ポルフィリオスによれば、神殿がなかった頃は、すべて宗教的儀式は洞穴で行われれた、という[1]。洞穴は、全世界的に、母なる大地の子宮と同一視されていた。生誕と再生を象徴する場所としてはもっともな場所であった。エトルリアやローマの神殿は地下洞mundusの趣を特色としていた[2]。mundusは「大地」と「子宮」を意味した。同様に、サンスクリット語で聖所を表す語はgarbha-grhaで、「子宮」を意味した[3]。
ポルフィリオス(234?-305)
新プラトーン主義哲学者、学者、著作者。プローティーノスの伝記作者。キリスト教会に反対したために、結局、その著作のほとんどを破棄された。
ヒンズー教の聖なる場所は、太母神の女陰を表す洞穴であった。聖なる隠れ家gompasは、最初、洞穴の中であることが多かった。神々の住みかである楽園の山と同様、シッキム(インドの北東部、ネパールとプータンにはさまれた小王国)の「四大洞穴」は東西南北に分かれてあった。北方には神の丘の洞穴があり、西方には大いなる幸せの洞穴があり、南方には不思議な妖精たちの洞穴があり、東方には太陽が生まれる秘密の洞穴があった[4]。
ヒンズー教の最古の女神の1人にクルクラという女神がいた。子宮のように赤く彩色された母神で、「大洞穴の母神」と呼ばれた[5]。クルクラは、カーリーから現れた女神として、エローラー、アジャンタ、エレファンタといった石窟寺院のある地帯で崇拝された。西方でこのクルクラに相当する女神はプリュギアのキュベレーCybeleであった。キュベレーは「大洞穴の住者」で、神々の太母であった。キュベレーのラテン語名はSybilで、このシビュレーとは洞穴に住むキュメーのシビュレーたち(キュメーという町にいた有名な女予言者たち)の中にある予言の精のことで、神々の太母が紀元前204年にローマにつれてこられたのは、このシビュレーの命令によるものであった。
キュベレーに仕えた聖職者たちは去勢されたが、彼らは自分たちの仲間で死んだ者は1人もいない、と主張した。死んだのではなく、「洞穴に降り」ていって、キュベレーと結ばれたのであった。キュベレーの洞穴-神殿は、エレシウスの婚礼の部屋知pastosと同様、婚礼の部屋と呼ばれた。アレクサンドリアの詩人ニカンデルはその洞穴-神殿のことを「レア・ロプリーンネイの婚姻の木陰の休息所」と呼んだ[6]。この洞穴-神殿もまた「聖なる地下洞」で、アッティスやキュベレーのために自ら去勢した人々は、その供物である自分の男性性器をその洞穴に置きにやってきたものであった[7]。
キュベレーは、クレータ島では、レアーという名前になった。クレータ島の社会では、長い間、父親というものは知られておらず、また知られていたとしても無視されていた[8]。生命というものはすべて、ディクテ山Mount Dicteにあるレアーの子宮を表す洞穴から生じたものである、と思われていた。レアーの聖なる律法はこの山から布告e-dictsされた。そのためレアーの添え名はディクテュンナで、立法者の意である。レアーはまたプリトマルティス(「うるわしき乙女」の意)とも呼ばれた。夫がいない母親のことであった[9]。同じ子宮を表す洞穴から、レアーは、のちに神々の父であると言われたゼウスを生んだ。
レアー・ディクテュンナの洞穴-神殿は発展してト占所になった。ソロンの律法はそれを公の売春宿と称した。巫女たちが相手かまわずに肉体関係を持つ時代になると、洞穴、神殿、売春宿を表す語は混同されることが多くなった[10]。洞穴を訪れて、神聖娼婦と寝ることは礼拝行為であった。初期キリスト教時代、異教の秘儀はたいてい、洞穴、あるいは地下室で最も聖なる儀式を行った。
ミトラ教信者は、正しく礼拝するためには、洞穴がなくてはならないものと考えたので、もし神殿の境内に自然の洞穴がない場合は、人工的に掘った。バチカン宮殿にある洞穴は西暦376年まではミトラ教のものであった。その年、ローマの司令官はキリストの好敵手であった救世主ミトラの祭儀を弾圧して、その神殿を占拠してキリストの名を付した。それはその異教の神ミトラの生誕の日である12月25日のことであった[11]。
