「ぞっとするもの、タブーであるもの」の意。ギリシア神話において冥界を流れる主要な河[1]。ステュクス河はタブーであったが、それはこの河が、クリトールの町の近くの山中にある、大地母神を祀った、女陰をかたどった秘密の神殿から流れ出てくる、母神の経血になぞらえられていたからである[2]。古代世界のたいていの河と同じく、ステュクス河も女神に擬せられ、「大洋の娘」と呼ばれた。彼女はパッラスPallas(phallos「リンガ」)と結婚し、「力」、「強さ」、「支配」(ニーケー)を生んだ。これは、精液と経血を混合すると生じると、一般に信じられていた魔力の神話的表現である[3]。
ステュクス河は冥界を7巡りしていたが、これは、妊娠状態は7太陰月の間続くから、再生も月の満ち欠けの周期を7回経たのちに達成されるであろうという信仰の名残であった。ひとはステュクス河を「渡って」死-再生の国に到着すると言われた。同じくトマス・ライマーThomas Rhymerが血の川を渡って妖精に国に達したし、ユダヤ教の聖人たちはヨルダン河を渡ると言われた。ステュクス河とヨルダン河は「死の河」であるとともに「生誕の河」でもあった。ステュクス河の別名はアルファ(「生誕」)であった。同様に、ある男が7度ヨルダン河に身を浸すと、「その肉がもとにかえって幼子の肉のようになった」(『列王紀下』第5章 14節)。
死者は、カローンCharonの操る渡し船に乗ってステュクス河を渡らねばならないという古代の考えは、17、8世紀にいたるまでギリシア、アイルランドや他の国でも文字通りに信じられていた。農民は名目上はキリスト教徒であったが、たいてい死者を埋葬する前に、「渡し賃が払えるように」、死者の口に貨幣をくわえさせた[4]。〔古代ギリシアでは、その額は1オボロスであった〕。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ステュクス河には、アケローン=Acevrwn(「禍の河」)、コーキュートスKwkutovV(「嘆きの河」)、アオルニス(「鳥のいない河」)、レーテーLhvqh(「忘却の河」)、プレゲトーンFlegevqwn(「火の河」)といった支流があったが、これらは死の惨めさや、そこでの応報を表すためにつくられた架空の名前であろう。(グレイヴズ、p.182)
実際のステュクス河はアルカディアのノーナクリスNonakris近く、ケルモスChelmos山の北東壁から滝となって60メートル落下、クラティスKrathis河に流入する河で、毒性があると考えられていた。冥府の河も同じく魔力を有し、テティスはアキッレウスをその河に漬けて不死身にしたという。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)