太古の昔から、霊魂が鳥の形をとるということは、インド・ヨーロッパ諸国では広く一般に信じられていた。ラテン語のavesは「鳥類」を意味すると同時に。「祖先の霊」、あるいは死者の魂、または天使、をも意味した。ローマの皇帝たちは自分の火葬用の積みまきの上にワシを放って、自分の霊魂を天界に運んでもらい、それで神格を得た[1]。同様に、エジプトの王たちもヘル〔ホルス〕 Horusの聖鳥タカを葬儀のときに空高く放って、それに乗せ、あるいはその中に入れて、自分の霊を天界に運んだ。そして不死鳥と同じくその王は火の中をくぐり抜けて、再生するときは鳥になった。こうしたことにならって、キリスト教の聖人たちも、列聖式のときに白いハトを放って、それで霊魂を天界に運んだ[2]。
人間が幻視の状態にあるとき、あるいは、忘我の状態にあるとき、鳥になった錯覚に陥るのは、死と再生の第一歩に踏み入った象徴として広く見られる現象である。南太平洋、インドネシア、中央アジア、シベリアなどの呪術師たちや予言者たちは、自分は鳥に変身できると言った。ヨーガの行者たちは、夢幻の境に入って空を飛ぶことができるのは、ヨーガを修行していちばん最初に体得する呪カである、と言った。「自分が鳥になること、あるいは鳥に乗って運ばれるということは、生きながらにして空へ、また空のかなたへ恍惚として飛んで行けることである」[3]。ケルトの妖精たちは鳥に変身することができた。そのために彼らは天使のように翼ある身として描かれたし、また魔女たちはそのために「魔女の集会」へ飛んで行けたのであった[4]。
中国では、男性より以前に女性が飛ぶ秘密を知った、と言われていた。皇帝舜はその秘密を2人の皇女から、初めて、学んだ。「ある時代まで、呪カはもともとは女性に備わっているものとされた。……このことは古代中国が母権制社会であったことを示している」。北欧でも、女神プレイアは、鳥の羽でできていて、魔術師たちがそれを着て空を鳥のように飛ぶことができる魔法の衣、をすべて持っていた[7]。マヤ人やアステカの聖職者たちはすばらしい羽の衣を着ていたが、それももともとは同じ機能、つまり霊魂を容易に天界へ運ぶ、という機能を持ったものであったと思われる。
鳥は地界と天界の間を自由に行き来するために、いたるところで、霊魂を天界へ運ぶものと考えられたと同時に、天使の使者であり、予知を与えてくれるものであり、神秘の秘密を持っているものと思われた。ハシボソガラスとハゲワシは霊魂を天界へ運ぶ鳥であった。コウノトリは霊魂を地上へ連れもどして人間を再生させる鳥であった。賢いフクロウは夜の秘密を語ってくれる鳥であった。好色なハトとナイチンゲールは愛の秘密を語ってくれる鳥であった。天使の使者であるワシは未来のことを教えてくれる鳥であった。
予言者たちは鳥の言葉を解する力がある、と神話ではくり返し語られている。たいていは、トロイの女予言者カッサンドラの場合のように[6]、聖なるヘビに耳をなめられたために耳が開いて、予言者はそうした力を得たのである。ジークフリートも、同様に、「大いなるヘビ」、あるいは、ドラゴンの魔力ある血によって、鳥の言葉を解するカを得た。ゲルマン系の言語では、鳥の鳴き声と、呪文と、歌を歌うこと、を表す語は同ーのものであった[7]。
カササギはとくに神託を告げる鳥として崇拝された。カササギは女神マグ、あるいはマゴグに捧げられたキツツキpicusであった。女神マグはスキタイのマグネテス(予言のカがあるとされたアマゾーン女人族のケンタウロス)の名祖であった[8]。古代ローマでは、カササギ、あるいはキツツキはマルスMarsのトーテム獣で、マルスがマリスあるいはブアウヌスとして化身している間その霊魂を宿している、と言われた。
