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写真1は、 ランドスケープを手がけている佐々木さんのスライドです。 こういう傘を置いただけで、 日常の田園景観が非常に夢のある世界を展開できるという例で、 これは許せる世界として紹介されております。 あとでご意見をうかがいたいと思いますけれども、 そもそも「許せる、 許せないというものの見方というのが許せない」というのが佐々木さんのご意見です。
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写真2は、 湘南台の文化センターの中にしつらえられたステンレスの造形です。 しかし、 風や雲などを表現しようとしたのだろうけれども、 形態だけを抽出していてそこに限界がある。 演出に力つきた作品というものは、 非常に痛々しくて、 許せる、 許せないというよりも、 むしろ残念だということかと思います。
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写真3、 4は、 実行委員の小浦さんが用意したスライドです。 ご承知のようにハウステンボスです。 一生懸命作っていて、 実態としては存在しているなと思うけれども、 実感みたいなものがわかないというのが評価です。
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写真5は、 中山道の奈良井の街並みです。 小浦さんは、 街並みと時間との関係でおもしろいことをおっしゃっています。 タウンウォッチングというのは、 時間の蓄積を発見するという楽しみがある。 しかし、 先ほどのハウステンボスのようなテーマパークは、 演出された時間を消費する感じだとおっしゃっています。 消費するのと発見するという、 時間の関わり方が非常に違うのだということをおっしゃっています。
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写真6、 7も同じく、 時間を発見するというタウンウォッチングの方に入る街並みで、 小布施の修景拠点を採り上げられています。
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写真8、 9は、 大阪の阪南の方の古い住宅です。 すでに断片としてしか残っていないのだけれども、 そういうものを手がかりとしながらかつて存在していた“時”というものを発見する手がかりになっている、 それがタウンウォッチングの楽しみで、 そのあたりが新しい街とは非常に違うのではないかというご指摘です。
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写真10は、 ブロック幹事をされている土橋さんのスライドです。 これは中之島です。 大阪の最もシンボリックな水辺で、 コンクリートに型枠だけで石の模様を刻み込むという一種のまがいものの景色で、 これは許せないと特に強調されています。
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写真11は、 アーバンスタディ研究所の森川さんのスライドです。 横浜のラーメン横丁です。 ラーメンをおいしく食べさせる工夫として許せるとおっしゃっています。
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写真12は、 伊勢のおはらいまち、 おかげ横丁です。 超仮想世界としての伊勢神宮に対して、 その対照が非常におもしろいから、 まあ許せるとおっしゃっています。
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写真13は、 日南市の修景された飫肥の町並みです。 今一歩だなあということで、 許せないというよりは、 もうちょっとがんばってと言いたいというコメントが入っております。
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写真14は、 生活問題研究所の山本さんのスライドです。 小浦さんと同じくハウステンボスを取り上げておられますが、 これは許せる、 偽物とは言わせませんとおっしゃっています。
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写真15は高山の町並みです。 しかし実際には、 高山まがいのものが氾濫しているのですが、 でも心地よいから許せてしまうというコメントです。
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写真16は、 レリーフ入りの縁石です。 これでは、 イノシシも恥ずかしいと思うでしょうということで、 許せないとおっしゃっています。
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写真17は、 宝塚の舞台です。 気持ち悪いと言う人もいるけれども、 すごく厳しい訓練を経てこういう世界を作っているんだから、 これは許せるとおっしゃっています。 そういう仮想世界だとおっしゃっています。
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写真18は、 学芸出版の前田さんのスライドです。 神戸の南京町です。 一度行ったことのある本当の中国はちっともおもしろくなかったけれども、 ここは大好きだということです。
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写真19は、 ヨーロッパ村です。 大阪にヨーロッパなんか似合うわけがなくて、 許せない、 信じられないとおっしゃっています。
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写真20、 21は、 ランドデザインの中村さんのスライドです。 福井県の一条谷の復元の町並みです。 コメントとしては、 ここまで徹底してやると、 何か違うんじゃないと言いたくなるとおっしゃっています。
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写真22は、 庭園の遺跡です。 日本庭園というものは、 もともと仮想的な世界ですけれども、 それがいったん失われ、 こういう形でまた現れているということで、 二重の仮想の世界をここで作っているのではないのかというコメントが入っています。 今ここにない、 失われたものというものは、 一体仮想なのかどうなのか、 というようなことですが、 まあ、 観光の対象としては非常に重要なものになっているということです。
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写真23は、 竹中工務店の井口さんのスライドです。 サンアントニオの街ですが、 これがまずリアルな、 現実のサンアントニオで、 要するに、 コンクリートとアスファルトの普通の街だと言うことです。
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そこに、 パセオ・デル・リオというものが入っています。 商業主義の優等生ということで、 水もここの場合には、 一応本物の川からひいていますし、 木も本物です。 周りの建物はスペイン風の様式を採っていますけれども、 この土地柄を考えれば許せるとおっしゃっています(写真24)。
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ただし許せないものがどうしてもあるとおっしゃっています。 鳥の巣箱があって、 その中にスピーカーが仕掛けてあって、 鳥の鳴き声が聞こえてしまうのは、 これだけは許せない、 とおっしゃっています。 さらにリスがいるらしいのですけれども、 リスの死がいを公園の人が拾っているのをみたことがあると。 もし、 よそで飼っていてここに放しているんだったら、 それも許せないとおっしゃっています(写真25)。
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写真26は、 SES環境計画室の三宅さんのスライドです。 ドイツのマインツにあるケストリッヒという地区の計画だそうです。 工事中に失われたローマ時代の遺跡が出てきてしまった、 そのとまどいがありありと見えているんだけれども、 この遺跡のリアリティにはかなわない。 こういう遺跡のリアリティということで、 紹介されています。 先ほどの失われた世界というものと関係しているかと思います。
