title.gifBarbaroi!
back.gif第1巻・第2章


Hellenica



第1巻






第3章



[1]
 次の年〔BC 408〕には、 ポカイアにあるアテナ女神の神殿が落雷のために焼け落ちた。冬が終わって、〔スパルテでは〕 パンタクレスが監督官に、〔アテナイでは〕執政官に アンティゲネスが就任し、春の初め、戦争が始まって22年がすぎたことになるが、アテナイ人たちは全軍でもってプロコンネソスに航行した。

[2]
そこからさらにカルケドン(2)とビュザンティオンとへ舳先を向け、カルケドン(2)近辺に布陣した。しかし、カルケドン(2)人たちは、アテナイ人たちの進撃を察知し、掠奪されそうなものはみな、隣国ビトゥニア・トラケ人たちのもとに預けた。

[3]
そこで、アルキビアデスは、重装歩兵の少数と騎兵とを引き連れて、艦船には廻航するよう命じ、ビトゥニア人たちのもとに進撃して、カルケドン(2)人たちの財貨の引き渡しを要求した。引き渡さなければ、おまえたちと戦争になろうと彼は言った。彼らは引き渡した。

[4]
かくしてアルキビアデスは掠奪物を手に入れ、保証を交わして陣営に引き返すと、カルケドン(2)に対して全軍で、〔ボスポロス〕海から〔プロポンティス〕海へ、また〔カルケドン〕河も、可能なかぎり、材木で遮断防壁を築いた。

[5]
ここにおいて、ラケダイモン人の総督ヒッポクラテスは、闘わんものと将兵を率いて町から討って出た。対してアテナイ人たちがこれを迎え討ち、パルナバゾスも、陸戦隊とおびただしい数の騎兵とをともなって、遮断壁の外側に救援に駆けつけた。

[6]
さて、ヒッポクラテスとトラシュロスとは、おのおの重装歩兵をもって長時間にわたって戦ったが、ついにアルキビアデスが何人かの重装歩兵と騎兵隊とを率いて来援した。かくて、ヒッポクラテスが戦死し、彼の麾下の将兵は町に逃げ帰った。

[7]
同時に、パルナバゾスも、ヒッポクラテスと合流することができなかったため(遮断壁が河のすぐ近くまで迫っていて、隘路になっていたためである)、カルケドン(2)人たちの ヘラクレス神殿にまで撤退した。そこに彼の陣営があったのである。

[8]
これによって、アルキビアデスは金銭を徴収するため、ヘレスポントスおよび ケルソネソス方面に出かけた。残りの将軍たちの方は、パルナバゾスと協約を結び、カルケドン(2)のためにパルナバゾスが20タラントンをアテナイ人たちに与えること、そして、アテナイ人たちの使節団を大王のもとに引き合わせることを約し、

[9]
また、パルナバゾスと宣誓を取り交わし、カルケドン(2)人たちは習わしとなっていただけの額の年賦金をアテナイ人たちに納めるとともに、滞納金を支払うこと、代わりにアテナイ人たちは、大王のもとに遣わした使節団がもどるまでは、カルケドン(2)人たちに戦争を仕掛けないことを約した。

[10]
ところが、たまたまアルキビアデスは宣誓の場に居合わせず、セリュムブリア近辺にいた。そしてこれを攻略したうえで、ビュザンティオンへと帰着したが、そのさい、ケルソネソス人たちの全軍と トラケ〔トラキア〕の将兵たちと300騎以上の騎兵とを率いていた。

[11]
そこで、パルナバゾスは、彼も宣誓すべしと要求し、彼がビュザンティオンからもどるまで、カルケドン(2)で待機した。かくして彼はもどってきたが、相手も自分に宣誓しないかぎりはと、宣誓を拒否した。

