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異性装〔女装 異装〕(Transvestism)

 宗教と魔術の知識とは、かつては、女の占有財産であった。これにあずかろうと思い始めた男たちが最初にしたことは、精霊たちが彼らを歓迎すべき存在であると思うように、自らを女に似せることであった。よくある方法は、女の服を身につけることであった。

 女装は大部分の古代神官団に見られる。タキトゥスによれば、ゲルマン民族の神官は女装した男muliebri ornatuであった[1]。バッディンギャル(「天の双子」)を祝福する夜明けと日没の儀式を司る北欧の神官は、その職責のため女の服と髪型をしなければならなかった[2]。雷神トール Thor でさえも、魔法のハンマーを授かり、体中に力がみなぎるようになったのは、女神フレイアFreyaの衣装を身につけ、花嫁のふりをしてからのことであった[3]

 古代アルゴスの「放恣の宴」Hubristikaでは、男は女の服を身につけヴェールをかぶって女となり、一時的に女の持つ権力を振るって、ある特別なタブーを犯した[4]。クレータ島のレウキッペー(「白い雌ウマ-母」)の神官は常に女の服を着ていた。ヘーラクレースの神官たちもそうであったが、これは明らかに、かつて彼らの神ヘーラクレースが、オムパロス omphalos の化身であるリュディアの女神オムパレー Omphale に(女装して)仕えたことを記念してのことであった[5]。ユダヤの哲学者モーゼス・マイモニデスは、当時の男たちは女神ウェヌス〔ヴィーナス〕の加護を祈願するのに女の服装をした、と語っている[6]

 マグナ・マーテル Magna Mater に仕えるローマの神官たちは女の衣装を着たが、女装はルペルカリア祭や113日の祭儀では異彩を放った。この習慣は聖アウグスティヌスの時代においてもなお広く行われていたが、彼はヤヌスJanusの祝宴に女の衣服で身を飾った男たちを激しく咎めた。彼は、このような男たちがたとえ他の点では敬虔なキリスト教徒であるとしても、救いを得ることはできない、と語った。聖ヒエロニムスも、キリスト教に改宗するまでは、女装儀礼に加わっていたのであった。もっとも彼の伝記作者たちは、彼は間違って女の服を着てしまったのだと思わせようとした[7]

 アウグスティヌスや他の教父たちの反対にもかかわらず、女装儀礼は続いた。5世紀のアマセアでは、宗教行事としての祝祭には男は女の服装をしたが、また、というよりは依然として10世紀には、毎年11日の祭儀に男は女装した。バルサモンによれば、12世紀には聖職者でさえも仮面をかぶり女装して、教会の身廊外陣での異教の祭儀に参加した[8]。メロヴィング朝のオーヴェルニュの司教であるトゥールのグレゴリウスは、一群の「デーモンたち」に教会明け渡しを強要されたが、彼らの首領は女の衣服を着て司教の座に座っていた[9]。審問官ジャン・ボダンは、男にせよ女にせよ魔術を行う者は、お互いに衣服を交換して実際に性を変える、と断言した[10]

 女装は、女の魔術を模倣したいという古くからの欲求に根ざしていた。セレベス(スラウェシ)島では、宗教的儀式は女たちの管轄下にあり、彼女たちを補佐したのは、女の衣服を身につけ、「女をまねる者たち」tjalabaiと呼ばれる聖職者団であった。アラビアでは、tjalabaiと同語源のdjalabaが、男が女の服を模倣して作った服をさすのに用いられた[11]。北部バタク族ではシャーマンは常に女性であり、その仕事が女系の世襲であるのは、かつて女装が行われなかったからである[12]。ボルネオでは魔術師は女の着物を着るよう要求される。シベリアのシャーマンはしばしば女の服を身につけた。最も偉大だと考えられていたシャーマンは、「性を変え」、女性になり、を迎え、同性愛の妻として生活できるシャーマンであった[13]

 同様にアメリカ・インディアンたちは、同性愛者berdacheを有能な呪医とみなした。彼は、夢の中での女神から、女に変身して巫女として女神に仕えなければならないという意味の命令を受けた、と主張した。彼は自分のなりたいと思っている女として部族に受け入れられ、女の着物を着ることを許され、女だけの手工芸組合や舞踏団に属した。エリアーデによれば、「儀礼的、象徴的に女に転換することはおそらく、古代母権制から派生した、あるイデオロギーによって説明されるであろう」[14]

 マレー半島の習俗を観察したある者によれば、「マナンギズムmanangism(シャーマニズム)は元来、女だけが携わったのであり、男は徐々にその仕事に就くのを認められるようになったが、最初のうちはできるだけ女をまねることによって初めて可能であった」[15]。マナング(シャーマン)は通過儀礼をすませると女の服を着、その後死ぬまで女装のままであった。ダヤク族のあるマナングは今もなお女の服を着ており、女の職業に就いている。「この女装は、これに伴うあらゆる変化と同じく、夢の中で、超自然界からの命令が3度下されて初めて受け入れられるのである。拒否は死につながることになる。このようなさまざまな要素の組み合わせは、かつて海洋ダヤク族のシャーマニズムを支配していたに違いない、女性による呪術や家母長制の神話の痕跡をはっきりと示している。ほとんどすべての精霊は、イニIni(「太母」)の名のもとにマナングによって呼び出される」[16]

 インドで広く行われているクリシュナ崇拝では、自らをクリシュナKrishnaのゴーピー(乳搾り女)たちと同一視して女性原理を崇拝する男たちは、今日でもなお儀礼的女装を要求されている。彼らは女の服と装身具を身につけ、毎、「月経期間」である2、3日の間、引きこもる習慣をも守っている。彼らの神学上の教義によれば、「すべての霊魂は、神にとっては女性である」[17]


[1]Tacitus, 730.
[2]Turville-Petre, 219.
[3]Oxenstierna, 206.
[4]Lederer, 145.
[5]Gaster, 316.
[6]King, 50.
[7]de Voragine, 83, 588.
[8]Lawson, 222-23.
[9]de Givry, 139.
[10]Scot, 71.
[11]Gaster, 317.
[12]Eliade, S., 346-47.
[13]Hays, 416.
[14]Eliade, S., 258.
[15]Briffault 2, 526-27.
[16]Eliade, S., 351-52.
[17]Rawson, A. T., 109.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)