スカンジナヴィアや中東地方の伝承には、神がイノシシに化身して生贄となる話がよくあるが、それはインドのヴィシュヌ崇拝から起こったことであった。ヴィシュヌはイノシシに化身して自らを生贄とし、そして世界を創造した。ヴィシュヌが言うには、自分が化身したイノシシの血には創造する力があるが、昔は母親の血だけがそうした力を持っていた、という。「神々も生き物も生贄を捧げて初めて現れる。生贄が彼らの定められた食物であるからだ。万物はつねに生贄から生まれるのである。この全宇宙は生贄で造られるのである」。ヴィシュヌは月経中の大地母神とあえて交合して、イノシシに化身する3人の息子を生んだ。この息子たちも「オームOmを口から発する神々」によって生贄とされた[1]。オームとは創造の御言葉で、祈祷をするときに用いる聖句である。神秘的な力を持っていた。
ヴィシュヌがイノシシに化身するということは、万物を創造する聖なる生命の血、つまり女神の溶媒(錬金術で卑金属を金に変えるものをいうが、これは精子を胎児にするのは子宮内の経血によるものだという発想からきたもの)を男性に再び与えようとしたことを表したものであった。人類のために自分の生命を与えた男根神として、ヴィシュヌは、女神とともに、ゲルマン系アーリア人に崇拝された。タキトゥスによると、アーリア人は「神々の母親を崇拝し、宗教的なシンボルとして、イノシシを表すしるしを身に着けた」[2]。
こうしたゲルマン系のイノシシ神は最後の審判の日を避ける救世主であり、「死神」となった。この神は人間の姿をとることもあり、また、ブタ(イノシシはブタの原種)の姿をとることもある。「太古の昔に……神々の種族から生まれたものである」。この神は、大地と海を母親とし、イノシシの血を父親として生まれたへイムダルと同一視された。「彼は強い神であったが、それは大地の力強さと、海の冷たさと、生贄となったイノシシの血のためであった」[3]。すなわち、たいていの神々と同じように、彼も死んで再生したのであった。
イノシシ神は、とくに、クリスマスの季節に、リンゴを口にくわえさせられて、生贄となった。それは、リンゴは再生のまじないとなるものであるということがスカンジナヴィア人に信じられていて、リンゴは神の再生する心臓-霊魂を象徴するものであったからである[4]。このために、昔から、クリスマスの季節のブタはリンゴを口にくわえさせられて焼かれた。ブタ肉を食べる祭式の背後にはこうした隠れた意味があったのである。「ヴァルハラのイノシシ」は大なべ(再生の子宮のシンボル)で料理された。古代スカンジナヴィアの宮廷詩人たちは、「ヴァルハラのイノシシは極上の肉である。しかし、ヴァルハラの戦土たちが何を常食としているかを知っている者はほとんどいない」、と歌った[5]。もし思いきって推量してみるならば、ヴァルハラの戦士たちは人間の肉を常食としていた、とも思える。そしてイノシシはその代用であったのだ。スウェーデンの聖職者たちはイノシシの仮面をかぶったが、それはプレイの、またフレイアの夫たちのこの世の姿とも考えられた。そして母神と結婚し、同時に、イノシシとして、また人間として死んだ生贄神と同一であることをそれによって示したものでもあった[6]。
ユダヤ人がブタ肉をタブーとした理由は、旋毛虫病を恐れるほど衛生学的なものでもなく、また合理的なものでもなかった。それは、現代のある護教論者たちが言わんとしたように、聖書の精神を全く誤解したからであった。レナック氏は次のように言った「聖書全体を見ても、不浄の肉を食べると病気が流行するとか慢性化するなどということは1例もあげられていない。聖書を記した人々にとっては、現代の未開人にとってと同じように、病気というのは超自然的なものであって、霊が怒ると現れるものであった。敬虔なユダヤ人がブタ肉を食べないのは、遠い5、6000年もの昔の祖先たちがイノシシをトーテム獣としていたからである」[7]。
近隣の人たちと同様、ユダヤ人は生贄となったイノシシ神を崇拝した。シリアのアドーニスはそうした神の1例である。イノシシはシリアではアスタルテーに捧げられ。ギリシアではアスタルテーに当たるデーメーテールに捧げられた。デーメーテールをたたえるエレウシースの秘儀では、死の神プルートーンが処女の花嫁コレーをつかまえたときに生贄となるイノシシを、「大地の裂け目に落ちたブタ」であるとして、神話化した[8]。デーメーテールやアスタルテーの秘儀におけるのと同じように、生贄のブタを穴に追い落とす習慣は、キリスト教の福音書に、ガダラのブタの奇跡の話として載っている。ブタは「げがれた霊ども」によってむりやり生贄とされて死んだが、イエスが仲に入って再び持ち主に返された(『マルコによる福音書』5:11-13)。