エジプトでは、タカはヘル〔ホルス〕と、ヘル〔ホルス〕のこの世の姿である王、の霊魂を表す鳥であった。それから、タカはすべての霊魂の中のバーbaと呼ばれる部分を表すようになった。バーは死後も思いのままに行ったり来たりできて、墓を自由に出入りした。そのようにバーが出入りできるように通路として竪穴墳墓には狭い穴があけられていた。ピラミッドにも同じような穴があいていて、それはときには通気孔と誤解されるが、本来は死者の霊魂である鳥が出入りできるようにとあけられたものであった[9]。
霊魂を表す鳥は火葬にされた肉体からも生まれ、それがエジプト神話に入って、不死鳥となった。不死鳥は人間のときもあれば火の鳥のときもあった。不死鳥Phoenixはギリシア語で「フェニキア人」 Phoenicianを意味した。フェニキア人とはビブロスの女神アスタルテーに生贄として捧げられた聖王たちのことを言い、彼らは火で焼かれることが多かった[10]。こうした祭儀がフェニキアの海外移住者たちによって北アフリカへもたらされ、カルタゴで実際に行われた。そこでは聖王たちはかなり後代まで火で焼かれたのであった[11]。その聖王たちの鳥霊魂は炎から再生して天界へ飛刻した。そしてこのことがもとになって、エジプトの不死鳥神話が生まれたのである。不死鳥は定期的に自らの身を火葬に付して、その灰から再生した。不死鳥崇拝者は、不死鳥のそうした聖なる儀式を通して神と一体となり、同じく天界へ飛翔する力を得た。死ぬということを表すのに昔はよく「飛ぴ去る」と言った。
フィロン(ユダヤ人のフィロン、と言う。紀元前30?-40? アレクサンドリアのユダヤ人の哲学者で、プラトーン主義、ピュタゴラス学説、ストア哲学に強い影響を受げた。聖書の注釈、論文、歴史に関する著書あり)は賢人たちの霊魂飛翔について次のように述べた。「賢人たちは周行する太陽や月のことを思い、他の惑星や恒星について歌を歌う。その肉体は低く大地につながれてはいるが、その霊魂は翼をつけ、エーテル層をさまよいながら、そこにいる神々について深く思いに沈む」。今日なおヨーガの夢幻の境、あるいは脱肉体体験として知られている霊魂飛翔は、中世の錬金術の魔術に関する諸書においてもしばしば語られた。「太陽の炎も、エーテル層も、天空の回転も、他の天体も、何ひとつ妨げることができず、霊魂はすべての空間を突き切って飛翔しながら、遥かかなたの最も速い天体へと昇っていく」[12]。鳥に関する伝承を見ると、そこにはつねにはっきりと、鳥が空を飛べることに対する人間の嫉妬心と、空高くから見たらこの人間世界がどのように見えるかを知りたいと思っている人間の欲求が、現れている。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔一般〕 鳥にはその飛翔が、天と地の関係のシンボルとして、もちろん使われる傾向がある。ギリシアでは、同じ言葉が、予兆や天のお告げの類義語になりえた。それが道教における鳥の意味である。道教では、仙人は、「軽さ」、地上の「重さ」の解放の意味で、鳥の姿をした。供犠者、儀式の踊り手は、「空へ飛び立つ鳥」の〈ブラーフマナ(僧職階級)〉でしばしば、資格を得た。同じ視点で、鳥は、肉体から逃れる魂、あるいは、単に知的機能の相である(「知性は、鳥の中でも最も早い」と『リグ・ヴューダ』でいわれている)。有史以前の鳥=人間の絵(アルタミラ、ラスコー)を似た意味で解釈できた。その意味は、魂の飛翔、あるいはシャーマンの恍惚の飛行である。
〔象徴〕 天上の世界のシンボルが、地上の世界のシンボルに対するように、鳥は、ヘビと対立する。
