アドリア海沿岸のヴェネチ諸部族の母であり名祖である太女神に由来する女神で、その性的側面を強調したローマ名である。ベネチアの町の名もこの母親にちなんでいる。veneration(「崇敬」)やvenery(「性交」「好色」)もその派生語である。veneryはかつて狩猟を意味していた。というのは、東方のウェヌス〔ヴィーナス〕であるアルテミスと同じく、彼女はかつては「動物たちの女主人」であったからである。彼女の有角神(狩人であり犠牲の雄鹿でもあるアドーニス)はvenison(「ウェヌス〔ヴィーナス〕の息子」)となった[1]。
キリスト教初期の教父たちは、「ウェヌス〔ヴィーナス〕の名で通っている悪霊に捧げられた」諸神殿は、「すべての猥褻行為愛好者のための悪の学校」である、と公然と非難した[2]。この文章の意味するところは、これらの神殿が、娼婦-巫女たちveneriiの指導のもとに性技を教える学校であったということである[3]。彼女たちは、タントラ教の場合と同じく、性の秘技訓練を通して、ウェニアveniaと呼ばれる「魂の学校」に近づく道を教えた[4]。
タントラのヨーガ行者と同じく、教育あるローマ人は、死の瞬間というのは、性結合の絶頂であり、ウェヌス〔ヴィーナス〕信仰によって約束された聖婚の最後の行為であると想像した。秘伝を授けられたオウィディウスは、交わっている最中に死にたいといっている。「ウェヌス〔ヴィーナス〕に達する行為の最中に死なせてくれ、二つの意味で私の最期の死が訪れますように」[5]。何世紀も後のシェイクスピアの時代でもなお、「死ぬ」という言葉は、オルガスムを表すありふれた隠喩であった[6]。夢判断に関するあるイギリス人の論文によれば、病人が美しい乙女と結婚する夢を見ると、それは死を意味する[7]。「死ぬこと」はキリストまたはアブラハムの懐に抱かれることである、とキリスト教徒が言う場合、彼らは無意識のうちにその考えの基礎を、母親の懐に抱かれて死ぬという古い考えに置いたのである。
現代の神話解釈は、ウェヌス〔ヴィーナス〕を性の女神とだけ見る傾向がある。生誕と死を司る相は抑圧されてきた。しかし、この二つの相は等しくウェヌス〔ヴィーナス〕崇拝において重要な位置を占めていた。冥界の女王として、彼女はプロセルピナProserpinaと同一視されていたが、実際はリビティナLibitinaの名で通っていた。リビティナは、「生殖の女神」ウェヌス〔ヴィーナス〕の別名にすぎない、とプルータルコスは言っている[8]。
中世初期においては、ウェヌス〔ヴィーナス〕は、ウェーヌスベルクと呼ばれる魔の山を支配する妖精の女王となった。彼女はまたキリスト教の聖ヴェネリナとなった。この聖女は実在した人物ではなく、架空の信仰対象で、カラブリアでの女神崇拝を存続させた[9]。バルカン諸国では、彼女は聖ヴェネレと呼ばれていたが、今日でも、若い娘たちは、よい夫に恵まれますようにと願って、結婚の守護聖人としての聖ヴェネレの名をたたえる[10]。宵の明星としてのウェヌス〔ヴィーナス〕(金星)によせた魔法の歌は、何世紀もの時間を経て今日でも鳴り響いている。「明るく輝く星よ、今夜最初に見る星よ、ぜひぜひ、今夜の私の願い事をかなえておくれ」。
宵の明星はステラ・マリス(「海の星」)でもあった。彼女に捧げられたベネチアの町では、毎年キリスト昇天祭に、ベネチア公は、黄金の結婚指輪を海に投げ入れると儀式によって彼女との結婚を果たした[11]。この慣習はルネサンスを通じて続き、ステラ・マリスがマリアと同義になっても行われていた。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)