間歇日記

世界Aの始末書


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2004年4月上旬

【4月10日(土)】
声フェチにはよくあることなのだが、突如、Christine McVie の声が聴きたくて矢も盾もたまらなくなり、ひっさびさに Fleetwood Mac の名盤、『Tango in the Night』なんぞを引っぱり出して聴く。クリスティンの声が存分に楽しめる、Everywhere, Mystified, Little Lies が入ってるんで、おれはこのアルバム、大好きである。いやあ、ええなあ。おれが思うに、クリスティン・マクヴィーは、シンガーとして、ソングライターとして、もっと再評価されていいと思う。癖のない白ワインのようなクリスティンの繊細な歌声は、芋焼酎のように自己主張の強い Stevie Nicks のハスキーヴォイスと好対照を成して、この時期のフリートウッド・マックはほんとによかった。いや、おれはべつにスティーヴィー・ニックスが嫌いなわけではない(このアルバムの Seven Wonders なんかは大好きだ)が、声フェチ的にはクるものを感じないのである。
 昨今、一九七○年代から八○年代にかけての海外ポップスをドラマの主題歌などに使うのが流行っているが、おれはそろそろフリートウッド・マックが出てきてもいいんじゃないの、と思っているのである。Everywhere なんかは、ちょっとしたバラエティ番組などの“噂のスポット紹介”とか“お洒落なお店紹介”といったコーナーで、しょっちゅう軽いBGMに使っているのを耳にする。つまり、そういう使いかたができる品のいい曲、品のいい声なんである。ほんとにしょっちゅう使われているから、きっと若い人にも「おや、いま流れてるこのBGMいいな。誰が唄ってるのか知らないけど」アマゾンで視聴できる。なんちゅう便利な時代じゃ)と思っている人が少なからずいるにちがいない。覚えてください。それはフリートウッド・マック黄金期のクリスティン・マクヴィーという歌姫です。
 というわけで、おれと同年輩でテレビドラマの選曲とかしてる人々よ(って、ずいぶん限定的な呼びかけだが)、フリートウッド・マックを、クリスティン・マクヴィーを忘れちゃいませんかってんだ。『Tango in the Night』が出てからもう十七年も経ってるのだ、あなたたちおじさん・おばさんが若い人に再発見させてあげねばなりませぬぞ。ええもんは何年経ってもええんじゃ。
 で、ついでだが、オペラ風の QUEEN がウケたんだから、八○年代のAORなら Styx もいまの日本でウケるような気がしないすか? 「♪どまわりがっとみすたーろぼっとぉ」はさすがにトレンディードラマには向かんと思うが、Babe とかはドラマ向きだと思うなあ。これも名盤『Paradise Theatre』からなら、Rockin' The Paradise, Too Much Time on My Hands, そしておれの洋楽ポップス・オールタイムベストのひとつ The Best of Times なんかが、いまの日本の空気にすごくフィットするように思うんだよね(というか、当時のアメリカの空気が、いまの日本に似ているのかもしれない)。


The headlines read
These are the worst of times
I do believe it's true
I feel so helpless like a boat against a tide
I wish the summer winds could bring back Paradise
But I know
If the world turned upside down
Baby I know
You'd always be around

The Best of Times ―― Styx

 ああ、なぜかこれ聴くと、寂れた駅の暗くて汚い待合室の片隅で、空きっ腹抱えてペーパーバックを読んでた学生時代の夜が甦ってくる。ブラッドベリだったな、あれは……。
 今日は、完全に同年輩向けの爺いのノスタルジーでありました。同じような好みの方、ひさびさに聴きたくなったでしょ?