さらに一般的に、鳥は、霊的状態、天使、〈より高次元の状態の存在〉を象徴する。中国の漢代の文学に見られる多くの青い鳥(メーテルリンク)は、妖精、仙人、天の使者である。西欧では、インドと同様に、鳥は(階級として)世界樹の枝にとまる。『ウパニシャッド』では、烏が、2羽いる。「1羽は、木の果実を食べ、もう1羽は、食べずに見ている」。活動的な個々の魂(ジーヴァートマ)と純粋認識である普遍精神(アートマ)のそれぞれのシンボルである。実際、それらは別々ではない。そのため、時折、双頭の1羽の鳥の形で表現される。イスラムでは、鳥は、もっと特別な天使のシンボルである。
〔鳥の言葉〕『コーラン』が言及する「鳥の言葉」は、「天使」の言葉、霊的認識である。大禹の助手の伯夷は、世界を組織する作業で鳥の言葉も理解する。多分、このため野蛮人=鳥を征服できた。ファリー・ウッ・ティーン・アッタールとアヴィケンナの『鳥の物語』のような、烏=旅人は、秘儀伝授の探究に引き込まれた魂である。さらに、ゲノンは、ローマの星占いの事例を指摘する。鳥の飛翔や歌による占いは、ある意味では「鳥の言葉」、天の言葉の把握ではないだろうか。詩人サン・ジョン・ペルスが、「鳥は私たちの間に歌と創造の何かを保っている」と書くとき、おそらく、この詩人は、この言葉の中の1種の原初の純粋性を直観している。
〔軽さ〕 しかしながら、よくあるように、鳥の軽さには否定的な面もある。キリスト教の十字架の聖ヨハネは、そこに、軽いが、変わりやすく、あちこちと無方針に脈絡なく飛び回る「想像力の働き」をとくに認める。それを仏教では、「散心」、もっと悪くは「心乱」と呼ぶようである。
〔象徴〕 多分、この意味で、道教では、野蛮人に鳥の姿をさせ、荒々しく、抑制できない原初の自発性を示した。中国では、混沌を、次のような1羽の鳥で象徴する。つまり、顔はないが、6本の足と4枚の翼を持ち、踊ること、歌うことはできる。しかし、食べること、呼吸することはできない、火の球のような黄色と赤の鳥である。これに付随して、古代の中国人が読み取ったしるしに注意する。鳥は、その巣を壊すだろうか。これは帝国の動揺と混乱の知らせである。
〔ヒンズー教〕 東洋では、ヒンズー教の〈キンナラ〉のシンボルに言及しなければならない。それはシタールを弾く半人半鳥である。とくに、〈ヴイシュヌ〉、太陽神〈スーリア〉、またはブッダのような、太陽や王の性格を持つ人物と結びついているようである(AUBT、BENA、COOH、DANA、ELTY、ELIM、GRAP、GUEB、GUES、CALL、LECC、MALA)。
『ヴェーダ』の文献で最古のものでは、鳥が(一般に、特別な明示はないが)〈人間に対する神々の友愛〉のシンボルとみなされていたことが記されている。ソーマ(神酒)、すなわち、アムブロシアーを到達不可能の山上へ探しに行き、それを人間に与える1羽の烏である。その鳥はヘビを攻撃して、野蛮人に対する勝利をアーリア人にもたらす。この両者は、以前は対立していた。後に、叙事詩では、悪魔ラーヴァナが、シーターを連れ出すのを妨げるため、生贄になる鳥、忠実なジャターユ(鳥の王)が称賛される。多くのヒンズー教徒が主張したが、この物語を神秘主義的に解釈すると、悪霊の邪悪な企てから、魂を守ろうとする鳥の姿を借りた神の友情が、みてとれる。神々が飛べる存在とみなされている限り、(聖書の天使のように)鳥は、いわば、現世の束縛(神々が原理的に所有する恵みに相対したときの重圧)から、解放されて自由な神のいきいきしたシンボルである。鳥の〈巣〉は、木のてっぺんに隠れてあった。半ば到達不可能な避難所は「楽園」の表象とみなされる。天上の住み家であり、魂は、そこに人間の重圧から解放されない限り、到達できない。魂は、そこまで飛んで行くことができる。この点で、〈魂〉自体が烏であるという考えが生まれる。『ウパニシャッド』が、詳しく説明する、渡り鳥(サンスクリット語では、〈ハンサ〉、ドイツ語では、〈ガンス〉、参照)である。身体から身体への魂の移動の信仰に準拠した魂は、巣への最後の飛翔にいたり、そこで、ついに、危険な転生のための避難所を見つける。この最後のシンボルは非常に強いので、100年ほど前に、ラーマクリシュナが、ある日、真っ白な渡り鳥が、突然、黒い雲から出て来るのを見て、恍惚に陥った、と語っている。
