Barbaroi!
索引(サ行)
Xenophon : Hellenica
人名・地名 索引(タ行)
ダスキュレイオン
プロポンティス海のほとり、ビテュニアの都市。パルナバゾスやビテュニア太守の領地。
3_4_13
4_1_15
タソス
エーゲ海北端、トラキア湾内の島。
1_1_12
1_1_32
1_4_9
5_1_7
タナグラ
ボイオティア南東の都市。アソポス河のほとり。
5_4_49
タナグラ人
5_4_49
タムネリア
メディアの都市。
2_1_13
タラマイ
エリス北東部、ピュロスに近い要塞の地。
7_4_26
ダルダノス
ヘレスポントスのほとり、小アジアのトロアス地方の都市。アビュドスの南方十数Km。
ダルダノス人
3_1_10
ダレイオス
ペルシア大王ダレイオス2世。アルタクセルクセス1世の庶子、それゆえ、ダレイオス・ノトス(あるいはオコス)と称される。ノトスとは庶子の意。アルタクセルクセス(2世)とキュロスの父(在位424-404年)。
1_2_19
2_1_8-9
ディアゴラス
ロドス人。
1_1_2
ディオクレス
アテナイ「三十人」僭主の一人。
2_3_2
ディオスクウロイ(ディオスコロイ)
「ゼウスの子どもたち」の意。白鳥に身を変じたゼウスがレダと交わってできた子、カストルとポリュデウケスのこと。
6_3_6
テュンダリダイ
ディオティモス
アテナイ人。
1_3_12
5_1_25
ディオニュシオス
(1)
アテナイの将軍。
5_1_26
ディオニュシオス
(2)
シュラクウサイの僭主。カルケドン〔カルタゴ〕によるアクラガス侵攻を阻止できなかった将軍たちに反逆の罪を着せ、富裕層を攻撃することで大衆におもねり、全権将軍に選ばれたあと、自作自演の暗殺未遂事件で親衛隊設置を認められ、僭主の地位まで昇りつめた(在位前405-367)。卓越した僭主であったが、存命中も死後も評判がよくなく、正当な評価が妨げられている。
2_2_24
2_3_5
6_2_4
6_2_33
7_1_20-28
7_4_12
ディオニュソス
バッコス(リュディア語?)ともいう。本来トラキア、マケドニアの、主として女の間で行われた宗教的な狂乱を伴う儀式を有する神であったらしく、それがギリシアの輸入されて酒の神となる。小アジアでは自然の生産力の象徴とも考えられ、豊穣神でもあった。詳しくは
反・ギリシア神話の Dionysos の項
を参照。
5_3_19
ディオペイテス
ラケダイモンの予言者。
3_3_3
ディオメドン
アテナイの将軍。前412/11年にも将軍に選ばれ、レオンとともにミュティレネおよびレスボスをとりもどしたことがある(『戦史』8_19_2以下)。
1_5_16
1_6_22-29
1_7_2-29
ディオン
アテナイの使節。
4_8_13
デイグマ
ペイライエウスの埠頭・商品展覧場。
5_1_21
ティグラネス
ペルシア人。
4_8_21
ティサメノス
ラケダイモンの占い師、キナドンの陰謀に連座。
3_3_11
ティシポノス
テッタリア人、ペライの僭主。
6_4_37
6_5_1
ティスバイ
ボイオティア南西部の都市。ヘリコン山の南麓。
6_4_3
ティッサペルネス
リュディアの中心都市サルディスのペルシア太守であると同時に、小アジアにおけるペルシア軍の総司令官。ペロポンネソス戦争に介入し、両陣営の消耗を企んでいたが(『歴史』第8巻17)、サルディス地区での作戦の不手際を咎められ、斬首。
1_1_9
1_1_31-32
1_2_6
1_2_8
1_5_2
1_5_8-9
4_1_32
イオニア掌握を企てる
3_1_3
対ラケダイモン戦
3_1_6
3_1_9
3_2_12-20
3_4_1-24
死を賜る
3_4_25
ティトラウステス
ペルシアの太守。
3_4_25-26
3_5_1
デイノン
ラケダイモンの軍令官。
5_4_33
6_4_14
ティブラコス
ラケダイモンの軍令官。
2_4_33
ディプリダス
ラケダイモンの指揮官。作戦の不手際を問われ、一時(前399-392)追放され、その間にラケダイモンの国制に関する書物を著したと言われる(アリストテレス『政治学』第7巻 1333b)。のち、監督官として、パルサロスで戦闘中のアゲシラオスのもとに派遣され、ボイオティア侵攻を主張。
4_8_21
ティブロン
ラケダイモンの指揮官。
