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三相一体、三柱神、三位一体(Trinity)

 太古の昔から太女神は概念的には三相一体であり、以後のすべての三相一体(女神だけから成る場合、男神だけの場合、両者の混合の場合を問わず)の原型であった。紀元前7千年紀のアナトリアの村では、若い娘・子どもを生む女性・老婆の三つの面を持つ太女神を崇拝した[1]。この処女-母親-老婆という典型的な組み合わせは、インドではパールヴァティParvati-ドゥルガーDurga-ウマUmaカーリーの三相〕、アイルランドではアナ-バブド-マハ〔モリガンMorriganの三相〕、ギリシアではヘーベーHebe-ヘーラーHera-ヘカテー Hekate運命の三女神モイラたち、怪物の三姉妹ゴルゴンたち、海の三女神グライアたち、生誕・成長・衰亡の三女神ホーラたちなどであった。ヴァイキングの間では三相一体の女神は、運命の三女神ノルンたちNorns、ローマ人の間では、運命の三女神フォルトゥーナ Fortunaたち、ドルイド教徒の間では、ディアーナ・トリフォルミスとして現れた。「三相一体の女神」は三つ以上の姿、ときには数百におよぶ姿をとった。

 ローマ時代以前のラティウムでは、三相一体の女神は、ヨーニyoniと同語源のウニUni(「一なるもの」)という集合的名称のもとに、カピトリウム神殿に祀られていた三柱女神として崇拝された。この女神の三つのペルソナは処女ユーウェンタスJuventas、母親ユーノーJuno、賢い老婆メナルウァまたはミネルウァMinervaであった。ローマ帝国治下では、ユーウェンタスは追放され、男神であるユピテルJupiterが代わりに入った[2]。現代の学者の中には、この後期の、2柱の女神と1柱の男神からなるカピトリウム神殿の三柱神を「三柱の男神」と呼ぶ者もいる。まるで女性2人と男性1人のグループを「3人の男」と言うがごとくである[3]

 キュモンによれば、「東洋の神学者たちは、世界は三相一体を形づくり、一体にして三相、三相にして一体なり*という概念を生みだした」[5]。この学者(男)は「太女神」の代わりに中性の「世界」という言葉を用いている。だが、この二つの言葉はある意味では同義であって、創造者・維持者・破壊者という三相一体を確立したのはほかならぬこの太女神であった。たとえバラモンがこれら三つの機能を果たすブラフマンBrahma-ヴィシュヌVishnu-シヴァShivaという男神の三相一体神を考え出したとしても、タントラ教典は、「三相の女神」こそがまず最初にこれらの三神を創造したと主張しているのである[6]
 *インドの3頭のカーリーと同じく、エジプトの原初の母ムートも3頭であり、名前も三つあった。エジプトの古名Khemに女性語尾't'をつけると「3」を表す言葉、Khemtとなった[4]

一体にして三相、三相にして一体なり
 インドの3頭のカーリーと同じく、エジプトの原初の母ムートMutも3頭であり、名前も3つあった。エジプトの古名ケムKhemに女性語尾't'をつけると「3」を表す言葉、Khemtとなった[4]

 女神の三相は地上においては3種の巫女に擬人化された。すなわちヨーギニー(妙齢の処女)、マートリ(母親)、ダーキニー(老女)である。彼女たちはときには「自然の女神たち」と呼ばれた。「三相一体の女神」の化身は「3人の最も高貴なものたち」として知られていた[7]

 マレー半島の矮小黒人は太女神をカリKariとして記憶していた。カリは処女であり、自らの女陰Lotusを食して、最初の男と女を孕んだ。しかし、カリも「冥界の3人の祖母たち」と呼ばれる三相一体女神であった[8]

 コロンブス以前のメキシコにおいても、救世主ケツアルコアトルを生んだ処女母神は、「3人の聖なる姉妹」からなる三相一体の女神であった。セム族のマリアと同じく、この女神も「生み出すもの」、「母親」、「をもたらすもの」という三相を併せ持っていた。というのは、彼女は、「供犠の宝石」としても知られていたからである。彼女の救世主-息子の血を注ぐ祭壇がこの「供犠の宝石」を表していたのは明らかである[9]

 ギリシアの神々の母は三相一体の女神で、処女ヘーベーHebe、母親ヘーラーHera、老婆ヘカテー Hekateからなっていた。ステュムパロスでは女神は、子ども-花嫁-寡婦として崇拝された[10]。女神の3つのペルソナは、それぞれが三相一体となることができ、それゆえミューズすなわち九相一体の女神となり得た。ヘカテーはトリフォルミス(「三相」)と呼ばれ、3つの顔(の3相を象徴する)を持つものとして表された[11]。アイルランド人の間では、彼女は三相一体のモリガンまたはモルガンとなり、ときに「九姉妹」に増えて「再生の大なべ」を守り、西方の「死者の島」の支配者となった[12]

 三相一体の女神Goddess Triformisは天、地、冥界をそれぞれ処女、母、老婆(またはヘルHel、または冥界の女王)として支配した。この記憶はチョーサーの時代にも生きていた。というのはチョーサーの『騎士の話』に登場するエメリーは、女神の3つの姿Three Forms、すなわち天上のルナ、地上のディアーナ、冥界のプロセルピナに呼びかけて加護を祈願しているからである[13]。シチリア島は古くはトリナクリアと呼ばれたが、この名を口にすることは、3つの王国からなる「大地の中心」としての女神への加護祈願となった。

