間歇日記

世界Aの始末書


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98年11月上旬

【11月10日(火)】
▼会社から帰って小便をする。褐色の液体がさわやかに迸るのをぼけーと見ていたら、ふと言葉が出た――「シーベン、ショープ、ゲショーベン」
 一瞬、自分がなにをつぶやいたのかわからず、もう一度意識して口にしてみる。schieben, schob, geschoben 。あ、ドイツ語の強変化動詞だ。べつにおれはドイツ語に堪能なわけでもなんでもなく、単なるバカバカしい連想で口から出たのである。geschoben なる言葉を初めて憶えたときに「寝小便に似ているなあ」という連想が働いた。おそらくドイツ語を齧った人なら誰もが思ったはずだ。思ったでしょう? いいやっ、思ったにちがいないっ。きっとこの日記の読者の中にも、小便をしながら思わずつぶいてしまう人がいるはずだ。考えてみれば、ホームページというのは、こういうくだらないことを尋ねるのに最適の媒体である。道行く人を捕まえては「あなた、小便をするとき、schieben, schob, geschoben とつぶやいてしまったことありませんか?」などと訊いてまわるわけにもいかない。「私もときどきやる」という方がいらしたら、ぜひメールをください。
 人間、ぼーっとしているとき、わけのわからないことをつぶやきたくものである(おれだけか?)。鼻歌とはちがうのだ。単語(?)なのである。たいてい子供のころに刷り込まれた妙な言葉とか、学生時代に無理やり頭に詰め込んだ口あたりのいい言葉とかが出てくる。ソファーベッドに寝そべっていて、勢いをつけて起き上がるとき「パパラパ!」と叫んでしまうとか、ぼんやり紫煙を見つめながら「ゼットーン、ピコピコピコピッ」などと唸っているとか、漫然と鏡を見ていて突如拳を突き出し「ヤゲロー王朝っ!」と吠えるとか、まるで西川のりおこまわり君でも憑いたかのように、意味もない言葉が口から飛び出す。母や妹などむかしから慣れたもので、おれがなにを叫んでいても「またやってる」といった顔で平然としている。うっかり知らない人の前でやってしまわないかとひやひやものだ。あなたがバスに乗っていて、隣の貧相なサラリーマンがだしぬけに「ハイリハイリフレ、ハイリホー」などと真面目な顔でつぶやいたら気味が悪いだろう。正直な話、電車の中でぼーっとしていて、ふと我に返ったときなど、なにかつぶやいてしまったのではないかと怖くなることがある。母など、「あんたは赤ん坊のときから、ぐっすり寝てたと思たら突然ケラケラ笑い出して、自分の笑い声で目ぇ覚ましたりしてた。気色悪かった」と言う。それは気色悪かったろうなあ。どうも頭の中になにかそういうヘンな回路があるらしい。親に気色悪がられる赤ん坊というのも厭だが、じつはいまだに就寝中笑い出すことがある。すぐ、なにごともなかったかのように寝てしまうのだが……。
 コンベンションなどで旅館に泊まったりすると、同じ部屋の人に迷惑をかけたのではないかと気が気でない。泣き出すよりは笑い出すほうが明るくていいが(そういう問題だろうか)、おれの笑い声で安眠を妨害された方がいらしたら、まことにあいすみません。笑いというのは伝染する。人が笑っているとつられて笑ってしまう。寝言に返事をする人もいるわけだから、下手をするとおれと同じ部屋に寝ている人が全員熟睡しながら笑っているなんてことが起こっているのやもしれん。こうなると滑稽を通り越してホラーだよなあ。