〔ケルト〕 ケルト世界では、一般にアイルランドのハクチョウにせよ、ガリアのツルやアオサギにせよ、大ブリテン島のガンにせよ、カラス、ミソサザイ、雌鶏にせよ、烏は、〈神々〉やあの世の使者や補佐である。アルスターの人々は、戦車で鳥を狩りしていた。文献にある断片的な情報を集めると、彼らは、カモを食べていた。しかし、それが頻繁であったとは思えず、全体として、ケルト世界は、鳥を非常に崇拝していた。ウェールズの女神リアンノン(「偉大な女王」)は、『プウィルのマピノギ』の短い一節では、甘美な音楽を聞かせて、死者を生き返らせ、生者を眠らせる(殺す)、といわれる。ガリアでも、ローマ時代の造形芸術で鳥の神性のことが知られている。アレジア(コート・ドール県)、コンビエーニュ(オワーズ県)、マルティニイとアヴァンシュ(スイス)には、鳥に捧げた記念建造物がある。これはゲルマン地域のオーディンやウォータンの鳥を連想させる(OGAC、18、146-147;Genava19、1941、119-186頁)。
〔イスラム〕 『コーラン』では、「鳥」をしばしば「運命」の類義語として理解する。「また1人1人の人間の頸に、我らそれぞれの鳥を結びつけておいた」(『コーラン』17、13;27、47;36、18-19)。
アビシニア(エチオピア)人が、アブラハムに導かれて、メッカに近づいたとき、神は、アバービールという名の鳥を彼らに遣わした。その鳥は、彼らに粘土のつぶてを投げつけた(『コーラン』105、3)。イスラムの伝承では、緑色の鳥という名は、何人かの聖人につけられ、天使ガプリエルは、2枚の緑の翼を持っている(『コーラン』2、262)。
鳥が言葉を持つということは、一般に信じられている。『コーラン』27、16は、ソロモン王がその言葉を理解していたことを示す。ファリード・ウッ・ディーン・アッタール(12-13世紀)の有名な作品『鳥の言葉または鳥の対話』(マンテイク・ツ・タイル)は、ペルシア文学の古典だが、このテーマを用いて、神を求めた神秘的な道程で起きる波乱を物語る(⇒アンカー、スイームルグ)。
『コーラン』2、262;3、43;67、19や詩で鳥は、魂の不死のシンボルとしても考えられる。魂は、支配者のタンブランが呼ぶハヤプサや粘土の籠に入れられた烏などと比べられる。他の多くの伝承と同じく、イスラム教の神秘神学では、しばしば鳥を殻や地上の覆いに対比させるように、「霊の誕生」を殻が砕ける霊的肉体の孵化と対比させる。
〔仲介〕 魂のシンボルである鳥は、天と地の仲介の役割をする。「野生のガンの表徴は、魂と豊鏡の結合のシンボル、魂の物質への降下のシンボルであり、イスラム教徒のベルベル人の部族と隠者に共通である。アハガールの南、アイルのトゥアレグ族は、盾に向き合った2つの〈シン〉のしるし、野生のガンの2本の脚を書き入れている。このシンボルは、インドに存在し、ケルト世界では、〈かかしの足〉という。このシンボルは、ウラル・アルタイ語族の伝承のシャーマンの衣装にあり、さらに、ラスコーの洞窟にまである」(SERH、74-75)。まったく別の地域では、ホーピ族も神々と交流する魔力を鳥に与えている。それは大地を肥沃にする神々の恩恵である雨のシンボルである雲に囲まれた頭で表される。また、交流のシンボルである入り口や門のように、創造、生命を表す、破れた円の光輪で囲まれた頭でしばしば表現する。
