E


Egg(卵)

egg.jpg
 創造女神の神秘的シンボル。この女神の世界卵には胚の中に宇宙が含まれていた。世界卵はを象徴すると言われたが、暗黒の太女神、すなわち母なる夜の女神が最初にこの卵を生んだとオルペウス教では言う。天と地は卵の殻を半分に割ったものを2つに合わせてできていて、最初に出てきた神は雌雄同体の「待望のエロース」 Eros the Desiredであった。オリエントでは、卵は一般に創造のイメージとされていた。西欧ではこの例は「ティアマート型の字宙論、および昔のギリシアと東洋の交流にまでさかのぼる」[1]と見られた。世界卵を表すエジプトのしるしは、女性の子宮の中にある胎児を表すしるしと同じであった。


[1]Lindsay, O. A., 116.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 ギリシア語はw/jovn

象徴・宇宙卵〕 卵は胚を含み、そこから顕現すると考えられる。卵は、普遍的なシンボルとして説明される。卵から誕生した世界は、ケルト、ギリシア、エジプト、フェニキア、カナアン、チベット、ヒンズー、ヴェトナム、中国、日本、シベリア、インドネシアの民族、その他でも共通の思想である。しかしながら、顕現の過程は、いくつもの相を帯びる。化石のウニが表すケルトの「ヘビの卵」、エジプトの〈ゲブ〉、さらに中国の竜が吐き出す卵は、御言葉が示現を生み出したことを表す。別の場合には、原初の人間は、卵から生まれる。〈プラジャーパティ〉(創造物)と〈盤古〉の場合がそうである。中国の他の英雄は、後日、太陽が豊穣にした卵かの卵を母親が食べて生まれた。もっと頻繁には、原初の海から生まれ、表面を覆われた(インドでは精霊、神の「息吹」であるガチョウ〈ハンザ〉による、といわれる)宇宙卵は、2つに分かれ、そこから空と大地が誕生する。これは両性具有の分極である。ヒンズーのブラフマーンダ(ブラフマーの卵)は、金と銀の2つの半球に分かれる。レーダーの卵は、それぞれ半球形のかぶり物を被った2つのディオスクーロイを誕生させる。中国の〈陰-陽〉は、最初の統一の分極であり、同じく、白と黒の2つの部分とシンボルを表す。〈神道〉の原初の卵も、軽い半分(空)と濃密な半分(大地)に分かれる。イブン・アル・ワリードは、かなり似た方法で凝固した卵の黄味や、濃密な大地と黄味を包む白味みたいに、軽い空を表す。

 この一般的な象徴的意味には、世界の創造と段階的な分化を卵と結びつけ、明確にする価値がある。卵は、原初の現実であり、胚の中に多様な存在を含む。

エジプト・宇宙論〕 エジプト人にとって、停止状態の創造の胚を含んだ純粋な水である、原初の大洋の化身のヌンからデミウルゴス(造物主)のような行為で小高い丘が生まれ、その上で卵がかえる。この卵から(この語は古代エジプト語では女性形だが)1人の神が、姿を現す。彼は、混沌をおさめ、分化した存在を誕生させる。この大洋、原初の卵から出てきた神クヌムは、今度は陶工のやり方で卵や胚や生命の萌芽を作る。彼は、肉体の造形者である。しかし、古代エジプトでは、さまざまな宇宙論があった。ヘルモボリスの宇宙論によれば、原初の卵は、「人間の生命力を庇護する」〈ケレへト〉に他ならない。最初の大きなハスは、朝、デルタの泥水の水面で開き、杯型になり、輝き、別の伝承で同じ役割を果たす。太陽自体が、卵-母が囲む不思議な胚」から生まれる(SOUN、22-62)。

パレスティナ・神話〕 力ナンの伝承によれば、「モクスが、世界の初めに精気と大気をもたらし、そこからウローモス(無限)が、生まれた。ウローモスは、宇宙卵とシャンソール(技芸の神)を生み出す。シャンソールは、宇宙卵を2つに割り、その2つの部分からそれぞれ空と大地を作る」(SOUN、183)。