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写真27は、 ホートンプラザです。 ここを訪ねる前に見ていたサンノゼパビリオンは、 どういうわけかゴーストタウンになっていたそうです。 先ほど時間の消費と言うことがありましたけれども、 どうせだますなら、 最後までだましてくれなければ困るというコメントであります。
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茶屋町にこういうのがあるそうです(写真28)。 これは許せない。 安物感しかない。 周りもごちゃごちゃしていて許せないと言うことです。
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しかし、 写真29は許せますということです。 視覚に入るもの全てが一つのテーマのもとに統一されているというコメントが入っています。
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写真30は、 大阪芸術大学の田端さんのスライドです。 遠くから見ると実在の教会のように見えるんですれども、 実は修復中の仮囲いに絵が書いてあるものです。 こういう、 仮設的な絵をもっと都市の中にどんどん入れ込むことによって、 都市の仮設性みたいなものを際立たせながら、 その都市のエネルギーを作り上げていくことも一つの考え方ではないかということをコメントされています。
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写真31も、 パリの工事現場の仮囲いに描かれた、 人が上がっていくような階段です。 日本では、 どうしてこういうようなものがないのだろうかとおっしゃっています。
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写真32は、 ロンドンで見かけたものです。 やはり仮設で、 鉄骨を人が登っているような姿が描かれているわけです。 全くの、 ある意味のバーチャルな世界なんですけれども、 こういうものも、 非常に楽しい演出じゃないかということです。
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写真33は、 私の文章の中に入れた例で、 人工芝を道路の分離帯の中に敷き詰めたものです。 最初見たときにはとてもじゃないけど許せないと思いましたが、 よく考えてみれば、 野球の人工芝だって最初はずいぶん違和感を感じたんだけれども、 結局はこれも馴染んでしまうかもしれない。 そうすると、 案外そういうものとしてリアリティを持ってしまうかなあと思っています。
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写真34は横から見たものです。 見る限りはかなり美しいというか、 すっとしています。
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写真35は、 渋谷です。 いわゆる消費社会の最も象徴的なもので、 人によってはこれをグラビア広告の三次元化されたものだというふうに言っています。 なんのかんのと言っても、 我々の社会の最も華やかな部分というものを象徴していて、 許せるのではないかと思います。
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写真36は公園通りです。
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写真37がその仕掛人の中心人物といってもいいパルコです。
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写真38はその一画です。
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写真39は、 上九一色村のオウムの施設です。 これを採り上げたのは、 次のような推測をしたからです。
現実のモノ的な世界の表現、 あるいはそのリアリティの獲得に失敗した時には、 おそらく心の中とか情報空間とかのバーチャルなものにリアリティを求めはじめる。 そうすると、 たぶんモノ的空間の方には全く表情を期待しなくなる。 宗教施設としては極めて異例な風景だと思いますが、 ひょっとしたらそういう時代がきつつあるのではないかということで採り上げています。
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写真40も、 同様です。 写真家が上手なせいか、 なぜか神々しく見えてくるから恐ろしいです。
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臨海部なんかにあるいわゆるインテリジェントビルの建築群と、 そこに集まって携帯電話やポケベル、 ウォークマンなどを装着している若者たちの世界は、 先ほどのオウムの建物とヘッドギアをつけてその中に集まっている人たちとそれほど変わらないのではないかと思います。 許せないと言い切れるかどうか分かりませんが、 どちらかというとこわい世界だと思います(写真41)。
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写真42は、 臨海副都心の東京の有明フロンティアビルです。 ツルピカの建物に情報装置で装備した人間という世界を感じるものです。
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写真43はビックサイトです。
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最後にいくつか、 横浜の上大岡のパブリックアートをご紹介します。
現実というものと芸術というものの境目がなくなってきているとすれば、 我々はもう一回、 パブリックアートについて、 もう少し考えなければいけないということで採り上げています。 これは、 グッドラックということで、 親指を象徴しているのです(写真44)。
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写真45は、 鎮守の森です。 屋上にしつらえられた作品です。
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写真46は、 表題もバーチャル庭園というものです。 ロックガーデンとハーフミラーを組み合わせています。 室内にあるものですけれども、 これも一つのパブリックアートとして作られているものです。
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写真47は、 奈良美智さんの作品です。 大きなホールの中に、 こういうお人形さんがいくつかあります。 これはただかわいいだけじゃなくて、 目がグリーンなんです。 非常に印象深い作品です。
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写真48は、 ニューヨークで活躍している画家の作品だそうです。 この作家のコメントによりますと、 日本の都市というものは相当に嘘っぽい。 その嘘っぽさが、 ニューヨークなんかに比べて非常に大きいので、 それをちょっと笑っているんですよというコメントです。
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写真49は、 同じ建物の外にある、 2つのアートです。 上の方は、 換気塔を覆う一つの作品、 下の方はエレベータシャフトの関係の作品です。 ひょっとして、 先ほどの情報空間にリアリティを奪われないためには、 物的空間の方で相当がんばらなければいけない。 そのがんばる1つの方向としてこういうことがあるのかもしれない、 ということで紹介しました。
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