間歇日記

世界Aの始末書


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2003年12月上旬

【12月9日(火)】
鬼束ちひろ「私とワルツを」のCMはコワい。歌は嫌いではないけれども、ちょっとイっちゃってるシャーマン風のキャラを演出しすぎじゃなかろうか。鬼束ちひろの曲って、口ずさめないよな。深夜、木々のあいだから月明かりだけが射し込む森の中で小川のほとりに座り込み、空を見上げてなにかに憑かれたように唄うというのが正しい唄いかたのような気がする。そういう正しい唄いかたしてたら、警官に不審尋問を受けるか、周囲の人に病院に連れていかれるかしちゃいそうだ。要するに、“健やか”じゃない。誰もが持っている病的なところに響いてくる歌である。妙な言いかたかもしれないが、鬼束ちひろの歌は、聴くための歌じゃなくて、聞こえてくるべき歌って感じがするのよな。歌声喫茶なんてものがいまあったとしても、そういうところでみんなで合唱してはいけない歌ですな。合唱してたら、それこそ怖い。
 声フェチとしては嫌いな声じゃないんだが、飢えたようにCDを買うってところまで行かないのが、おれにとっての鬼束ちひろである。

【12月7日(日)】
『仮面ライダー555』テレビ朝日公式サイト東映公式サイト)、そろそろ慌ただしく風呂敷を畳みはじめたようだが、これはとても畳み切れんだろうなあ。うーむ、ここで長田結花加藤美佳)を殺してしまうかあ。いっぺんくらい仮面ライダーに変身してほしかったのに。来週から、なにを楽しみに555を観ればいいんだっ。
 余談だけど、ひさびさに加藤美佳の公式サイトへ行ってみたら、いつのまにか「第二回 日本ゆかた大賞」なんてものを受賞していた。知らんかったなあ、こんな賞があることさえ。そもそも“ゆかた大賞”ってなによ? この人たちが浴衣着てるところを、誰がどこで何回見たとゆーのよ。“浴衣を着せたい芸能人”という意味ならわからんでもないけどなあ。「フレッシュペア部門」とやらの受賞者が半田健人と加藤美佳ってのは、まあ、もろにPRだわな。仮面ライダー関連筋が主催者となんか関係あるんだろう。ま、なんだかんだ言っても、加藤美佳の浴衣姿、いいですけどね。