【11月9日(月)】
▼林真須美容疑者に“体格が似ているということで慎重に選抜された捜査員”がやたらテレビに現れるが、本人の心中たるや複雑なものがあるだろうなあ。おれ、すっかりあの人の顔憶えちゃったよ。林容疑者というよりも、伊良部投手に似ていると思うが……。神田川俊郎に依頼したが断られたという裏話があったりして。
『時空ドーナツ』(ルーディ・ラッカー、大森望訳、ハヤカワ文庫SF)を読了。いやあ、久々にトリップ感のあるSFを読んだって感じ。大野万紀さんの名言によると「数学SFはファンタジー」なんだけど、おれの認識では、イアン・ワトスンの奇想SFをSF扱いするのと同じ次元で、やっぱりSFかな。たとえば、テニスボールを特殊な空間に於ける操作で数学的には破壊せずに裏返せる(そうなんだって)という論理的事実は、工学的実現可能性と(いまのところ)接点を持たない点ではハードSF的じゃないのだが、体系的な論理の縛りがある点ではSFのセンス・オヴ・ワンダーを与えてくれるものなんじゃないかと思う。もっとも、SFに於ける“科学性”“ハード性”とを分けて論じれば、現実と接点を持たない数学SFをむしろ“ファンタジー”と言っちゃう大野さんの首尾一貫した姿勢にはなんの問題もないよね。『ホワイト・ライト』(ルーディ・ラッカー、黒丸尚訳、ハヤカワ文庫SF)なんかだと、科学性はあってもハード性は希薄なので、おれもあれはファンタジーっぽいかなと思う。『時空ドーナツ』は根幹のアイディアは数学でも、そこから派生してくるハチャメチャなことどもが物理的で、大野万紀的ハード性も高いと思われる。しょっちゅう数学のことを考えてる特殊な読者は別として、おれなどには『時空ドーナツ』のほうが『ホワイト・ライト』よりもトリップ感があると感じられるのは、案外そのあたりに根があるのかもしれない。数学の苦手なおれが数学SFを論じるのもおこがましいが、SFとファンタジーの境界をトリップするラッカーの数学SFは、プラトン主義と形式主義の境界をトリップしているとも言えるのではあるまいか。人間の認識能力に形式論理を超えるなにものかがあるという信念をゲーデルの影響下で受け継いでいるラッカーのプラトン主義的なところが、彼の数学SFをファンタジーよりもSFのほうに引きつけている原動力になっているような気がする。
 なんてことをほざいていると、えらく数学に詳しそうに聞こえてしまうが、学生時代、なにが不得意と言って、数学ほど不得意なものはなかった。面白くない、勉強しない、ますます面白くない、ますます勉強しないという悪循環にハマっており、文科系で数学IIIまで取った理由が「先生が厳しくないので、数学の時間に世界史の勉強がよくできそうだ」という情けないものであった。じつは高校あたりでやっていることはまだ算数に近く、数学者なる連中が考えているのはもっととんでもなく面白いことらしいと興味を持ちはじめたのは大学に入ってからである。受験生時代よりも好き放題に本が読めるので、当然、そういうものも網にかかってきたというわけだ。大学教養課程の効用ってのもバカにできないなとおれは思う。教養課程でやる高校の焼き直しみたいなこと自体が重要だというのではなくて、己の興味の赴くままにむちゃくちゃに触手が広げられる時期を若いころに持つのは必要ではあるまいかという意味ね。
 おれが思うに、高校あたりにも、もう少し哲学・思想方面から切り取るような、文科系志望者のための数学教育カリキュラムがあったっていいんじゃないかなあ。おれみたいな数学に不自由な連中の中にも「こういう話なら面白い」と思うやつは多いんじゃなかろうか。教材はやっぱりラッカーとか。