キリスト教会が懸命に弾圧したにもかかわらず、何百年にもわたって、昔の神々は聖なる洞穴で崇拝され続けた。多くの「洞穴」 grottoesには異教の偶像が描かれていた。大聖堂を彫刻で飾ろうとした考えは、この洞穴にならったものであった。そのためにゴシック芸術には「グロテスクなもの」grotesques (grottocreatures)が多い。 15 世紀にもなると、教皇カリストゥス二世は、聖なる洞穴の中で宗教的儀式を行うことを禁じようとした[12]。地界への入り口として、洞穴は、依然として、太母神の女陰を表す門を連想させた。世界の子宮への門として長い間崇拝されていたのは、ぺロポネソス半島南部の、マルマリーの神殿近くにあった海の洞穴であった。マルマリーとは母神マリのことで、海の女神であり、別称はアプロディーテー・マリーナ、マーラー、マリアであった[13]。
18世紀まで、デンピーシャー(英国ウェールズ北部の州)にタングロゴーと呼ばれる洞穴があって、「 3人の妖精姉妹」(運命の三女神)が住んでいた。そこの魔法の泉の縁沿いには、しばしば、彼女たちの足跡が見られた、という。その洞穴に「秘宝」が隠されていると言われた。「秘宝」とは「古い宗教」(異教)の備品のことを言うことが多かった[14]。
スペンサーによると、妖精女王の「天国の木陰の休息所」にある秘宝とは、聖母マリアの秘密の「囲い庭」にある秘宝と同じものであった。その庭には再生の秘密の泉や生命の木があり、鳥は歌い、リンゴやバラの木があって、中央に「愛のパラの木」が立っていた。アンドレアス・カペルアヌスによると、異教の女神の洞穴というのは大地の中央にある「愛の園」であって、男性のシンボルである生命の木と女性のシンボルである聖なる泉があった[15]。
聖なる洞穴は、異教が弾圧されてからもずっと長い間、文字通り、「婚姻の木陰の休息所」として、依然として、用いられた。異端的な「愛の女神」ミンネを崇拝した吟唱詩人たちは、人跡未踏の山々に住む野蛮な巨人たちが掘ったある「愛の洞穴」のことを語った。人々はこっそりと情を交わしたいと思うときは、そこに入っていった。プットフリード・フォン・ストラスバーク氏の言うところによると、そうした洞穴が発見されたときはいつでも、その洞穴は青銅の扉で閉ざされていて、その扉には「愛し合っている人々のための洞穴」La fossiure à Ie gent amantという文字が刻み込 まれていた、という。「頭上には、アーチ状の天井がみごとにしつらえられ、そしてそのアーチの中央部にあるかなめ石には頂冠があって、それは、金属細工師の手によって宝石が化粧張りにされて、見事に飾られていた。下の歩道は、滑らかで光沢のある立派な大理石で、草のような緑色であった。中央にはベッドが1つあった。美しい、きれいに切り出された水晶のベッドで、高くゆったりとしていて、地面よりかなりせり上がっていた。そして、ベッドの周囲には文字が刻み込まれていた。それは、伝説によると、愛の女神への献辞であった」[16]。
ヨーロッパには聖なる泉が多いが、それらはすべて、病に効く水を湧出した。そうした薬効は、聖人たちや聖母マリアによるものだ、という神話が新しく伝承されるようになった。しかし本当の伝承は、異教の女神の再生の洞穴から生まれたものであったのだ。 19世紀まで、スコットランドのダンスキーの近くにある聖なる洞穴は、そこに湧出する泉の水に薬効があるとして利用されていた。病人が遠いところから連れてこられて、そこの泉の水を浴びた。それは必ず「新月の前の3日間」でなければならなかった。こうしたことを考えると、その洞穴は母権制社会の神殿であったことがわかる。そしてその水を浴びると魔術的効果があると言われたが、とくに、体の弱い人や栄養不良の子供たちに効く、と信じられていた[17]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
山が、地上世界と天上世界との接点だとすると、洞窟は、地上世界と地下世界との接点である。しかし、「成り成りて成り余れるところ」=山は、「成り成りて成り足らざるところ」=洞窟とぴったり嵌りあうことによって、一体となる。Mountain.