〔鳥占い〕 鳥占いについて、イブン・ハルドゥーンは、「ある人々の中で、飛び立つ鳥や通り過ぎる動物を見て、〈未知のものの目覚め〉を語る」能力と、「それが見えなくなった後、精神を集中する」能力が問題だ、と明言する。「それは見聞した予兆の中味となる物事を即座に知性によって、理解できる魂の能力である。その能力は、力強い想像力を前提とする……アラブの鳥占いの2本の枝は、観察した鳥が飛ぶ方向と鳴き声の解釈に基づいている」(FAHN、206-207)。
〔神の表現〕 クルディスタン地方では、アフリ・ハックと同様に、イェズィディ(真理の信者)にとって、鳥のシンボルは、霊的世界が存在するとすぐに現れる。こうして、イェズィディには、全世界が海に覆われていた時代、〈神〉は、木にとまった1羽の鳥の姿で描かれる。その木の根は、空中に入り込んでいる。アフリ・ハックの宇宙論でも同じである。まだ、地も空もないとき、神は、金の翼の1羽の鳥の姿で表現される。『創世記』1、1の初めに、神の霊が、鳥のように原初の海の上を飛ぶのが思い出される(M・モクリ『神の狩猟者と王=ワシの神話』、ダラ・イ・ダーミヤーリー、ヴイスバーデン、1967)。
〔アフリカ〕 鳥は、アフリカ芸術、とくに仮面で、非常に頻繁に見られるイメージである。烏は、「〈力〉と〈生命〉を象徴する。しばしば肥沃さのシンボルである。時折、バンパラ族の場合のように、たとえば、話す能力が、カンムリヅルのような鳥に属性として与えられる。壷には、生と死の戦いのイメージの鳥とヘビの戦いのテーマが、しばしば描かれる」(MVEA)。
〔魂=鳥〕 ヤクート族は死ぬとき、善人は、悪人と同じように昇天し、そこで、その〈魂〉は、鳥の姿を取る、と信じている。おそらく、「魂=鳥」は、半ば普遍的で霊的イメージである世界樹の枝にとまる(ELIC、189)。
同じくエジプトでは、男や女の頭をした鳥が、死者の魂や地上を訪れる神々の魂を象徴する。魂=鳥、とりわけ死者と鳥の同一視は、すでに中近東の最古の宗教で証明済みである。『死者の書』は、死を飛び去るハヤプサとして描いている。メソポタミアでは、死者を鳥の姿で想像する。おそらく、もっと古い神話だが、ヨーロッパやアジアの先史時代の遺構の宇宙樹の枝に、2羽が、とまっているのが描かれる。鳥は、その宇宙論の意味を外れて、魂=先祖も象徴したようである。実際、中央アジア、シベリア、インドネシアの神話で世界樹の枝にとまった鳥が、人間の魂を表すことが思い起こされる。シャーマンが、鳥に姿を変えることで、すなわち、その「霊的」状態で、世界樹まで飛んでいくが、そこから「魂=烏」を持ち帰るためである(ELIC、417-418)。
「魂=鳥」の信仰について最古の根拠は、おそらく不死鳥の神話にある。それは火の鳥であり、緋色である(つまり生命力で構成される)。エジプト人にとって、魂を表す。不死鳥は、ワシを純化した二重語であり、ヘビが、宇宙樹の根元にいるとき、その頂にいて、錬金術の象徴的意味では、作業の仕上げを表す(DURS、135)。
チョウと同じく、小鳥は、霊魂の再生を待つ天上に再び戻る死者の魂、すなわち「解放された魂」だけでなく、子供の魂もしばしば、表現する。中央アジアのウラル・アルタイ語族の信仰の場合が、とくにあてはまる(HARA)。ゴリド族にとって、「妊娠した女性は、夢で鳥を見ることがあり、その性別がわかるなら、子供が、男の子か女の子かわかる」、といわれる(HARA、120)。
夜禽は、亡霊や昔の家の近くに夜啼きに来る死者の魂としばしば、同一視される。ネグリト族やセマン族にとって、とくにセマン族では、死者は、孤独が好きではないので、自分の両親を殺しに家族のもとに帰って来る、という言い伝えがあり、夜禽の鳴き声で、村人は恐れおののく。
