第1巻・第4章
第5章[1] これより少し前、ラケダイモン人たちは、クラテシッピダスの艦隊指揮官としての任期が終わったので、 リュサンドロス(1)を艦隊指揮官として派遣していた。彼はロドスに到着すると、そこで艦船をも受け取り、 コスとミレトスとに航行し、そこからさらにエペソスへと〔航行し〕、ここに、キュロスがサルディスに到着するまで、艦船70艘を携えて滞在した。彼〔キュロス〕がやって来ると、ラケダイモンから来た使節団を伴って彼のもとに参上した。 [2] そして、ここぞとばかりに、彼らはティッサペルネスが何をしてきたかを言いつのり、かつは、キュロス自身が戦争に対してできるかぎり熱心になるよう要求した。 [3] キュロスの主張するには、それを言いつけたのは父王であって、自分としても異存があるわけではなく、〔大王の命令とあれば〕、何でもする所存である。だから500タラントンを持ってやってきた。もしもこれで足りなければ、父王が自分にくれた個人的な財貨をも使うつもりだ、と彼は言った、これでも〔足りない〕なら、自分が座しているこの玉座――銀と金とからできている――をもつぶすつもりである、と。 [4] 一行はこれをよしとし、彼が船員にアッティカ製ドラクマを支払うよう頼み、教えて言うには、この報酬が実現したら、アテナイ人たちの船員たちは〔アテナイの〕艦隊におさらばするであろう、そうすれば、金銭はもっと少なくてすむことになろう、と。 [5] しかし彼は、彼らの言うことは美しいけれども、王が自分に言いつけたことに反して別のことをすることはできない、と主張した。さらにまた、協定では、ラケダイモン人たちがいかほどの艦船を給養することを望もうと、月給は月々30ムナ与える、とあるとおりである、と。 [6] 対してリュサンドロスは、そのときは黙っていた。しかし晩餐の後、彼の健康を祈ってキュロスが祝杯をあげるさいに、いったいどうしたらいちばん喜んでくれるのかと尋ねたので、「報酬を船員一人一人に1オボロス追加してくれたら」と答えた。 [7] それで、この時以来、報酬は、それまで3オボロスであったのが、4オボロスになったのである。しかも、滞納金を支払ったばかりか、一ヶ月分先払いし、その結果、軍隊はますますもって大いに意気あがった。 [8] 他方、アテナイ人たちの方は、これを聞いて意気消沈し、ティッサペルネスを介してキュロスのもとへ使節団を派遣した。 [9] だが、彼は受け入れようとしなかった。ティッサペルネスが頼んだにもかかわらず、また、ティッサペルネス自身がアルキビアデスに説得されて実行したことだが、ヘラス人たちのいずれも強大になることのないよう、全員がお互いに党争し合っていて脆弱であるように気をつけるべきだと言上したにもかかわらずである。 [10] かくて、リュサンドロスは、自分の艦隊を編成し、エペソスにあった90艘を陸に引き上げて平静にし、その間にこれらを補修し、かつ、乾かした。 [11] 他方、アルキビアデスは、トラシュブウロスがヘレスポントスから出てポカイアを攻囲するためにやってくると聞いて、彼のもとへ渡った。艦隊は自分の操舵手 アンティオコス(2)に任せ、リュサンドロスの艦船には手を出さないよう言いつけて。 [12] だがアンティオコスは、自分の船ともう一艘とで、ノティオンから出てエペソス人たちの港に入港しようとして、リュサンドロスの艦船の舳先のすぐ前を通過して見せた。 [13] リュサンドロスは、初めのうちは、わずかな艦船を進水させて彼を追撃したが、アテナイ人たちがもっと多くの艦船でアンティオコスの救援に来るや、このときになって初めて全艦船で陣形を組んで襲いかかった。その後になって、アテナイ人たちもノティオンから残りの三段櫂船を進水させて、各艦船が先を争うように船出した。 [14] ここに海戦が始まり、一方は戦形を組んでいたが、アテナイ人たちの方は艦隊がばらばらであって、ついに三段櫂船15を失って敗走することとなった。そして、兵士たちの大部分は逃げおおせたが、ある者たちは生け捕りにされた。かくてリュサンドロスは艦船を曳航し、ノティオンに勝利牌を立て、エペソスに渡り、アテナイ人たちの方はサモスに〔渡った〕。 [15] その後になって、アルキビアデスがサモスにやってきて、全艦船でもってエペソス人たちの港に向けて船出し、海戦を望む者がいるかどうか、港の入口前に布陣した。しかし、リュサンドロスは、艦船の多さで劣っていたため、反撃に乗り出そうとはしなかったので、サモスに引き上げた。ラケダイモン人たちの方は、その少し後、 デルピニオンと エイオンとを攻略した。 [16] 家郷にあるアテナイ人たちは、海戦が報ぜられるや、アルキビアデスに腹を立て、怠慢と自堕落のせいで艦船を失ってしまったと考え、別に10人の将軍たちを選んだ。コノン、 ディオメドン、 レオン(1)、 ペリクレス、 エラシニデス、アリストクラテス、 アルケストラトス(1)、 プロトマコス、トラシュロス、 アリストゲネスである。 [17] またアルキビアデスは、軍隊内においても折り合いが悪くなったので、三段櫂船1艘を率いてケルソネソスの自分の城塞に引き上げた。 [18] その後、コノンは、自分の受け取った艦船20艘とともに、アテナイ人たちの決議どおり、艦隊任務に就くためアンドロスからサモスに航行した。そのコノンの代わりに、〔アテナイ人たちが〕アンドロスに派遣したのは、艦船4艘を引き具した パノステネスであった。 [19] この人物は、 トゥリオイの三段櫂船2艘と遭遇し、乗員もろとも捕獲した。そしてアテナイ人たちは捕虜は全員捕縛したが、その指揮官ドリエウスだけは――ロドス人であったけれども、かつてアテナイ人たちによってアテナイおよびロドスからの亡命者となり、自分ばかりかその親族までも死刑の有罪評決を受け、彼ら〔トゥリオイ人たち〕のもとで市民となっていたのだが――、これに同情して、身代金も取り立てずに放免してやった。 [20] さて、コノンの方は、サモスに到着して、意気消沈した艦隊を引き継いでから、以前は100艘以上あったのに、今は70艘にすぎぬ三段櫂船を艤装し、これを率いて船出し、他の将軍たちといっしょに、敵国人たちの領地のあちらこちらに上陸して荒らしまわった。 [21] かくて、その年も終わったが、この年に、カルケドン(1)人たちは三段櫂船120および12万の陸戦隊とをもって出兵し、 アクラガスを兵糧責めにして攻略した。彼らは戦いには負けたにもかかわらず、7ケ月間居座って攻撃したのである。 |