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ツバメ(Swallow) 〔Gr.celidwvn

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ピロメーラー(Filomhvla)
 アテーナイ王パンディーオーンとゼウクシァベーの娘。プロクネーの姉妹。パンティーオーンは国境の問題でテーパイのラブダコスと争った時、トラーキア王テーレウスの来援によって勝利を得たので、プロクネーを彼に与えた。二人のあいだにイテュスが生まれたが、テーレウスはピロメーラーに恋し、プロクネーが死んだと偽わって、彼女を迎え、犯したのち、彼女が告げることができないように、その舌を切り取った。しかし彼女は長衣(ペプロス)に織りこんで、プロクネーに自分の不幸を告げた。プロクネーはピロメーラーを探し出し、イテュスを殺して、煮て、テーレウスに供した。姉妹は遁れたが、テーレウスはこれを知って、斧をつかんであとを追い、二人はポーキスのダウリス Daulisで捕えられんとした時、神々に祈り、ブロクネーはナイチンゲールに、ピロメーラーはツバメに、テーレウスはヤツガシラ(戴勝)となった。ローマの詩人は姉妹の役を反対にし、テーレウスの妻はピロメーラーで、ナイチンゲールにはピロメーラー、ツバメにはプロクネーがなったとしている。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)


1 このような途方もないロマンスがつくりだされたのは、ポーキス人たちがダウリス(「毛むくじゃらの」)の神殿 に侵入したときに見つけだした、この地域で行われているさまざまな予言の方法をえがいたトラーキア=ペラスゴイ人の一連の壁画の意味を説明しようとしてのことだと思われる。

2 プロクネーの舌を切りとったという話は、つぎのような場景をあやまって解釈したものであろう。つまり、ひと りの巫女が予言を行うにあたって、まずゲッケイジュの葉をかんで悦惚状態におちいる。彼女の表情がゆがんで見えるのは、陶酔のためであって苦痛によるわけではない。そして切りとられた舌のように見えるのは実際はゲッケイジュの葉で、これは彼女のとりとめもないうわごとを解釈する祭司が手わたしたものなのである。花嫁の衣裳に文字を縫いこんだというのも、別の場景をあやまって解釈したのである。すなわちタキトゥス(『ゲルマーニア』第一O書)が述べているケルトふうのやりかたか、あるいはへーロドトス(第四書・六七)が記しているスキュテイアふうのやりかたで巫女が白い布地の上に神託に用いるひとつかみの棒を投げだすと、この棒きれは文字の形をとり、巫女はその文字のなかに神託を読むのである。テーレウスがイテュスの肉を食うという場面では、柳の巫女が王のために生贄とされた子どもの臓腑の形から予言を読みとろうとしているのである。テーレウスの神託に関する場面では、たぶん彼が神殿のなかで羊の皮につつまれて限り、夢のなかで神のお告げをうけているところが描かれているのであろう。ギリシア人だったなら、この絵をまちがって解釈するようなことはなかったであろうが。ドリュアース殺害の場面にはおそらく一本の樫の木があって、その木の下では祭司たちがドゥルイド教の僧侶がするような仕方で、人間が死んだときにたおれるそのたおれかたから吉凶を占っているところがかかれていたにちがいない。プロクネーがツバメにかえられた話は、羽毛かぎりのある衣裳をきた巫女が、飛びたつツバメの動きを見て占っている場景を解釈したもので、ピロメーラーがナイチンゲールに、テーレウスがヤツガシラにかえられた話も、おなじような壁画の読みちがいの結果だと思われる。テーレウスという名前は、「観察者」という意味であるから、おそらくヤツガシラの絵に男の占い師がえがかれていたのであろう。

3 こうした場景はさらにもう二つあったものと推定される。蛇の尾をもつ神託の英雄が、血みどろの生贄をささげられているところと、若者が蜜蜂の神託を聞いているところである。この二人はそれぞれ古代におけるもっとも有名な蜜蜂の飼育者で、プロクネーとピロメーラーの兄弟にあたるエレクテウスとプーテースである。彼らの母ゼウクシッぺーの名は「馬にくびきをかける女」という意味で、疑いもなく馬の頭をしたデーメーテールのことである。

4 ヒュギーヌス以外のすべての神話作者たちは、プロクネーがナイチンゲールになり、ピロメーラーがツバメにかえられたと記している。これは、誰か古代の詩人がまちがって、テーレウスがプロクネーではなくピロメーラーの舌を切りとったと述べた、その誤りをつくろおうとして辻つまをあわせたのだろうが、それにしてもあまり感心したものではない。ヤツガシラは立派な冠毛をもっているため高貴な鳥とされてはいるが、その巣は悪臭を放つことで有名だから、テーレウスの話にはいかにもふさわしい鳥だといえよう。コーランによると、ヤツガシラはソロモンに予言の秘密を教えたといわれる。

