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Elephant(ゾウ)〔Gr.ejlevfaV

 シヴァShivaのトーテム獣。シヴァはゾウの姿になったり、ゾウを殺した神の姿になったりした。生贄を殺したあと、シヴァはゾウの皮をかぶって、自分がゾウのようになったが、それを「女神-妻に見られていた」[1]。『ウシ飼いの歌』という恋愛詩の中で、シヴァはクリシュナの姿となり、彼の女神-妻は性的に飽くことを知らない配偶者ラーダー、「雌ゾウ」の姿となった。一般にラーダーはゾウと呼ばれたが、それはゾウが性的精力が最も強いもののシンボルであったからだ。カーマ・スートラ(古代インドの性愛経書)は、最も大きい生殖器、最も貧欲な性欲を持つ人を「ゾウ男」と「ゾウ女Jと呼んだ。だが、ラーダーは、完全に人間で、女、すなわち「神、創造主までがお辞儀をする崇拝の対象[2]として描かれていた。

 雄のゾウは、しばしば「子をもうける人」、「父」あるいは「祖父」という添え名を与えられた[3]。釈迦牟尼はガネーシャという添え名のゾウの神と乙女マーヤーの間に生まれた。このガネーシャという名前は「万軍の主」の意味で、おそらく戦争のときゾウが使用されることに由来している[4]。歴史を勉強している者は誰でも知っていることだが、北アフリカの戦争の指導者はゾウの魔力が勝利には欠かせないと思っていた。そこでカルタゴの将軍ハンニパルは北からローマを攻撃するために、アルプスを越えてゾウを連れて行こうと主張した。これは、悲惨な戦術的判断の誤りで、結果はゾウも戦いもともに失うことになった。

 「万軍の主」のゾウ-神は北アフリカとエジプトでは盛んに崇拝された。そのために聖書のヤハウェにも同じ添え名が使われていた。紀元前5世紀には、ヤハウェはエレファンティーネの神聖都市では、ゾウ神と同一視されていた[5]。そこに駐屯したユダヤの傭兵は、処女母(virgin mother)ネート(古代エジプトの戦闘の女神)すなわちアナテのゾウ-配偶者と、彼らの神は同一人物だと主張した。この2人の神は当時ナイルの源と呼ばれていた場所で、雄と雌のゾウとしてトーテムにされた[6]。昔、エジプトではゾウは性を象徴する神として崇められていた。ゾウを示すトーテムの旗と象牙の加工品が王朝時代以前に出現していた[7]

 ヤハウェがゾウ崇拝に関係あることをユダヤ-キリスト教学者たちは、無視する傾向があった。それは、フックが言うように、「カナアンのパール神たちすべてと同じに、ヤハウェに女の配偶者があると考えられるという提言を受け入れることは、当然ながら、ほとんどの人(すなわち男)の反発を買った」からだ。伝えられるところによると、この当然の反発以外には理由もないのに、エレファンティーネにおける神聖な結婚の証拠は隠されてしまった。それでも同じ筆記者は、ヤハウェはその昔、パール神の1人であり、聖書の中でもパールと呼ばれていることを認めた[8]

 ヤハウェの息子のエジプトへの逃避行と奇妙に似た例が、仏教の図像にも発見されている。聖母が、百姓の服装をしたシヴァに導かれて、腕にゾウ-頭の神の子、すなわち再生したガネーシャを抱いて白い雄ウシに乗っている姿が示されている[9]。おそらくこの再生した神の起源ともなっているエジプトの神がピヒモスBehemothの名前のもとに聖書に登場したものだろう。ピヒモスはもっと後の西欧の神話では、ゾウ-頭の悪魔になった。

 ゾウは今も仏教の豊穣の儀式において神聖な結婚を象徴している。修道僧が、色を塗った白ゾウを連れて厳かに行進し、女の服を着て、わいせつな冗談を言う男がそのあとに従う。「この儀式的女装を通して、男たちは宇宙的な女性原理、すなわち自然の、母性的で、子供を生んで育てる力に敬意を表する。そして、卑猥な言葉を儀式的に発することによって、生命のカの眠っていた性的エネルギーを刺激する」[10]。異性の服装をすることや、みだらな言葉を吐くのに似たことは、世界中いたるところで豊穣の儀式に見られるのである。


[1]Zimmer, 173.
[2]Campbell, Or. M., 352.
[3]B. Butler, 224.
[4]Campbell, Or. M., 307.
[5]Graves, W. G., 405.
[6]Ashe, 31, 59.
[7]Budge, G. E. 1, 22.
[8]Hooke, S. P., 104, 182.
[9]Ross, 47.
[10]Zimmer, 108.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 ganesha.jpg西洋・東洋〕 西洋人にとって、ゾウが、重さと不器用の生きた象徴であるのに対し、アジアでは、ゾウについてまったく異なった観念を持っている。