インド・神話〕 インドの『チャンドーギャ・ウパニシャッド』(3、19)によれば、卵は、非存在から生まれ、自然の諸要素を生んだ。「初めは非存在しかなかった。それが存在になった。大きくなり、卵に姿を変えた。まる1年間眠り、割れた。2つの殻の破片が現れた。一方は金、一方は銀であった。銀の方が、大地になり、金の方が、空になった。外側の膜は、山になった。内側の膜は、雲と霧になった。動脈は、川になった。皮膜の水は、大洋になった」(SOUN、354所収)。

チベット・神話〕 チベットの教義によると、卵は、原初ではないにしても、人間の長い系図の起源である。原初の5つの要素の中のエキスから、1つの卵が出てきた。卵から白い湖、10種類の存在、他の卵が、出てきた。そこから、手足、五感、男、女、つまり先祖の長い系図が出てきた。

中国・神話〕 中国の伝承では、天と地のあらゆる分離の前の混沌自体が、雌鶏の卵の外観をしていた。1万8000年(無限の時代のシンボル数)たって、混沌-卵が、割れる。重い要素は、地(陰)を形成する。軽く純粋な要素は、天(陽)を形成する。それらを分ける空間は、毎日大きくなる。1万8000年後、盤古は、天と地の距離を測る。渾沌説では、世界は、最も長い直径の上に垂直に立った、巨大な卵と考えられる。天と星は、殻の内側と外側の部分である。大地は、卵の基本を満たす原初の大洋のただ中に浮かぷ黄味である。季節は、大洋の周期的な揺れから生じる。

南米・神話〕 クスコのコリカンチャのインカ大神殿には、主要な装飾として、側面に、と太陽の像を刻んだ卵形の金の板があった。レーマン・ニッチェは、そこで宇宙卵の形をしたインカの最高神ウィラコテャが描かれているのを見た。彼は、自説の論拠として、スペインの最初の年代記作者たちが、ペルーで集めた宇宙論の神話をいくつも引用する。そのうちの1つに、次のようなものがある。創造者の英雄は、父である太陽に、世界に住まわせるために、人間を創造することを頼む。太陽は、地上に卵を3つ送り込む。最初の金の卵から、高貴な人々が出てくる。2つ目の銀の卵から、彼らの妻たちが出てくる。最後に、3つ目の銅の卵から、民族が出てくる。異本では、3つの卵は、大洪水の後、天から落ちてくる。

 ウイラコチャの名は、コン・テイクシ・ウィラ・コチャの短縮であり、「溶岩の海の神、すなわち、地中のマグマの神」を意味する。実際、ウィラコチャは、火山の支配者だった。

〔アフリカ・神話〕 〈宇宙卵〉の神話は、マリのドゴン族やバンパラ族にもある。ドゴン族の絵文字、「世界の生命力」は、その卵を基本四方位の十字の頂点にあって、下方を向いて開いている。地母の子宮、もう1つの卵、「女性のかめ」と対比して表現される(GRIS)。バンパラ族にとって、宇宙卵は、精神である。響きのよい振動の中心であり、その回転から産み出された最初の精神である。この卵は、こうして形成され、集中し、少しずつ振動から離れ、膨れ、かすかな音を立てる。空間で、それだけで持ちこたえ、上昇し、破裂して、その内奥で形成された22の基本要素を落とす。それが22のカテゴリーにおける創造の配置を司る(DIEB)。

 コンゴのリクバ族とリクアラ族の宇宙論の思考に関するJ・P・ルプフの報告によると、彼らにとって、卵は、世界の完全さのイメージである。黄味は、女性の湿り気を表し、白味は、男性の精液を表す。内部を膜で隔てた殻は、宇宙卵の殻に由来した太陽を表す。「もしも、創造者が、膜を湿った大気に変えなかったなら、宇宙卵は、地を燃やしたであろう」。だから、リクバ族とリクアラ族は、「人間は、卵に似るよう努力しなくてはいけない」といっている。

