フジテレビ系)が今日で最終回。人間の感情の動きをいちいち台詞にしてしまううるさい脚本には閉口していたのだが(画面を観ずに台詞だけ背中で聞いていても、なにもかもわかってしまう。ラジオドラマかよ)、いまのテレビドラマはそんなふうに作らざるを得ないのかもしれんなあ、脚本家も商売やしなあと、ちょっと脚本家に同情もしたりして、まあ、役者はなかなか気を入れてやっているからいいかと、そこそこ楽しんで観ていたのである。なにより、石橋けいも出てるし。榎本加奈子がずいぶんうまくなっているのには感心した。活発な役ではなく、こういうはかなげな役のほうが本来の素質にフィットしているのではなかろうか。
それはともかく最終回である。ううーむ。やっぱり、母親が迎えに来ちゃいかんだろ。かの「ついしん」も全然利いてない。脚本家には、原作がハッピーエンドなのだということがわかっていないのか、それとも、日本のあの時間帯のああいう企画のテレビドラマの限界なり暗黙の制約なりに屈せざるを得なかったということなのか。製作事情はわからんけどね。せっかく、テレビのいい枠で長々と積み上げてきた話を、最終回でぶち壊しているのはなんとももったいない気がするなあ。一般の大人向けドラマだと思って観ていたのがまちがいで、つまるところ、お子供様向けやったわけやね。
【12月15日(日)】
▼SFファンにはおなじみのイギリスのSFニュースレター〈Ansible〉から妙なメールが来たなと思ったら、ウィルスが添付されていた。追って、主催者の David Langford 氏から、状況の報告が届く。どうやら、グラスゴー大学がホストしている〈Ansible〉のメーリングリストシステムがセキュリティ侵害を食らったらしい。メーリングリストといっても、〈Ansible〉は大勢で意見を交換する類のいわゆるメーリングリストではなく、一人のニュースレター発行者が大勢にメールを配信するためのシステムとして、オープンソースのメーリングリストシステムを使っている。つまり、ふつうは発行権限のある人間をパスワードで認証して、得体の知れないやつがメールを大勢に発信できないように運用されているのだが、何者かがセキュリティを破り、世界中の〈Ansible〉読者に Klez ウィルス(その挙動は厳密には“ワーム”と呼ぶべきだろうが、昨今では本来のコンピュータウィルスのように「感染・潜伏・発病」のプロセスで活動するワームがすっかり一般的になっているため、ウィルスと、ワーム・トロイの木馬・その他の不正コードとの境目は非常に曖昧なものになっている。例の Nimda なんてのは、それらの全部に該当する凶悪なハイブリッド型だ)を添付したメールを勝手に配信したということのようだ。まったく、世の中にはヒマなやつがいるものだが、そこに山があれば登ってみたくなるメンタリティーには敬意を払わないでもない。人に迷惑をかけずに登れよな。
Klez には亜種がたくさんあって、中でも Klez.H がいちばんしぶとく生き残っているようだ。昨今、会社といわず家といわず、メールにくっついてやってくるのはたいていこいつである。
主要ワクチンソフトは とっくに既知の Klez には対応しているし、もちろんうちにもワクチンソフトは入っているから、べつにどうということはない。とはいうものの、なんともしぶといやつだ。毎日のようにどこかからやってくる。世界のあちこちには、いまだに Klez に感染するやつがいるのだ。コンピュータを使うなら、法人と個人とを問わず、漏れなくワクチンソフトを入れてほしいものである。ウィルスに利用されそうなセキュリティホールを日夜研究し対策を講じるなどということは、よほど時間のあるプロででもないかぎり不可能だし、みながワクチンソフトを入れていたとしても、著しい感染力を持った新種が急激に広まった場合(それこそ Nimda のように)、ワクチンメーカが対応するまでに相当の被害が出てしまうのは避けられない。でも、少なくともワクチンさえ入れておけば、標準的な防御にはなるのである。これはもはや、コンピュータを使う者の社会的責任だ。パソコンの利用するのも、原動機付自転車程度の難易度の免許制にしてはどうかと思う今日このごろである。
