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雄牛(Bull) 〔Gr. tau:roV

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 聖書で「神」 Godと訳されている添え名はエルElであるが、このエルは本来は「人類の父」と呼ばれたフェニキアの雄ウシ神の添え名であった。「セム族の神々の至高神として、エルはその地その地の神々、つまりパール神とともに、シリア各地で崇拝された。そして、エルの添え名の1つに、実際、『雄ウシ』というのがあった」[1]。白い- 雌ウシ神であるヘーラー-エウローペー-イーオーであった雄ウシ神ゼウスと同様、エルもアシュラAsherah(セム族の聖なる雌ウシ)と結婚した。エルは太陽神エリアス、すなわちへリオスと同一視された。エルはイエスの時代になっても、なお、セム族の人類の父であって、イエスは十字架上からエルに向かつて叫び、エルを父と呼んだ(『マルコによる福音書』 15: 34)。

 古代ではほとんどすべての神々は、遅かれ早かれ、雄ウシに化身した。クレータ島のミーノースというを象徴する王はミノタウロスというを象徴す雄ウシ群の中につぎつぎと宿った。そしてその雄ウシたちはミーノースの身代わりとして生贄に供された。ヒンズー教のの神であるヤマは雄ウシの頭をしていて、ミーノースと同様、冥界における審判者になった[2]。シヴァは白い雄ウシであるナンディに化身した[3]。ネブカドネザル王が「草を食べた」本当の理由は、おそらく、彼の霊魂がひととき聖なる生贄の雄ウシの体内に入ったからであったろう(『ダニエル書』 4: 33)。イスラエルの王たちに仕えた宮廷の予言者たちは、雄ウシの仮面を着けて、王になり代わり、戦いに勝つためのまじないをかけた(『列王紀上』 22:11)[4]

 雄ウシ崇拝はミトラ教の核心であった。雄ウシの血は、雌ウシの助けを借りずに、地上に万物を創造するカがあるものと信じられた。しかし、雄ウシの血を取って、がそれに呪術をかけた、ということを考えると、雌ウシの力も暗に働いていたとも思われた。雄ウシはペルシアの女神アナヒーターに捧げられた。ギリシア人はアナヒーターをアルテミス・タウロポロス(「雄ウシ殺戮者」)と呼んだ。雄ウシを殺す救世主ミトラMithraはこのアルテミスを後代になって男性化したものである[5]。父権制社会のたいていのシンボルもそうであったが、ミトラ教のシンボルもアジアの女神にまつわる神話から取ってきたものであった。エローラの洞穴にあるカーリーの像はミトラ特有の姿態を示している。すなわち、生贄になるウシの鼻面をつかみ、いまやまさにそのウシを殺さんとしているのである[6]

 アッティスキュベレー、ミトラの祭式において、ローマでは雄ウシの供犠が行われたが、そのとき、血の洗礼をするために雄ウシが殺されたのであった。「深い掘割」が掘られて、その上に穴や裂け目のある厚板が張り渡された。そしてその上で生贄のウシが殺され、その血が掘割の中にいる入信者の上にしたたり落ちた……入信者は振り向いて頭を上に向け、その血が唇、耳、、鼻孔にしたたり落ちるようにした。舌をその血で湿らせて。それから、その血を聖餐のように飲んだ。こうした洗礼式を見ていた人々に迎えられて、入信者は血の洗礼を終えて掘割から出てきた。そして罪の汚れが清められ、再生して永遠の生をこれから生きるのだ、と信じた」[7]。こうした雄ウシの供犠に参加した人々は、キリスト教徒が仔ヒツジの血で洗うと言っていることを、文字通り、実行したのであった。

 エジプトの救世主ウシル〔オシーリス〕は、エジプトの-雄ウシであるアーピス-ウシル〔オシーリス〕として、雄ウシの姿で崇拝された。そしてその地域の罪を償うために、毎年、殺された[8]。ウシル〔オシーリス〕はその再生の犠式においては、黄金の仔ウシ、ヘル〔ホルス〕としてその姿を現した。ヘル〔ホルス〕は黄金の雌ウシをその像とするアセト〔イーシス〕から生まれたものである。アロンの下にあったイスラエルの人々も同じような黄金の仔ウシを崇拝していた(『出エジプト記』32: 4)。