3_1_4-10
3_2_1
4_8_17-22
ティマゴラス
アテナイの使節。
7_1_33
7_1_35
7_1_38
ティモクラテス
(1)
アテナイの評議員。
1_7_3
ティモクラテス
(2)
ラケダイモンの使節。
7_1_13
ティモクラテス
(3)
ロドス人。
3_5_1
ティモクラテス
(4)
シュラクウサイの艦隊指揮官。
7_4_12
ティモテオス
コノンの子。アテナイの将軍。
5_4_63-66
6_2_2-3
6_2_11
ティモマコス
アテナイの指揮官。前361年にタソスのアテナイ艦隊指揮官となり、ケルソネソス一帯の警備に当たる。しかし帰国後、トラキアのオドリュサイ人の長コテュスと通じたとして訴追され、亡命。
7_1_41
ティモラオス
コリントス人。初めは反アテナイ派であったが、のちに反ラケダイモン派。
3_5_1
4_2_11
ティリバゾス
393年以降、イオニアのペルシアの太守。
4_8_12-17
5_1_6
5_1_25-30
テウトラニア
ミュシア南部、カイコス河北岸、ペルガモンと河口との中間にある都市。
3_1_6
テオグニス
アテナイ「三十人」僭主の一人。
2_3_2
テオゲネス
アテナイ「三十人」僭主の一人。
1_3_13
2_3_2
テオポムポス
ミレトスの海賊。
2_1_30
テゲア
アルカディアの南東の都市。アテナイ神殿で有名。
3_5_25
6_5_9
6_5_15-16
7_4_36
7_4_38-39
7_5_7
7_5_14
7_5_21
ラケダイモン軍の供儀の場所
3_5_7
5_1_33
5_4_37
テゲア人
ラケダイモンの同盟者として
4_2_13
4_2_19
4_2_21
6_4_18
アルカディア同盟形成の活動
6_5_6-9
ラケダイモンとの戦争
6_5_10-21
6_5_24
6_5_36
ラケダイモンに対してテバイとの同盟
7_4_36
7_5_5
7_5_8
デケレイア
アテナイの北北東25Kmにあり、アッティカ平野と、エウボイアやボイオティアに向かう街道とをおさえる要塞。ペロポンネソス戦争後半(413年春)には、ラケダイモンによって占拠され、以後、アッティカの農事や交通をかきみだし、またラウレイオン鉱山の奴隷が大挙逃亡したさいの集合地点ともなった。
1_1_33
1_1_35
1_2_14
1_3_22
2_2_7
2_3_3
3_5_5
テスピアイ
ボイオティア南部の小都市。テバイの西、ヘリコン山の麓。
5_4_10-55
6_3_5
テスピアイ人
4_2_20
5_4_42-45
6_3_1
6_4_4
6_4_10
テスモポリア
デメテル・テスモポロスを讃えて、ピュアノプシオン月(10-11月)に行われる女だけの祭。
5_2_29
テッタリア(古くは、テッサリア)
ギリシア本土北部、ピンドス山脈とエーゲ海との中間の地域。南はオイタイア山地、北はオリュムポス山が境をなす。中心都市はラリサ。
2_3_4
2_3_36
4_3_3
6_1_2-12
6_4_28
6_5_23
7_1_28
テッタリア人
2_3_1
2_3_4
4_3_3-8
5_3_9
6_1_3-18
6_4_28-35
6_5_1
6_5_30
7_5_4
7_5_16
テネア
コリントスの南の都市。
4_4_19
テネドス
ヘレスポントスの出口、トロアスの西の外れの肥沃な島。
5_1_6
テネドス人
5_1_7
テバイ
ボイオティアの中心都市。イスメノス河のほとりに七つの門を持つ都市。伝説では、カドモアスによって創設された。
2_4_1-2
3_5_1
3_5_3
5_2_25-27
5_4_1-63
6_3_2
6_3_11
6_4_37
7_1_39-40
7_4_6-39
7_5_4
テバイ人
1_7_28
アテナイ壊滅要求
2_2_19
ラケダイモンに対する内紛
3_5_3-16
ハリアルトスの勝利
3_5_17-24
ネメア戦争参戦
4_2_22
コロネイア戦参戦
4_3_15-22
アンタルキダスの和平を強要される
5_1_32-36
ラケダイモンに要塞を占拠される
5_2_25-36
回復
5_4_1-12
ラケダイモンとの戦い
5_4_13-59
アテナイに救援される
5_4_54
5_4_59
5_4_63
ボイオティアの諸都市を服従させる
