エジプトにおける太母の一番古いトーテムの1つは死体を食うもの、ハゲワシであった。死体を貧り食うハゲワシは太母に仕える死の天使とみなされていたが、それは、ハゲワシが死体をばらばらの肉片にして天国へ運んだからである。新石器時代には、死体を野ざらしにして、太母の霊の化身である、腐肉を餌とする鳥たちがついばむのに任せるのが一般的な慣習であった。このためギリシア人やローマ人でさえも、ハゲワシには雌しかいないという考えを抱い た[1]。紀元前7千年紀のチャタル・ヒュユック出土の「ハゲワシの石碑」には、死体がハゲワシに運ばれていく図が刻まれているが、これは女性原理だけが崇拝されていた時代と場所のものである[2]。
古代イラン人は死体は埋葬せず、ダクマ dakhmaと呼ばれる、屋根のない「沈黙の塔」に置き去りにしてハゲワシのついばむに任せた。沈黙の塔の多くは今日も残っている。これらの塔が建てられたのは、イラン人が月の女神マー(「母親」)を崇拝し、ハゲワシが死者を女神の統べる天の王国に運ぶと信じていた時代であった[3]。ペルシアで埋葬の慣習が始まってからも、死体が埋葬されるのは、先ずハゲワシが肉を引きちぎってからであった[4]。
エジプト人は、ハゲワシの頭部をもつ太母を万物の源として崇拝し、ムート、アセト〔イーシス〕、またはネヘベト〔ネクベト〕と呼んだ[5]。このハゲワシ-母は、ペルーウアチェト(ローマ名はプト)のヘビの女神ウアチェトとともに「二柱の女神」となった。この「二柱の女神」は王家の守護者であり、冥界に住む亡き王たちの保護者であった。神殿にはこの「ニ往の女神」のための特別な小聖堂が2つあった。至聖所の東側にある小聖堂では、ヘビの女神が太陽を生んだ。西側の小聖堂では、ハゲワシの女神が毎日、太陽の死を宣した[6]。この両女神は聖なるセフセフ山にそれぞれハゲワシとして現れることがあったが、この山で、死んだファラオは女神の乳房を吸う永遠の幼児となった[7]。
エジプト最古の神託所は、ネケン(現在のアルーカプ)にある、ハゲワシの女神ネヘベト〔ネクベト〕を祀る神殿であった(ネケンは最初の「ネクロポリス」、すなわち「死者の町」)。この神殿は、死の神殿であると同時に出産の神殿でもあったので、ギリシア人は、自らの出産の太母アプロディーテー・イーリーテュイアにちなんで、ネケンをイリテュイアスポリスと呼んだ[8]。ローマ人はキウィタス・ルキナエ(「出産の女神ユノ・ルキナの町」)と呼んだ[9]。
「祖母」を表すエジプトの象形文字は、権威のしるしである「から竿」をもつハゲワシ女神であったが、これは先王朝時代の氏族の家母長を表すトーテム像の1つであった[10]。「母親」という言葉は、象形文字ではハゲワシのしるしを用いて書かれた[11]。ハゲワシ女神ネヘベト〔ネクベト〕は、かつて上エジプト全土を支配し、王権のしるしである白冠をつけていた。アセト〔イーシス〕として、ネヘベト〔ネクベト〕はミイラの頭支えにハゲワシの姿で描かれ、頭にはハゲワシの皮をかぶり、それぞれのカギツメはアンクankh(生命の十字架)を握っていた[12]。ハゲワシとしてのアセト〔イーシス〕は、カーリーがシヴァの死体を貧り食うのと同じく、死んだ夫ウシル〔オシーリス〕を貧り食った[13]。次いで彼女は体内でウシル〔オシーリス〕に肉体を与え、新たに聖なる子ヘル〔ホルス〕として生まれ変わらせた。
ウシル〔オシーリス〕は四肢を切断されたが、これは原始時代のエジプトの葬礼慣習であった。この起源は古く、原始時代のギリシアの生食omophagiaの風習にならって、おそらく死体を食した時代にさかのぽる。葬礼魔術はムウmuu (「母親たち」)と呼ばれる、踊る巫女たちの手に委ねられており、彼女たちは「食するもの」を表すため、そしてアセト〔イーシス〕と同じく、その体内で死者を再生させるために、ハゲワシの羽毛でできた衣装を身につけたかもしれない。『アニの書』によれば、子宮としての地下の冥界の最初の門は、ハゲワシの女神が番をしており、この女神のくちばしで引き裂かれて初めて、死者は冥界に入ることができ、そこから再び甦った[14]。