【11月8日(日)】
▼昨日触れた『ウルトラマンガイア』(TBS系)チーム・クロウの慧(石橋けい)をしっかりチェックしておこうとネットを漁ったら、あらまあ、けっこうその筋ではキャリアも名もある人だったのね。最強??石橋けいサイト『 I LOVE K 』なんてすごいマニアックなところを見つけて興味深く読んでいると、なんてことだ、おれはこの人を何度もほかの作品で観ているはずではないか。ティガにもダイナにも出てたのか。ティガは数えるほどしか観ていないから気づかなくても無理はないとしても、ダイナでたしかに観ているのに気づかないとは。TPCメディカルセンターの婦長さん(?)ではないか。「怪獣戯曲」98年5月30日の日記参照)のときにも「おお、この人いいな」と思っておったのだった。しかし、とても同一人物とは思えない。いや、女ってのはほんとに化けものだ。こんなに藝歴のある人だとは知らなんだ。『女優霊』にも出ているのか――って、おれはずいぶん怖い映画だと評判を聞いてるだけで観てはいないんだけども。作品によっていろんな顔に見えるってのは、いい女優さんの特徴だよね。しかも、この若さだ。「そんなこと役者なんだからあたりまえじゃないか」などと言わないように。実際はそうでもないでしょ? 同じような人物しか演じ(?)られない人はたーくさんいるもんね。いかん。いや、べつにいかんことはないんだが、久々にハマってしまったかも。石橋けい、ね。メモメモ。なんとなく洞口依子路線に近いものを感じるな。大ブレークこそしないかもしれないが、一部にやたらウケるタイプってやつね。
▼いいおっさんが小娘に現を抜かしている場合ではない、いかん、仕事をせねばと本読みをはじめたものの、ついつい別の本に逃避して一時間で読んでしまう。いや、買ってはいかん買ってはいかんというのに、ついついこの手が買ってしまった『真実』(葉月理緒菜、小学館)なんですけどね。ファン心理としては、こういうのは本人が書いていようがいまいが、なにが書いてあろうがあるまいが知ったことではなく、タレントのキャラクターが楽しめればいいわけだが、どうしてもまるで書評屋ででもあるかのように一歩引いて読んでしまう。まあ、これより気の利いた文章は、いくらでもウェブ上で読めると言っておこう。ファンでない人には、お薦めするだけ野暮というもの。少なくとも、おれが把握している“葉月理緒菜”なる女優のキャラクターと完全に一致した内容だったので、タレント本としてはよくできているのではあるまいかと思う。文字遣いに素人っぽさを残しながら、それでいて不統一がそれほどないのは、やはりプロの修正が入ってはいるのだろう。が、一応本人が書き下ろしていると見た。あまりにも文章が平板で、ファンでない人が読んだら途中で寝てしまうこと請け合いなのだ。『広告批評』95年12月号のインタヴュー記事「いまは仕事で勝負します」(聞き手:島森路子)によると(なぜ、こんなものがここにある?)、この時点で「今度は自分でも本を書いてみようと思ってて、実際ワープロで書き始めているんです」なんてことを言ってたから、ほぼ三年かかって書いたのだろう。ゴーストライターがでっち上げるタレント本だったら、このインタヴューで話題にするには企画の気が長すぎる。真田広之との関係で叩かれまくって“魔性の女”の名誉ある称号が定着したころであるから、出すとすればこのときに突貫工事で出していたほうがおいしい商売になったはずだ。また、イチローとの関係が話題になったころに第二のチャンスがあったのだし、ライターに書かせればそのときにも出せただろう。
 肝心の内容であるが、これが上記の『広告批評』のインタヴューと骨格はさほど変わらない。葉月理緒菜という人は、インタヴューだろうが対談だろうがバラエティー番組だろうが、首尾一貫して同じことしか言わないのである。おれがチェックしているかぎりではそうだ。本業以外には、もののみごとにサービス精神がない。マスコミのほうが右へふらふら左へふらふらとスタンスを変え、また、変えるのが商売だから、こういう芸能人はまことに忌々しい存在なのでありましょう。だから、葉月理緒菜ウォッチングは面白い。マスコミ側の動きが戯画化されて痛快なんである。あと、収穫といえば、そうだな、葉月理緒菜は納豆が好きだということがわかった。これはきわめて重要な情報である。ちなみに、原田知世も納豆が好きであり、だからどうなんだと言われても困るが、なにやら嬉しいではないか。
 とかなんとか、今日はすっかりミーハーネタに終始したな。くれぐれも言っときますが、この本はファンでない人にはまったく面白くないにちがいないからね。アドレナリンがお嫁サンバを踊り出すサービスなんぞは、かけらも期待してはいけない。さて、ミーハーはこのくらいにして、口直しにSFを読もう。