【12月14日(土)】
▼顕微鏡探しの旅は続く。さあ、今日は四条河原町だ――と思ってはいたが、灯台下暗し大正デモクラシということがある。念のため、近所のコーナンに行ってみる。おお、なんとなくありそうだ。顕微鏡の匂いがする一角へ行ってみると、な、ない。あるのは天体望遠鏡であった。やはり近場ですまそうという了見がよくなかった。決然と四条河原町へ向かう。
なぜ四条河原町なのかというと、ひょっとして丸善ならあるであろうという淡い期待があったからである。丸善の文具階へ行ってみる。な、ない。あるのは万華鏡ばかりだ。なにやら「世界の万華鏡フェア」といった催しが行われているのである。なかなか面白いので、しばし顕微鏡のことは忘れて珍しい万華鏡をいじくりまわす。それにしても、万華鏡というのは上等のものはずいぶんと高いんですなあ。とてもじゃないが、万華鏡に五万も十万も出す気にはなれない。それでも片っ端から万華鏡を覗いて遊んでいると、突如、野田昌宏宇宙大元帥の「死ね」という声が聞こえた。ような気がした。そうだ、こんなことをしている場合ではない。顕微鏡を探さなくては。
丸善を出たのはいいが、さて、どこへ行ったものか。丸善はけっこうアテにしていたので、ショックは大きい。万策尽きた。さてしもあるべきことならでは、おれはとにかく丸善の隣のハーゲンダッツのほうへ歩きはじめた。ここで日頃の行いがものをいった。逆方向に歩いていたら、おれは今日も顕微鏡にめぐりあえなかったかもしれないのだ。
細い路地を挟んだハーゲンダッツの向かい側に、なにやら見慣れぬ店がある。はて、こんな店あったっけか? 京都ならではの鰻の寝床みたいなこぢんまりとした店だ。歩道に面したショーウィンドウを見て、おれの胸はときめいた。天体望遠鏡だ。が、それだけではない。輸入品であるらしき教材風の小物がたくさん並んでいる。もしやと思い店に入ってみると、いきなり小柄な女性くらいの人体骨格標本が出迎えてくれた。どこの理科室にもあったようなやつだ。そのうしろのガラスケースには、恐竜の模型やら化石のレプリカやら――いやちがう、ほんものの化石やらがずらりと並んでいる。なななんだ、この店は!? 岩石標本があるかと思うと、むかし〈王様のアイディア〉でよく売っていた低倍率の顕微鏡にも望遠鏡にも使えるペン型のスコープがある(持ってるよ、これ)。げげ、こ、これは、ち、地球ゴマ! あそこに並んでいるのは試験管だ。昆虫観察用のレンズ付きのプラスチックボトルだ。昆虫採集セットだ。星座早見表だ。各種万華鏡もある。顕微鏡を求めて歩きすぎたため、おれは幻覚を見ているのだろうか。これではまるで、『笑うせぇるすまん』の世界ではないか。ここで欲を出すと、あとでなにか酷い目に合うのではないか? だが、喪黒福造に名刺をもらった憶えはない。なんということだ。これこそおれが探し求めていた店、理科教材の専門店であったのである。理科機器の専門店ではない。あくまで子供向けを主とした理科教材の専門店だ。いったい、こんな店がいつのまにこんなところにできていたのだろう? あっ、か、カエルだ。カエルの模型だ。リアルな模型だ。うようよある。大きいのも小さいのもある。お、オタマジャクシの模型まである。おお、おおおおお……。
はっ、そうだ。顕微鏡だ。顕微鏡、顕微鏡――あった! 高すぎず安すぎず、小学生に買ってやるにはちょうどよい最高倍率400倍のちゃちい教材用顕微鏡セットだ。最初に見るものがなくては面白くなかろう。ムラサキツユクサの葉の裏側の薄片だとかトンボの羽だとか、そういうものが出来合いのプレパラートになったものがあるだろう――あ、あった。
