wing-horus.gif

ナイル人ホーロス・アポッローンの
『神聖文字法』
みずからエジプト語で著し、
ピリッポスがギリシア語に訳せるところの。

<第1巻>

1
[いかにして永遠を表象するか]

 永遠を表象するのに、太陽と月で書き表すのは、〔それらが〕永遠の構成要素(stoicheia)だからである。
uraes.gif  しかし、永遠を別の方法で書き表したいときは、尻尾を自余の身体で覆い隠された〔とぐろを巻いた〕蛇〔コブラ〕をもって象形とし、この蛇をエジプト人たちはウウライオス(ouraios)と呼び、ギリシア語ではバシリスコス(basiliskos)であるが、これを彼らは黄金でこしらえて、神々に奉納する。永遠はこの生き物によって表せるとエジプト人たちが言うのは、現存する3種類の蛇のうち、残りは死すべき存在であるのに、これだけは不死であって、他のあらゆる生き物に〔命を〕吹き込めるばかりか、じっさいに噛まなくても、〔生き物を〕亡き者にすることができるからである。ここからして、生と死を司れると思われて、このゆえにこれを神々の頭に冠するのである。

 "ouraios"は、エジプト語をギリシア語表記したもの。エジプト語ではイアーレト。これは怒りにかられて攻撃しようと「立ち上がるもの」を意味する。イアーレトは非常に多くの女神と同一視されるため、蛇女神すべての総称になっている。
 イアーレトはラーの額を守り、同時にラーの眼になった。またヘル〔ホルス〕にくっつき、その眼ともなったので、彼女は太陽であり、月でもある。
 イアーレトは両親をもたない。なぜならこの神は、太陽エネルギーから直接発したもの、つまりその光線によってつくられたラーの創造物とみなされたからである。〔『エジプトの神々事典』〕
 ギリシア語の"basiliskos"は、文字通りには「小さい王」である。つまり、王のエンブレムにすぎぬものから、後にヨーロッパ人は、蛇の頭、鶏の胴、蛇の尾をもつ「バシリスク」という怪物をつくりだした。

2
[いかにして宇宙を]

uroboros.gif 宇宙を書き表したいときは、自分の尻尾をくわえ、色とりどりの甲鱗でまだらになっている蛇をもって象形とするが、その甲鱗によって示唆しているのは、宇宙のうちにある星辰である。この生き物〔=宇宙〕は、重いことは、大地と同じく、このうえなく、なめらかなことは、水と同じく、このうえない。しかも、年々歳々、老齢〔皮〕を脱ぎ捨てて、脱皮するが、宇宙の内なる1年という時間も、同じように自己更新して、若返るのである。また、自分の身体を食い物のようにしていることで表象しているのは、宇宙の内に神虜によって生成したものはみな、消滅もまた再び自身の内に引き受けるということである。

 画像は、ギリシア語魔術パピルスに描かれているもので、中にギリシア語で「万物はひとつ(hen to pan)」と書かれている。グノーシス主義の代表的な象徴のひとつである。
 「光と暗黒、生命と死、右のものと左のものは互いに兄弟である。それらが相互に引き離されることは不可能である。だから、善きものは善いわけではなく、悪しきものも悪いわけではなく、生命も生命ではなく、死も死ではない。このゆえに、各はそれぞれ始源より根源へと解消してゆくであろう。けれども、世界を越えた者たちは解消することがない者たちであり、永遠まで(存続する)者である」(『フィリポによる福音書』第10章)

3
[いかにして1年を]

sotis.jpg  1年を表したいときは、イシス、すなわち、女をもって象形とするが、同じものがまた女神をも表象する。イシスとは、彼らのあいだでは、星――エジプト語でソティスSothis、ギリシア語では天狼星〔Astrokyon すなわちシリウス星〕と呼ばれる――であり、これはまた自余の星辰を王支配すると思われている、――より大きくなって昇るときも、より小さくなって昇るときも、より明るいときも、そうでないときも。さらにまた、この星が昇るときに、一年のうちに起こるはずのことは何でもこれによってわれわれは表象するのだから、「年のイシス」と言うのも、道理のないことではない。また、別の仕方で1年を書き表すのに、棗椰子(phoinix)をもって象形とするのは、他の樹木の中でこの樹のみが、〔新〕月が昇るたびに1本ずつ枝(bais)をはやし、その結果、1年間にきっちり12枝(bais)になるからである。

 ソティスSothisは、シリウス星のエジプト名「セペデト」(右図)のギリシア語形である。
 古代エジプト人たちは、1年に一度、シリウス星が約70日間姿を消した後、日の出の太陽とともに東の空に昇ってくること〔the heliacal rising〕を知っていた。しかも、それはナイル河の増水が始まる時期と一致していた〔ユリウス暦の7月19日頃。この日がエジプトの新年の幕開けである〕。
 シリウス星の日の出時の再出現という現象は、3年続けて365日ごとに起こり、4年目には1日遅くなった。エジプト人は1ヶ月を30日として、1年を12ヶ月に分け、これに閏日〔Epagomenes〕と呼ばれる5日間を付け加えた。したがって、彼らの1年は1/4日短かったので、暦は次第に季節とずれ、再び一致するのは約1460年後となった。しかし、それまでにエジプトはローマに征服され、カエサル暦を強制されることになった。

4
[いかにして〔暦の〕月を]

 〔暦の〕月を書き表すには、棗椰子の枝(bais)ないしは下向きの〔上弦の〕月をもって象形とする。棗椰子の枝(bais)〔をもって象形とするの〕は、上述の棗椰子(phoinix)の理由による。下向きの〔上弦の〕月〔をもって象形とするの〕は、昇るとき、15日分は、両角〔=端〕を上向きの形にするが、欠けるときは、数にして30日を満たすよう、両角を下向きに傾けると云われているからである。

5
[いかにして今年1年を]

 今年1年を書き表すには、1/4アルーラ(aroura)を書く。アルーラとは測地の単位で、100ペーキュス(pechys)である。また、1年を云いたいときも、1/4を言うのは、Sothis星が昇るとき、次に昇るときまで、1/4日余分にかかり、あたかも、365日に<加える1/4>日が、〔太陽〕神の1年であるかのように言われるからであり、ここからして、エジプト人たちは4年周期(tetraeteris)ごとに余分な日数を加算する。すなわち、1/4日を4倍するのである。