 オルペウス教の神ディオニューソスも雄ウシの姿をしていた。ディオニューソスが早くに化身したもののうちの1つに、クレータ島の雄ウシ神ザグレウスがある。ザグレウスという名前は「みごとな雄ウシ」という意味で、彼はゼウスの息子であり、またゼウスが再化身した者であり、そして彼もまたミノタウロスであるとも言われている。ディオニューソスは地上では雄ウシ、再生の場である冥界ではヘビであった。オルぺウス教の定式文句に次のようなものがあった。「雄ウシはヘビの父親であり、ヘビは雄ウシの父親である」[9]ディオニューソスはくり返し何度も新しい肉体に生まれ変わった。そのためディオニューソスをペルシアのメシアMessiahと同一視する人もいた。『エノク書』(偽典の中の1書)では、メシアは白い雄ウシとして表されている[10]

 モイラたち、すなわち運命の三女神についてのアテーナイの伝説では、人間はすべて、遅かれ早かれ、運命の女神の手にかかつて死ぬと宣告される生贄の雄ウシにたとえられた。中世の迷信では、運命の女神はモーラMoraと呼ばれた。モーラは夜の精で、世界をさまよっては人間どもを捕らえ、入院が「雄ウシのようにほえる」まで打ちひしいだ、という。モーラは、また、キリスト教化されて聖マウロMauraとなった。聖マウロの日には女性は縫いものをしてはいけないとされた。それは、モイラたちのように「生命の糸を切って」しまうといけないからであった[11]

 中世イングランドでは、公現祭前夜の祭儀に雄ウシ崇拝の名残りが見られた。中央に穴のあいた大きなケーキをウシのに投げかけたのである。これは男根に女陰がからんだことを表す。そしてそれからウシをくすぐると、ウシはそのためにかぶりを振った。もしケーキがうしろに飛ぶと、そのケーキはそのウシの飼い主の女性のものとなり、前に飛ぶと土地管理人のものとなった[12]。こうしたことは古代の占いのならわしに由来したものであったと思われる。超自然界にすでに捧げられたすべての供犠の生贄と同じように、雄ウシも予言能力があると信じられていたのであった。


[1]Larousse, 74.
[2]Campbell, M. I., 409.
[3]Campbell, Or. M., 90.
[4]Hooke, S. P., 160.
[5]Cumont, M. M., 20, 137.
[6]Ross, 40.
[7]Angus, 94-95.
[8]Budge, G. E. 2, 349.
[9]Legge, 39.
[10]Hook, S. P., 138.
[11]Lawson, 175.
[12]Hazlitt, 603.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 "bull"は英語で雄ウシ。去勢された雄ウシは"ox"〔複数"oxen"〕。雌ウシは"cow"。仔ウシは"calf"〔複数"calves" ギリシア語は"movscoV"〕。ウシ一般を指すときは"cattle"である。ギリシア語では、ウシ(bou:V)を男性名詞にして雄ウシ、女性名詞にして雌ウシとして区別することもできる。

一般〕 雄ウシが喚起する概念は、抗し難い力と激情である。雄ウシは、「血気にはやるオス」を、また迷宮の番人である、恐ろしい《ミノタウロス》を連想させる。それは『リグ・ヴェーダ』の、獰猛で怒号する〈ルドラ〉(暴風神)である。ルドラの、あふれ出る精液は、大地を肥沃にする。大部分の天上の雄ウシ、とくにバビロニアの〈エンリル(暴風神)〉の場合もそうである。

旧約〕 〈創造力〉のシンボルである雄ウシは、エル神を表した。エルは、ブロンズ小像になって、杖や竿の先端につけられた。〈金の子ウシ〉と同じように、携帯用の旗じるしだったのである。こうした、宗教的エンブレムの原型は、紀元前3000年の初頭まで、さかのぼる。パレスティナに移住した、ヘブライの族長たちが行っていたエル崇拝は、モーセによって追放された。しかし、エル崇拝は、ダビデの時代まで残った。聖なる雄ウシ像からも、このことがわかる。この像は、同じ時期のエジプト美術から影響を受けたものだ。カイロ美術館にある、ファラオ、ナルメルの治痕竿には、このような像が表示されている。メソポタミアの、シリアで行われた、マリ戦争の旗じるしだったのだ。アナトリア中部の高原からも、同じ像が発見された。