【4月8日(木)】
▼ひさびさに上田早夕里さんのサイトに行ってみると、いつのまにか「カエル部屋」というのができていた。よきかな、よきかな。コンテンツの充実が期待される。
▼駅で喉が渇いたので、売店で「梅ジュース」というのを飲む。缶や紙パックに入ったものではなく、店頭で冷やしていてコップに注いでくれるやつだ。「さっぱりすっきり」と看板に書いてあるとおり、たしかにさっぱりすっきりしてうまかったのだが、透明な樹脂製コップに注がれた薄黄色のその液体は、どう見ても小便にしか見えないのが珠に瑕であった。まあ、飲尿療法というのもあったしなと、妙な納得のしかたをして飲み干した。あの梅ジュース、どれくらい売れているのだろう。
▼帰宅すると、三人の日本人がイラクで謎の集団に拘束されたとアルジャジーラが報じたとのニュースが入っていた。三日以内にイラクから自衛隊を撤退させないと、人質を殺すと言っているらしい。いつもなら、こういう大事件は CNN から送られてくるメールをケータイでキャッチして知ることが多いのだけれども、そんなメールは来ていない。まあ、戦争が終わってからも自国民がイラクで何百人と死んでいるアメリカにとっては、この程度の事件は取るに足らないことなのだろう。しょせん、CNN はアメリカのメディアなのである。
 とうとう、こういうことが起こってしまったか。囚われた人たちは、もちろん命懸けでイラクに行っているわけだろうから、当然こうした事態も想定し、覚悟も固めているのだろうけど、だからといって国として日本が自国民の救出努力をしないわけにはいかない。こういう事態にはてんで弱い日本政府にどのくらいのことができるものか、よく観察しておかなくてはな。ペルー大使館人質事件からかなり経つが、あれからどのくらいのノウハウが蓄積され、危機管理策が策定されているものなのだろうか。まあ、民主主義の当然の帰結として、おれたちはしょせん自分たちのレベル以上の政治家を持つことなどできないわけだから、あんまり期待はしていないけれども。

【4月4日(日)】
葉月里緒菜“再婚”したという話なのだが、最初のやつもやっぱり一回と数えるのかなあ。数えるんだろうなあ。“魔性の女”の名誉ある称号は、最近さとう珠緒に奪われてしまっているようだが、さとう珠緒のどこが魔性なものか。さとう珠緒は、どう見ても“犬系”である。魔性の女は絶対“猫系”でなくてはならない。たとえば、消費者金融のCMバトルで言えば、アコム小野真弓犬系プロミス井上和香猫系アイフルくぅ〜ちゃんである。この中で魔性の女の素質があるのはやはり井上和香であろう。小野真弓が職場にいたら元気よく仕事ができると思うが、井上和香が職場にいたらほとんど仕事にならないのではあるまいか。井上和香は存在自体が反則だと思う。あれはいかん。可愛さが現実離れしていて、なでなでしてあげたいと同時に張り倒したくなってくる。いやまあ、好きだけどね。でも、なんかどこかで腹立ちませんか?
 それはともかく葉月里緒菜、ほんとにこのまんま引退しちゃうのかなあ。残念だ。私生活がどうなっていようが知ったことではないが、女優としてぜひまたとんでもない作品で復帰してもらいたいものである。以前にも書いたが、いつの日か、葉月里緒菜には《女囚さそり》を演ってもらわねばならない。おれは勝手にそう決めている。どなたか《さそり》を撮りたい映画監督の方、葉月里緒菜を引っぱり出してくださらんか。
 どうしても葉月里緒菜がだめなら、最近おれは釈由美子もけっこうイケるかもなどと、次なる候補を考えている。梶芽衣子がずっと遅く生まれていたら、イズコが似合ったろうなと思うからだ。おれは残念ながら両方とも観てないのだが、梶も釈も『修羅雪姫』繋がりでもあるし。釈をただの“不思議ちゃん”から脱皮させた慧眼の映像クリエイターたちがすでに見抜いているように、釈には現実離れした鬼神の類や悪女が妙にハマる。般若の顔と菩薩の顔を表情豊かに演じ分ける天性のものを釈由美子は持っているからだ。こう言っちゃなんだが、ぽっと出の不思議ちゃんがいったい全体どこでどうして身につけたのか、身の毛がよだつほどいい人間離れした表情をすることがあって、しかもそれは偶然ではなく、ちゃんと演技しているのには驚く。才能というのは、げに不思議なものだ。作品に恵まれれば、もっともっと化けるのではあるまいかとおれはたいへん期待しているのである。舌が長いのか顎が発育不全なのか、いまだに滑舌が悪いのはちとどうかと思うが、さそりはあんまりしゃべらないから、それは大きな問題ではなかろう。釈由美子の《さそり》なら、葉月里緒菜よりは実現性があると思うがどうか。
NHK総合ではじまった『火の鳥』を観る。BSじゃまとめてやったりしたみたいだが、うちには衛星放送を観る設備がないから、地上波でちびちび楽しむとしよう。もちろんハイビジョンじゃない。旧態依然たるテレビである。
 「黎明編」の第一回を観て驚いた。下手にいじくりまわさず、じつに原作に忠実に作ってある。これは期待できそうだ。音楽がまたいい。市川崑が「黎明編」を実写映画(ごく一部アニメ)化したときのミシェル・ルグランの曲がおれは大好きだが(谷川俊太郎が詞をつけたものを当時は松崎しげるが唄い、その後サーカスがカバーしている)、今回の『「火の鳥」オープニング・テーマ』(作曲:内池秀和/編曲:野見祐二/演奏:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団チェン・ミン諫山実生)は、ミシェル・ルグランの「火の鳥」に匹敵するいい出来だ。気に入った。いかにもNHK的なこれ見よがしに金のかかった作りがちょっぴり鼻につかないでもないんだが、そのくらいの欠点はふっ飛びますな。もう何回か聴いてみて、飽きないようならサントラCD買おう。