【11月7日(土)】
マダム・フユキの宇宙お料理教室(いつのまにか勝手にこう呼ぶことにした。草上仁氏に於かれてはご寛恕くださいますよう)には意外とファンが多いらしく、よく励ましのメールを頂戴する。が、「SFマガジン」「SFスキャナー」でおなじみの東茅子さんも同好の士でいらしたとは知らなかった。なんでも東さんは「冬休みの朝食の定番メニューとしてお餅にバターをつけて焼き、あまり固くなったりふくらんだりしていないものにジャムをつけて食べて」いたそうなのだが、「そのことを友人たちに話しても、全く理解してもらえない」と嘆いておられるのだ。自分の好きなものを嬉々として他人に話したところまったく理解してもらえないという話は、SFファンなら誰もが思い当たるはずである。バターをつけて炙った餅にジャムをつけて食うという画期的なアイディアに理解を示さぬ世間に、この日記の読者の多くは義憤を禁じ得ないと思う。惜しむらくは納豆が乗っていないところに少しく詰めの甘さが感じられるけれども、さすがは東さんだ。世間の無理解にもめげずジャムつきバター焼き餅を食い続ける東さんの健気さに打たれ、おれはメールを読みながら涙した。ジャムはふつうの人に理解されないからこそジャムなのだ。もっとも、このあたりは新・雪風シリーズの展開が気になるところではある。あれ、なんの話だっけ?
 さらにメールを読み進めると、「どうしても私には、私が納豆を食べるという概念が理解できないのです」などと東さんは謙遜しておられるのであった。なんと謙虚な人であろうか。なあに、東さんほどの人に理解できない概念があるとは思われない。ここを読んでさえいれば、あまりにうまそうな数々の納豆料理の描写にいつしか納豆なしでは生きられない身体になってしまうにちがいないから、自分は納豆が食えないといった邪悪な被暗示状態をそれほど気にかけることはありません。これからもどうぞお楽しみに。
『ウルトラマンガイア』(TBS系)は、女性ファイターチーム、チーム・クロウが登場。三人娘の基本的なキャラクター設定は『キャッツ・アイ』方式(そんなものがいつできた?)で安定感があるが、ちょっと品がないなあ。気が強いというのは、必ずしも品がないことではないと思うぞ。まあ、これからのキャラ作りに期待しよう。女優さんたちはなかなか美形だしね。とくにクロウ3の慧をやってるコは個人的に好みのタイプである(笑)。SPEEDの寛子が成長すると(あるいは、河合美智子を若くすると)ああいう感じになりそうで、西洋風の美形じゃない日本人ウケするカワイコちゃんだ。チーム・ファルコンも渋くていいんだが、これからはもっとクロウを出せってことになるだろうなあ。男の子やおじさんだけではなく、女の子にもウケるだろうし、むしろそれ狙いで出してるわけでしょ? おもちゃも売れるし。
 むかし、前野(いろもの物理学者)昌弘さん『美少女戦士セーラームーン』シリーズについて、「この手のものはたいてい悪役側がインフレを起こしてくるものだが、セーラームーンの場合、正義の味方側がインフレ状態になっている」と秀逸な指摘をしておられた。『ウルトラマンガイア』も登場人物が増えすぎると、そのあたりが心配である。なにしろ、一時期のセーラームーンなど、セーラームーン、セーラーマーキュリー、セーラーマーズ、セーラージュピター、セーラーヴィーナス、セーラーサターン、セーラーウラヌス、セーラーネプチューン、セーラープルート、ちびうさ(セーラーちびムーン)にタキシード仮面に、セーラースターファイター、セーラースターメイカー、セーラースターヒーラーのスターライツ三人組と(ああ疲れた)、正義の味方だけで十四人おったわけだから、正味二十三分の番組で単純計算なら、ひとりあたり九十九秒しか出番がない。まあ、出るときはいっぺんに出るから、これでもなんとか話が成り立っていたけれども、画面中が正義の味方だらけになっていた感は拭えない。人気のあるキャラを交替でフィーチャーしてゆくと、番組の本数が足らなくなる。スターライツなんぞ出してる時間があったら、もっと亜美ちゃんを出せと憤っていた人も少なくあるまい。おれはレイちゃん派であるが、あー、それはともかく、これではウルトラ兄弟が二クールに全員出てくるようなもので、いくらなんでも収拾がつかない。『ウルトラマンガイア』のファイターチームも、現時点で、ライトニング、ファルコン、シーガル、クロウとうようよ出てきているところへ、次回はチーム・ハーキュリーズというのがまた新たに出るらしい。おいおい、大丈夫か。
 で、今回のガイア突っ込みアワー(そんなものがいつできた?)でありますが、チーム・ライトニングのリーダー、梶尾が妙なことを言った。「ファイターの最高高度に気をつけろ」って、おいおい、その戦闘機はたしか空気力学的揚力だけで浮かんでいるのではなかったはずだぞ。原理はよくわからんが、我夢青年の作ったリパルサーリフトとかいう揚力発生装置のようなものを搭載していたんじゃなかったっけ? 百歩譲ってリパルサーリフトの存在に目をつぶっても(つぶるなー)、君が敵を迎撃していたところは、どう見たってスペースシャトルが飛んでるところよりも高い“宇宙空間”である。あの高度で方向制御ロケットも噴射せずにあれだけの高機動ができるスーパー戦闘機に“最高高度”もへったくれもあるものか。それから、クロウ2とクロウ3のお姉さん方、敵の射線上から左右方向に急速離脱するとき、身体の倒れる方向が逆だ。操縦棹を倒す方向に反射的に一瞬身体が傾くのはいいとしても、機が操縦に反応するや否や、離脱するのとは逆方向にGがかかるでしょうが。演技指導の人は自動車の運転免許がないのかな(って、おれもないけど)。それからそれから、惑星破壊機とやらの“吊り糸”が見えた。わざと見せたほうがマニアにウケるという高度な計算なのかもしれないが、おれはべつにマニアじゃないから嬉しくない。円谷英二が泣くぞ。あの画面なら、それこそ上下反転して“下から吊る”ほうが、いまの技術でも糸が消しやすいんじゃないのかな。
 と、これだけイチャモンつけても(まだあるんだが、やめとこう)、今回はなかなか面白かった。機械に頼ってる男どもが電磁波やレーザーでの通信を封じられて手も足も出ないのを尻目に、手話風サインの目視情報交換で編隊飛行する女性ファイターチームってのは、お約束のパターンにしても、やっぱり痛快である。こういうお約束は、場にハマってれば何度繰り返されても楽しいものであります。ねえ、デスラー総統?