〔定義〕 子宮の原型、ほら穴は多くの民族の起源神話、再生神話、秘儀伝授神話に現れる。完全な同意義語ではないが、総称語としてのほら穴(caverne)には洞窟(grotte)と洞(antre)も含まれ、程度の差はあれ暗く、地面ないしは山腹に多少とも入り込み、上部がアーチ形の地下または岩壁のくぽみを指すものとする。洞(antre)はまがりくねった穴の奥の直接には光の届かぬ所、奥深い暗いほら穴といえよう。しかし、巣穴(tanière)、野獣や山賊などの隠れ家は排除する。この語の意味はほら穴というシンボルに傷をつけるものでしかない。
〔象徴・世界〕 ギリシア秘教の伝承ではほら穴は世界を表す。「ケレースが娘を探して、冥界に下りるときに通ったほら穴は世界と呼ばれた」(セルウィウス『「牧歌」論』III、105)。プラトーンにとってこの世は無知、苦痛、処罰の場であり、人間の魂はほら穴に閉じ込められているように、神によってこの世に閉じ込められ、つながれている。彼は『国家』(VII、514a、b)で有名な比喩を使う。
「正面一杯に日の光へ向かって大きく開く入り口のあるほら穴の形をした一種の地下住居に暮らしている人間を思い浮かべてほしい。この住居の内部で子供時代から足と首を鎖でつながれている。それで、彼らは同じ場所から動けず、また鎖で固定されているため頭を回すことができないので、自分の前にあるものしか見えない。光は後ろの方、高く遠い所で燃える火からやって来る」。これがプラトーンの考えるこの世の人間の状況である。ほら穴はこの世界のイメージである。壁を照らす間接光は目に見えぬ太陽から来る。しかしそれが真と善を見出すために魂の取らねばならない道を示しているのである。「上方に向かい、高きにあるものを見ることは英知の場所へ登る魂の道を表す」。したがって、プラトーンにおいて、ほら穴のシンボリズムは単に宇宙的であるばかりでなく、倫理的ないし道徳的な意味も含んでいる。ほら穴とほら穴の影絵劇、または人形劇は、動く仮象にすぎず、本当の現実世界《イデア》の世界を見つめるために出ていかねばならないこの世界を表しているのである。
数多くの秘儀伝授の儀式は志願者の自然あるいは人工のほら穴の通過から始まる。これはミルチャ・エリアーデの定義した「子宮への回帰」の具体化である。エレウシースの秘儀がことにそうで(MAGE、286)、象徴的論理が厳密に出来事に転写されており、秘儀加入者は洞窟に〈鎖でつながれ〉、次いで光を得るためそこから脱出しなければならなかった。ゾロアスターが定めた宗教儀式ですでに洞は世界を表していた(MAGE、287)。
「ゾロアスターが最初に泉が湧き出る花と緑に覆われた自然の洞をミトラ神に捧げた。その洞はミトラ神が創造した世界の形を表していた。……こうした信仰の影響を受け、ピュタゴラス学派とこれに続いてプラトーンは世界を洞とかほら穴と呼んだ。実際エンペドクレスは魂を導く力にこういわせている。『我々はこの岸根に覆われた洞へやって来た』」(ポルピュリオス『ニンフの洞について』6?9)。
プローティーノスはこのシンボリズムを次のように解説する。「プラトーンのほら穴も、エンペドクレスの洞のように、我々の世界を意味していると思える。そこでは、英知への歩みが魂にとっては自分をつなぐ鎖からの解放であり、ほら穴の外へ登り出ることなのである」(プローティーノス『ェンネアデス』IV、8、1)。