ギリシア・神話〕 ギリシアの伝承だと、野生の雄ウシは、とめどない力の爆発を象徴した。雄ウシは、海と嵐の神ポセイドーンや、豊餞の男根神ディオニューソスに奉献された動物である。「猪突猛進の激しさを持つ高慢な動物」と、ヘシオドスはいっている(『神統記』832)。ゼウスは、輝くばかりの白い雄ウシになって、エウローペーを誘拐している。彼は、若い娘のそばに忍び寄り、足下に身を横たえる。娘は、動物を愛撫し、背中にまたがる。またたく間に、娘は拉致される。動物は、天を目指して海を渡り、娘をクレータ島で降ろしてやる。2人はそこで結ばれる。伝説によると、2人は3人の子供をもうけたという。

インド・地中海・神話〕 雄ウシ、もっと一般的にいうと、ウシ類は、インド・地中海一帯では、天の神々を表す。天の神、ウラノスの疲れを知らない、乱脈な性欲が、雄ウシの繁殖力と似ているためである。ヴェーダの神インドラ(軍神)も、雄ウシと同一視される。イランや近東で、インドラに当たる神々は、さらに雄ヒツジや雄ヤギにたとえられる。それだけ、「雄々しく戦闘的な心、〈もって生まれた血気〉のシンボル」なのである(バンヴェニスト、ルヌー、ELIT、82から引用)。『ヴェーダ賛歌』では、雌ウシが神のようにたたえられている。この場合、雌ウシはウシ類一般の象徴的意味で理解されている。

……雌ウシは天の海で踊った
そして詩と音楽を届けてくれた
雌ウシは戦争で生贄にされた
そして生贄から妙案が生まれた
……雌ウシはすべて
神々、人間、阿修羅、祖霊それに予言者。
さらにまた
……雌ウシには摂理と
聖徳と宇宙の灼熱が宿る
しかり、雌ウシは神々を生かし
雌ウシは人間を生かす。
 (VEVD、262-263)

 《宇宙の灼熱》と同一視された雌ウシは、生きとし生けるものに、活力を注ぐ熱である。雄ウシのインドラは、熱情にあふれ、豊鏡をもたらす力である。それは、、空、水、雷、雨などといった、豊餞を表す象徴的な複合物と結びつけられる。オトランの指摘によると、アッカド語で、「を折る」とは、「力をくじく」という意味である。だが、くじかれなくても、この力は純化できる。雄ウシは、〈インドラ〉のエンブレムだが、同じように〈シヴァ〉のエンブレムでもある。そうなると、雄ウシは、白く高貴になり、雄ウシのこぶが、雪山を連想させることになる。

 雄ウシは精力を表す。〈シヴァ〉がしたように、雄ウシに乗るとは、ヨーガ風に霊的に雄ウシを活用して、このような精力を抑制し転嫁させるということだ。〈シヴァ〉が乗った雄ウシ〈ナンディン〉は、正義と力を象徴する。また〈ダルマ(法)〉、宇宙の秩序を象徴する。このために雄ウシは「底知れぬ」動物ともいわれる。

 ヴェーダの雄ウシ〈グリシャバ〉は、また〈開闢した世界の台〉になる。この不動の中心から、ヴリシャバは、宇宙の車輪を回す。この類比から、仏教伝説は、主人公のために〈ヴェーダ〉の雄ウシの地位を要求することになる。伝説によれば、雄ウシは4期にまたがる各時代の終わりに、大地から車輪止めを1つずつ引き抜く。全部引き抜けば、世界の土台は崩れよう。

アメリカ・天地創造〕 同じ役割が、ス一族では、天地開闢期の野牛に付与されている。

中央アジア・アラブ・天地創造〕 アルタイ語族やイスラム教の伝承でも、雄ウシは、カメのように宇宙を支える〈天地創造の台〉という象徴体系に属している。台は、場合によって下から上まで重ねられ、雄ウシがその一部を担う。たとえば、カメが岩を支え、岩が雄ウシを支え、雄ウシが大地を支えるなどである。他の仲介物もこの間に滑り込む。他の文明圏ではゾウといったそれ以外の動物が同じ役割を演じている。

