都市空間の回復―思考の軌跡と展望--
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「協議」と「合意」の間

 

協議なくして変化なし

 京都セミナーではこのような考えから、現状と変わらないものなら自由に建てても良いけれども、変化するなら影響を受ける人々の合意が必要だと主張しました。ある地区の高さを30mと決めていたずらに既存不適格建築物をつくってしまうのではなく、今、ある形・高さのまま建て替えるのは認めるけれども、15mのものを30mに建て替えたりするなら、合意が必要という主張です。

 参考:緊急討論・京都の新景観政策を考える、特に丸茂報告・都市計画の桎梏と協議調整の場の可能性投稿・協議調整のためのルール作り投稿・許認可行政で都市景観は救えるか?

 しかし、京都のセミナー以後は、協議と合意の間には大きな隔たりがあるのではと考えるようになりました。

 「合意なくして変化なし」というドイツの規制は日本では無理だと思います。合意を前提としない協議であっても、その協議が重要なのだと思います。まず参加しやすくすることで、それによりコミュニケーション効果があり、少なくとも配慮を忘れてうっかりやってしまうミスは防ぐことができます。ただ確信犯は防ぐことができません。

 また「利的価値」との葛藤は容易に合意に至りませんし、近代化に伴い必然的に要請される場合には風景の進化を許容しなければなりません。

 「合意なくして変化なし」というのは最善とは限らないかもしれません。果てしない協議の場であることこそ、景観に多少のほころびが生じたとしても、人間的な都市の条件であるかもしれません。

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 そこで、必ずしも合意する必要はないけれども十分協議をする必要がでてきます。この「届出」→「協議」→「勧告」という柔らかい手続きを普遍化することが重要だと思います。これなら出来るのではないでしょうか。

 これまでが思考の軌跡です。

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