ハゲワシ-母は、北欧やアジアでも知られていた。ヴァルキューレは、サクソン族にとっての「死体を食うもの」であり、しぱしぱカラスやワタリガラスのような、腐肉をあさる鳥の姿をとった。シベリアのシャーマンにはそれぞれ、その生涯に2度現れる「母なる猛禽」がいた。すなわち、イエスの洗礼の儀式のときに現れたハト-母と同じく、シャーマンが霊の死と再生を遂げるときと、その肉体が滅びるときであった。この霊-母は、「鉄のくちばし、カギツメ、長い尾をした」腐肉を食べる大きな鳥であった[15]。
葬礼を可る巫女は、ハゲワシの羽根をもつハルピュイアHarpiesの物語に見られるように、古典時代の神話では「けがれたもの」と呼ばれるようになった。しかし、ハゲワシには雌しかいないという古代人の主張は、キリスト教時代に入ってからも長く信じられていた。教父たちは処女降誕説を弁護するために、ハゲワシは風の精によって孕まされた場合にのみ卵を生むという「事実」を引き合いに出した[16]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔中米・再生〕 トキイロコンドル(Sarcoramphus papa、上図)は臓物を食べるので、マヤ族の間では死のシンボルである(METS)。しかし、腐った死骸や汚物も食べるから、生命力の再生に一役買っていると考えられている。生命力というものは腐敗した有機物やどんな排泄物にも含まれている。だから、コンドルは死を新たな生に転換させ、再生のサイクルをとどこおりなく進めるいわば浄化と魔術の役割を演じている。このことは宇宙の象徴体系にも当てはまることで、この場合コンドルは水の表徴に結びつけられる。マヤ族の暦の場合がそうで、コンドルは乾季に降る「貴重な豪雨」を司る。豪雨は植物をよみがえらせ、このため豊穣の神になる。大なり小なりほとんどの場合、大河の泥土で作られた島にこのことは見て取れる。いろいろな都市や村落に接するメコン川がそうである。
〔南米・火〕 同じ理由からコンドルは、浄化と豊かな恵みを同時にもたらす天界の火と結びつけられる。南アメリカのインディオの儀式で、多くの場合、コンドルは火の最高の占有者である。だが、造物主が普通はヒキガエルの助けを借りて、コンドルから火を盗む(METT、LEVC)。
〔アフリカ・秘儀〕 ブラック・アフリカのバンパラ族の間でもこれと同じ象徴的意味が霊的次元で最も極端なところまで押し進められている。つまり秘儀に通じた人々の階級が「ハゲワシ」と呼ばれている(CHAB)。
〔朝鮮・習俗〕 朝鮮のハゲワシも秘儀をきわめた者である。彼は俗界で一度は死んだ男である。通過儀礼で清められ、焼かれて神のような賢者の世界へ入ったところである。秘儀結社から出てくれば、彼は道化師やとくに子供のような姿で現れる。というのも、実際彼は生まれたばかり、というより「生まれ変わった」ばかりだからである。それも超自然界でそうなった。俗界の人々から見れば、神の英知は狂気か「無垢」のように映る。彼は子供のようにあちこちうろつき回り、手当たり次第に自分の糞便まで食べ漁る。というのも、彼はこの世の死を克服して、腐った物を賢者の石に変える力があるからである。人々は彼を世の中で最も恵まれた人と呼んでいる。なぜなら賢者の石を知っているのは彼だけだからである。「食物に上下がないのはまことのこと」、人々はそういって彼のことを祈りの中でほめたたえる。秘儀結社の階層と一般社会の階層とは似たところがあるが、彼は出産間近の妊婦に似ている。だから、アフリカやアメリカでもそうだが、彼は多産と豊穣のシンボルである。生活の豊かさはもとより、物質的にも精神的にもあらゆる次元の豊かさに通じるシンボルなのである。