5_4_46
5_4_63
対ポキス戦
6_1_1
6_3_1
371年和平からの除外
6_3_18-20
レウクトラの勝利
6_4_1-15
アルカディアを支援、ラコニケへ侵攻
6_5_22-52
ペロポンネソスへの二度めの侵攻
7_1_15-22
ペルシア大王との取り決め
7_1_33-40
三度めのペロポンネソス侵攻
7_1_41-42
エウプロン暗殺者を放免
7_3_4-12
コリントスとの和平
7_4_6-10
四度めのペロポンネソス侵攻
7_4_34-7_5_6
ボイオティアの同盟者たち
7_5_4-5
ラコニケ侵攻、マンティネイアの戦い
7_5_6-25
テベ
トロアス地方、イダ山脈の南の支脈プラコス山の麓の都市および平野。
4_1_41
デマイネトス
アテナイの名門ブズュガイ出身の将軍。
5_1_10
5_1_26
デマラトス
ラケダイモンのエウリュポン家の王(在位515頃-491)。クレオメネス1世とのいさかいでペルシアに亡命。ダレイオス1世からミュシアに領地を与えられ、クセルクセスのヘラス侵攻には助言者として随行した。
3_1_6
デマルコス
シュラクウサイの将軍。
1_1_29
テミストゲネス
シュラクウサイ人。
3_1_2
テムノス
小アジアのアイオリスの都市。ヘルモス河口を30Kmさかのぼった北岸、スミュルナから遠くない。
4_8_5
デメテル
ゼウスの姉妹、ペルセポネ(コレ)の母。豊穣の女神。
6_3_6
デモストラトス
アテナイの使節。
6_3_2
デモティオン
アテナイ人。
7_4_4
デモテレス
ラケダイモンの使節。
7_1_32
テュアミア
シキュオンとプレイウウスとの間の砦。
7_2_1
7_2_23
7_4_1
7_4_11
テュデウス
アテナイの将軍。
2_1_16
2_1_26
テュモカレス
アテナイの将軍。本書に先立つ〔前411年〕夏、エウボイア島のエレトリア沖での海戦で、アゲサンドリダス率いる艦隊に敗北している(『戦史』8_95_2以下)。
1_1_1
テュリオン
アカルナニアの北東の都市。アムブラキア湾(現アルタ湾)南側内陸。
テュリオン人
6_2_37
テュンダリダイ
「テュンダレオスの子どもたち」の意。ディオスクウロイに同じ。カストルとポリュデウケスのこと。スパルタ王テュンダレオスの妻レダは、白鳥の姿に身を変じたゼウスと交わり、同じ夜にテュンダレオスと床をともにしたので、ゼウスからはポリュデウケスとヘレネが、テュンダレオスからはカストルとクリュタイネムストラが生まれた。
6_5_31
ディオスクウロイ
デラス
シキュオンの城砦。
7_1_22
テラメネス
アテナイの穏健な寡頭派の頭目。「三十人」僭主の一人。後、粛清される。
1_1_12
1_1_22
1_6_35
1_7_4-31
2_2_16-22
2_3_2-55
2_4_1
テリマコス
ラケダイモン人。メテュムナの総督。
4_8_29
デルキュリダス
ペルシアとの戦争のさいのラケダイモンの指揮官。
3_1_8-28
3_2_1-20
3_4_6
4_3_1-3
4_8_3
4_8_5
4_8_32
テルサンドロス
イオニアの横笛奏者。
4_8_18-19
デルダス
マケドニアのエリミア地方の支配者。父は王シラス、母はマケドニア王女、祖父がアレクサンドロス1世の兄弟と、マケドニアとのつながりが深い。
5_2_38-43
5_3_1-9
デルピオン
プレイウウス人。
5_3_22
5_3_24
デルピニオン
キオス(1)の北東にある港湾都市。前412年にアテナイが要塞化した。
1_5_15
デルポイ
ポキスのパルナッソス山南西麓の都市。アポロンの聖地。
3_3_1
4_3_21
4_7_2
7_1_27
デルポイ人
6_4_30
テルモピュライ
「温かい門戸」の意。マリア湾とカリドロモス(テルモピュライの南、オイテ山脈の東の支脈)とを結ぶロクリスの狭い通路。
6_5_43
テレウティアス
ラケダイモンの艦隊指揮官・将軍。アゲシラオスの兄弟。
4_4_19
4_8_11
4_8_23-25
5_1_2-24
5_2_37-43
5_3_3-6
トゥリオイ
イタリア南部の植民都市。タラス〔現在のタラント〕湾から遠くない。もとシュバリス市のあった地に、前443年、アテナイ人によって建設された。しかし、シケリア遠征失敗のあとは、反アテナイの立場をとった(『戦史』8_35_1、61_2)。