【11月6日(金)】
▼商品券、ほんとに配る気かねえ? 子供と年寄りに配るって? おれがもらえるとしたら、金券ショップで現金に換えて、箪笥の奥にしまっちゃうけどな。禁止したって、絶対みんなやるってば。額面では多少損したって、使用期限なんかないほうがいいもんね。それなりの相場価格が形成され、たちまち現金になっちゃうに決まっている。それは折り込み済みなんだろう。換金された現金が銀行に流れ込めばまだいいが、郵便局や箪笥に流れ込んだら、なんの意味があるのだろう? いまの金利では銀行に預けるメリットはセキュリティ面にしかない。いや、銀行が潰れる確率のほうが、空き巣に入られたり家が焼けたりする確率より高いかもな。おれ自身は銀行口座を財布代わりに使っているから、金を下ろせるスポットがそこらじゅうにあるという点で銀行が便利だと思ってるんだが、子供や年寄りなら、郵便貯金や箪笥預金にする確率はずっと高いんじゃないの?
 たとえば、月に二万円ぶんは本を買う人が二万円ぶんの図書券をもらったとする。絶対に現金に換えないとして、使いみちはふたつある。「いつもより二万円ぶん多く本が買えるぞ」と喜んでそうするか、「今月は二万円ぶん現金を使わなくてすむぞ」と二万円の出費を抑えるかである。純粋に本が欲しくてたまらない人なら前者だろうが、仕事上必読の書籍をたくさん買わねばならないような人なら後者になるだろう。言うまでもなく、後者が多数派だったら、経済効果なんてない。おこめ券(と、ひらかなで書くと、なぜか関西人は一瞬たじろぐ)だとなおさら端的である。「いつもより二万円ぶん多く米が食えるぞ」と喜ぶやつは、よほどの大食漢以外にはいないのだ。「米が二万円ぶん浮いたから、たまには高級ワインでも飲もうか」と多くの人が考えてくれなくては、景気高揚の効果は期待できないだろう。何券を配るにしても、一般化して言うなら「いつもより負担が軽くなる」と思う人より「いつもよりちょっぴり贅沢ができる」と思う人がずっと多くないと、こういう政策にはほとんど意味がないのではあるまいか?
 そう考えると、子供や年寄りに配ろうなんてアイディアはおかしい。そうだな、どうせやるなら、十八歳から二十八歳くらいの人々を対象に、どーんと高額(五万円以上)を集中的に配るほうがいいと思うのだがどうか。そもそも、人様に強制的に金を使わせようという発想が気にくわないが、同じやるなら消費行動に於いてアクティヴな人々を狙ったほうがいいに決まっている。というのは、金を使うのにも、慣れとそれなりの技術がいるからだ。欲しいものをさらに見つけ出す能力があり、見つけ出すのに注ぎ込む努力を惜しまない人々に、つまり、さらに金を使いたい人々にさらに金を与えるのが最も効果的なはずである。欲望というものの本質を考えれば、あたりまえのことではないか。いちばん生活に困っていなさそうな層に金を配るのはいかにも反感を買いそうだが、商品券支給構想は、あくまで経済政策であって福祉政策ではないのだろう? ここまでなりふりかまわぬことをやろうというのなら、最大の効果を引き出すよう冷徹に考えるべきだ。なのに、政治と経済とをごっちゃにし、票田に右顧左眄したような虻蜂取らずの案が出てくること自体が笑止である。「この塀を黒に塗るべきだ」「いや白に塗るべきだ」とふたりから言われたとしたら、ひとりを敵にまわしてでも黒か白のいずれかに塗る決断をするのが政治家の仕事だろう。灰色に塗ったのでは誰の役にも立たない性質の問題は多いのだ。
 それはそれとして、どうしても配るつもりなら、おれにもくれいつもよりたくさん使ってさしあげるぜ。判別が難しいので現実的な案とは言えないのだが、もし可能なら、商品券はいわゆる“おたく”の人たちに配るのがいちばんよろしい。彼らには、金をさらに使う能力があるからだ。