5 のちにポーキスとよばれるようになったダウリスは、鳥の信仰のさかんなところだったらしい。このポーキスというあたらしい国家の名祖となった英雄のポーコスは、オルニュティオーン(「の鳥」)の息子だといわれ、その後を継ぐ王もクスートス(「雀」)と名づけられた。ヒュギーヌスの記述によると、テーレウスは、エジプトやトラーキアやヨーロッパの西北部で高貴な鳥とされている鷹に姿をかえられたという。(グレイヴズ、243-244)


中国・慣習〕 格言でどういわれていようと、レミ・ペローが書いているように、ツバメは、実際に「春の使者」である。中国では、昔、ツバメの訪れと出発を、春分と秋分の日にぴたりと合わせていた。ツバメが戻って来る日(春分)は、〈五穀豊穣を祝う祭り〉の日であった。おそらくこれは、ツバメのを飲み込むことで若い娘の神秘 的な受胎を語っている何篇かの伝承の説明になる(商一族の祖先を扱った黒帯の物語がそうで、孔子は商一族の出である)。強いていえば、孔子もツバメの息子ということになる。春を示す別の兆候もある。ツバメをかたどったパイ葉子が、門の上に置かれたものだった。ツバメはこの場合、コウライウグイスという別の春のと混同されていたようだ。

中国・民間伝承〕 また、渡りとしての、ツバメの季節移動(〈陰〉-〈陽〉)には、次のような変身がつきまとう。ツバメは、水の中にこもる(〈陰〉-冬)。列子によれば、「そこでツバメは貝になり」、それから日が昇る動きに合わせて、「またツバメになる」(〈陽〉-夏)。

エジプト・神話〕 同じことだが、アセト〔イーシス〕も、ツバメに変身した。夜、ウシル〔オシーリス〕の棺のまわりを回り、日が昇るまで悲しげな声で鳴いていたという。これは永遠の回帰を象徴していると同時に、再生をも告げている(GRAD、GRAP、GRAR、KALL、LIOT、WIEG)。

ケルト・神話〕 ツバメは、ケルトの神話では、海神マナナンの妻、ファンドの名で表される。クーフリンを愛してしまったファンドは、来世へ彼を招待する。クーフリンは、1か月の間、彼女のそばで過ごす。その後、クーフリンはファンドを棄て、妻のエメールとよりを戻す。ファンドは悲しみに暮れ、自分を迎えに来たのもとへ戻る。ツバメに関係する、もう1人別の神話上の人物は、ファンドルである。彼は、ネフターン・スケネの3人の息子の1人である。ネフターン・スケネは、クーフリンがアルスターの国境に初めて出征したとき、彼に殺される。ファンドルはひどく身軽な男で、水上でも戦った(OGAC、11、325以下、437;ETUC、506-513)。ツバメは、ここでも、豊穣、移り変わり、再生の象徴体系と関連して現れる。

アフリカ・文化人類学〕 マリのバンパラ族にとって、ツバメは、造物主ファロの助手であり、顕現である。ファロは、水と言葉の神、「純潔」を示す至高の表現で、元来が汚れた大地と対立する。ツバメが重視されているのは、この大地にとまらないからである。したがって、ツバメは汚れを知らない。ツバメは、ファロに捧げられた生贄の血を集め、これを天空へ運んで、そこからまた豊餞の雨にして降らせる。だから、大地を豊かにさせる周期的なメカニズムの中で、運搬の役割を演ずるのがツバメである。また、野生のトマトからつくったジュースを介して、女性の受胎においても同じ役割を演ずる。ツバメは、野生のトマトをやはり天へ運ぶのだ(DIEB)。

アラブ・象徴〕 ツバメは、イスラム教では、禁欲と良き伴侶のシンボルである。ツバメは、「天国の」と呼ばれている。ペルシアでは「ツバメが鳴くと、隣人や友人たちと別れなければならなくなる。おそらく元来が渡りであるために、ツバメは孤独、移住、別離を意味しているのだ」(FAHN、447)。
 (『世界シンボル大事典』)