6
[鷹(hierax)を書くと何を表すか]

hierax.gif  神、あるいは高み、あるいは深み、あるいは卓越さ、あるいは血、あるいは勝利、[あるいはアレース、あるいはアプロディティー]を表象したいときは、鷹をもって象形とする。神を〔表すの〕は、この生き物が多産で、長命だからである。かてて加えて、太陽の影像とも思われて、どんな鳥類とくらべても、自分の獲物に対してめざといので、ここからして医者たちも眼病の治療に「鷹草(hierakia botane)」を用いる、ここからして、太陽をも、視覚を司るものとして、鷹の形をもって象形とするときがある。高みを〔表すの〕は、他の生き物は高みに飛び上がるとき、斜めに迂回する。まっすぐ移動することができないからである。ところが鷹だけは、高みに向かってまっすぐ飛ぶ。深みを〔表すの〕は、他の生き物は、深みに向かって垂直に移動せず、斜めに降下するが、鷹はまっすぐ深みにもどる。卓越さを〔表すの〕は、あらゆる鳥類の中で秀抜だと思われているからである。血を〔表すの〕は、この生き物が飲むのは、水ではなくて、血だと言われるからである。勝利を〔表すの〕は、この生き物はどんな鳥にも勝利すると思われているからである。なぜなら、自分より強い生き物に迫害されると、そのときは天空に退きさがり、自分の鈎爪は上に、翼と背中は下向きに構え、戦いを挑む。このため、自分に敵対する生き物は、同じ構えをすることができず、敗北するからである。

7
[いかにして霊魂を表すか]

ba.gif  なおまたさらに、霊魂〔バア(右図)のこと〕のかわりに鷹が当てられるのも、名称の意味による。というのは、エジプト人たちの間では、鷹はbaiethと呼ばれ、この名称が分割されると、霊魂と心臓を表象するからである。すなわち、baiとは霊魂、hethとは心臓、そしてエジプト語で心臓は、霊魂の周囲、したがって、この名称を総合すると、心臓の中の霊魂を表象するわけである。ここからして鷹も、霊魂と感応する(sympathein)ゆえに、ふつう、飲むのは水ではなく、霊魂も養われる血なのである。

8
[いかにして、アレースとアプロディーテーを]

 アレースとアプロディティーを書き表すには、二羽の鷹をもって象形とするが、このうち雄をアレースに、雌をアプロディーテーになぞらえるのは、他の雌という生き物ときたら、鷹とはちがって、どんなばあいの交尾も男のいうことを聴くというわけにはいかないからである。というのは〔雌の鷹は〕、日に30回挑まれて、後込みしていようと、ひとたび雄に鳴きかけられれば、再びいうことを聴く。だからまた、どんな雌であろうと、男に聴従する雌をエジプト人たちはアプロディーテーと呼ぶが、聴従しないものをそうは命名しないのである。このゆえに、鷹は太陽にも捧げられる。太陽に似て、雌との交接には30という数を帰するからである。

 別の仕方でアレースとアプロディーテーを書き表すのに、二羽の鴉をもって男と女の象形とするのは、この生き物は卵を二箇産み、これから雄と雌が産まれるはずだからである。しかし、稀に起こることだが、二箇の雄卵、あるいは二箇の雌卵が産まれた場合には、〔そういう〕雄は〔そういう〕雌と結婚し、別の鴉とは交尾せず、もちろん雌も、死ぬまで、別の鴉と〔交尾せず〕、やもめのまま最後まで独りで通す。だから独り身の鴉に出くわしたら、人間どもは、やもめになった生き物に出くわしたかのように鳥占いをするのであるが、それはそれら鴉のそういう同心のせいであり、今に至るもヘーラス人たちは、結婚式のさいに、「少年よ、鴉を追い払え(ekkori kori korone)」と、わけも知らぬままに言うのである。

9
[いかにして結婚を]

 結婚を表すには、またもや二羽の鴉をもって象形とするのは、上述の理由による。

10
[いかにして独生するもの(monogenes)を]

scarabe.gif  独生するものを、あるいは発生〔生成〕を、あるいは父親を、あるいは宇宙を、あるいは男を表すには、黄金虫(kantharos)をもって象形とする。独生するものを〔表すの〕は、この生き物は自生するもの(autogenes)であって、雌によって孕まれることがないからである。というのは、この生き物の発生のみが、次のようにして起こるからである。〔すなわち〕雄が子ども作りをしたいときは、牛の糞を手に入れて、これを、自分の後部を使って、日の出の方角から日没の方角に転がして、宇宙に類似した球形にこしらえるが、このとき自分は東を向いているのは、宇宙の形を与えるためである。(というのは、〔太陽〕自体は東から南西に移動するが、星辰の軌道の方は、南西から東に〔移動する〕からである)。そうしてこの球体を埋め、地中に保つこと28日、――この間に、月もまた十二獣帯をめぐり、保存されていた地中から、黄金虫の種族を繁殖させる。すなわち、第20と9日目に、球体を開き、水中に投げ込む(というのは、この日に、月と太陽、さらにまた宇宙の生成も、「合(synodos)」になると信じるからだが)、水中で球体が開かれると、生き物〔虫たち〕、すなわち、黄金虫たちが現れるのである。発生を〔表すの〕は、上述の理由による。父親を〔表すの〕は、父親だけから発生を得るのが、黄金虫だからである。宇宙を〔表すの〕は、発生のさいに、宇宙の形をこしらえるからである。男を〔表すの〕は、この虫たちには雌の種族が生じないからである。

 さらにまた、黄金虫には三種類がある。第一〔の種類〕は、猫形の玉虫色をした種類で、これこそ、その徴表ゆえに太陽にも奉納する。というのは、雄猫は太陽の軌道につれて瞳孔〔の形〕を変化させると云われているからである。つまり、この神〔=太陽〕の昇る前の早朝には下に伸びるが、日中には円形となり、日の沈まんとするときはぼんやりに見える、ここからして、ヘリウポリスにあるこの神の彫像も、猫形なのである。また、すべての黄金虫は指も30本持っているのは、太陽が昇り、自分の軌道を描く一ヶ月30日の期間による。第二の種類は、双角にして牛形で、これは月にも捧げられる、ここからして、エジプトの子どもたちは、この女神の昇天したものが天の牛〔座〕だと言うのである。第三の種類は、単角の朱鷺の形をしたもので、これをヘルメスのものと信じたのは、鳥の朱鷺の場合と同じである。