北欧・神話〕 『カレワラ』(フィンランド)では、時間が誕生する前、水の女神、聖処女が、自分の膝を原初の水面に見せていた。そこにアヒル(大気の支配者)が、7つの卵を生んだ。6つは金、1つは銀であった。聖処女が飛び込むと、卵は、原初の水の中で砕けた。

「あらゆる断片が変化した
十分に役に立つものに。
 卵の殻の下部は
崇高な天空を形成した、
黄味の部分の上部は
光を放つ太陽になった。
白味の部分の上部は
天で輝くになった。
殻のしみついた破片は
すべて天空で星になった。
殻の濃い断片は
すべて大気の雲になった。
そのときから時間が進み始めた」
     (『カレワラ』、J・L・ペレ訳)

 このように、卵は、光の創造力をしばしば表現する。

ケルト〕 ケルトの領域では、卵の象徴的意味に関する直接の証拠は、まったくない。ウニや化石や〈オウム・アングルヌム〉、つまり胚の中にあらゆる可能性を含む宇宙卵の象徴的意味に見られるだけである。

宗教学・神話〕 この宇宙創成説全体の構造の中で、卵は、「全体を示す紋切り型のイメージ」の役割を演じる(SOUN、480所収、ミルチャ・エリアーデ)。しかし、一般に卵は、秩序の第一原理として混沌に続く。「分化が全域的に生じるのは、卵からであり、未分化の起源のマグマからではない。卵が、決して、絶対に最初でないとしても、それでも、その卵は、最初の分化の種を象徴する。原初の宇宙卵は、1つだが、空と大地、下界の水と上界の水を同時に包含する。それは唯一の全体性の中に、さまざまな潜在性をすべて含む。

 同じく、卵は、自然の〈周期的再生〉のシンボルの1つとしても現れる。多くの国で、復活祭のときの色を塗った卵の伝統がある。それは「周期的な創造」の神話を示す。ミルチャ・エリアーデは、胚と考えられた卵の経験-合理的な解釈に反論する。(多くの宗教の神秘=儀礼全体によると)卵が具現するシンボルは、「誕生より、むしろ宇宙論のモデルに従って、繰り返す〈再生〉に関係がある。卵は、復活を堅固にして、助長する。誕生ではなく、〈回帰〉、反復である」(ELIT、347-348)。ミルチャ・エリアーデが考えたように、2つの解釈は、まったく相いれないものではない、と我々には思える。卵が再生と反復を象徴することは、かなり明白である。最古の文献によれば、卵がそもそも胚や原初の現実であることも、同じく明白である。その周期的機能には、最初の役割の後の合理的な構成があるより、むしろ宇宙論の「モデル」の繰り返しに発想 を得た概念の中に、その構成がある。それでも、卵が、生命に関する周期を象徴することに変わりはない。

復活〕 たとえば、ロシアやスウェーデンの墓で発見された粘土の卵は、「不死のエンブレム、復活のシンボル」として解釈された。同じイメージがあれほど多様な特性をともに持っても、まったく驚くことではない。ポイオティアの墓の中で、同じく「生への回帰」を約束する表徴であるディオニューソスが卵を手に持った彫像が、発見された。そのときから、「無限の再生の周期から出ること」を強く勧めるために、「存在への周期的な回帰」を非難する教義で卵の使用が禁じられるのはわかる。たとえば、オルフェウス教の戒律では、卵を食べるのが禁じられていた。しかし、オルフェウス教の視点は、仏教の苦行者の視点とはまるっきり違う。仏教の苦行者は、自分を現世に結 びつける絆をすべて断ち切りたいと思い、煩悩の消滅が目標である。反対に、欲望をかきたてて、オルフェウス教徒は、欲望を精神的な変貌へ向けることを目指す。そのために、何よりも、「……宗教的に、老衰やの世界とのなんらかの関係を象徴する事物」を避けるのが彼らの役目である。さらに、彼らが今では拒絶する慣習では、卵は、再生の保証と、糧として死者に供えられる。オルフェウス教の戒律の目的は、次のようである。を地につなぎ留める、あらゆるものから解放し、神から出たが純化して、神に戻るように、この地上に再生のシンボルを禁止しなければならないのである。卵は、が離れようとする再生の周期にを結びつける。さらに、この禁止の帰結として、卵が持つ魔力に近いものを現世の生の始まりとして基本的な意味によって信じることが確証できる。