旧約〕 《ソロモンの神殿》(『列王妃上』7、25)では、12頭の雄ウシが、清めの水を入れる青銅の鋳物で作られた「海」を支えている。

3頭は北を向き、3頭は西を向き、3頭は南を向き、3頭は東を向いて『海』を背負い、ウシの後部はすべて内側に向いていた。

中央アジア〕 地下の胆力の化身である雄ウシは、多くのチュルク系タタール諸族にとって、大地の重みを背とで支える(HARA)。

象徴・・雷〕 雄ウシの象徴的意味は、同じく嵐、雨、に結びつけられる。

 雄ウシと雷は、早くから(紀元前2400年以来)、大気の神々を表す対のシンボルであった。アルカイック期の文化で、雄ウシの鳴き声は、暴風雨や雷鳴と同一視された(オーストラリア人のうなり板であるブル・ローラ。いずれの場合も恵みの力の顕現であったも同様である)。

 雷-嵐-雨が、1組になって、たとえば、エスキモー、ブッシュマン、さらにペルーでは、ときにの聖なる顕現とみなされた。

フランス・考古学〕 メンギーンは、三日月と、オーリニャック文化期の女性像(手にを持っている)との関係を立証している。ウシ科の偶像は、常に《太母神》(=《》)崇拝とかかわりがあり、《新石器時代》によく見かけられた……。旧石器時代後期(《オーリニャツク文化期》と《マドレーヌ期》)の洞窟壁画の比較研究が、アンドレ・ルロア・グーラン(LERP、LERR)によって行われたが、その研究から、ラスコーやアルタミラ、さらに、ロシアやコーカサス山脈の洞窟壁画でも、動物画の配置には、一貫した優先順位があることが判明した。そして、この配置で中央の場所は、常に2匹一組のウマ-雄ウシかウマ-野牛が占めている。象徴思想の研究と、人類の創成期に果たした象徴的役割の研究に、この観察が切り開いた、新しい道の豊かさが、思い浮かぶのである。

〕 地中海オリエント地方一帯では、の神々が、雄ウシの姿で描かれ、雄ウシの性格をそなえていた。そんなわけで……、ウルの神は、「勇猛で若い、天の雄ウシ、または、たくましいの生えた、勇猛で若い雄ウシ」と呼ばれていた。エジプトで、の神は、「星々の中の雄ウシ」であった(ELIT、77、85、86、89-90)。神ウシル〔オシーリス〕は、雄ウシの姿で描かれた。メソポタミアの神シンも、雄ウシの姿をしていた。《金星》は、《金牛宮》を、夜の住まいとし、《》が、そこでは、最高星位にある。ペルシアで、は、ガオシスラ(Gaocithra)といい、「雄ウシの種子を保管していた」。なぜなら、古代の神話によると、原初の雄ウシは、に種子を預けたからである(KRAM、87)。

 中央アジアとシベリアに住む、モンゴル人とヤクート人の間には、湖の底に隠れ、嵐の前に怒号する水牛信仰がある(HARA、279)。

 したがって、普通、雄ウシは、の動物とみなされ、夜と関連づけられる。〈シヴァ〉の「この上なくみごとな」は、三日月である。こうした同一視は、とても古く、エジプトやバビロニアでも証明済みだ。雄ウシは、太陽神〈ミトラ〉に割りふられている。そこで雄ウシは、と再生の神を象徴する。もちろん、この場合、の持つの一面が温存されているわけだ。

 ヘブライ語アルファベット第1字の、〈アレフ〉(alef)は、〈雄ウシ〉を意味し、「太陰暦第1遇ののシンボル、同時に、一連のの宮が始まる黄道宮の名称である」(ELIT、157)。多くの文字、象形文字、記号は、の位相や、よく三日月にたとえられる雄ウシのと共存関係にある。

ローマ・祭儀〕 小アジアの祭祀が、西暦2世紀に、イタリアに入り、キュベレーの地下道の祭祀に、それまでローマで知られていなかった雄ウシの供犠という慣行を加えることになる。それは、血の洗礼による通過儀礼であった。ジャン・ボージュは書いている。

その恩恵に浴そうとする信徒は、このために特別に掘られた、地下の洞窟へ降りていった。洞窟は、いくつも穴をあけられた天井で、覆われていた。それから、彼の頭上で、雄ウシが、神聖な槍で殺された。血が湯気を立てて、傷口からどっと流れ出し、信徒の全身をびっしょりぬらした。このような血の洗礼を受けた者は、永遠の再生者〈レナートゥス・イン・エテルヌム〉であった。ライオンとともに、最も勇猛果敢で知られる動物の生気が、祭祀にあずかる者の肉体や、おそらく精神を生まれ変わらせたのだろう。