 エジプトにも数種類のフンコロガシがいるが、象形文字の素材となっているのは大型のヒジリタマオシコガネ(学名"scarabaeus sacer")である。エジプト語の神名は「ヘプリ」。

11
[禿鷲を書くと何を表すか]

vurtur.lpg  母親を、あるいは視力を、あるいは境界を、あるいは予知を、あるいは1年を、あるいは天(ourania)を、あるいは慈悲を、あるいはアテーナを、あるいはヘーラを、あるいは2ドラクマを書き表すには、禿鷲をもって象形とする。母親を〔表すの〕は、この生き物の種族に雄はおらず、これの誕生は、次のような仕方で起こるからである。つまり、受胎する気になると禿鷲は、自分の生殖器を北風に向けて開き、これと交尾する――5日間、餌も水も口にすることなく、ただ子づくりに焦がれて。鳥類には他にも、風によって受胎するものがいるが、その卵はただ食用になるというだけのことで、繁殖用には役に立たないのだが、禿鷲たちが風と交尾した場合には、できた卵は繁殖する。また、視力を〔表すの〕は、他のいかなる生き物よりもめざとく禿鷲は見るのであり、太陽が日の出の方にあるときは、日没の方を見つめ、この神〔=太陽〕が日没の方にあるときは、日の出の方を〔見つめ〕、たっぷりの遠距離からでも自分に有用な食い物を手に入れる。また、境界を〔表すの〕は、戦争が起こりそうなとき、戦争が起こる範囲を限定するため、7日前にそこに現れるからである。また、予知を〔表すの〕は、上述の理由によってか、あるいは、絵の中に現れても野に現れても、殺戮された者たちや敗北した者たちを眺め、戦死者たちの中から自分の食い物を分配するからか――このため、いにしえの王たちも、禿鷲たちが戦争の帰趨をどう見ているか調べるために密偵たちを派遣し、そうやって誰が敗北者になるかの兆(しるし)を読みとろうとしたのである。1年を〔表すの〕は、この生き物のなかには、1年365日――1年という時間はこの日数によって達成される――の区別があるからである。というのは、120日は懐胎中で、同じ日数のあいだ養育し、残り120日は、自分のことを気づかって、妊娠することも養育することもなしに、別の受胎のときに自分でそなえ、1年の残りの五日間は、すでに述べたことだが、風との交尾のために時を過ごすのである。しかし、慈悲を〔表すというの〕は、一部の人たちの間ではまったく正反対に思われている――この生き物は何でも亡きものにするからである。しかし、これを書かざるを得ないのは、自分の子種を育て上げる102日のあいだ、たいていは飛ぶこともせず、雛たちとその養育に暇なしとなるので、この間は、食は若鳥たちに提供するので、食うことにも窮し、自分の腿を切り取って、子種たちにその血を得させ、食に窮して亡きものとなることのないようにさせるのである。アテーナとヘーラを〔表すの〕は、エジプト人たちの間では、天の上半球はアテーナが、下〔半球〕はヘーラが、受け持っていると思われているからであり、ここからして、男天(ho ouranos)を男性名詞で表すのは確かに奇妙なことと考えるのである。じっさい、女天(he ouranos)を女性名で〔表すの〕は、太陽や月や自余の星辰の誕生もそこ〔天〕において実現するのであり、これこそは女性の働きだからである。他方、禿鷹の種族も、前述のとおり、女性のみの種族である、こういうわけで、あらゆる女性の肖像にも、エジプト人たちは禿鷲を王冠のように冠するのであり、ここからして、あらゆる女神をも――ひとり一人について書くことで、この言葉〔話〕を長引かせることのないように――[エジプト人たちは]<これ〔禿鷲〕によって表象する>のである。[そこで、母親を表象しようとするときは、禿鷲をもって象形とする。母親は女性的生き物だからである]。女天(ourania)を〔表すの〕は、――というのは、男天(ho ouranos)と言うのは、前述のごとく、彼らにとって納得できないからだが――、これらの誕生がそこにおいて生ずるからである。2ドラクマを〔表すの〕は、エジプト人たちの間では、二文字が1単位(monas)であり、単位はすべての数の基(genesis)だからである。したがって、2ドラクマを表したいときに、禿鷲をもって象形とするのは、道理のあることなのである――単位もそうであるように、〔禿鷲も〕母であり基(genesis)であると思われるからである。
 point.gifVulture

12
[いかにして、ヘーパイストス<とアテーナ>を書き表すか]

 ヘーパイストスを書き表すには、黄金虫と禿鷲をもって象形とするが、アテーナの場合は禿鷲と黄金虫をもって。[彼らにとって、宇宙は雄と雌とから成り立っていると思われている。そして<ヘーパイストスの属性は雄>であるから黄金虫で書き表し、アテーナは禿鷲で書き表すのである]。彼らの間では、神々のうち彼らだけが雌雄両性を属性とするからである。

13
[星辰を書くと何を表すか]

 宇宙に内在する神を、あるいは分け与えられた〔運命〕を、あるいは五という数を表象するには、星辰をもって象形とする。神を〔表すの〕は、神慮は、星辰および全宇宙の動きを成就する動因として、勝利(nike)を割り当てたからである。というのは、神なくして何ものも決して構成されないと彼らには思われるからである。また、分け与えられた〔運命〕を〔表すの〕は、これもまた星辰の支配によって起こるからである。また、五という数を〔表すの〕は、天には多くのものがあるが、五だけはみずから動いて、宇宙の支配を達成しているからである。

nut.jpg
 ゲブとヌウトを引き離すシュウ。
 ヌウトの身体に現れているのが、星の象形文字。五芒星であることに注意。  point.gifPentacle

14
[イヌザル(kynokephalos)を書くと、何を表すか]

