「諸死者の記念日」(11月2日)や「諸聖人の祝日」(11月1日)は、いずれも死者を祀るケルト人の祝日サムハインを引き継いだキリスト教の祝日だった。サムハインは、アーリア人の「死の王」サマナ(「差別をなくす者」または「容赦なく刈り取る者」と呼ばれる死の神であり、同時に、祖霊たちの王でもあった)にちなんでつけられた名称である。異教の太陰暦によると、祭りは一般にその当日ではなく、「前夜」に行われた。したがって、ハロウィーンすなわち「諸聖人の祝日の前夜祭」(10月31日)が本来の祭りだったのであり、それが、後になって翌日に移されたのだった。アイルランド人は、この聖なる夜を「サマンの前宵祭」と呼んでいた。キリスト教会側の人々の記述によると、この夜には魔法のまじないや占いが行われ、魔女の鏡や胡桃などの堅果の殻を燃やした灰を用いて未来を予言したり、桶の水に浮かんでいるリンゴ(「再生の大鍋」の中の霊魂のシンボル)を口にくわえて取ろうとしたり、その他各種の嫌悪すべき儀式が展開されたという。今日でも、娘がハロウィーンの晩に鏡の前でリンゴの皮をむくと、鏡には将来の夫の姿が映ると言われている[1]。キリスト教会筋は、ハロウィーンについて、「この祭りには、ドルイド教の名残である他のいろいろな迷信儀礼が遵守されており、サマンの名の存続を認めるかぎり、これらの儀礼を根絶することは不可能である」と述べた[2]。しかし、サマン(サマナ)というこの異教の神の名は、サムエルというかたちで今も聖書に残っている。サムエルの名は、サマナと同じ冥界の神であるセム人のサマエルに由来していた。
当然のことながら、この日に与えられた予言の類は、元来は亡くなった先祖たちのお告げだった。先祖たちはハロウィーンに墓から出てきて、ときには、生きている子孫の子どもたちに贈り物を持ってきてくれた。シケリア島のハロウィーンに関する伝承によると、「亡くなった親族たちは、子どもらに味方してくれる良い妖精になった」のである[3]。今でもクリスマスには、子どもたちに贈り物をする風習が守られている。
ヨーロッパの中でもいちばん遅くキリスト教を受け入れたリトアニア地方では、異教徒たちはハロウィーンのさいに新年の祝祭を行い、彼らの神であるジミエンニク(サマニク、すなわちサマナ)に家畜を生贄として捧げた。彼らの祈りの文句は、「ジミエンニクの神よ、火で焼いたわれらの生贄を受納され、ともに召し上がってください」というものだった[4]。冥界の王がすべての死者を代表して供物を受納してくれれば、死者の霊魂は満足し、人々に害を加えることはないであろう。だが、もしも十分な満足が得られなければ、死者の霊は、彼らを冥界から地上に呼び出した悪魔や「魔女」(巫女)たちに率いられ、復讐の亡霊となってこの世界に襲いかかるかもしれないと考えられていたのである。現在でも、魔女や亡霊は、フクロウ、コウモリ、猫といった霊魂-シンボルとともに、ハロウィーンに関連づけられている。
昔、異教徒たちは、四季を繋ぎ合わせている重要な継ぎ目の時間と空間の構造にひびが入り、おかげで亡霊の世界と生きている者たちの世界とが接触できると考えていた。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)