間歇日記
世界Aの始末書
【11月6日(土)】
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
『火星ダーク・バラード』(角川春樹事務所/[bk1][amazon])で第四回小松左京賞を受賞し、SF界屈指のカエラーでもある上田早夕里の最新長篇である。今度は木星の宇宙ステーションをテロリストが襲う話だそうで、人体改造によって生み出された両性種〈ラウンド〉なる新人類を通して、ジェンダーとセクシュアリティのテーマに挑んでいるとのこと。
以前、「SFセミナー2001」のパネル『SFにおけるトランスジェンダー(性別越境) 日本におけるジェンダーSFへの期待をこめて』(出演/三橋順子、聞き手/柏崎玲央奈)で、女装家の三橋氏が、“これほどまでにさまざまな分野に想像力を働かせているSFが、ことジェンダーに関するかぎり、なぜにかくも保守的であるのか”といった問題提起をなさっていて、ごもっともごもっともと深く肯いたものだった。多少なりとも未来の話なのであれば、ジェンダーやらセクシュアリティやらといったものがいまとまったく同じようであると考えるほうがよほど不自然であって、いまとまったく同じようであるなら、かえってややこしい設定や説明が必要なくらいのものだろう。ニュートン力学や相対性理論や量子力学やその他諸々の科学や技術上のことどもと同じくらい頻繁に、ジェンダーやセクシュアリティに関することどもが取り上げられて然るべきだ。そういう意味で、人類を含む性を持つ生物が出てくる小説はおよそすべて「ジェンダーやセクシュアリティ“も”扱ってます」と言える状態が健全なのではないかと思うのだがどうか。
とはいえ、そんな健全な状態がやってくるまでにはまだ時間が必要だろうから、ことさらジェンダーやセクシュアリティの問題に取り組んでいると“必要悪として”自己申告している上田早夕里の今回の作品には、かなり期待を寄せているのである。
【11月5日(金)】
▼おれの部屋の蛍光灯がちらちらしはじめる。鬱陶しいので、息切れした蛍光灯だけ取り外す。部屋の明るさがいつもの四分の三になったことになる。パソコンのディスプレイが相対的にいつもより明るく見えるのが面白い。どうせ現実は現実としてどうしようもなくそこにあるのならば、部屋が暗くなって鬱陶しいと考えるよりも、ディスプレイが明るくなって清々しいと考えるほうが、人生、なんぼかお得というものだ。まあ、よく探せば、ちりめんじゃこの中の小さなタコは見つかるのである。
蛍光灯といえば、おれの子供のころは、大人によく「おまえは蛍光灯やなあ」と言われた。むかしの蛍光灯は点灯するまでに時間がかかったため、刺激に対する反応が鈍い人、呼びかけに対する返答が遅い人などなどを、“蛍光灯”と揶揄したものなのである。技術の進歩と共に、完全に廃れてしまった用法と言えよう。若い人は知らないでしょ? そのうち、白色LEDの照明しか知らない世代なんてのも出てくるんだろうなあ。
【11月4日(木)】
▼おおお、やったぞ。少なくともアメリカ人の半分弱は、ブッシュ政権が厭なのだな。必ずしもケリーがいいと思っているわけではないにしても。それがわかっただけでも、上等というものである。それにしても、なんてえ選挙戦だったことか。自分の政策を少しでも向上させようという志なんぞどこにも見えず、お互い、ただひたすら相手候補のイメージを一ナノメートルでも引きずり下ろそうとしていただけとしか思えない。アメリカの国民もバカにされたものだ。というか、よその国のことは言えんが、まずます、国民の分に相応の候補が出ているとも言えるわな。