【12月4日(木)】
細川たかし「北酒場」が耳に入ってくるたび、おれはいつも同じところで海水パンツにクラゲが入ってきたようななんとも言えぬ違和感に身をよじる。「今夜の恋は煙草の先に火を点けてくれた人」ってところだ。これはもう、初めて聴いたときから身をよじっているのである。おれはかれこれ四十一年ほど生きてきたが、いまだかつて煙草の“先”以外の箇所に火を点けている人を見たことがない。フィルタの側に火を点けてあわてて吐き出した人さえ見たことがあるけれども(すさまじい味がするらしい)、多少極性(?)に問題はありこそすれ、それでもやっぱり“先”に火を点けているのにはちがいない。「責任者出てこい!」とまでは言わんが、いくらなんでもこれはかなり無理のある歌詞ではなかろうか。いやまあ、どうしてもここでスタッカートを利かせにゃならんので、「煙草に火を点けてくれた人」では、三音節足らんでまぬけになるのはわかるけどね。じゃあ、おまえ、この部分を考えろと言われたら、やっぱりおれにもよい考えは浮かばないのである。
 はて? 待てよ。「北酒場」のこの部分など、おれが違和感を覚えるくらいであるから、人生幸朗師匠が絶対突っ込んでいたはずではないか? だが、おれの記憶にはない。もとよりそんなに演芸に詳しいわけではないにしても、自分もヘンだと思っているわけだから、一度でもネタになっているのを聴いていれば憶えているはずだ。
 そこで調べてみると、西村京太郎も見落としているにちがいない、時系列上に横たわる驚愕の事実に行き当たった。「北酒場」が発売されたのは、一九八二年三月一日である。人生幸朗が亡くなったのは、なんとその三日後の三月四日なのだった。レコードが発売される前にも、細川たかしはプロモーションで「北酒場」をすでにあちこちで唄っていたであろう。それをぼやきの師匠は聴いたであろうか? もしかしたら、このネタを温めていたのではあるまいか。あるいは、おれが知らないだけで、「“先”以外、煙草のどこに火ぃ点けるんじゃいっ。責任者出てこぉいっ!」という幻のネタが死の直前に演じられたことがあるのだろうか?
 うーむ、こういうのは、喜多哲士さんがお詳しいだろう。あるいはご存じないにしても、喜多さんであれば、今後この謎を解明する資料に遭遇する可能性は、ふつうの人より高いはずだ。なにかのついでに判明したら、ぜひ教えてください、喜多さん。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『陰陽師九郎判官』
田中啓文、コバルト文庫)
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 源義経が陰陽師だったという話だろうと誰もが思うでしょうが、あにはからんや、折り返しのアオリを読むと、やっぱりそういう話らしい。うむ、田中啓文も生活がある。ここらでちょこちょこっと安倍晴明ブームの柳の下の泥鰌で小銭を稼ごうとしたとて誰に責められよう……。と、一瞬思うようでは、あなたは田中啓文ファンとしてはまだ青い。
 「あとがき」によれば、世に氾濫している安倍晴明もの、陰陽師ものでは、「どれを読んでも、ほぼ例外なく、安倍晴明は美男子に書かれており、コミックスなどではとくに顕著で、これでもかこれでもかとばかりに男前のてんこもり状態である」と、なにやら凡夫には想像の及ばぬ理由で、田中啓文は腹を立てている。「そんなはずはないっ」と田中啓文は、凡夫には想像の及ばぬ根拠を持つのであろう、そう断ずる。「安倍晴明は絶対に不細工でろくでもない鬱陶しいやつだったにちがいない」と、凡夫を置き去りにして、田中啓文はそう確信する。田中啓文にそう言われると、「そうだそうだ、安倍晴明は不細工でろくでもない鬱陶しいやつだ」と思われてくるのだから、まこと凡夫というのは怖ろしい。
 というわけで、本書では、安倍晴明は「かなりめちゃくちゃな扱いになっている」のだそうである。けけけけ、ざまあみろ。いや、いまのはおれが言ったのではない。田中啓文の心中を推察して言葉にしてみただけだ。おれは少なくとも稲垣吾郎は嫌いではない。野村萬斎も嫌いではない。まあ、才能に恵まれておるのだから、せめて顔くらいふつうに生まれてこいよと、ときおりけったくそ悪さに襲われるだけである。よく考えたら、それはべつに安倍晴明とは関係ないにしても、なんとなく安倍晴明もけったくそ悪い。坊主食らわば皿まで憎い。なんのこっちゃ。それはともかく、田中啓文という人は、どうしてこう、世間の人々がおとなしく喜んでいるところへ裸で乱入して屁をかますような真似ばかりするのだろう。かなり損な性格だと思うが、べつにおれは損しないので、もっとやれもっとやれと喜んでいる。
 安倍晴明は鬱陶しいやつだそうだが、義経は「ごっついええ男」にしたのだという。義経も、世間ではたいていの場合、美男子に描かれているように思うのだが、さて、いったいなにが田中啓文をして晴明を憎悪せしめ義経を持ち上げさせるのか。そこには凡夫の想像も及ばぬ論理が渦巻いているのであろう。要するに、好き嫌いとちゃうんかい、と思わんでもない。なにはともあれ、安倍晴明がどのように不細工にろくでもなく鬱陶しく描かれているのかがとても楽しみになってくるところをみると、おれの中にもなにか田中啓文と共通する歪な部分があるのにちがいない。いひひひひ。

【12月3日(水)】
NOVAのテレビCMがクリスマス・バージョンになっている。NOVAうさぎが雪原にクリスマス定番の挨拶を英語で描く。おれは驚愕した――「Merry X'mas!」
 ひぃいいいい! よりにもよって、NOVAがこれをやっちゃいかんだろ。“Xmas”だっちゅーの(それにしても、パイレーツはどこへ行ってしまったのだろう?)。テレビCMには英語ネイティヴの先生のチェックが入らない組織になってるわけね。いまごろ、日本中のNOVAの教室で、「あのCMのスペルはマチガイデース」と英語の先生が教えていることであろう。はっ、もしかしたら、講師にネタを提供するため、あるいは、こうやって世間の話題にしてもらうために、狙って誤表記したのか? 広告屋ってのはそのくらいのことはやりかねんが、いや、まさかねー。


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