【11月5日(木)】
宇宙開発事業団が、宇宙飛行士の向井千秋氏がスペースシャトル内で詠んだ短歌の下の句を募集している。あれは短歌だったのか。交通安全標語が七語調になっていることを知った外国人が「日本ではこんなところにも伝統的な詩の形式が生きているのか」といたく感心したという話を聞いたことがあるが、おれはてっきりそういう話を踏まえた向井氏が、ガイジンに対して半ばギャグでサービスしたのだとばかり思っていた。「宙がえり 何度もできる 無重力」って、ううむ、じ、じつに素直な歌でございますな。とても二の句が――いや、下の句が接げない傑作であるからして、正式に応募する自信がないので、適当に思いついたやつを発表してしまおう。お気に召したら、宇宙開発事業団の人にどつき倒される覚悟で盗作応募してもいいよ。

「宙がえり 何度もできる 無重力 真空ならば もっとできるよ
「宙がえり 何度もできる 無重力 ワシはクマより 強いんだぞう
「宙がえり 何度もできる 無重力 るできもどんな なんどもできる
「宙がえり 何度もできる 無重力 ところでこれは 本番ですか
「宙がえり 何度もできる 無重力 円広志も 喜んでいる

 最後のやつは若い人にはわからんかもなあ。『探偵! ナイトスクープ』(テレビ朝日系)のテーマソングを歌っている人としてしか円広志を知らない若者も多いかもしれないが、関西ではしょっちゅうテレビに出てるんやで。え? 『ミナミの帝王 劇場版スペシャル』にクレジット会社の社長役で出てた? よう見てはりますな。
 宇宙飛行士なるものはあらゆる能力に秀でたスーパー(ウー)マンだというイメージがおれなどには子供のころからある。でも、少なくとも文才でならいい勝負になるとわかって、なんだか嬉しいぞ。