〔精神分析〕 ジークムント・フロイトは、『レオナルド・ダ・ヴインチの幼年時代の思い出』の中で母親が変身した姿をハゲワシと考えた。エジプトのハゲワシ女神ネヘベト〔ネクベト〕は、民間信仰によれば出産の守護神である。
〔エジプト・神話〕 『ピラミッド・テキスト』でハゲワシはとくにアセト〔イーシス〕と同一視されている。生命を授けるアセト〔イーシス〕の神秘的な言葉は、冥界の人々にも知られていたに違いない。「ハゲワシの祈祷さえ手に入れれば、どこへ行こうとお前は幸多き者になろう」。ハゲワシ女神は、夜や闇や冥界で魂を再生させる。魂は夜明けにはよみがえろう。「ハゲワシ(母)は夜、おまえの角で妊娠した。おお! 受胎した雌ウシよ」。これはアセト〔イーシス〕註解に書きとめられている一文である。ハゲワシはまた取っ手のついた籠やついていない籠にも描かれているが、これは子宮の中で受胎したことを象徴している。
〔エジプト・美術〕 エジプト美術のハゲワシは、しばしば天界にいる太母神の力を表している。ハゲワシは屍体を食べて生きている。それは未来永劫続く生と死の循環を象徴している。
アセト〔イーシス〕を描いたみごとなレリーフがフィレ島の神殿を飾っている。玉座に座った女神の横顔を描いたもので、頭は兜でも被ったように大鳥の垂れた翼でくるまれている。この兜は月を戴き、雌ウシの2本の角が竪琴のように月を縁取っている。女神のはだけた上半身からは、子供に母乳でもやるように、むき出しの大きな乳房が突き出ている。女性的なさまざまなシンボルを重層させた珍しい例で、宇宙における生命の過程を擬人化したものである。永遠の女性をイメージ化した最も美しいものの1つである。
〔ギリシア・ローマ・神話〕 ハゲワシ guvy はまたギリシア・ローマの伝承では占いの鳥である。ハゲワシはアポッローンに捧げられた鳥であった。ハクチョウやトビやカラスと同じように、ハゲワシの飛び方で運勢を占ったからである。双子の兄弟のレムスがパラティヌスの丘に、ロムルスがアウェンティメスの丘にいて、都市をどこに建てるべきか知ろうとして天にうかがいをたてたときに、レムスは6羽のハゲワシを、ロムルスは12羽のハゲワシを見たという。ローマはこれらの予兆から一番吉と出た場所に建てられることになる。〔ギリシア人にとってハゲワシはそれほど馴染みのある鳥ではないが、それでも、Il. XXII_42, Od. XI_578, XXII_30などに登場する〕。
(『世界シンボル大事典』)
古代エジプトでは、ハゲワシの仲間としては少なくとも5種が知られていた。このうち、ヒエログリフで「アa」を表す文字(G1)として使われたのが、いわゆるエジプトハゲワシ(Neophron percnopterus)〔左図〕である。
しかし、ヒエログリフ(G14)に描かれ、ほとんどの美術作品に登場してくるのは、シロエリハゲワシ(Gyps fulvus)〔右図2〕に似た大型のものであった。このハゲワシは、とくに上エジプトの町エル=カブ(アル=カーブ)の女神ネヘベト〔ネクベト〕を象徴することが多かった。……
……ハゲワシのヒエログリフを使って書かれるムト(mwt)は母の意味であり、末期王朝時代が始まる頃からは、ハゲワシが女性の本質を象徴するようになっていた。そして男性の本質を象徴するスカラベ甲虫とともに描かれることが多くなった。……
エジプト美術の中で、ハゲワシほどいろいろなポーズで描かれた生き物はいないだろう。しかし、そのたくさんのポーズの中でも特に重要なものは4つである。まず立ったポーズとして、ヒエログリフの形のままのもの(護符などに使われた)と、人物や記号を守るように翼を広げたポーズ(呪術的な意味をもつ宝飾品や、もっと大きな作品)がある。そして飛んでいるポーズとして、横から見た姿(王を守るモチーフのとき)と下から見た姿(神殿や祠堂の屋根に見られる)があった。
(リチャード・H・ウィルキンソン『古代エジプトシンボル事典』原書房、2000.3.)