タンムーズ、アッティス、アドーニスの神話を見ると、こうした神々はやがて死ぬことになるが、話の特徴としてイノシシ、あるいはイノシシの皮を身にまとった聖職者と関係があることがわかる。その聖職者たちはイノシシに身をやつして神を殺したのである。上掲の神々はイノシシの牙で鼠径部を突き通されたが、これは去勢の儀式を言っているのである[9]。彼らは女神に仕える聖職者たちの中から女神の愛人に選ばれたのである。アドーニスを生贄として葬った者は女神のもう1人の愛人アレースで、アレースはイノシシの皮をかぶっていた。アッティスを生贄として葬って去勢したのはアッティスの聖なる分身であるイノシシで、このイノシシを送ったのはゼウスとも、またプリュギアの王とも言われた。この王とイノシシは同時に同じ身体に化身しているものと思われていた[10]。アッティスは、キリストと同じく、死ぬときは息子で、のちに、初め彼に死を宣告した父として再生した。同様に、イノシシの化身であるヴィシュヌはイノシシに化身する息子たちに死を宣告した[11]。ある神話によると、アッティスもアドーニスと同じようにイノシシに突き刺されて死んだ。アッティス自身がイノシシで、イノシシは彼の王位を表すトーテム獣であった、という神話もある[12]。
マレクラによると、生贄になる動物はもともと昔は救いの主、あるいは人間の身代わりだと見られていた、という。母なる死の神は死後の世界の門番である。人間はブタを生贄として俸げることによってこの神の注意をそらして、門を通らなければならない。神がそのブタを貧り食べている間に、人間はその神のそばをくぐり抜けていく[13]。救い主であるブタを生贄として捧げて、そして実際にそれを食べて自分の身体の一部にしてから、その人間は「生きているのはもはやこの私ではなくて、私の中に生きている私の生贄である」、と言う[14]。キリスト教徒も、同じく、神を聖体拝領として食べた。そして天国の門のところで、「もはや私ではなく、キリストである」と言うように教えられた。
昔のこうしたイノシシを祀る祭儀というものはすっかり忘れられてしまったわけではなかった。中世の妖精物語には魔法のイノシシの話が多い。そしてそのイノシシは生贄獣としてしばしば姿を現す。魔術を主題にしたフランスの最初の本であるド・スピナの『信仰の要塞』を見ると、フランスの魔女たちはある聖なる岩のところに集合して、イノシシの姿をした悪魔を崇拝した、という[15]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
現在のブタは新石器時代、人類の農耕開始とともに、中国、インド、西アジア、ヨーロッパでそれぞれ土着のイノシシを馴化して、家畜にしたものであるとされている。イノシシがブタの祖先種であることは、染色体が同じく三十六であり、どちらを雄にしても雑種が生まれ、その雑種の一代目は、雌雄ともに正常な繁殖能力を有することなどから、間違いないとされている。家畜の中でもブタはその飼養が古いのにもかかわらず、今でも祖先種であるイノシシが世界各地に広く生息しているのが特徴である。イノシシなのかブタが野性化したかで論争の原因となつているパプアニューギニアや、ポリネシアのイノシシ、さらに沖縄のリュウキュウイノシシ等がある。(『トン考』p.42)
そのせいであろうか、言語の上でイノシシとブタとの明確な区別をつけにくい。英語でも、Boarはイノシシをさすと同時に、去勢されない雄ブタをさす。去勢されたブタはhogである(雌ブタはsow)。ギリシア語では、雄と雌は定冠詞の性で区別するが、雌ブタの場合には、devlfaxなど、子宮を含意する特別な言い方がある。
〔象徴・精神的権威〕 イノシシの象徴体系は、きわめて古い起源を持ち、インド・ヨーロッパ世界の大部分に広がり、いくつかの観点からはその範囲を越えている。この神話は、「ヒュペルボレイオス人」の伝承に由来する。そこではイノシシは精神的権威なのである。そのことは、ドルイド僧やバラモン憎が森に隠遁するのと関係がありそうだ。あるいはイノシシが、昔の言い伝えによれば、雷の神秘的な産物であるショウロ(トリュフ)を地中から掘り出したり、聖木のカシワの実を食糧とする特性とも関連づけられそうだ。イノシシと対照的なのがクマで、地上の権力の象徴とされる。ガリアでもギリシアでも、イノシシは〈狩り〉の対象にされ、殺されさえする。世俗によって追い詰められる霊的なものの象徴である。
