2001年4月〜8月の雑記帳
26 Aug 2001
またもや1ヶ月以上も間が開いた。
いよいよ本番の週である。久しぶりにTenorをやるので禁酒。うっかり飲ませないように。
20 Jul 2001
ご無沙汰である。我がMacのハードディスクがクラッシュして、ここしばらく再設定に追われた。マシンは無事に動いているが、データは全損である。
この世の終わりはある日突然やってくるのではない。じわじわと気づかぬうちに押し寄せてくるのだ。我が国の表裏のあるはっきりしない態度は、明らかにこの世の終わりを早めている。
日本政府は京都議定書批准の意志を明確にせよ!(あるいは「京都議定書に反対だ」と明言せよ。あたかも積極的であるかのような態度は卑怯だ。)
さあ、世界のみなさん、クリームパイを持ってボンに集合だ!
25 Jun 2001
腰を痛めた。(「トシ」ってやつ?)
筋肉性のものだが。さすがに参った。仕事を減らそう。
腰には来たものの、土曜日はなかなかよかった。主体性と帰属意識を十分に感じられて、やる気をかき立てられるものだった。>また腰を痛める?
持続可能な労働を!
12 Jun 2001
もうなんだか月一回ペースだ。
「制度改革」はいまひとつ思い切りに欠ける。それでもなお、どれだけ実現できるのか?
一日がほとんどどたばたで終わる。まあ日が悪かったんだが。それにしても、15年もあともどりした低レベルな議論をしようとするA国には頭が下がる。未だに問題の実在を確認する段階にいるのか。
今週はいささか疲れている。火曜日にこんなことを言っていては先が思いやられる。しかし今日は懐かしい人(しかも二人も)と電話で話したので、とても得をした気分だ。いきおい、他の懐かしい人にメールを出したりしてみる。
19 May 2001
三宮までお祝いに行った後、O君の車で帰ってきた。ChouChouでN氏にばったり。ちょっと動転してまとまな会話をしていない。
甲子園君は幸せそうで何よりだった。
11 May 2001
あまりにも美しい造形物の下に壮絶な歴史が埋まっているのは、とても悲しい風景だ。その壮絶さを、私は足元から感じることができないが、自らの原点を思い起こすことではあった。その壮絶な歴史からの新たな一歩を模索する人々を見るとき、私は言葉を失う。その一歩がどこへ向かうのか、向かうことができるのか、それはまだ未知数にみえる。しかし彼らは、それでもその一歩を踏み出すことを義務づけられているようですらある。それこそが、彼らが望むことなく負わされた業なのだ。
その姿を淡々と、確かに、ただ誠実に伝えてくださった皆さんに感謝している。
その地から帰ってきて、夕刊を眺めて思う。
いくらなんでも愚かだ。自分たちでも疑問を感じているのがありありと分かるのに。
とはいえ、彼らの気持ちもまた、あまりにも悲しい。そうできなかったことを、彼らもまた、深く深く悲しんでいることだろう。その決断をさせなかった者たちこそ、恥ずべきなのだ。現地で見た今は亡きいわたれさんの記事を思い起こしながら、この連立政権とあの連立政権の本当の力の差を思う。
5 May 2001
今日飲んだ「ブドワゼ」は妙に炭酸がなかった。ハズレか。口直しにウルケルを飲むあたりやる気があるのかないのか。
連休はいまひとつ成果を上げずに終わりつつある。やらねばならぬ用件が手つかずだ。これだけはなんとかしたいのだが。
1 May 2001
もう5月だ。毎月ページを変えるのがあほくさいのでこのまま継続。
5月は我が社は人事異動の季節だ。あまり落ち着かないまま連休の谷間を渡っている。私は最近はあまり異動がないが、仕事の内容は年々変わっているような気がする。願わくは、もう少しバランスのいい配置を。だいぶ疲れた。
昨日は散歩がてらに大徳寺あたりをうろつく。久しぶりに寺なんかを歩いてみる。それなりに収穫の多い日だった。
21 Apr 2001
気が付けば1か月以上更新していない。
シノーポリとの出会いは、もう10年以上前、NHK-FMでのことだった。東急Bunkamuraオーチャードホールのオープニングで、晋友会/東フィルでの「ミサ・ソレムニス」。Benedictusの美しさが忘れられない。まだまだこれから、あまりにも早すぎる。
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