シベリアのブリヤート族は、ワシミミズクが生者を責め立てに来て、出産で死んだ女の魂を狩る、と信じている(HARA、263)。自分の家畜を守るために、ヤクート族は、ワシミミズクの頭を小屋の戸口に釘付けする(同書、284)。アルタイでは、シャーマンの衣装は、いつも烏の恰好をしているが、頻繁にワシミミズクの羽で飾られる。ハルヴァ(同書、341)によれば、彼らの衣装全体が、ワシミミズクを表しているに違いなかった。アルタイの民間信仰によれば、ワシミミズクは、あらゆる精霊を遠ざける。「今日でも、まだ多くの地域で子供が病気のとき、揺り籠を襲う悪霊をワシミミズクが追い払ってくれると信じて、この鳥を捕まえて、飼育する習慣がある。ヤクート族にとって、クマ祭りでワシミミズクに扮装した人物の役割は、殺したクマの魂をはなれたところで保持し続けることである」(HARA、349)。
〔象徴〕 秘教の伝承(VALC、185)では、鳥、色、肉体の欲動の対応の戯れのすべてが素描された。基本的な4色の鳥とは、次のようである。黒い鳥は、知性のシンボル、カラスである。緑と青の鳥は、愛の熱望のシンボル、クジャクである。白い鳥は、リビドーのシンボルであり、肉体活動とロゴスによって精神活動を生み出すハクチョウである。赤い鳥は、神の崇高さと不死のシンボルである赤い不死鳥によって表現される。ヴァリエーションが多くあり、この対応のリストは、充実している(LOEC、150-152、など)。たとえば、肉体から神への愛は、アプロディーテーの鳥であるシロバト、ハト、カモで表される。魂の純化は、シロバト、ワシ、スィームルグで表される。神と人間との仲介は、導き手や使者の役割を果たすカラス、ハクチョウ(黒と自の奇妙だが、重要な接近)で表される。ハゲタカと不死鳥は、霊魂導師の鳥である。ワシ、タカ、コンゴウインコは、太陽とウラノス的な意味、戦争と狩りと収穫の勝利を意味する。夜禽は、月と冥界の意味である。
〔アメリカ・文学〕 鳥は、夢では〈夢を見る人の人格〉のシンボルの1つとなる。1羽の大きな黄色い鳥が、ある日、トルーマン・カポーティのもとに現れた。『冷血』で、このアメリカの作家は、はっきりした動機もなく、何人もの人を殺した若い男の事例を分析する。「生涯を通じて貧しく、虐待された子供、愛着のない青年時代、刑務所に入れられた男、オウムの頭をした1羽の巨大な草色い鳥が、ペリーの夢の中を飛んでいた。それは〈復讐の天使〉であり、嘴と爪で敵を大きくつつき、あるいは現在のように、彼が、死の危険を冒すとき、彼を救ってくれる。彼は、私を空中に持ち上げ、私は、ハツカネズミと同じぐらい、軽かった。高度が上がり、私は、下に小公園や、叫んだり、走ったりする人間や上の私たちに向かって発砲するシェリフが見えた。彼らは、非常に怒っていた。私が、自由であり、飛んでいて、私が、彼らのうちの誰よりも上手に飛んでいたからである」。こうして、猛禽は、夢で〈守護の鳥〉に姿を変えた。この両義的なイメージは、精神分析学者ジョーンズ博士がなぞらえたペリーの人格の特徴によく対応する。「……いつも怒りを抱き続け、抑えられない怒りは、だまされ、侮辱され、他人から劣ったものとみなされたという、あらゆる感情からたやすく引き起こされる。大抵、彼の過去の激怒は、父親、兄、威張りくさった人など、権威の代表者に対して、いつも、向けられ……可度も暴力的で攻撃的な行動に達した。……〈彼の中で高まる〉激高……彼の怒りの度を越した力とそれを制御し、方向づけられない無力さは、彼の人格構造の基本的な弱さを映し出す……」(『エクスプレス』紙792号、54、参照)。人格の二元性は、統合せず、交互に残酷であり、保護するものとなる鳥の夢のイメージに反映される。
(『世界シンボル大事典』)