中国でも、イノシシはミャオ族の象徴であり、クマは夏(407-431)の象徴である。ミャオ族は中国の伝承の古型の代表者である。イノシシは戦士の后ゲイ[羽+廾]により捕らえられるか追放される。ヘーラクレースはエリュマントスのイノシシを捕らえた。メレアグロスはテーセウスとアタランテーの助けを得てカリュドーンのイノシシを狩る。ここでは明らかに周期の象徴が見られる。1つの支 配が終わって別の支配が始まり、1つの〈劫〉から他の〈劫〉へ移る。現在の周期はヒンズー世界では「白いイノシシ」の周期とされる。
〔インド〕 イノシシは「ヒュペルボレイオス」の、したがって「原初」の性格を持つ。〈アヴァターラ〉(化身)であって、その姿で、〈ヴィシュヌ〉神は、大地を水の表面に連れだし、組織した。イノシシ(ヴァラーハ)はまた、〈ヴイシュヌ〉神であって、〈シヴァ〉神の〈リンガ〉にほかならない火の柱の根元を求めて地面にもぐる。一方、〈ハンサ(ガチョウ)・ブラフマー〉は、柱の頂上を天に求める。だから大地は非常に一般的に〈ヴァラーハ〉(ヴイシュヌ)の属性とみなされ、その保護下、またはその腕に抱えられた原初の「聖なる土地として現れる」。
〔日本〕 別の面もある。日本ではイノシシは黄道帯の動物であり、勇気、さらには無鉄砲と結びつく。戦いの神の乗り物である。イノシシは野生のブタであって、黄道十二宮の最後の動物に属する。したがって日本では、勇気と無鉄砲の象徴なのである。和気清麻呂を祭った神社にはイノシシの小像がある。戦いの神の宇佐八幡自身も、ときにイノシシに跨がった姿で示される。
〔仏教〕 仏教で、《輪廻》の中心にイノシシが現れるとしても、黒い動物の姿であり、これは無知と情欲の象徴である。ときにブタとして表されることもあり、イノシシの意味を曖昧にしている。イノシシの象徴的意味が高貴であるのに反し、ブタは卑しいからだ。野生のブタは、野放図な放蕩と粗暴の象徴なのである(BHAB、DANA、GOVM、GRAD、GUES、MALA、OGRJ、PALL、VARG)。
金剛乗(ヴァジュラヤーナ)では、「金剛の雌イノシシ」が重要な役割を演じる。雌イノシシは、〈ヴァジュラ・ヴァーラーヒー〉(〈ダキニ金剛豚母〉)の属性であり、これは《悟り》の女性的側面を表す。たいてい深紅色で、雌イノシシの小さな頭は、右耳の上に、まるでこぶのように見える。この女神はへーヴァジュラおよびサンヴァラ尊の系列に属し、その陪神であるらしく、空性および中央の細い通路(スーシュムナー)の実現と同一視されるべきである。この通路の中では至福が解き放たれるよう息が集められる。
〔ケルト〕 イノシシは、ガリアの軍旗に非常によく表れる。とくにオランジュの凱旋門やガリアの硬貨に刻まれている。青銅でできた奉納のイノシシはかなり多く、また石の浮き彫りに多く見られる。しかしイノシシは、戦士の階級とはまったく関係がない。あるとすれば聖職者階級の象徴として、戦士の階級と対立させる場合だけである。イノシシは、ドルイド僧と同じように森と密接な関係がある。ドングリを糧とし、雌イノシシは象徴的に9匹の子供に囲まれながら、不死の木であるリンゴの木の根元の地面を掘り返す。イノシシはブタと混同され、それにほとんど区別がつかない(ケルト族は実質的に野生の状態でブタの群れを飼っていた)。サウイン祭では〈生贄の糧〉であり、ルフ神に捧げられる。神話に属するいくつかの話では、魔法のブタが登場し、あの世の祝宴において常にミディアムに焼かれ、決して減らない。大サウイン祭の11月1日には、主食はブタ肉である。ラングルのガロ・ロマンの碑文では、〈モックス〉(ブタ)がメルクリウスのあだ名であった。イノシンの〈トゥルフ・トルイス〉twrch trwyth(アイルランド語では〈triath〉「王」)はアーサー王と対立し、信仰の衰退した時期に王権と戦う〈聖職者階級〉を表した。ルフ神の父キイアンは、「ドルイドのブタ」に変身し、追っ手を逃れた。しかし人間の姿で死ぬ。
どの場合でも、キリスト教の影響を受けたアイルランドの古文書でさえ、イノシシの象徴体系は悪い意味を含まない。その点でケルト世界とキリスト教の一般的傾向との間には矛盾がある。連想からデューラーを思い出さざるをえない。彼はキリストのまぐさ桶の傍らに、ウシとロバでなく、イノシシとライオンを置いた(CHAB、173-175:OGAC、5、309-312;LOTM、1、310以下;STOG、34)。
〔キリスト教〕 キリスト教の伝承では、イノシシは悪魔を象徴する。食い意地が張って好色なブタと比較されたり、その血気盛んな有り様が激しい情念を思い出させるからでもあり、また畑や果樹園やブドウ畑を食い荒らすせいでもある。
(『世界シンボル大事典』)