より秘教的な説では、洞の番人のディオニューソスが鎖を砕いて囚人を自由にする。「秘儀の伝授を受けた者は1人のディオニューソスなのであるから、初め、自分を牢につないでいるのも、最後に自らを解放するのも実はその人自身なのである。すなわち、プラトーンやピュタゴラスが考えたように、魂は自分自身の情念によって囚われていて、《我々》すなわち思考によって解放されるのである」(MAGE、290-291)。
このように、ギリシアでは伝統的にいつも、形而上学的シンボリズムと道徳的シンボリズムが密接に関係づけられ、調和ある自我は調和ある宇宙の姿に倣って形成されるのである。
〔象徴・無意識〕 しかし、この説明に対峙するように象徴としてのほら穴の別の側面、このうえなく悲劇的な面が見出される。洞窟、暗い穴、果てしない地下の領域、恐ろしい奈落、怪物が住み、怪物がそこから出てくる所、それは無意識と無意識のもたらすしばしば思いがけない危険のシンボルである。古代ギリシア・ローマ人の間で非常に有名であったトロポニオスの洞窟は確かに、無意識の最も完全なシンボルの1つとみなすことができる。
小国の王で名高い建築家のトロポニオスは、弟のアガメデスとともに、デルポイにアポッローンの神殿を建てた。次いでヒュリエウス王が彼らに宝庫を建てさせたが、そのとき彼らは宝を盗むための秘密の通路を作った。これに気づいたヒュリエウスはわなをかけ、アガメデスがこれにかかった。弟をわなからはずすことができなかったトロポニオスは、その顔から犯人とわかることを恐れ、その首を切り、持ち去った。しかし、トロポニオスはすぐさま地の底へ飲み込まれてしまった。何年かのち、ひどい早魅を終わらせるため神託を求められたビュティアはトロポニオスの所へ行くように勧め、彼の住む森の奥の洞窟を教える。トロポニオスの答えは当たり、以来ここは評判の神託所の1つとなった。しかし、彼の神託は恐ろしい試練を経て初めて受けられるのだった。いくつかの地下広間や洞穴が続いたあと、ぱっくり口をあけた、冷たく暗い、1つの洞窟の入り口に着く。神託を受ける者はそこに梯子で降りていく。降りたところに非常に狭いもう1つの穴が口をあけている。そこに足から入り、なんとか体を通す。すると次は洞の底へ矢のような墜落である。それから目に見えぬ機械に、やはり大変な速度でさかさに底から上へ吊り上げられる。この行程の間中、手にミツバチの巣を持っていなければならないが、それは機械に触れないようにするためと、この地下にはびこるヘビを静かにさせるためである。洞窟の試練は一昼夜にわたることもあった。不信心者は再び日の光を見ることはなかった。信心の深い者がときどき神託を聞くことがあった。彼らは地表に戻って来ると、ムネーモシュネー(記憶の女神)と名づけられた椅子に座り、どんなに恐ろしいめにあったか思い起こし、その強い印象は一生涯、心に刻みこまれるのであった。まじめくさった陰気な人のことをしばしばつぎのようにいった。「あの人はトロポニオスの神託を受けた」。
犯人とわからないように弟を殺したトロポニオスが持つのは、罪悪感を逃れるために過去の現実を否定する者のいだく強迫観念である。しかし存在の奥深くに刻み込まれた過去は否定しても消えはしない。洞穴から日の光のもとに出て、自分のものだと認めることを承知する、そのときまで、ヘビなどありとあらゆる姿をとって過去は罪人を苦しめ続けるのである。ほら穴は内的自我、とりわけ無意識の奥底に抑圧された原自我の探索を象徴する。明らかな相違があり一緒にすることはできないが、トロポニオスの兄弟殺しとアペルを殺したカインの行為を関連づけることはできる。無意識につきまとう遠い遠い昔の殺人の記録をほら穴のイメージは照らし出すのである。