【11月4日(水)】
▼姓名判断というものが、いかに当たらないかを身を以て実証してくれた人がいる。一昨日の日記を読んだ堺三保さんが試してご覧になったところ、“堺三保”というペンネームは、天格・地格・主運格・外格・総格のうち、主運格のみが△、あとは全部×、要するに、大凶運を約束するそうである。生運数から見た性格は「父性本能型」とやらで、なんでも「平和主義者で争いを好まず」「神秘的なものに強くひかれる傾向が強」いんだとさ。おれの知っている堺三保という人とは相当ちがう。あろうことか「実際に霊感のある人も多く、神秘的なものを大切にします」などと、どう考えても堺さんを侮辱しているとしか思えない結果である。あるいは、堺さんはほんとうは霊能者なのだが、商売に差し支えるのでひた隠しにしているのやもしれんぞ。SF映画やアニメのクレジットに「科学考証:堺三保(霊能者)」と出てきたら、なんともサマにならないもんなあ。その映画には『日本沈没』(むかしのね)の竹内均『ガメラ2』養老孟司みたいに学者が特別出演していてですな、やっぱりクレジットに出るわけですよ――「霊媒:大槻義彦(早稲田大学教授)」
三瀬恵さんのお好きな“納豆カレー”98年10月28日)であるが、横山貴史さんとおっしゃる、なにやらお金持ちっぽいお名前の方からのタレコミによれば(ア〜あ、すまんの〜、笑えよ〜)「CoCo壱番屋」というカレー屋にも“トッピング”に納豆があるのだそうだ。数年前、横山さんがそこでカレーを食べていると学生服の客が入ってきて、おもむろに「納豆バナナ、700g」と言ったとか。なんか、すごいね。わくわくしてくる。納豆とバナナだけでもすごいが、これをカレーに乗せて食うわけだろう。こういう人がいたから、人類は月に足跡を記したにちがいない。ひとりの学生には小粒の納豆でも、人類にとっては巨大なバナナだ。おれが新作料理を考えるときには、ある程度どういう味になるか予想して作るが、さすがにこればっかりはどういう味がするものか想像もつかんね。
 昨年、横山さんがお友だちにそれを食べさせようと同じ店に行ってみたら(自分で食べようとしないところが用心深い。こういう人は保険に入っても大丈夫だろう)「バナナは二年前に終わっちゃったんだよね〜」と言われたそうである。残念なことだ。しかたがないので、横山さんはそのお友だちに“納豆チーズカレー”を食べさせたところ、偉大な冒険者は言った――「ほんのり糸を引いているのが納豆で力強く糸を引いているのがチーズだ」
 カレーに入っているものといえば、せいぜい牛肉やらニンジンやらジャガイモくらいだと思っていたが、どうやらこの天地のあいだには、馬鈴薯の哲学では夢にも想像できぬことどもが存在するらしい。

【11月3日(火)】
▼以前から「あれは見るからに気持ちよさそうだなあ」と思っていたが、近所の有名量販店で特売してたので、ついに買ってしまった。ほれ、チューブを首に巻いて空気を送り込み首筋のストレッチをする器具があるでしょう。かなり前から通販の広告はよく目にしていて、「逆転の発想やなあ」と感心していたのだ。首の牽引をする器具には家庭用のものもむかしからたしかにあるけど、あまりにも大がかりで高いのである。タケコプターで頭を引っ張り上げれば多少は肩凝りに効くんじゃないかと以前(98年9月11日)書いたけど、このチューブ式のストレッチ器具は発想が逆だ。“牽引”するんじゃなくて、頭を“押し上げる”わけですな。世の中には頭のいいやつがいるもんだ。
 で、さっそく使ってみた感じはというと、これがまだよくわからんなあ。首が伸びるのは気持ちいいけれど、肩凝り等に対する効果は、そうそう短期的に表れるものではないだろう。気長に使ってみよう。それにしても、使用中の己が姿を鏡で見ると、そこはかとなく滑稽なものはある。どう見たって首長族だよ。「宅急便でーす」「はーい」などと、この姿のまま玄関の扉を開けたら、宅配の兄ちゃんは跳びのいて身構えるにちがいない。「警察ですが、ちょっと先日の鈴木さん宅の空き巣の件でお話をお伺いしたいんですが……」「はーい」などと、この姿のまま玄関の扉を開けたら、間髪を入れずに射殺されるだろう。
 最初から無理に圧力をかけてはいかんそうだから、じわじわ首を伸ばしてゆくことにしよう――って、ますます首長族みたいだ。これ考えた人も、絶対あれから発想したんだと思うなあ。いまにこれなしではいられないようになって、外したら窒息するようになるとか。おいおい。

【11月2日(月)】
▼なにやら最近、占いを捜しに平野まどかさん家に行っているような気がするが(ちゃんと本の話も読んでるんだよ)、性懲りもなく小林流数秘姓名学による姓名判断もやってみる。占いは数々あれど、姓名判断ほどアホらしいものはないのではないか。外国人はどうするのだろう。ま、くだらないけど、ちょいと遊んでみよう――