思えば、長いクエストであった。おれの脳裡には、ドラゴンや魔道士や「ニッ」の騎士との死闘が甦った。なにもかもみな懐かしい。
それにしても、こんな店がいまどきやってゆけるのであろうか? おれは改めてほかの客をゆっくり観察した。大人も子供も目を輝かせてあちこちの教材で遊んでいる。おおお、大丈夫だ。まだ日本は大丈夫だ。
おれはレジで顕微鏡とプレパラートセットを店員に渡して金を払った。そのとき初めて、この店の名が「THE STUDY ROOM」というのを知ったのだった。ラッピングをしてもらっているあいだ、レジ前のショーケースの上に所狭しと並べられた“理科おもちゃ”をひとつひとついじくりまわしながら、おれは若い女性店員に声をかけた。
「いやあ、こんな店ができてたとは知らんかったなあ。一日遊んでられそうやね」
「こういうのお好きですか?」と、店員。
おれは顕微鏡を受け取りながら、共犯者的笑みを浮かべて言った。
「そりゃもう。理科少年やったしね」
店員は、琥珀に閉じ込められた蚊でも見るような遠い目で、“理科少年”の化石に晴れやかに笑いかけた。彼女の目は、時の流れを超えて“少年のおれ”を見ていたのかもしれない。
今日はいい日だ。いい店を見つけた。コンセプトがいい。「THE STUDY ROOM」などというやや堅苦しい名前でありながら、ちゃんとした教材とおもちゃ寄りの教材と教材寄りのおもちゃをないまぜにして、ちょっとした“ふしぎ”を楽しむ空間を作り出している。おれが見たかぎりでは、単なる電子的なブラックボックスでしかない商品はひとつもなかった(学研の「電子ブロック」復刻版はあったけど、あれはブラックボックスじゃないよね)。目で見て手で触れて頭で考えて、現象や仕組みを体感できるものばかりだ。子供がこういうものを見て、手に取って、「わー、なにこれ。へー、そうか」と思えば、それで大成功なのだ。
また来よう。今度は自分のおもちゃを買うのだ。そうだ、虫愛づる姪に教えてやらねば。あいつなら店のものを全部欲しがりそうだ。
▼『リング0 バースデイ』(原作:鈴木光司/脚本:高橋洋/監督:鶴田法男)をテレビでやってたので、ところどころ居眠りしながら観る。仲間由紀恵の貞子が長い黒髪を顔面に垂らしながら田中好子らに迫ってくる場面で、おれは大笑いしてしまった。恐怖のあまり気が狂ったのではない。ここで仲間貞子はおもむろに髪をかき上げ、「タテナメ、ヨコサラ」と言うべきだ、関西ではそれ以外にない、言え、言えーっ、と考えてしまったとたん、自分でウケてしまったのである。
【12月13日(金)】
▼顕微鏡探しの続き。またもや夜の大阪をてくてくてくてくてくてくてくてくと心当たりをあちこち探しまわるも、やっぱりない。電子ブロックや大江戸からくり人形は売ってるのに。こちらが思わず衝動買いしそうになる。いかんいかん。今日は姪の顕微鏡を買いにきたのだ。
曾根崎の旭屋書店をうろついていたら、買おう買おうと思いつつまだ買っていなかった『日本のカエル+サンショウウオ類』(写真:松橋利光/解説:奥山風太郎/山渓ハンディ図鑑9・山と渓谷社)が「おすすめ」という札と共に面見せで売られていたので、よい機会だから買う。オールカラーで二千円もするだけあって、なかなか根性の入ったカエル本だ。トノサマガエルとトウキョウダルマガエルとダルマガエルの見分けかたとか、ニホンアマガエルとモリアオガエルとシューレゲルアオガエルの見分けかたとかが、写真入りで詳しく載っている。生きてゆくうえでなーんの役にも立たない知識であるが、だからこそ愛おしい。だいたい、知識が役に立ったからといって、それがいったいなんだというのだ? 不純である。そりゃまあ、たまたま役に立つこともあるが、そんなのはあくまで知識の副次的属性だ。おまけである。「へー、すげー、おもしれー」と思えれば、それだけで生まれてきた甲斐があるというものではないか。おれは姪にそのように思える大人に育ってもらいたい。そのように思える大人になれば、人生勝ったも同然、死ぬときには「あー、おもろかった」と笑って死ねることであろう。