〔魔術〕 ほら穴はまた「巨大なエネルギーの貯蔵所」とみなされる。しかしそれは地上的エネルギーで、まったく天界的なものではない。したがってほら穴は魔術のなかで1つの役割を果たしてきた。地下の神殿であるほら穴は「氷河期、人類が真に誕生したといえるときの思い出を保存している。ほら穴は通過儀礼や、模擬埋葬や、魔術的存在との接触にまつわる儀式に適している。ほら穴は生物学的な誕生の時を成人の儀式の暗から分ける潜在的生命を象徴する。未開人はほら穴によって死と生の芽生えを司る冥界の力(地中に住む神々)とコミュニケーションをする」(AMAG、150)。
魔術史家によればさらに、「ほら穴は大体地下をぐるりと一巡し、くねくねと人の腸を思い出させる道をたどることから、いつも魔術を行う恰好の場所とされた」。ここではほら穴は塔や寺院と類似した機能を果たしている。すなわち、魔術的、あるいは超自然的な力の凝縮装置としての機能であるが、ほら穴に集まるのは地的な力、「下方の星」(AMAG、151)から発し、他の下方の星に向けられた力、人間の心を欲望に燃えあがらせる力である。
〔近東〕 近東では、洞窟は子宮と同様に源、再生を象徴する。トルコの14世紀の伝説に際だって目につくものがある。「中国との境、『黒い山』の上で、1つの洞窟を洪水が襲い、粘土をそこに運び込む。粘土は人形の穴を満たす。洞窟は鋳型となり、9か月後、太陽の熱の力によって、塑像は生命を得る」。これがアイーアタム、「我が月なる父」と名づけられた最初の人間である。(ROUF、286)。40年間この人間は1人で暮らす。そして新たな洪水が第2の人間を誕生させる。しかし今度の焼成は不完全で、この不完全な存在が女性である。2人の結合から4人の子供が生まれ、彼ら同士結婚し子孫をもうけていく……
アイ-アタムとその妻は死ぬ。長男は彼らがよみがえることを願って、洞窟の穴に埋葬する。
〔極東〕 極東の伝承では、副次的な興味しか与えないいくつかの説明もあるが、ほら穴は世界のシンボル、誕生と通過儀礼の場、中心と心の象徴である。
ほら穴は宇宙を表す。すなわち、平らな地面は地球、丸い天井は空にあたる。なかんずくタイ族は実際空を1つの洞窟の天井とみなしている。古代中国の「人家」は洞窟だったが、中央に《世界軸》と《王道》の代替物の柱を持っていた。支配者は「空(丸天井からの鍾乳石)の乳を吸う」ためその上に登らねばならなかった。こうして自分の天との血縁、《道》と自分の同一性を証明したのである。ほら穴は、穴居人の実際の住居であろうと、シンボルとして使われるのであろうと、炉の煙、光、死者のあるいはシャーマンの魂の通過のため、丸天井の中央に穴をそなえている。これは類似の象徴的意義を持つドームでも考察された「太陽の門」または「宇宙の眼」で、ここから「宇宙からの離脱」がなされるのである。錬金術のるつぼと人間の頭蓋骨が、頂に同様の「開口部」を持ち、両者ともほら穴と同一視されうることを付記しておこう。道教の象徴的人間学がまたこの点については非常に明確で、頭蓋骨を世界の中心である良港山と同一視する。速答山には秘密の洞窟があり、そこでは宇宙から離脱する前に原初の状態への回帰が行われる。