ギリシア・神話〕 ツバメには真にむごいといえる神話が伝えられている。それをアポッロドーロスにみると、――

 〔アッティカ王パンディオーンの時に〕国境の問題についてラブダコスと戦争が生じたとき、トラーキアよりアレースの子テーレウスに援助を頼み、彼とともに戦いに勝利を得たあと、テーレウスに自分の娘プロクネーを与えた。
 テーレウスは彼女より一子イテュスを得たが、ピロメーラーに恋し、プロクネーが死んだと称して彼女を犯した。というのは、彼女を田舎に隠していたからである。後、ピロメーラーを妻として床を共にし、彼女の舌を切り取った。しかし彼女は長衣(ペロプス)に文字を織りこんで、これによってプロクネーに自分の不幸を告げた。
 そしてプロクネーは自分の姉妹を捜し出し、自分の子イテュスを殺し、煮て、何も知らないテーレウスの食膳に供した。そして姉妹ともに大急ぎで逃げた。
aedon.jpg テーレウスはこれを知って、斧をひっつかむや後を追った。彼女らはポーキスのダウリアにおいて捕らえられんとして、神々にに変ぜられんことを祈り、プロクネーはナイチンゲール〔右図〕に、ピロメーラーはツバメとなった。テーレウスもまたに変ぜられて、ヤツガシラとなった。
 (第3巻14章8)〔オヴィディウス(『変身物語』第6巻)以下ラテン系の作家では、ツバメに変えられたのがプロクネー、ナイチンゲールに変えられたのがピロメーラーとなる〕

 ロバート・グレイヴズ『ギリシア神話』は、ヒュギーヌス以外の古代の神話作家はみな、舌を切られたのはピロメーラーだとするが、それは間違いで、舌を切られたのはプロクネーだとする(根拠は示されていない)。そして、この「途方もないロマンス」を、トラーキア=ペラスゴイ人の一連の壁画を間違って解釈したものだという。

 プロクネーの舌を切り取ったという話は、つぎのような情景を誤って解釈したものであろう。つまり、ひとりに巫女が予言を行うにあたって、まずゲッケイジュの葉をかんで恍惚状態におちいる。彼女の表情がゆがんで見えるのは、陶酔のためであって苦痛によるわけではない。そして切り取られた舌のように見えるのは実際はゲッケイジュの葉で、これは彼女のとりとめもないうわごとを解釈する祭司が手渡したものなのである。

 花嫁の衣装に文字を縫いこんだというのも、別の情景を誤って解釈したのである。すなわちタキトゥス(『ゲルマーニア』第10書)が述べているケルトふうのやりかたか、あるいはヘロドトス(第4書・67)が記しているスキュティアふうのやりかたで巫女が白い布地の上に神託に用いるひとつかみの棒を投げだすと、この棒きれは文字の形をとり、巫女はその文字のなかに神託を読むのである。

 テーレウスがイテュスの肉を食うという場面では、柳の巫女が王のために生贄とされた子供の臓腑の形から預言を読みとろうとしているのである。……

 プロクネーがツバメに変えられた話は、羽毛飾りのある衣装を着た巫女が、飛びたつツバメの動きを見て占っている情景を解釈したもので、ピロメーラーがナイチンゲールに、テーレウスがヤツガシラに変えられた話も、同じような壁画の読み間違いの結果だと思われる。

 ギリシアで見られるツバメは、ヨーロッパ全域でも最もふつうに見られる"Delichonハクチョウurbica"〔冒頭図〕である。これは、日本で見られるものとは異なり、喉元が赤くない。したがって、イテュスを殺したために「その胸はいまでも息子の血に赤く染まっている」というのは(呉茂一『ギリシア神話』下、p.44)、筆が滑ったのであろうか……?

 ナイチンゲールは、ギリシア語ではアエードーン(aedon)というが、これは「歌う(aeidein)」という動詞からできた語である。古代ギリシア人にとっても、ナイチンゲールはいい声で歌うものの筆頭であったようだ。そして、セミもまたナイチンゲールに喩えられた。

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 ヤツガシラ〔上図〕はギリシア語でエポプス(epops)というが、これはその鳴き声から名づけられたらしい。アリストパネースの『鳥』226ff. において、の王ヤツガシラは次のように諸を呼び集める――

0Epopopoi~ popoi~, popopopoi~ popoi~,
i)w\ i)w\ i1tw,
i1tw tij w{de tw~n e)mw~n o(mopte/rwn.


   えぽぽぽい、ぽぽい、ぽぽぽぽい、ぽぽい。
   おい、おい、来い、来い、来い、
   来いよみな、ここへ、わしみたように翅のある者どもは、


[画像出典]
イワツバメ(Delichon urbica)

ナイチンゲール(Luscinia megarhyhchos)

ヤツガシラ(Upupa epops)