新訳聖書の有名な1節に、カリタスcaritasは信仰あるいは希望よりも大きいといわれる。カリタスは、「慈悲」とも「愛」とも訳される(『コリント人への第一の手紙』13)。どちらの訳も正確とは言えない。この言葉はとくに、カリタス caritas (ラテン語)あるいはカリス chairs (ギリシア語)を施す、恵みを与える3人の美の女神たちに体現されていて、慈愛 Charities と呼ばれている三相一体の女神を意味していた。ユリアヌスはこの女神たちの恵みは天からの贈物であるといった。「慈愛の3つの贈物(幸運な誕生、恵まれた人生、苦しまない死)は天から、つまり星の勢力範囲からやって来る[1]。
ローマ人は恵みを venia、すなわち女神の好意が目に見える形になった、ウェヌス〔ヴィーナス〕に関連する神聖なものと呼んだ[2]。恵みにはサンスクリットのカルナ karuna と同じような意味があり、天女を写したとされているヒンズー教の寺院の神殿娼婦 devadais によって分配された。彼らの grace (恵み)とは、美と親切と母性愛とやさしさ、官能の悦び、同情、心配を組み合わせたものであった。
「美の三女神」 Grace はウェヌス〔ヴィーナス〕から派生した。 3人の女性たちはウェヌス〔ヴィーナス〕の神殿で踊った。女神を飾る世話をした。神々の産婆の役もした。音楽、舞踏、詩、美術の守護神でもあった[3]。インドのカジュラホの『愛の神殿』にある天女たちと大変によく似た姿勢で踊っている、3人の裸の女たちとして、同じ古典的ポーズでよく描かれてきた[4]。
ギリシアの著作者たちは「美の三女神」をアグライアー(輝かしい者)とタリアー(花を持ってくる者)とエウプロシュネー(心の喜ぴ)と呼んだ。しかし、女神たちには、よく知られていない先史時代から受け継いだ古い名前があった。ホメーロスにはカレー(Caie、あるいは Kale)と名づけられた唯一人の美神しか出てこない。このカレーの語源はおそらくカーリーと同じだろう[5]。グノーシス派の著作者マルコスも女神の添え名として、グレイスあるいはカリスという言葉を用いた。「すべてのものの前にある人、不可欠で錨写し難いグレイスよ、内を満たしてください。あなたの内に女神の知識が増しますように」と言っている[6]。
キリスト教徒はカリス charis についての異教の概念を取り入れたが、禁欲主義の信条に適応するように性的合意を奪い取ろうと苦労した。さらに古くからある仏教の場合と同じように、「慈愛」は原始キリスト教の基本的教義になった。これは天国で確実な場所を勝ちうるためには、現世において自分の持ち物を貧しい人たちに与えなければならないという理論であった。現世において自ら進んで貧しくなった柔和で、謙虚な者たちに用意されている祝福をイエスは並べている(『ルカによる福音書』 6: 20-30)。このような「至福」を表す教会の言葉はマカリスマ macarisma といった。これは古代に起源がある言葉で、マー(誕生)とカリス(恩寵)とマー(死)で表される三相一体の女神に呼びかけている[7]。同語源の言葉カリスマ charisma は母に与えられた恵みを意味した。
古代の例では、愛と愛情を「母性的美徳」である親切と、贈物を与えることと同じと見ていた。そのような考え方を経て、カリスは慈愛 charity と合体したのである。ホメーロスの文学では「愛情の深さ」 philein という言葉を、物惜しみしない厚遇の意味で用いている[8]。キリスト教神学で再解釈されているように、気前の良さと暖かい肉体的愛情の両方を意味してきた親切 graciousness は、自分自身の不死を確保するために実行された気前の良さだけを示すようになった。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)