冥界の神、「死の王」で、ヘカテーまたはペルセポネーの夫。ローマ以前のラティウムでは、ハーデースはエイタあるいはアデの名で知られ、花嫁はペルシプネイだった[1]。ギリシア神話になると、ハーデースは処女神ペルセポネー(すなわち、コレー)の誘拐者に変えられた。しかし、実は、ペルセポネーは「破壊者」を意味し、本来は冥界の死の女神だったのである。ハーデースはギリシア名をアイドネウス(=Ai&dwneuvV)といったが、この名は「盲目なる者」の意で、大地の子宮の中に宿っている「隠れたる神」(男根神)の通称だった[2]。
ハーデースは「富の王」プルートー〔ラテン語Pluto〕あるいはプルートーンの名でも知られており、地中にある宝石や金銀のありかをくまなく知っていると考えられていた。プルートーンはキリスト教においては悪魔と同一視されたが、この悪魔は自分の信者たちに地下に埋蔵されている宝物のありかを教えてくれると信じられていた。また、冥界の神々の例にもれず、ハーデースも冥界の住人の王と考えられていたのであり、したがって、冥界はへルという女神の名ではなく、ハーデースという男神の名で呼ばれることも多かった。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
死者の国の支配者。彼はこの他に、プルートーンPlouvtwn《富者》、クリュメノスKluvmenoV《名高き人》、エウブーレウスEujbouleuvV《よき忠告者》などの別名で呼ばれ、その崇拝もほとんどつねにこれらの別名によって行われているが、これは恐ろしい彼の本名を呼ぶことを避けたためであろう。また彼は地下の神として、地中より植物を芽生えさせ、地下の富の所有者として、また一度来れば帰ることない死者に富める者として、プルートーンなる名を得たといわれる。ローマ人はプルートーンを取って彼の名とし(Pluto)、またディース・パテル Dis Pater(プルートーンの訳名)、オルクス Orcusとも彼を呼んでいる。彼は死者の王として、決して帰還を許さない恐ろしい神とされているが、正義に悖ることのない正しい神であり、后ぺルセポネーとともに冥界の王座に坐し、ミーノース、ラダマンテュス、アイアコスの三人の判官に助けられて、冥界を支配する。
彼の支配する死者の国は、古くホメーロスでは極西、オーケアノスの流れの彼方にあるとされているが、のち、地下に存在すると考えられ、ギリシア各地に見られる深い洞窟がその入口とされていた。生者と死者の国の境にはステュクスあるいはアケローンと称する河があり、渡守りカローンが死者を渡した。冥府には別に(ビュリ)プレゲトーン(Pyri)phlegethonと コーキュートスなる河があり、ローマの詩人の想像はこれにレーテー(《忘却》の意)河を付加している。冥府で死者はアスポデロス〔「不凋花」の意。ツルボラン(Asphodelus ramosus)。Dsc.II-199〕の咲く野にさまよい、特別の神の恩寵を得た者はエーリュシオンの野に住むことを許される。これに反して神々の敵は最深部のタルタロスに幽閉されている。ただしこれらの冥界の地理はかなり後代の想像によってできあがったものである。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)
ハーデースとポセイドーンとゼウスが血肉の兄弟であるという事情は、ヴェーダの神話にあらわれる男性の主神がミトラとヴァルナとインドラの三位一体を示す そしてこの三体の神々はおよそ前1380年ごろのヒッタイトの条約文書にもあらわれる という事実を思いおこさせる。けれどもギリシア神話のなかでは、このハーデース以下の三神は、ふつうイオーニア人、アイオリス人、アカイア人という名で知られるへレーネス中の三部族の三回にわたってひきつづき行われたギリシア侵攻をあらわしているものらしい。大地母神を崇拝していたプレ・ヘレーネスは、まずイオーニア人を同化した。その結果、彼らはイーオーの子どもたちとなった。つづいてアイオリス人を馴化させたが、アカイア人に逆に屈服させられた。樫(カシ)とトネリコの信仰の聖王となった古代へレーネスの族長たちは、それぞれ「ゼウス」や「ポセイドーン」の称号をもつようになり、ある定まった統治期間がおわると死ななくてはならなくなった。樫にせよ、トネリコにせよ、二つとも雷霆にうたれることの多い木なので、ヨーロッパ全域の民間につたわる儀式、雨乞いとか火をおこすことに結びついた儀式には、これらの木がたびたび登場する。(グレイヴズ、p.67)