【4月2日(金)】
▼お、かなり追いついてきたぞ。いったいなにがなににどう追いついてきたのか、あとからこの日記を読むとさっぱりわからないにちがいないが、なあに、かまうものか。これがわかるのは、いつも読んでくださっている方々だけの特典だ。世の中には、つまらない特典があったものである。
 どっちがどっちだかおれにはいまだにわからない三倉茉奈・佳奈が関西学院大学に入学したそうな(さすが〈日刊スポーツ〉は、芸能ネタ的に絵になる写真を使いますな。そりゃ、時計台は基本だ、基本)。双子で同じ大学だと、代返するのに便利だろうなあと思ったのは、おればかりではないだろう。『おしん』立命館大学だというのは、なーんとなく一般的に抱かれている校風のイメージと合致しているような気がするが、『ふたりっ子』が関学ってのは一般的イメージとはちとずれるな。まあ、一般的イメージなるものほどあてにならないものはないのであって、キダ・タローの後輩だと考えれば、かなり納得はゆく。田中哲弥さんやおれの後輩だと考えれば、マナカナはハイカラすぎるであろう。ともあれ、全国的に有名な可愛い後輩ができてよかったではないか、哲弥さん。マナカナは、おれたちの娘であっても不思議はない年齢だし。最近、広島で千羽鶴に火を点けたとか、雪山で遭難したとか、あんまりいい話で出身校の名前を聞かなかったもんだから、ミーハー丸出しだが、なんとなく嬉しい。
 余談だが、おれの母は、なぜかマナカナが大嫌いである。それはもう、蛇蝎のごとくに嫌う。テレビに出てくるとチャンネルを替える。なんでそんなに嫌いなのか、なかなか可愛いではないかとおれが訝って尋ねると、「なんでも一緒に言うのが、わざとらしくていやらしい」のだそうだ。ザ・ピーナッツは好きなくせに、よくわからん感覚である。マナカナは双子に期待される藝を見せようと、事前に詳細な打ち合わせをして、あのようにハモっているのであろうか? それとも、相手の言葉に自然に反応すると、自動的に揃ってしまうのであろうか? どっちでもいいけど、どっちであったとしても、「いやらしい」という印象は受けないけどなあ。母は双子になにか厭な思い出でもあるのやもしれん。これもまあ、一般的なイメージではあるけれども、双子にはなにやら特殊な能力が具わっているらしいといったことが、母の根源的な恐怖のようなものをかき立てているのやもしれん。
 さらに余談だが、もしマナカナに会えるようなことがあったなら、いっぺんやってみたいことがある。まず、二人に並んで立ってもらう。向かって左がマナ、右がカナだ。それから、マナにはマナから見てほんの少し左を、カナにはカナから見てほんの少し右を向いてもらう。これを寄り目にして見ると立体に見える――って、もともと立体だってば。隠されたメッセージが超立体として浮かび上がってきたりしたらSFだ。驚異のステレオグラム人間である。


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