今日も顕微鏡は見つからなかったが、こうなりゃ意地だ。明日は休日返上で四条河原町あたりを探索しよう。
【12月12日(木)】
▼先日、クリスマスには顕微鏡を買ってやろうかと言ったら、姪(小学生の虫愛づるほうだ)は欲しい欲しいというので買ってやることにする。ふつう、小学校四、五年生の健全な女の子が欲しがるものといったら、やっぱり顕微鏡とか天体望遠鏡とか恐竜図鑑とか地球ゴマとか電子ブロックとかメカニマルとかゲイラカイトとか計算尺とか関数電卓とかポケコンとか星座早見表とか電流計とかニクロム線とかエナメル線とか試験管とかリトマス試験紙とかプリズムとか光ファイバーとかアンモナイトの化石とかストロマトライトとか人体骨格標本とかシーモンキーとかアリの飼育セットとかバイメタルとか大江戸からくり人形とかそういうものだろう。してみると、わが姪はじつに健全に成長しておるな。『まんがサイエンス(全八巻)』(あさりよしとお、学習研究社 ノーラコミックスDELUXE/スーパーノーラコミックス)は、ちょっとずつ買い与えてすでに全巻揃ってるから、洗脳は十分だろう。クリスマスにはちと張り込んでやろう。
というわけで、今日は顕微鏡を求めて夜の大阪をあちこち歩きまわる。おれもビンボーだから、あんまり高価なものを買ってやるつもりはない。おれが子供のころ使っていたような、理科教材用の簡素な作りのもので十分だろう。倍率は最高で四百倍もあればいい。精子くらいなら見える。まあ、男の子でもないのに、さっそくそんなものを調達されては困るのだが、最近の子のことだ、もう数年もすればそこいらから適当に調達してくるだろう。
ところが、探しまわっても、これがなかなか見つからないのである。はて、おれはたしかジュンク堂大阪本店で去年売ってたのを見た記憶があるぞ。今年はない。梅田の紀伊國屋書店の文具売り場にも、むかしからあったはずだ。店員に訊いてみると、すまなそうに置いてないと言う。しかたがないのでヨドバシカメラに行ってみると、光学機器のコーナーにあるにはあったが、教材用のは教材用にしてはちと豪華すぎるうえに、在庫がないからお取り寄せである。現品があるのは、みな高価な本格的なものばかりで、おれが欲しいくらいだ。おじさんのよりはるかに上等なのを買ってやる気はない、金もない。時間切れで今日は諦めることとする。ヘンだなあ、ついこないだまで、世の中の小学生がみな顕微鏡を欲しがっているかのごとくにあちこちで売っていたような気がするんだが……。歳を食って、“ついこないだ”の感覚が狂っているのだろうな。最近の子は顕微鏡を欲しがったりしないのだろうか? おれが親戚に買ってもらったときには、テレビや映画のSFに出てくる“カガクシャ”になったような気分で、えらく嬉しかったものだがなあ。だいたい、顕微鏡なんてものが最初から家にある家庭は、ちょっと特殊だろう。ちょっとミジンコが見たいんだけどと親に言ったら、「お父ちゃんのは壊したらあかんさかい、お姉ちゃんのを借りときなさい。そういうたらあんた、覗いたままレンズ下げたらあかんで。お母ちゃんこないだあんたが割ったカバーガラスで手ぇ切ったやんか」などと言われた人は、そうはおるまい。子供が欲しがるから、親や親戚がしぶしぶ買うものであったはずだ。ということはやっぱり、最近の子供は顕微鏡を欲しがらんのか? 不健全だ。きわめて不健全だ。
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