[12]
その後、アルキビアデスの方は、パルナバゾスが派遣した ミトロバテスおよび アルナペスと、クリュソポリスにおいて宣誓を交わし、パルナバゾスの方も、アルキビアデスのもとから遣わされた エウリュプトレモス(1)および ディオティモスと、カルケドン(2)において公的な宣誓ばかりか、私的にも互いに保証を交わした。

[13]
かくして、パルナバゾスはただちに退却し、大王のもとへ赴く使節団には、キュジコスまで謁見に来るよう命じた。派遣されたのは、アテナイ人たちでは、 ドロテオスピロキュデステオゲネス、エウリュプトレモス、マンティテオス、さらに、これらと同道したのが、アルゴス人の クレオストラトスピュッロロコスとであった。他方、ラケダイモン人たちの使節団も赴いたが、それはパシッピダスとその他の人たち、さらにこの一行には、シュラクウサイから亡命していたヘルモクラテスも、また、彼の兄弟の プロクセノス(2)も同行していた。

[14]
 さて、パルナバゾスはこれらの一行を案内した。他方、アテナイ人たちは、ビュザンティオンを攻囲し、遮断壁を築いて、城壁を遠距離攻撃・近距離攻撃した。

[15]
ビュザンティオンにたてこもっていたのは、ラケダイモン人の総督クレアルコス、彼といっしょに何人かの 周住民(perioikos)、新平民の多くはない人々、メガラ人たちと、これを指揮していたメガラ人 ヘリクソス、さらにボイオティア人たちと、これを指揮していた コイラタダスであった。

[16]
しかし、アテナイ人たちは、力攻めでは何の成果も上げることができなかったので、ビュザンティオン人たちの何人かを説得して、国を売り渡させようとした。

[17]
しかし総督のクレアルコスは、そんなことをする者はいまいと思って、可能なかぎり万事を最美に処理して、国内のことをコイラタダスとヘリクソスとに任せて、対岸のパルナバゾスのもとに渡った――将兵たちの報酬を彼から取得し、さらには艦船を集めようとしたからであるが、その艦船とは、他はパシッピダスによって守備隊としてヘレスポントスに残置されていたもの、アンタンドロスにあるもの、また、ミンダロスの副官アゲサンドリダスが、トラケ方面に領置していたもの、および、他は建造されるはずといった艦船であり、これらすべてが集結すれば、アテナイ人たちの同盟者たちに仇を成し、陣営をビュザンティオンから撤退させることができるはずのものであった。

[18]
だが、クレアルコスが出帆するや、ビュザンティオン人たちの中で国を売り渡そうとした者は、 キュドンアリストンアナクシクラテスリュクウルゴス、そして アナクシラオスであった。

[19]
この〔アナクシラオスという〕男は、後に売国の罪でラケダイモンにおいて死罪を求刑されながら、無罪放免されたが、その言い分は、――自分は国を売ったのではなく、救ったのだ。なぜなら、子どもたちや婦女子が飢え死にしそうになっているのを眼にしたからであり、自分はビュザンティオン人であって、ラケダイモン人ではないのだから。というのは、クレアルコスは穀物をありったけラケダイモン人たちの将兵に与えてしまった。それゆえ、と彼は主張した、自分は敵国人たちを引き入れたのであって、金銭のためではなく、ましてラケダイモン人たちを憎んだためでもない――というものであった。

[20]
さて、この連中の準備が整うと、夜陰に乗じて、彼らは トラキオンと呼ばれる〔広場に〕通じる城門を開けて、軍隊とアルキビアデスとを引き入れた。

[21]
ヘリクソスとコイラタダスとは、それとはつゆ知らず、みなといっしょに市場に救援に駆けつけた。しかし、至る所、敵国人たちが占領した後で、何の為しうるところもなかったので、自分たちの身柄を引き渡した。

[22]
かくて、この者たちはアテナイへ送還されたが、コイラタダスは、ペイライエウスで下船するさいに、群衆の中にまぎれこんで脱走し、デケレイアに逃れて助かった。
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