「忘却」の意で、ギリシアの冥界における「忘却の水」、すなわち、レーテー川の水源の泉のこと。オルペウス教をはじめとする秘教の信者たちによれば、新たな死者の霊が冥界で最初に目にするのは、 1本の白いイトスギの根元にあるレーテーの泉であるという。この泉を見ると、死者の霊は非常な渇きを覚え、その水を飲みたいという誘惑にかられる。秘教の信者たちに対する教育の1つは、この渇きを我慢することだった。なぜなら、レーテーの泉の水を1口でも飲むと、前世の記憶をすっかり失い、ほかの人間たちと同じ愚かな存在に堕してしまって、何回生まれ変わっても以前の生涯のことは何1つ思い出せなくなってしまうからだった。秘義を極めた者は、もう1つの「記憶」(ムネーモシュネー)の泉を探さなければならないとされていた。「汝は、ハーデースの館の左側に1つの泉を見つけるであろう。その泉のかたわらには1本の白いイトスギが生えている。しかし、この泉に近づいてはいけない。汝は、別の泉を探さなければならぬ。『記憶』の泉からは冷たい水が流れており、泉の前には番人たちが立っている」[1]。
ギリシア・ローマやグノーシス派のイメージでは、レーテーは冥界にあることになっていたが、これは、昔レバディアにあった「大地の神々」(クトニオスたち)の神託の洞穴に由来していた。レパデイアでは、暗い穴の中に下りていったときに「見えるもの」や「聞えるもの」から自分の運命がわかるようにと、入念な準備が行われた。この準備の中には、「これまで頭に浮かんだことすべてを忘れてしまうため、レーテーと呼ばれる水を飲まなければならない。次に、もう1種類の水を飲まなければならない。すなわち、穴を下りていったときに見たものを思い出させてくれるムネーモシュネーの水を飲まなりればならない」というのがあった[2]。
レーテーは、ギリシア・ローマ時代の神話記者の手で、アケロン、コキュトス、プレグトン、ステュクスと並んで、冥界を流れる主要な川の1つにされた[3]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)