kynokepharos.jpg  月を、あるいは居住地帯を、あるいは文字を、あるいは神官を、あるいは激情を、あるいは泳ぐことを書き表すには、イヌザルをもって象形とする。月を〔表すの〕は、この生き物はこの神〔=月、ここのギリシア語は男神〕の合(synodos)にある感応を示すからである。というのは、ある時季に、月が太陽といっしょに沈み、暗くなると、雄のイヌザルは、見ることはもとより食べることもせず、地面に屈みこんだまま、まるで月を掠奪されたかのごとく、雌の方は、見ることができず、雄と同じめにあうとともに、なおそのうえに、自分の生殖器から出血する。それゆえ、今に至るも、神域では、イヌザルたちが飼育され、これによって、太陽と月との合の程度を知れるようにするのである。居住地帯を〔表すの〕は、いにしえの邦は、72邦が居住地になっていたと言い伝えられるからである。〔というのは〕これら〔イヌザルたち〕は神域で飼育され、世話を受けるが、自余の生き物たちは一日うのうちに命終するが、これらはそうはならず、その部分が日ごとに死体となって、神官たちに埋葬されるが、このとき、自余の身体は自然のままである。かくて、ついに72日が満たされると、そのとき初めて全体が死ぬのである。文字を〔表すの〕は、エジプト文字の精通者たちはイヌザルたちの同族であり、ここからして、イヌザルが神殿に連れて来られると、最初に、神官はこれのそばに書字板と小縄と墨を置き、よく知られた同族から文字が出てくるか、つまり書くかどうかを試してみるし、さらにまたこの生き物は、ヘルメース――あらゆる文字に関与する者――の持ち物でもある。神官を〔表すの〕は、イヌザルは生まれつき魚を食わず、魚の匂いのするパンさえ食わないが、[例外的に]神官たちも同様だからである。また、〔イヌザルたちは〕細切れで(peritetmemenos)産まれてくるが、同様に神官たちも割礼(teritome)を行じるからである。狂騒を〔表すの〕は、この生き物が他の生き物たちにくらべてきわめて精気に満ち満ちて激情的な存在だからである。泳ぐことを〔表すの〕は、他の生き物たちは泳いでも汚れが目立つが、この生き物だけは、どこかに行こうと思ったら、水泳をして、一点も汚れを身に受けないようにするからである。

 "kynokephalos"は、直訳すると「犬の頭」のことだが、マントヒヒのこと。エジプトでの神名は「ヘジュ=ウル」である。ヘジュ=ウルはジェフウティ〔トト〕に吸収された。
 ここでは72という数が鍵語になっている。72度は、円周360度の1/5である。古代人は、居住地帯を5つに分けていた。中央の熱帯と、その両側に2つの温帯と、さらにその外側にやはり2つの極地である。(Mead, p.42)

15
[いかにして月の出を書き表すか]

 月の出を書き表したいときは、またもやイヌザルをもって象形とするが、それは次のような姿である。〔つまり〕立って両手を天に向かって差し伸べ、頭には王冠をいただいている。〔月の〕出のために、イヌザルが、いわばその女神〔月〕に祈りを捧げているようなこんな姿に書き表すのは、〔月も太陽も〕どちらも光に関係するからである。

baboon.jpg
 昇る太陽神に礼拝するジェフウティ〔トト〕と死者。ジェフウティが死者に無事死後の国への旅ができるよう呪文を教えている。(アン・トイのパピルス、大英博物館蔵)

16
[いかにして2回の昼夜平分時(isemeria)を]

 2回の昼夜平分時を表象するには、今度はイヌザルという生き物が座っているところをもって象形とする。1年のうちの2回の昼夜平分時にさいしては、それぞれの時季の1日のうちに12回放尿し、2回の夜の間も同じことをするからである。だからこそ、エジプト人たちが自分たちの水時計に座っているイヌザル――その秘所からは水をほとばしらせる――を彫刻するのが道理のないことでないのは、前述のごとく、昼夜平分時の12時(hora)を表象しているからである。ところで、器具の水が<勝手に>広がりすぎず、それによって[水が]計時に応じられるよう、また今度は狭すぎもしないよう、(というのは、どちらも必要なことで、広がりすぎれば、水はすぐに空になって、時刻の測定を健全に行うことができず、狭すぎれば、源を放れるのが少しずつで、ゆっくりになるから)、後尾まで孔を通すために、それの厚さに見合った鉄を、当面の用に備える。こういったことを、何らかの理由なしにすることに、彼らが満足しないことは、その他の事柄に対しても同じである。だからまた、〔水時計にイヌザルを彫刻するのは〕昼夜平分時のさい、その他の生き物の中でこれだけが、日に12回、刻限ごとに鳴き声をあげるからである。

17
[いかにして精気(thymos)を表すか]

 精気を表したいときは、獅子をもって象形とする。この生き物は大きな頭をもち、両の瞳は火のよう、顔は丸く、そのまわりには、太陽にも似て、たてがみが陽光のごとく、ここからして、ホーロスの王座の下には獅子たちがいて、この生き物がこの神の象徴たることを示している。ホーロスが太陽なのは、季節(hora)を司るゆえである。

lion.gif

18
[いかにして勇猛さを書き表すか]

 勇猛さを書き表すのに、獅子の前面をもって象形とするのは、身体のその部分に獅子の活力がみなぎっているからである。

19
[いかにして目覚めている者を書き表すか]

 目覚めている者を、あるいはまた見張り番を書き表すのに、獅子の頭を書くのは、獅子は目覚めているときには眼を閉じているが、眠っているときにはそれを開けたままにしている――これこそ見張りの徴だからである。だからこそ、神殿の閂には獅子を番人として象徴的につけるのである。
 point.gif『Physiologos』第1話

20
[いかにして恐怖を引き起こすものを]

 恐怖を引き起こすものを表象するのに、同じ〔獅子の〕表象を用いるのは、この生き物は勇猛このうえない存在で、見る者をみな恐怖に陥らせるからである。

21
nun.gif[いかにしてナイル河の増水を]