〔山との関連〕 まさにほら穴の象徴的意義の本質のすべてがそこに暗示されている。まず山との結びつき。インドの伝統的建築は要約すれば山に穿たれたほら穴であることが指摘された(セッケル)。山腹に穿たれた石窟寺院はそれ自身がまたその中に〈仏舎利〉を持つ。さらに〈仏舎利〉 山には釈迦の遺物を入れる洞窟が作られる。寺山(階を階段状に高く積み上げた寺院)の〈聖室(ケラ)〉は明らかにほら穴とみなされる。北ヴェトナムのタイ族の伝説では世界中の水が宇宙の山の麓にあるほら穴に入り、頂上からまた出て、天の川を作る。仙人の邦子(ぎん)がある日、山のほら穴に入り、頂上から出るとそこは天の宮殿の真ん中である。これらのことはほら穴が山を貫き通っている軸、すなわち世界軸上にちょうど位置することを示している。
インド文化の影響を強く受けたクメールの寺山の場合、〈ケラ〉は天にも、細い井戸で地にも延びていくこの軸に文字通り貫かれている。〈ケラ〉に〈リンガ〉(男根像)が納められるとき、リンガは明らかに軸線に一致する。デルポイのオムパロスが大蛇のビュートーンの墓の上、デウカリオーンの洪水の水が飲み込まれた地の裂け目の上に置かれていたことは興味深い。
ゲノンは次のように書いている。もし山が直角三角形で表されるなら、ほら穴は頂点を下にし、山の三角形の中に置かれたより小さな三角形で表されるべきである。それは周期的な衰退に起因する、発現された真理を隠された真理とする視点の逆転の表現であると同時に、心のシンボルといえるだろう。なぜなら、ほら穴は次第に「闇に包まれて来た」マクロコスモスの精神的中心(旧石器時代のほら穴の頃からそうであったかもしれない)とともにミクロコスモスの精神的中心、すなわち世界の中心と人間の中心を表現するからである。『ウパニシャッド』の「心臓のほら穴」にはエーテル、個々人の魂、そして〈アートマン〉、すなわち《普遍的精神》まで入っている。
〔誕生・回帰〕 ほら穴はこの「中央」という特徴から誕生と再生の場となる。また「新たな誕生」である通過儀礼の場にもなるが、ここに到達するにはたいてい、ほら穴の前にある迷路の試練を経なければならない。ほら穴は錬金術のるつぼに似た「子宮」である。さまざまな民族、ことにアメリカ・インディアンでは、人間は地下のほら穴の中で成長した胚芽から生まれたと考えられている。アジアでは人間はカボチャから生まれた。なぜならカボチャも一種のほら穴で、そしてほら穴に育つからである。ほら穴に仙人たちがカボチャを採りにいく。竅(きょう)(あな、体のあな)は子宮でほら穴である。人はそこから生まれ、そこに帰る。古代中国の皇帝たちは新年の初め、地下の洞窟に閉じ籠もり、天に昇る力を身につけた。
ほら穴に入るとは、したがって起源への回帰であり、そこから、「天に昇ること、宇宙から外へ出ること」になる。それゆえ、中国の仙人はほら穴に足しげく通い、老子はほら穴に生まれたといわれ、仙人の呂洞賓(りょどうひん)は「ほら穴の主」なのである。〈洞〉はほら穴とともに(隠されたものごとを)見抜き、悟ることを意味する。しかしこの仙人のほら穴は(ここに伝説の意味の内面化が見られる)ただ山々の頂上にのみ探し求めるのでなく、頭頂である岸谷山の下、身体そのものの内に求められねばならぬと教えられる。ヒンズー教の寺院の〈ケラ〉は〈ガルバグリハ(本堂)〉または「家・子宮」と呼ばれる。ユダヤの伝承の不滅の国、ルズは地下都市である。次のこともほら穴の特徴をよく示すものである。