休息〕 また、卵は、家、巣、貝殻、母の胸のような休息の価値の象徴的意味を持 つ(BACE、51-130)。しかし、貝殻の中では、象徴的に母の体内のように、「自由な存在と隷属した存在の弁証法」が機能する。この安全な心地よさから、生き物は、出たいと切望する。ヒナは、居心地よく、生温かい殻を破る。母親としての卵は、安楽を渇望するブルジョアと挑戦に熱中した冒険家の間の〈内的な葛藤〉のシンボルとなる。その葛藤は、人間の中の外向性と内向性の傾向のように、まどろむ。宇宙開闢論のような、心の中の卵は、空と地、あらゆる善と悪の 萌芽、再生と人格の開花の法則も包含する。学生は、自分が自分の世界(大学)に囲まれると感じる。彼は、殻を破って、そこから出たいと切望する。彼は、生きるために挑戦する。

錬金術〕 同じく、錬金術の〈哲学者の卵〉の伝統が関係があるのは、胚だが、この場合精神的な生の萌芽の思想である。「宇宙 の中心は、隙間なく詰まった壷に作業の堆肥が詰まっているように、貝は、その中に生命に関する要素を包含する。堆肥が変化できるためには、長首フラスコ、土器の管、蒸気釜、蒸留器はどれでも、その壷を卵のように抱くべきだった。抱卵のぬくもりは、炉や錬金術のかまどの中で残っていた。……堆肥は、霊薬の生成に役立ったり、さらに、金や銀への変化を受けるために、蒸留が可能であった。……堆肥の産物は、哲学の子供」、金、つまり英知を「生むに違いない」(VANA、19)。

 E・モノ・エルザンが引用した匿名の難解な写本(MONA、63-64)は、〈哲学者の卵〉について、次のように語っている。「古代人は、卵について、以下のようにいっている。ある人々は、卵を銅の石、アルメニアの石と呼び、別の人々は、脳の石と呼び、また別の人々は、石でない石と呼ぶ。また別の人々は、エジプトの石と呼び、また別の人々は、世界のイメージと呼ぶ」。炉、錬金術のかまどは、伝統的に宇宙卵にたとえられていた。卵は、あらゆる変化の中枢、場所、主体を象徴する。

象徴〕 また卵のイメージは、(キュベレーの石と同様に)卵形の石、クソムシ、スカラベの球、実際、〈アンダ〉(卵)といわれた〈卒塔婆〉の半円形の部分のように、あまり直接的ではない。それでもこのイメージは卵の象徴的意味を表現する。この球、〈卒塔婆〉は、生命の「萌芽」と「種子」を含む。この意味で、ホタテ貝やほら穴や心臓や世界の「中心」であり、空間、時間、生物学上の進化の源であるへそのような別のシンボルに、卵は関連づけられる。

 卵の産卵と抱卵はそれ自体、注意すべき象徴的意味の相をさまざまに持っている。仏教の瞑想派では、卵を抱く雌鶏は、精神集中と精神的に豊かにする力のシンボルとみなされる。純粋に表面的で、理論だけの教育を荘子は、芽を出さず、何も産まない卵にたとえている。スコラ哲学者は、雌鶏と卵が互いにどちらが先か自問する。「卵は、雌鶏の中にあり、雌鶏は、卵の中にある」とシレジウスは答える。二元性は、統一の中に潜在的に含まれ、統一の中で解決される。

 もっと散文的で、上記の観念からかけ離れていないが、卵が、しばしば繁栄のシンボルとみなされることに注意しよう。ラオス北部の〈アカ族〉は、1羽の雌鶏が、いくつもの卵を産む夢を見ると、その夢を、近々金持ちになる約束と解釈する。
 (『世界シンボル大事典』)