 秘儀を受けた者を、びっしょりぬらす雄ウシの血は、二重の象徴によって、雄ウシの生命力と、とくに霊的で不死の、人生への究極の到達を洗礼者に伝えるものと考えられていた。

ペルシア・祭儀〕 イランを発祥の地とする《ミトラ》崇拝も、同じような意味で、雄ウシを生贄にする。しかし、祭儀と教義の様式は、少し異なる。ローマ軍が帝国全体に《ミトラ》崇拝を普及させた。《ミトラ》は、《救い》の神で、無敵の《勝利者》、冬至が終わって日が長くなり始める12月25日に岩から生まれた。

その日、人々は、《太陽神》ナタリス・ソリスの再来を祝っていた……。《ミトラ》の生涯で、重要な出来事は、最初の雄ウシを生贄にしたことだった。この雄ウシは、《アフラ・マズダ》が創った最初の生き物だった。雄ウシを馴らして、洞窟まで連れてきてから、太陽神の命令に従って、のどを切って殺した。アフリマン(暗黒の悪神)の身代わりである、ヘビとサソリの妨害はあったものの、その血と、骨髄と、種から、動植物が生まれた。ミトラの昇天と、雄ウシの供犠を描いた装飾が、ミトラ教のおびただしい記念碑に光彩を添えている。ジャン・ボージューの説明によると、この2つの場面は、〈悪霊に対する善の支配者の闘い〉を象徴する。全信徒は、たえず全力を挙げて、この闘いに加わらなければならない。また、この場面は、ミトラのまったきとりなしによって、正しき者のに保証された〈永遠の光が宿る天上への到達〉をも象徴している。(BEAG)

 クラップにならって、ミトラ教の雄ウシの供犠の中に、男性原理の女性原理に対する、火の湿気に対する、太陽のに対する、浸透を見て取り、そこから豊饅の象徴的意味を説明するのは、おそらく、あまりにも非本来的な解釈基準を適用することになる。それは、ある面で、ミトラ崇拝そのものから生まれた象徴解釈というよりも、と再生の、周期的な循環や生命の根源を永遠に統合しようとする象徴解釈である。

エジプト・神話〕 は、生と切っても切れない関係にある。雄ウシは、したがって、喪の一面も表す。エジプトで、の間に太陽円盤をつけた雄ウシは、同時に豊餞と〈死者〉の神のシンボルである。死者の神は、ウシル〔オシーリス〕と、彼の復活に結びつけられる。ウシル〔オシーリス〕の葬儀は、メンフィスで盛大に催され、エジプト中から奉納物が届けられる。

だが、死んだアビス(聖牛=ウシル〔オシーリス〕)は、すぐさま、別の経惟子をまとってよみがえる。人々は、額、首、白毛の背に、黒い斑点をつけたアビスの姿を、雄ウシの群れの中に認める。

〔中央アジア・神話〕 アルタイ山脈のタタール族にとって、冥界の主は、樺のない黒い小舟か、逆に黒い雄ウシに乗った姿で描かれる(HARA、244)。彼は、ヘビか、の形をした斧を、手に持っている。この神には、黒い雄ウシか雌ウシが奉納される。

アジア・エジプト・慣習〕 ほとんど全アジアで、黒い雄ウシはと結びつけられる。インドやインドネシアでは、雄ウシをかたどった柩に、王の遺体を安置し、茶毘に付す習慣がある。エジプトでも、ウシル〔オシーリス〕の遺体を背中に乗せた、黒い雄ウシの絵が残っている。