 ナイル河――これをエジプト語でNoun〔右図〕と呼ぶが、解釈されるところでは若さ(neos)を表象する――を表象するには、ときには獅子を、ときには三個の大きな水差しを、ときには、水のあふれる天地をもって書き表す。
 獅子を〔書くの〕は、太陽は、獅子の同族であり、ナイル河の増水をいや増しにし、そのあげく、この獣帯〔獅子宮〕にとどまっているときに、新しい水の2/3があふれることもしばしばであり、ここからして、神殿の井戸の取水口をも排水口をも、いにしえの神殿造作の監督官たちは、獅子の形にこしらえたのであり、それゆえにまた今に至るも、流水の多きを祈願するときは、耕地をも葡萄酒で満たすべく、水路の中を、獅子〔像〕たちを介して運ぶのである〔???〕。
 三個の水差しを[あるいは天地に水があふれかえっているところを]〔書くの〕は、――水差しというものは、舌をもった心臓と同一視する。心臓と〔同一視するの〕は、彼らの間では、身体の覇権を握った存在がこれ〔心臓〕であるが、それはナイル河がエジプトの覇者の地位にあるのと同じであり、舌には、いつも湿の状態にあるのがこれの属性だから、存在することの母とも彼らは呼ぶ――そこで水差しが三個で、これ以上でも、これ以下でもいけないのは、増水の働きは、これら〔三個の水差し〕にしたがって、3部構成だからである。つまり、〔三個の壺が〕課するのは、ひとつは、エジプトの大地のためである――これ〔増水〕によって水の発生があるのだから、もうひとつは、大洋のためである――というのも、増水の時機に、これ〔大洋〕からエジプトに水がやってくるのだから、第三は、豪雨のためである――この豪雨は、エチオピアの雨期、つまり、ナイル河の増水の時機、におこるのである。
 エジプトが水を産むということは、次の点からも知ることができる。すなわち、宇宙の自余の地域では、河川の洪水は冬の期間に起こり、うちつづく豪雨によってそういう結果になるのであるが、ひとりエジプトの大地だけは、居住地帯の中央にあること、あたかも、いわゆる瞳が眼球の中にあるがごとくであるから、夏のあいだに、自分〔エジプトの大地〕のためにナイル河の増水を引き起こすのだからである。

22
[いかにしてエジプトを書き表すか]

 エジプトを書き表すのに、燃えている香炉と、その上方に心臓をもって象形とするのは、妬む者の心臓はいつも燃えているように、そのようにエジプトはその熱によって、いつも、その中にある、あるいは、その近くにあるものら、を活かすということを表すためである。

23
[いかにして、祖国から出国したことのない者を]

 祖国から出国したことのない者を表象するのに、驢馬の頭をしたものをもって象形とするのは、歴史のようなものにも耳を貸さず、外国旅行中に体験することも感知しないからである。

24
[いかにして魔除け(phylakterion)を]

 魔除けを書き表したいときは、人間の頭二つ――ひとつは男のそれで内を見つめ、ひとつは女のそれで外を見つめる――をもって象形とする。こういうふうにすれば、言い伝えでは、何物も悪霊に憑かれることはなく、文字は別にしても、二つの頭で自分たちを護ることができるからである。

25
[いかにして、不格好(aplastos)な〔「無教養な」とも訳せる〕人間を書き表すか」

 不格好な人間を書き表すのに、蛙をもって象形とするのは、蛙の発生が河の泥によって起こるからである。ここからして、その〔不格好な〕人は、ある部分では蛙に、自余の部分では一種の土に類似している者のように見られるときもあり、だから、河〔水〕が退くと、それといっしょにいなくなるがごとくである。

26
[いかにして開放を]

rabit.jpg  開放を表そうとするのに、野兎をもって象形とするのは、いつでもぱっちり開いた眼をもっているのが、この生き物だからである。

27
[いかにして、言うという行為を]

 言うという行為を書き表すのに、舌と、充血した眼をもって象形とするのは、しゃべるための首席は舌に、その〔しゃべること〕次席は眼に配分するためである。こうすれば、言説というものは完全に霊魂に服属し、その動きに応じていっしょに変化するからである。

 [別の仕方でも、エジプト人たちの間ではしゃべることが名付けられている]。言うという行為を別の仕方で表象するのに、舌と、下方に手を書くのは、舌には言葉の首席が、手には、舌の意図を補完するのだから、次席が与えられることを認めたからである。

28
[いかにして無言(aphonia)を]

 無言を書き表すには、数字の〔欠損。おそらく1095という数を表す〕で書き表すが、この数は、1年365日から成る3年という時間であり、この期間〔1095日〕は、小児は、舌がもつれているかのように、しゃべれないことを表象するのである。
 point.gifII_55[いかにして秘儀の入信者を]

29
[いかにして遠くからの音を」

 遠くからの音――これはエジプト人たちの間で"ouaie"と呼ばれるのだが――を表したいときは、大気の音、すなわち、雷鳴で書き表す。これより大きな、あるいは、強力な音を響かせるものは何もない。

ani.jpg




 画像出典:アニのパピルス『死者の書』〔社会思想社、1986.5.〕
 アニと妻ススの礼拝の様子と供物が描かれている。供物の中に、パピルスとハスが束ねられているのがわかる。

30
[いかにして始祖(archaiogonia)を]

 始祖を書き表すのに、パピルス(papuros)の株をもって象形とするのは、これによって最初の食べ物(trophe)を表すためである。人は生まれ(gone)や食べ物(trophe)の初めを見出し得まいから。

 エジプト人はパピルスの根を食べるので、「パピルス喰い(papyrophagoi)」と呼ばれるという〔アイスキュロス『救いを求める女たち』761の古註〕


31
[いかにして味覚を]

 味覚を書き表すのに、口蓋の入口(arche)をもって象形とするのは、味覚はすべてそこまで保たれるからである、もちろん、わたしの言っているのは完全な味覚であるが。完全でない味覚を表すのに、歯の上の舌をもって象形とするのは、味覚はすべて歯によって起こるからである。

32
[いかにして快楽を」

 快楽を表したいときは、16という数を書き表す。この年齢から、女たちとの性交と子種の誕生の始まりを男たちがもつからである。

 「〔16という数は〕豊饒、増大を表す:エジプトでは、16ヤードの洪水の深さは大きな喜びの尺度であった(12ヤードのときは飢えを意味した)。それゆえ、16は人間の生殖能力の基準ともなり、人は16歳になると結婚できた。エジプトの大地母神ハトルは「16の支配者」とよばれる」(『イメージ・シンボル事典』)
 アト・ド・フリースの記述は、典拠不明なうえに、記述も不正確。典拠はおそらくプリニウス第5巻58。ヘロドトス第2巻13も関説している。
 ハトホルの件は不明。

33
[いかにして性交を」

 性交を表すには、16という数を二つ書き表す。16は快楽だとわれわれは言ったが、性交は二人の快楽――男のと女のとの――によって成立するのだから、このゆえにもうひとつ16を書き加えるからである。

34
[いかにして、此岸で久しく過ごした魂を]

 此岸で久しく過ごした魂を、あるいは大洪水を書き表したいときは、緋の鳥をもって象形とする。〔此岸で久しく過ごした〕魂を〔表すの〕は、この生き物は宇宙万物の中で最も長命だからである。大洪水を〔表すの〕は、緋の鳥は太陽の象徴で、この宇宙にこれ以上におおいなるものは存在しないからである。なぜなら、万事の上に乗り、万事を見とおすのが太陽だからで、だから、多眼(polyophtharmos)と名づけられるのはそのせいであろう。
 point.gifPhoinix.