キリストはほら穴に生まれ、ほら穴から《言葉》と《腰罪》の光が輝く。また、〈天照大御神〉の目もくらむ光輝は、ほら穴、岩戸のわずかに開いた戸から放射する。さらにヴェーダの雌ウシ、「ゴー」の光の場合も同じである。そして太陽神〈ミトラ〉祭礼はしばしば地下で行われ、中国では朝日は「中が空洞になったクワの木」、〈空桑〉から出てくる。ほら穴に閉じ込められた光を表す例はまだ他にもある。聖フアン・デ・ラ・クルスの「石のほら穴」とは神との一致においてのみ到達されうる神聖なる奥義である。アブー・ヤークーブの「ほら穴」は原初のほら穴、周期的星食であり、さらにイスラム秘教の教義によれば「中心的」物質への「回帰」を示す〈ターウイール(比喩的解釈)〉である。
〔煉獄〕 ほら穴はさまざまな形で地から天への通路であることがわかった。ここにほら穴に生まれたキリストは、天上に昇る前の地獄下りの間もまたほら穴に埋められていたといえることを付け加えておかねばなるまい。洞窟はさらにまた天から地への通路でもある。なぜなら中国では天上の存在がそこに降りてくるからである。煉獄は、ことにケルトでは伝統的に洞窟に置かれる。また、改心がなされ、魂が《イデア》の直視に向かい上昇するまで、光は反射、存在は影でしか捉えられないプラトーンのほら穴もそれ自体が一種の煉獄にほかならない。これはおそらく上のほら穴の持つ仲介的役割により説明がつくだろう。
最後に、ほら穴の地下的性質は多くの副次的な説明の対象となっている。ほら穴には、坑夫、「小人」、「隠された財宝」の番人が住む。これらは冶金術の不吉な側面に多く関係する危険な心理的実体である。古代ギリシアの〈ダクテュロスたち〉は鍛冶屋で、ほら穴の神〈キュベレー〉の神官でもある。ほら穴にはしばしば怪物、盗賊が隠れ住むが、その意味をより明瞭に表し、とりわけ中国でよく見られるように、地獄の門を中に持つこともある。しかし、ほら穴が地獄へ続き、そこに埋葬された死者は、墓の彼方への旅をそこから始めるのだとしても、「地獄下り」は普遍的に新生への前提でしかないということを指摘しておかねばならない。あらゆる主要なシンボルの持つ肯定と否定の2側面がここでも見出されるのである。
〔夢〕 ほら穴のイメージは一般的に同じベクトルを持つ他のイメージと結びついて夢に現れる。「このシンボルグループ(ほら穴、女、晴乳動物、主観世界)が現代人の夢の世界に見出される。かくして、精神分析は女性のイメージと内部を表すイメージ、たとえば、家やほら穴などのようなイメージとの等価性を明らかにした。そして白昼夢を使っての精神療法によってこの等価性は確認された。数多くの物語で征服される処女はほら穴に住んでいる。そしてキリスト教の童貞女(未婚のまま神につかえる尼)もたびたび洞窟、あるいは地下室と結びつけられた」(VIRI、167)。
〔心理学〕 ほら穴は同一化、すなわち1人の人間が自分自身を見出し、成熟した人間となる心理学的内化の過程が進展する場である。そのためには外から自分の中に刻み込まれる集団世界のすべてを、混乱に陥る危険をおかして消化吸収し、こうやって外からもたらされた分を固有の力と同化させ、自身の個性と、組織されて行く周囲の世界に適合した人格とを形成するようにしなければならない。内的自我とその外的世界との関係は同時に相伴って組織されるのである。ほら穴は、この観点からは、自己の〈差異化〉の問題と取り組む主体性を象徴している。
(『世界シンボル大事典』)