title.gifBarbaroi!
back.gif


原始キリスト教世界

ラウソス修道者史





[パッラディオス略伝]

パッラディウス Palladius(365/68-425/30)
 初代修道院史の著述者。
 恐らくガラテヤ生まれ。数年間エジプト、パレスチナで修道士と共同生活をした後、小アジアに帰って、ビテニヤのヘレノポリスで主教となる(400年)。クリュソストモスの友人という理由で、追放された(406年)が、のち再び小アジアに帰った(412年)。ヒエロニムスとエピファニオスは、彼をオリゲネス主義者だと非難したが、この非難が当っているかどうかは疑わしい。
 彼の有名な《修道士の歴史》(テオドシウス2世の侍従ラウススに献げられたため、普通《Historia Lausiaca, 419/20》と呼ぶ)は、現存する初代修道院の歴史中、最も信頼しうるものである。また、クリュソストモスの生涯に関する《対話》(Dialogue)も彼の著作であると考えられている。
 (『キリスト教大事典』改訂新版)

[『ラウソス修道者史』について]
 ガラテア出身の司教で歴史家のパッラディオス(Palladios 363頃-431年頃)は、ヨアンネス・クリュソストモス(Ioannes Chrysostomos 340/50-407年)の熱烈な支持者であり、『ラウソス修道者史』(Historia Lausiaca)を著した。この著作はテオドシウス2世(Theodosius II 在位402〔408〕-50年)の侍従ラウソス(Lausos に献呈されたところから、この侍従の名がその書名に冠せられている。同書はしばしば写本の中で先の『エジプト修道者史』と併載されている。
 著者パッラディオスはほぼ10年のあいだ、アレクサンドレイアやニトリアの近くでエジプト式の修道生活を送ったが、病のためやむなく修道生活を放棄した。彼は同地での滞在、あるいはエルサレム、シリア、ローマなどへの旅行を記録した。その際パッラディオスはたえず個人的な思い出と、人から聞いた話とをこもごも記している。彼は明らかにエウアグリオス・ポンティコスの弟子の一人であり、このスケティスの教師の霊性の枠組を採り入れ、それに師父たちの言葉や行いの記録を合わせている。それによって、エウアグリオスの弟子たちがどのような仕方で師の理想を実現したと確信していたかがよく示されている。パッラディオスは師に従って生きた人々の弱点と過誤を隠さずに描写したが、その際彼の精神は最も厳しい修行に対する感嘆にもまして、「純粋な祈り」に範を採ったたえざる祈りの理想によって占められていた。
 (『キリスト教神秘思想史1:教父と東方の霊性』)


point.gif沙漠の修道者たちにとっての沙漠の意味については、鈴木順の論考、 異界としての沙漠:キリスト教初期修道制文献ににおける沙漠のイメージ を参照。

[目次]
forward.gifラウソス修道者史(1/7)
back.gif表紙にもどる