35
[いかにして、久しぶりに外国から帰国した者を]

 久しぶりに外国から帰国した者を表すときも、またもや緋の鳥をもって象形とする。というのは、この鳥は、定めの時――それは500年間である――がこれをとらえると、エジプトに現れ、死に先立って、エジプトのなかで神託を与えたうえで、神秘的な眠りに入る、そして、他の聖なる生き物たちにエジプト人たちが供えるかぎりのものは、緋の鳥にも帰属する務めがあるからである。というのは、〔エジプト人たちは〕他の人間たちよりもより多く太陽のおかげをこうむっていて、このために、ナイル河もこの神〔太陽〕の熱によって満ちあふれるのだとエジプト人たちに云われるからである――これについては少し先で〔I_3, 21, 34〕、わたしたちからあなたに話(logos)があったはずである。
 point.gifII_57[いかにして長い時間の還暦を]

36
[いかにして心臓を書き表すか]

ibis.jpg  心臓を書き表したいときは、朱鷺をもって象形とする。この生き物が、すべての心臓と計算の主人たるヘルメースの眷属であるのは、朱鷺もまたそれ自体が心臓に類似しており、これにまつわる話(logos)はエジプト人たちの間で最も多くもたらされるからである。
 point.gifHeart.

37
[いかにして教育を]

 教育を書き表すのに、露を降らせる天をもって象形とするのは、露が落ちてあらゆる植物の上にひろがり、やわらかくなる自然本性を有する植物はやわらかくするが、おのれの自然本性からして固いままの植物は別のものらと同じにすることはできないように、そのように、人間どもに関する教育も共通であって、良稟の者は露のようにそれを把握するが、稟性を欠く者はそうすることができないということを表すためである。

38
[いかにしてエジプト文字を]

 エジプト文字を、あるいは神聖文字書記官を、あるいは終末を表すには、墨と濾し器と小縄〔物差しのこと〕をもって象形とする。エジプト文字を〔表すの〕は、エジプト人たちの間では書かれたものすべてがそれら〔墨・濾し器・小縄〕によって仕上げられるからである。つまり、書くのは縄によってであって、何か他のものによってではないのである。また濾し器を〔もって表すの〕は、濾し器は初めはパン焼き用具であって、縄からつくられたからである。すなわち、言うところの意味は、食う手だてを有する者はみな文字を学ぶが、有しない者は別の術知を用いる、ここからして教育も、彼らの間ではsboと呼ばれるが、これこそは充分なる食べ物の意に解されるものである。また、神聖文字書記官を〔表すの〕は、この者が生と死を判別するからである。つまり、神聖文字書記官たちの間には、じつに神聖な書があり、ambresと呼ばれるのだが、これによって、病床に臥した病人について、生きられるか否かを判定するのであり、このことは、病人が病床に臥していることで表象するのである。終末を〔表すの〕は、文字を学んだ者は、生の穏やかな停泊地に解放されているので、もはや人生の諸悪に惑わされることがないからである。

DK. 68(B), 300.16.
 SYNCELL. I 471 Dind.

  「彼〔デーモクリトス〕はエジプトでメディア人オスタネスから秘法を伝授された。オスタネスは当時のペルシア大王より、メンフィスの神殿で他の神官、哲学者たち――その中にはユダヤ人の賢女マリアをおり、またパンメネスもいた――とともにエジプトの諸神殿を監督するために派遣されていたのである。云々」
DK. 68(B), 300.20.
PAPYR. MAGIC. LUGD. 384 IV. Jahrh. n. Chr. [Dieterich Jahrb. f. kl. ph. Suppl. XVI 813 Preisendanz a. O. S. 81]

 「デーモクリトスの球。〔患者が〕生きるか死ぬか、予後を判定する道具。どの月齢の頃に[太陰暦で月の何日に]発病して寝ついたかを知れ、これと誕生時につけた当人の名前に合算し、30で割れ、そして余りの数を「球」の中に見て取れ。もしその数が上部にあれば生きる。下部にあれば死ぬ」。

39
[いかにして、神聖文字書記官を]

anubis.jpg  今度も神聖文字書記官を、あるいは予言者を、あるいは葬儀人を、あるいは脾臓を、あるいは嗅覚を、あるいは笑いを、あるいは嚔を、[あるいは始源を、あるいは裁判官を]書き表したいときは、犬をもって象形とする。神聖文字書記官を〔表すの〕は、完全な神聖文字書記官になりたいと望む者は、数多くの修練をしなければならないが、他には何事も喜ばないから、いつまでも吠えつづけ、粗暴になること、あたかも犬たちのごとくだからに他ならない。予言者を〔表すの〕は、犬が、他の生き物たちにくらべて、神々の影像を直視すること、予言者のごとくだからである。神殿の葬儀人を〔表すの〕は、葬儀人もまた、自分の付き添っている影像が、裸にされ、切開されるのを看取るからである。脾臓を〔表すの〕は、この生き物〔犬〕は、他の生き物たちにくらべて、ひとりより軽いのをもっているからにほかならない。死であれ狂気であれ、ひとに降りかかるのは、脾臓が原因であり、この生き物〔犬=インプ(アヌビス)〕に奉仕する人たちも、葬儀のときには、つまり、成就せんとする段になれば、大抵の場合、気むずかしく〔脾臓の病に〕なるからである。というのは、細切れにされたもの、つまり、犬〔神〕の供え物を嗅ぐために、そういう目に遭うのである。嗅覚や笑いや嚔を〔表すの〕は、完全な不機嫌症〔脾臓の病〕にかかった人たちは、嗅ぐことも笑うことも、もちろん嚔もできないからである。

40
[いかなる仕方で役人とか裁判官を表すか]

 役人とか裁判官を書き表す場合には、犬に王の衣裳(stole)[、裸の恰好]も付け加える。そのわけは、先に述べたところであるが、あたかも犬は神々の影像にめざといように、役人も同様であり、裁判官は、よりいにしえの時代の人であるので、王が裸のところを観ているからである。だから、こういう理由からも、王の衣裳を添えるのである。

41
[いかにして、新床運び役(pastophoros)を表象するか]

 新床運び役を表象するのに、家の見張り役をもって象形するのは、それによって神所が守られるからである。
 point.gifPastos.