 吟唱詩人の歌う物語には、三相一体の女神がさまざまな姿をとって頻繁に現れた。鍛冶師ウェーランドは、女神が先ず3羽の魔法のハトとして目の前に現れたのちに、彼女と結婚した[14]。アーサー王は女神とともに西方楽土の島アヴァロンAvalonへ赴いた。三相一体のグィネヴィアGuinevereはこの女神の別の姿であった。サー・マーホース(マルス)は「3人の乙女」としての女神に、彼女たちの魔法の泉で出会った。最年長の乙女は「60歳で、黄金の冠をかぶり、2番目の乙女は30歳で、黄金の飾り輪をかぶり、最年少の乙女は15歳で花冠をかぶっていた」[15]。15という数は、異教の乙女コレーKoreが思春期にいたる15年を表す数であった(リンゴの芯coreがリンゴの中にあるように、娘コレーは母デーメーテールの中にいた。リンゴを輪切りにしたときに見られる芯の部分の形は五芒星形である)。神話の処女母(virgin mother)は、ゾロアスターの場合と同じく、15歳で子を生むのが典型であった。15の2倍の30は母親の年齢、30の2倍の60は老婆の年齢であった。

 中東には多くの三柱神の例があり、そのほとんどは元来、女神のみからなっていた。時が経つにつれて、三柱女神のうちの1柱ないし2柱は男神に変わった。一般に父-母-息子の形をとり、息子は救世主と考えられた[16]

 三柱神の概念は紀元前14世紀に、ハッティ族とミタンニ族から生まれた。紀元前5世紀のバビロニアでよく知られていた三柱神は太陽神シャマシュ、神シン、星の女神イシュタルからなっていた。ギリシアでもこれを受け継いで、太陽神ヘーリオス、の女神セレネ、星の女神アプロディーテーとなった。コストピトゥムで崇拝された父-母-息子の三柱神は、ユピテル・ドリケヌス、天上のブリガンティア、サルスの3柱であった[17]

 グノーシス派でも、三相一体(三位一体)の概念は同時代の東方の父-母-息子の型に倣い、聖霊を知恵の女神ソフィアを表すハトとみなし、コンスタンティノープルでは太女神として崇拝し、たいていのグノーシス主義者は神のシャクティShaktiと考えた。キリスト教の神は本来、ブラフマンーやディヤウス・ピターのような極東の天界の父を模したものであるが、天空神はすべて、女性的な源であるシャクティ(「神の妻」)を必要とした。さもないと彼らは行動できなかった[18]。それゆえ、三柱神の1柱が女神であることは神にとっても不可欠であった。アラビア人のキリスト教徒の間では、明らかに神-聖母-イエスの聖なる三柱神が存在し、エジプトの三柱神(ウシル〔オシーリス〕-アセト〔イーシス〕-ヘル〔ホルス〕)に代わりうるものとして等しく崇拝された[19]

 キリスト教時代になると、ゲルマン民族の間では、男神だけの三柱神が一般的となった。ウォドンWoden、トールThor、サクスノットは8、9世紀の間、サクソン族によって三柱神として崇拝された。古代北欧人の間では、オーディンOdin、ティール、フレイの組み合わせとなった。ある神話の断片を見ると、三相一体の女神は魔女として焼き殺されたと思われる。彼女は3度灰にされねばならなかった。この後、フレイアFreyaに体現されている若さ、美、愛はアスガルド(「神々の宮居」)を去り、天上では戦いが始まった[20]

 他の多くの異教の遺風と同じく、女性の三相一体は現在もなお結婚と関連がある。ブルターニュの結婚式では、花嫁の人生の3つの時代を先ず少女、次に主婦、最後に祖母がそれぞれ演じて、彼女の一生の3つの相を祝った[21]。現代の結婚式にはなお、花持ちの幼女と花嫁付き添いの既婚婦人が登場するが、意味深いことに老婆は姿を消している。

 オーギュスト・コント〔1798-1857〕は、男性と、指針となる倫理との間の仲介者としての女性という彼のヴィジョンにおいて、女性の三相一体を復活させたと言ってもさしつかえない。母、妻、娘はそれぞれ男の過去、現在、未来との合一を表すものであった。またコントのいわゆる3つの愛他的本能(崇敬、愛慕、情け深さ)との合一も意味した[22]。よりわかりやすく言えば、この3つは女性が男性に求めるもの、つまり、尊敬、愛、優しさであった。


[1]Stone, 17.
[2]Dumezil, 116.
[3]Carter, 26.
[4]Budge, G. E. 1, 317.
[5]Cumont, A. R. G. R., 69.
[6]de Riencourt, 167.
[7]Waddell, 129, 169.
[8]Hays, 352.
[9]Campbell, P. M., 458.
[10]Graves, G. M. 1, 52.
[11]d'Alviella, 183.
[12]Graves, W. G., 406 ;Rees, 193.
[13]Chaucer, 81, 511.
[14]Keightley, 215.
[15]Malory 1, 115.
[16]Briffault 3, 96.
[17]Lindsay, O. A., 112, 328, 375 ;Norman, 71.
[18]Zimmer, 25.
[19]Ashe, 206.
[20]Branston, 112, 213-14.
[21]Crawley 2, 51.
[22]H. Smith, 401.

Barbara G. Walker :The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)