名前

5

16

11
生年月日 1962年 11月 30日
宿命運30歳まで30代40代50歳以後
吉凶指数
-25

天格(21-3)
吉凶指数
50

地格(11-2)
吉凶指数
-12.5

主運格(27-9)
吉凶指数
50

外格(5-5)
吉凶指数
50

総格(32-5)
総合評価:112.5点
吉 凶 表
生運数5
大吉数7,8
吉 数1,2,4
凶 数3,9
大凶数6
天格× 名声・財産などに恵まれるも、事故・遭難・災難・短命に見舞われる強運です。
地格○ 幸運に恵まれて勝利・人気・発展し、財産などに恵まれる吉運です。
主運格△ 権威があり意志強固に運命を開拓するも、短命・病弱・死別などの凶運です
外格○ すべてが順調に発展し、人望・名声・健全・有徳・円満の吉運です。
総格◎ すべてが順調に発展して勝利し、人望・名声・健全・有徳・円満の大吉運です。


 なるほど、おれはいま相当悪いところにいるわけだな。これからよくなってゆくばかりのようだけど、四十歳、五十歳まで生きるかどうかはわからんのだから、あまり嬉しくはない。なになに、生運数から見た性格は「悩殺理性型」だと? なんじゃ、それは――?

「あなたは多弁で利発に加えて文筆の才があり、誰とでもうちとける社交生を持ち、他人の説得力も十分で交友関係も多彩です。頭の回転が早く、何をしても無難にこなす器用人間です。知性、機知、独創的なアイデア等、異性に対しても素晴しい才能を持っています。」

 ほうほう、やや疑問もあるが、ハズレてはいないようだな。たかが姓名判断と侮ってはいかんかもしれん。

「しかし、ハートがやぶれるほど愛に溺れることができない理性派の面をあわせもっているため、何事にも飽きっぽく中途半端に終わってしまうろと[冬樹註:ママ]が多いはずです。」

 上げたり下ろしたり忙しいことだ。しょせん姓名判断、こんなこったろうと思った。

「恋愛に際しては、悩殺的な魅力で女性の自制心を水に浮かべた薄紙のごとく、たちまちのうちに溶解させますが、内面は意外にクールで自分の心は決して明かしません。結婚後の毎日が、家事だけの生活には、すぐに退屈するでしょう。趣味や娯楽・スポーツで緊張を緩めることが大切です。」

 わはははははははははは。聞いたか、聞きましたか!? 聞き落とした方のためにもう一度言うと、おれは「悩殺的な魅力で女性の自制心を水に浮かべた薄紙のごとく、たちまちのうちに溶解させ」るのだそうだ。どうやらおれが出会ってきた女性たちは、みな並みはずれた自制心の持ち主ばかりであるらしい。彼女らの自制心は、さながら水に沈めた鉄板のごとくに思われるのだが、おれの気のせいか?
 まあ、水ってのはつくづく特殊な物質で、長期的には水に溶けないものはないのであるから、気長に待っておればそのうち溶解する女性にも当たることだろう。できれば二軒めくらいで溶解してくれれば、安上がりですむので、そこんとこよろしく。

【11月1日(日)】
▼やれやれ、どうしていつも締切ぎりぎりに原稿を入れるのだろう。たしかに忙しいということもあるのだが、精神的な病気なのかもしれない。一日でも遅らせたほうが、なにか新しいことを思いつくような気がするのだ。実際には、最初の着想がいちばんましなことがほとんどなのだが……。というわけで、今日は終日 NIFTY-ServeSFファンタジー・フォーラム<読書館>本のミニ情報誌「本屋の片隅」と、今月の「SFマガジン」用の原稿を書いていたため、たいして面白いネタはない。今月の「本屋の片隅」は『リトル・ファジー』(H・ビーム・パイパー、酒匂真理子訳、創元SF文庫)なんて懐かしいのをやった。いま思えばピカチューだよね、こいつら。
▼とかなんとか言いながら、原稿書きの合い間にマンガを読んだりしているのである。我孫子武丸さんも先日のごった日記10月23日)で触れておられたが、コミック版の『玩具修理者』(漫画:MEIMU/原作:小林泰三、角川書店)はすごくいい。こんなのを描いてもらえたら、作家のほうも原作者冥利に尽きるというものだろう。原作に着かず離れず、マンガ家のオリジナリティーが存分に発揮されている。それでいて原作の風味をけっして損なわず、テーマの掘り下げすら行っているのだ。創作者同士の緊迫したぶつかり合いである。ええもん見せてもらいましたわ。


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冬樹 蛉にメールを出す