42
[いかにして観天家(horoskopos)を表現するか]

 観天家を表すのに、四季を食べている人間をもって象形とするのは、人間は季節を食べるからではない、〔そんなことは〕できないのだから、そうではなくて、人間どもにとって食べ物は季節によってもたらされるからである。

43
[いかにして浄らかさ(hagneia)を表すか]

 浄らかさを表すのに、火と水をもって象形とするのは、これらの要素によってすべての清浄さは達成されるからである。

44
[いかにして無法(athemiton)あるいはまた汚れ(mysos)を示唆するか]

 無法あるいはまた汚れを表すのに、魚をもって象形とするのは、魚の肉は神域の中で忌み嫌われるからである。魚はすべて虚仮にするもの、共食いするものだからである。

45
[いかにして口を書き表すか]

 口を書き表すのに、蛇をもって象形とするのは、蛇はただひとつ口を除けば、他のいかなる部位においても強くはないからである。

46
[いかにして、慎みをともなう男らしさを]

 慎みをともなう男らしさを表すには、健全な生殖器(physis)を有する牡牛をもって象形とする。この生き物は、その部位において最も高熱であるので、雌の生殖器に自分のそれを1度きりあてがって射精し、しかもいかなる動きよりも2倍の量を射精する。このとき、生殖器を外れ、雌牛の身体の別の場所におのが恥部を突き立てると、そのときは勢いあまって雌の生殖器を傷つけることがある。しかし、慎み深くもあるのは、性交の後は決して雌にのしかかることはないからである。

apis.gif

47
[いかにして聴覚を]

 聴覚を書き表すには、雄牛の小耳をもって象形とする。というのは、雌は受胎するために発情すると、(しかし、発情は3季以上にはならない)、そのとき大声で吠えるが、そこに牡牛がいなければ、次の合の時〔交尾期〕まで生殖器を閉ざす、――こんなことはめったに起こらないが。というのは、牡牛が多くの仲間から聞いて、いっしょに発情して、駆け足で交接のために駆けつけるからであるが、これだけが他の生き物たちとは異なっているのである。

48
[いかにして、多産の男の恥部を]

 多産の男の恥部を表すのに、象形とするのは山羊であって、もはや牡牛でないのは、牡牛は1歳になるまでは、かけないからである。ところが山羊は、生後7日で交尾し、精液は無生・夢精と判定されるが、それでも他の生き物たちのなかでまっさきにかけるのである。

49
[いかにして不浄を表すか]

 不浄を書き表すのに、オリュクス(oryx)をもって象形とするのは、月が日の出の方向に現れると、この女神〔月〕を見つめ、悲鳴をあげるからである――それ〔月〕に対して善く言うことなく、まして、言祝ぐことさえせずに。その徴証は極めてはっきりしている。すなわち、自分の前脚で大地を掘り、自分の瞳孔を収縮させ、あたかも興奮して、女神〔月〕が昇るのを見たくないかのごとくなのである。神的な星である太陽が昇るときも同じことをする。それゆえに、いにしえの王たちは、星相(horoskopos)がその上昇点(anatole)を自分たちに示してくれるよう、この生き物の上に座って、その中心によって、あたかも一種の指時針(gnomonos)〔ヘロドトスII_110〕のごとく、上昇点の精確さを計測したのであった。だからまた神官たちも、聖獣(ktenoi)のうちこれだけは封印されざるものとして〔新鮮なうちに〕食したのは、月女神に対する敵愾心のようなものをもっているように見えたからである。というのも、独りのときに、水量ゆたかな場所を占めると、鼻で飲み水をかき混ぜ、水の中に木を混入し、そこに足でゴミを放りこんで、他の生き物が誰もそれが飲めないようにする。ことほどさようにオリュクスの自然本性は邪悪でおぞましいものと信じられていたのである。というのは、これはふさわしいことは何一つまったくしないのだから。この女神〔月〕が、この宇宙で役に立つかぎりのことを何でも生み成し、増大させているときにも。

いにしえの王たち
 「いにしえの王たち」=「神官」=「天象の観察者」であることをうかがわせる箇所。
 「地球自転の反映として、天球は諸星とともに日周運動をする。すなわち恒星もプラネット(太陽・月・惑星)も東の地平線から昇り西の地平線に入る。それゆえ特定の時刻におけるアスペクト〔天球上における太陽・月・惑星相互間の位置関係〕と地表との相対関係は、その時刻に黄道十二宮〔シグヌム〕のどの点が地平線から出現するか、そのシグヌム出現点によって決定する。この出現点のことをアスケンデンス〔上昇点="anatole"〕という」(荒木俊馬『西洋占星術』p.114)。
 月の朔望は29日半であるから、これの「上昇点」を正確に決めることは難しい。

50
[いかにして消失(aphanismos)を]

 消失を表すのに、鼠をもって象形とするのは、〔鼠は〕何でも食べて、汚し、無用と化すからである。また、判別を書き表そうとするときも同じものを用いる。それは、多数のとびきりの菓子パンがあるのに、鼠はその中の最も清浄なのを選び出して喰うからである。だからパン作り職人の判別も鼠によって行われるからである。

51
[いかにして無頓着さ(itamotes)を]

 無頓着さを表すのに、蠅をもって象形とするのは、たえず追い払っても、ちっとも減ることはないからである。

52
[いかにして知恵(gnosis)を書き表すか]

 知恵を書き表すには、蟻をもって象形とする。人間が何を安全に隠そうとも、蟻はそれを知っているからである。この理由だけではなく、他の生き物たちと違って、冬に向けて自分の食べ物を運び、その場所をあやまたず、それることなくそこにたどりつくからである。

53
[いかにして息子を書き表すか]

 息子を書き表したいときは、狐雁(chenalopex)〔ヘロドトスII_72〕をもって象形とする。この生き物は最も子煩悩だからである。すなわち、時に追跡されて、子種もろとも捕まりそうになるときがあっても、彼らの父と母は、みずからの選びで猟師たちに我が身をさしだし、子どもたちが助かるようにするのである。こういう理由から、この生き物は畏れ多いとエジプト人たちには思われたのである。

54
[いかにして無理性を]