ケルト・慣習〕 ケルト族にとって、雄ウシは、生殖能力という、ただそれだけの象徴的意味を持っているようにはみえない。またその原義が、雌ウシとの性的ペアないし対立の中に求められるかどうかも不明である。事実、雄ウシは、アイルランドで、とくに好戦的な隠喩の対象にされる。武勲の誉れ高い、英雄や王は、しばしば「闘牛」と呼ばれる。一方、『クーフリンの病』という作品で語られているように、国王選出の最初の祭典を、アイルランドでは、「雄ウシの宴」と呼んでいたが、そこで雄ウシは生贄にされる。動物が生贄にされてから、詩人は肉を食べ、腹いっぱいスープを飲んで眠る。詩人は、王の候補者の夢を見る。この候補者が、貴族の集会で選出されることになっている。2回目の祭典(選出された王の件)では、ウマが生贄にされる。だから、雄ウシは、ウマと対立するカップルということになる。だが、いずれも同じように好戦的な動物である。プリニウスの記述(『博物誌』16、249)によれば、ヤドリギ(神木)を摘み取る際に、白い雄ウシが生贄にされるが、これは古くからある王家のしきたりで、ローマ帝国に征服され、独立国としての政治生命を根こそぎ奪い取られると、すっかり存在理由を失ってしまった。というのも、雄ウシは、ウマと同じく、〈王家の動物〉、つまりデーイオタロス「聖牛」だからである。ガラテアの四分領地の王たちは、デーイオタロスと名乗った。彼らは王であって、ときに誤って推定されているような祭司ではなかったからである。このようなコノテーション(共示)は、前に指摘した、旧石器美術のウマ-雄ウシという、2匹1組の組み合わせに直接呼応するものである。

ケルト・神話〕 雄ウシは、まさに〈天地開闢の動物〉である。『クーリーのウシの襲撃』という物語で、褐色の雄ウシと白い雄ウシが、死闘を演ずる。一方のウシはアルスタ一地方、他方はコノート地方を代表する。いずれのウシも、人間の声と知力を持っているだけに、両方のウシを我が物にできれば、〈戦争の覇権〉を握ったことになる。この2頭のウシの話は、アイルランドの、《南》の支配者と、《北》の支配者の家来であった、ブタ飼いの変身譚から生まれたものだ。そして、動物も、いろいろな種族に変わった。ガリアには、3匹のツル(おそらく島のハクチョウに相当する類義語)を持つ雄ウシや、3本のを持つ雄ウシの図像がある。後者の図像は、おそらくガロ・ロマン時代には、考えられなかった好戦的な昔のシンボルである。3本目のは、アイルランドでロン・ラースlon laith、つまり「英雄」と呼ばれていたものを表していたらしい。これは、戦意に燃えた、意気軒昂たる英雄の、頭上からほとばしり出る一種の〈血の霊気〉のことである。バイソン(野牛)の名が、ブザンソンの旧名、ウェソンティオに残っている点をついでに指摘しておこう(CHAB、54-65;OCAC、10、285以下、15、123以下と245以下)。

象徴〕 雄ウシには、まさに両義性、両面性といったものがある。水と火をともに表しているのだ。豊餞多産の祭儀と結びつけられると、雄ウシは太陰である。血のほてりや精液の放射から見ると、太陽のイメージである。ウルの王墓には、黄金の頭(太陽と火)と、青金色(と水)の顎をした雄ウシがそびえ立つ。雄ウシは、ウラノス的で、かつ地下的である。ウシ類は、事実、イヌ類と同じで、地上や地下の顕現神として、またウラノスの顕現として、現れる場合もある。雄ウシのシシボルは、しばしば色によって規定される。したがって、白馬が男神-天上の力を体現しているのに対して、「灰色のウシ」は、大地-女神の顕現とみなされる。アルタイ語族に見られる、《地》と《天》の夫婦の図像では、そうなっている(ROUF、343以下)。

中国・神話〕 中国では、農業の開祖、神農のの生えた頭が、ウシや雄ウシを連想させるが、蚩尤の頭も、明らかに雄ウシと同一視できる。だが、黄帝は、両者と対立した。雄ウシは、風の精である。頭には、足にはひづめの生えた蚩尤は、風(と雨)のおかげで、黄帝と対立する。黄帝が、蚩尤を、水に住む竜や、ひでりと戦わせたからである。蚩尤は、宇宙の混沌を創り出す。彼は、黄帝に敗れる。黄帝の紋章は、ミミズクである。

象徴・去勢〕 去勢牛は、去勢しない雄ウシと象徴的に対立する。このために、複雑な様相を呈する。なぜなら、去勢牛も、農耕祭儀と結びついているからである。しかし、去勢牛は、雄ウシの生殖力の犠牲を象徴し、かえって生殖力の唯一性を一層際立たせる。このような去勢は、ますます生殖力の価値を高める。純潔が性の重要性を際立たせるのと同じである。ウラノス的な行動原理は、自己肯定や自己否定を同じように、絶対的に行いながら、おのれの力を誇示する。自由奔放な場合は、多産である。抑制し禁欲的なときは、少なくとも同じ土俵、同じ生活水準で、このような行動原理なき多産など不可能なことを同じようにはっきりと指摘する。これは、同じ1つの事実の逆証である。精力の純化は、別の次元の多産を生む。霊的生活の豊かさである。