1_5_19
トラウストス
エリス北東の都市。
7_4_14
トラキオン
ビュザンティオンのトラキア門のそば、市場の南南西に接した広場。
1_3_20
トラキニア
ヘラクレイアのこと。
1_2_18
ヘラクレイア
トラクス
ラケダイモンの指揮官。リュサンドロスの信任篤く、サモス総督に任ぜられる。のち、パルナバゾスの訴えで処刑される(プルタルコス『リュサンドロス伝』19_4)。
2_1_18
2_1_28
トラケ
トラキア。ヘレスポントスの西側、マケドニアと黒海との間。しかし、一部のトラケ人は、ヘレスポントスの東側、黒海沿岸のビテュニア地方にも住んでおり、こちらはビテュニア人と称された(
ビテュニア・トラケ人)。
1_3_10
1_3_17
1_4_9
2_2_5
3_2_9
4_8_26
5_1_26
5_2_12
5_2_24
トラケ人
3_2_8
3_2_10
5_2_17
ビテュニア・トラケ人
ビテュニア人
オドリュサイ・トラケ人
(オドリュサイ人)
3_2_2
3_2_5
4_8_26
ドラコン
ペレネ人。
3_2_11
ドラコンティデス
アテナイ「三十人」政権の動議を提出し(アリストテレス『アテナイ人の国制』第34章3)、みずからもこれに加わる。
2_3_2
トラシュダイオス
エリスの民衆派の頭目。
3_2_27-30
トラシュブウロス
(1)
ステイリア区のトラシュブウロス。リュコスの子。節操のある民衆派。「三十人」僭主打倒の旗頭。388年、アスペンドスで横死。
1_1_12
1_4_9
3_5_16
将軍に選出
1_4_10
ポカイア攻囲
1_5_11
三段櫂船指揮官としてアルギヌウサイで
1_6_35
1_7_5
1_7_17
1_7_31
「三十人」僭主制下亡命
2_3_42
2_3_44
「三十人」からアテナイを解放
2_4_2-42
アテナイ艦隊の指揮官
4_8_25-31
4_8_34
トラシュブウロス
(2)
コリュトス区のトラシュブウロス。前406年にアルキビアデスを職務怠慢のかどで告発。彼自身も、捕虜から金銭を搾取したかどで告発される。
5_1_26
トラシュロス
アテナイの将軍。重装歩兵としてサモスに駐屯していたさい、寡頭派を民主派に転向させた(『戦史』1_73_4以下)。
1_1_8
アギス撃退
1_1_33-34
指揮官として小アジアに
1_2_1-17
1_3_6
アテナイに帰還
1_4_10
将軍に選出
1_5_16
アルギヌウサイで
1_6_30
1_7_2
1_7_29
トラソニダス
エリスの民衆派。
7_4_15
トラッレイス
カリアの都市。マルシュアス川がマイアンドロス河に合流する河口の北。
3_2_19
トリア
アッティカの区。エレウシスの東。
5_4_21
ドリエウス
ロドス島の北端イアリュソス出身の艦隊指揮官。のち故国を追われ、南イタリアのトゥリオイ市民となり、前412/11年、ラケダイモン軍援助のために小アジアに赴く。
1_1_2
1_1_4
1_5_19
トリカラノン
プレイウウス北東部の丘陵で、この斜面にヘラ神殿があったという。
7_2_1-13
7_4_11
トリコス
アッティカ南東部の都市。アカマンティス部族の区。
1_2_1
トリピュリア
エリス南部、アルペイオス河からネダ河にいたる沿岸の地域。
トリピュリア人
3_2_30
4_2_16
6_5_2
7_1_26
トリピュルギア
アイギナの地方。
5_1_10
トリプトレモス
エレウシスの伝説上の王。
6_3_6
トレモニダス
ラケダイモンの指揮官。
5_3_3-4
トロイア
古都トロイア。
3_4_3
7_1_34
トロイゼン
アルゴリス南東の都市。
6_2_3
トロイゼン人
4_2_16
7_2_2
ドロテオス
アテナイの使節。
1_3_13
トロネ
カルキディケのマケドニア人都市。シトニア半島西岸にある。前422年、アテナイはこの地を攻略、婦女子は奴隷として売り飛ばし、男子はアテナイに送致後、オリュントスに捕らわれていたアテナイ人捕虜と交換(『戦史』5_3)。
5_3_18
トロネ人
2_2_3
ドロペス人
もと南テッタリアのエニペウス河流域ドロピア地方の先住民。後にエペイロスのピンドス山地に移る。
6_1_7
索引(ナ・ハ行)
Hellenica・目次