ヒンズー教〕 ゾウは、王たちの乗り物であり、何よりもまず天界の《王》たる〈インドラ〉の乗り物である。したがってそれは、王の力を象徴する。ゾウは、また、そのさまざまな至高の機能の点で、〈シヴァ〉の名ともなる。確固たる王権の成果とは、平安と繁栄である。「ゾウ(マ一夕ンギー)の力は、その加護を祈る者たちに、彼らの欲するすべてのものを与える」。多くの地域、ことにモンスーンの地域では、この恵みは雨の恵みを意味し、それは《天》の恩恵である。シャム(タイの旧称)やラオス、カンボジアでは、白いゾウが雨と豊かな収穫をもたらす。なぜなら〈インドラ〉は雷雨の神でもあり、ゾウはその頭上に稲妻の閃光を発する宝石を持っているからである。

 ゾウは、また、重さではなく、安定性と不易性のシンボルである。〈ヨーガ〉は、ゾウを〈チャクラ・ムーラダーラ(根のチャクラ)〉に帰すが、その場合、ゾウは、必然的に四大の「地」とオーカー(黄土)色に対応することになる。ゾウは、また、「不易者」たる〈ボーディサットヴァ・アクショープヤ(不動菩薩)〉のともをする。タントラ教のいくつかの〈マンダラ〉では、ゾウがあるときは基本方位(東西南北)の門に、またあるときは中間方位(北東、北西、南東、南西)の位置に描かれている。ゾウがその位置に見出されるのは、アンコールでも、オリエントのメボンでも、バコンでも同様である。

 ゾウは、地上的空間の、各方位に対する、王の「中心点」の支配を意味する。ゾウが、数あるシンボルの中でも、〈ヴアースデーヴァ〉(「三界の主神」としての〈ヴイシュヌ〉)のかたわらにいることは、地上の世界に対する、その至上権を示しているように見える。

 ゾウは、また知恵のシンボル〈ガネーシャ〉(ゾウの頭と人間の身体を持つ神)のイメージを喚起する。ガネーシヤの人間の身体は、小宇宙であり示現である。その象頭は、大宇宙であり非示現である。この解釈に従えば、ゾウは事実「始まりにして終わり」であるが、これはいうまでもなく、〈オーム〉という音節(すなわち非顕在)から出発する顕在的世界の展開の始まりと、〈ヨーギ〉(ヨーガ行者)の内的実現の終わりとを意味する。〈ガジャ〉(ゾウ)とは、〈アルファ〉にして〈オメガ〉なのである。

仏教〕 ゾウのシンボリズムは、仏教教義中にもよく用いられる。王妃マーヤーがプッダをみごもったのは、1頭の子ゾウによってである。ゾウはここで「天使」の役割を果たしているが、もし我々が、ゾウは《天》の作用と祝福の仲介者であることを知っていないとすれば、この話も突飛なことと思われるであろう。ゾウは、ときに、それだけでブッダの懐妊を意味する象徴として示されることもある。また別の場合、支柱の天辺にいるゾウは、《覚醒》を想起させるが、これは、ガネーシヤによって表される知恵のシンボリズムに通じる。最後に、これと非常に近い表意作用になるが、ゾウは〈ボーディサットヴァ・サマンタバドラ(普賢菩薩)〉の乗り物であり、ここでもやはり知恵の力をはっきり表している。ついでにいうと、たけり狂ったゾウ〈ナーラーギリ〉のエピソードでは、(ゾウによって)暴力が表現されている(DAMI、GOVM、GROI、KRAT)。

インド・チベット〕 雄ウシ、カメ、ワニ、その他の動物と同様に、ゾウは、インドとチベットにおいて、世界を支える動物の役割も果たす。すなわち、世界は、ゾウの背中の上に乗っているというのである。多くのモニュメントで、ゾウは女像柱になっている。ここでも、ゾウは、宇宙を支えているのである。ゾウはまた、天空を支える4本の支柱という宇宙の構造を自ら保持している点でも、宇宙的動物とみなされている。

アフリカ〕 アフリカでは、バウレ族の信仰によると、ゾウは、力と繁栄と長寿と知恵を象徴する。エコイ族にあっては、ゾウは、狂暴と醜悪のシンボルであり、ビアフラのイボ族は、エクペ崇拝と社会制度をそのエコイ族から借用した。しかし、シンボルは、ここでは隠喩のレベルをほとんど越えていない。

隠喩〕 同じく隠喩のレベルに属する話であるが、ゾウは、その体の大きさだけに着目するなら、王者のく権力〉の象徴となり、その不信と警戒心に着目するなら、〈狂気と不用意を避ける王者〉の象徴となる。また、プリニウスとアユリアメスのいうところを信じるなら、〈敬虔〉の象徴となろう。「私が、人から聞いたところによると、新月の夜に、ゾウたちは、何かある自然の神秘的な霊に動かされて、自分たちが餌を食む森から折ってきたばかりの木の小枝を運んできて、それを高く掲げ、を天に向けながら、その枝を静かに動かすが、その様子は、まるで女神に好意と慈しみを持って応えてくれるように祈りを捧げているようであった」。また、アリストテレースによれば、ゾウは、その雌が仔を宿す間(2年間)、雌に近よらず、他の雌とも交尾しない。そればかりか、不義を働くものに復讐さえするというが、もしこれが真実なら、ゾウは〈貞節〉の象徴ということにもなろう。この話を描いた17世紀のある版画は、イノシシと闘うゾウを、リビドーに対する羞恥心の象徴として示している(TERS, 153-155)。
 (『世界シンボル大事典』)


 画像出典:The Eccyclopedia Mythica