心理学〕 ユングの精神分析学における象徴体系では、雄ウシの生贄は「ある精神生活の欲望を表す。この精神生活によって、人間はおのれの動物的な原初の情欲に打ち勝ち、通過儀礼にあずかった後で、平和を約束される」(JUNS、148)。雄ウシは、制御されていない力である。進化した人間は、この力を制御しようとする。闘牛に対する熱狂は、ある精神分析学者の説明では、内なる野獣を殺そうとする、秘められた無意識の欲望ということになる。ところが、置き換えが起こり、外部で野獣が生贄にされたために、内部の生贄は免除され、闘牛士の介入で個人的な勝利の幻想がもたらされる。

 ある精神分析学者は、ウラノスの例にならって、たけり狂う父親像を雄ウシに見て取った。息子のクロノスが、父親の去勢を決意したからである。エディプス・コンプレックスという、別の形態もある。つまり、雄ウシを殺すことは、父親を抹殺することである。

 ポール・ディエルの、生物倫理の解釈によれば、粗暴な力を持った雄ウシは、「悪徳の支配」を象徴する。

雄ウシの息は、破壊の炎である。〈足〉というシンボルに付加された〈青銅〉という属詞は、ギリシア神話では、なじみのイメージで、のある状態を示す場合に使われる。雄ウシに付与された、青銅の足という言葉は、威圧的な性癖、の残忍さ、冷酷さを示す特徴的なシンボルである。(DIES、176)。

 ヘーバイストスは、2頭の、たくましく、荒々しい雄ウシのために、青銅のひづめを作った。その雄ウシは、見た目には、手に負えない感じで、鼻から火を吹いていた。イアソンは、金羊毛が奪い取れるように、誰の助けも借りず、雄ウシにくびきをつけなければならなかった。この状況が示唆しているのは、英雄は、このような完徳のシンボルを横取りする前に、はやる血気をなだめ、本能的な欲望を浄化しなければならなかったということである。

黄道十二宮〕 黄道十二宮の第2宮〈金牛宮〉(4月21日-5月20日)は、春分と夏至の間に位置する。たくましい馬力のシンボルで、あらゆる本能、とくに自己保存と快楽本能、さらに遊興に対する度はずれた性癖のシンボルである。この宮は、占星術の用語に従えば、《金星》に「支配されて」いる。つまり、空のこの部分が、この惑星の本性と完全に親密な和合を示しているわけだ。《金牛宮》には、基本要素である《大地》、母なる大地に匹敵する第一質料、つまり原初の物質の象徴体系がかかわりを持つ。《白羊宮》には、原初の火が割り当てられている。これを体現しているのは、超男性的な肉のそげ落ちた動物で、高く前方に飛び出した頭部に特徴がある。これに対して、《金牛宮》は、〈命をみごもる女の静態性〉を表しており、水平的で、かつ腹部を主体に、豊潤な、さまざまな様式の創造能力を特徴とする。ここでは、重み、鈍重、厚さ、のろさ、安定、耐久、撤密、不変といった精神が支配している……。超女性的なこの宮には、田園交響曲と同系統の、まさに地上的な意味を持った価値観が結びつく。黄道十二宮の合奏で、《金牛宮》の譜面は、生みの母である《ビーナス》(金星)をたたえたバッコス賛歌と一体になる。躍動する肉体と朱色の血、大地の霊気をはらんでうち震えるビーナス。母なる自然の高揚の中で、の満潮をたたえる賛歌。《金牛星》は、本来的に、とくに豊かな感覚運動をそなえた、動物的な本性を「示している」。この世で生きるとは、すすり、味わい、触れ、見、聞くことだ……。それは、地上の滋味を貪欲に味わうこと、ディオニューソス的な歓喜の陶酔に身を委ねることだ。生への渇望が、そこでは、揺るぎない活力と、たくましい強固さで豊かな土壌に根づいている。その渇望は、情念にむせ返る快楽的な人生でも、労働の拘束の中でも癒される。生きようとする欲望がかなえられれば、それで良いのだ。
 (『世界シンボル大事典』)