 ペリカンを書くことで、無理性や無思慮を表象するのは、高い場所に自分の卵を置いておくことができるのに、自余の鳥類ならそうするのに、それをせず、それどころか、あきれたことに地面を掘って、そこに生まれた〔卵〕を置いておくからである。このことを知っているから人間は、その場所に牛の乾いた糞をばらまき、これに火も点ける。するとペリカンはその煙を見て、自分の羽でその火を消そうとするのだが、その動きのせいで逆にそれを燃え上がらせることになり、ために自分の羽を火に焼かれて、猟人たちに捕まえられやすくなる。神官たちがこれを食べられると考えなかったわけは、一般的には子種たちのために争いを引き起こすからだが、しかし自余のエジプト人たちは食べて言うのである――ペリカンが争いを引き起こすのは、狐雁とは違って理性のせいではなく、無理性によってだ、と。

55
[いかにして報恩を表すか]

 報恩を書き表すのに、ヤツガシラをもって象形とするのは、言葉なき生き物たちの中でこれのみが、生みの親たちに育てられての後、年老いた彼らに同じ恩を報いるからである。すなわち、彼らによって育てあげられたその場所に、自分の羽を抜いて彼らのために巣を作り、食べ物もたっぷり供給し、生みの親たちの羽が生え、自助できるまでにする、ここからして、神的な杖の先にも、ヤツガシラの栄位が与えられているからである。

56
[いかにして不正にして忘恩の徒を]

 不正にして忘恩の徒は、河馬の下向きの2つの爪をもって書き表す。河馬は、年頃になると、父親に対して戦いを挑み、いったいどちらが強いか、これを試し、父親が敗退すれば、これに場所を分け与え、これは自分の母親と結婚し、彼〔父親?〕は活かしておく。母親との結婚をこれに認めないときは、〔子は〕より男らしく、より盛りにあるからして、これを殺す。そこで、<杖の>最も下の部分に河馬の二つの爪を〔つけて〕、人間どもがこれを見て、これにまつわる話を知って、善行に熱心になるようにさせるのである。

57
[いかにして、自分にとっての善行者たちに対する忘恩を]

 自分にとっての善行者たちに対して忘恩者であり敵愾心をもっている者を表象するには、ドバトをもって象形とする。雄は、より強くなると、自分の父親を母親から追い払い、かくして母親を花嫁として交合する。この生き物が清浄な存在と思われるのは、疫病が蔓延し、生物も無生物もすべてが、これを食する者たちに病的に分け与えられているときも、この生き物だけはそういった災悪にかかわりあいになることはなく、だからこそ、まさにそういうときには、ドバトを唯一の例外として、王の食用には他には何ひとつ助けにならず、聖務にたずさわる者たちにとっても、神々に仕えるのだから、同じである。この生き物は憂いをもたないと記録されている。

58
[いかにして不可能であるということを]

 不可能であるということを表象するには、水の中を歩いている人間の両足をもって象形とする。あるいはまた他の仕方で同じことを表象したいときには、歩いている無頭の人間をもって象形とするのは、どちらも不可能なことであるから、その意に解されるのは道理なのである。

59
[いかにして最高の覇王を]

 最高の覇王を表すには、宇宙の形をかたどられた蛇をもって象形とする。この蛇の尻尾を口にさせ、王の名は巻輪の真ん中に書いて、この王が宇宙を支配していると書いてあることを示唆するのである。

60
[いかにして守護者としての王を]

 別の仕方で守護者としての王を表すには、目覚めた蛇をもって象形とするが、王の名前の代わりに、守護者を書く。これは全宇宙の守護者であり、王はいかなる場合も目覚めているのが<常>だからである。

61
[いかにして、世界主(kosmokrator)を闡明するか]

 今度は王を世界主と信じ、これを闡明するのに、ただ蛇だけをもって象形とし、その中に大きな館を示すのには理由のあることである。王の館はパラオ、すなわち、世界の中で<支配する>からである。

62
[いかにして、王に従順な人民を]

 王に対して従順な人民を表すには、蜜蜂をもって象形とする。というのも、他の生き物の中で蜜蜂だけが王をもち、自余の蜜蜂の大多数はこれに従うが、人間も同じように王に聴従するからである。しかし、蜜蜂の<有用さと>、この生き物の刺し針の力とによって、<王>は有用であるとともに、<正義>に関して威勢のいいことも、同時に示唆している。

63
[いかにして、宇宙の部分を支配する王を]

 全宇宙ではなく、部分を支配する王を表象したいときは、半身の蛇をもって象形とするのは、この生き物によって王であることを、しかし半身であるから、全宇宙を〔支配するのでは〕ないことを表すためである。

64
[いかにして全能(pantokrtor)を]

 全能を、生き物の完全さによって表象するには、今度は、完璧な蛇をもって象形とする。このようにすれば、彼らのもとでは、全宇宙に浸透しているのは気息であることになるのである。

65
[いかにして洗い張り屋(gnapheus)を]

 洗い張り屋を表すには、水の中の二本の脚をもって象形とするが、これは、その動作が似ていることにもとづいて表しているのである。

66
[いかにして〔暦の〕月を]

 〔暦の〕月を書き表すのに、ありきたりではあるが、月の形――28昼夜平分日、1日24時から成る――をもって象形とする。たしかに、この回数〔28日間〕〔月は〕昇り、残り2日分は沈んでいるのである。

67
[いかにして、盗人や多産者や狂人を]

 盗人や、多産者や、狂人を表象したいときに、鰐をもって象形とするのは、〔鰐は〕大量殺人者、多産、気違いだからである。何かを略奪したいと思って、しくじったら、腹を立て、自分で気が触れるからである。

68
[いかにして〔天体が〕昇ること(anatole)を]

 〔天体が〕昇ることを言い表すのに、鰐の二つの眼をもって象形とするのは、この生き物の全身の中で、両眼だけが奥から飛び出しているからにほかならない。

69
[いかにして〔天体が〕沈んでいること(dysis)を]

 〔天体が〕沈んでいること(dysis)を言い表すには、前屈みになった鰐をもって象形とする。この生き物は、前屈みになって、傾いているからである。

70
[いかにして、陰(skotos)をなぞらえるか]

 陰を言い表すのに、鰐の尻尾をもって象形とするのは、鰐は、生き物を捕まえても、自分の尻尾で〔自分の〕弱きを殴りつけて、心構えをしないかぎり、他の仕方では抹殺や破滅に至らせられないからである。この部位にこそ、鰐の強さと勇敢さが宿っているのである。

 鰐の自然本性には、他にも豊富な表象が存するが、第一書の中に述べるのがよいと思われたことは、これで充分である。

[『神聖文字の表意』の 第1巻の終わり]


back.gif第2巻
forward.GIFインターネットで蝉を追う/目次