富翁の歴史 日本酒の歴史 伏見の歴史 日本の歴史 1715年(正徳5年) 製成数量195石(伏見全体では8,303石)。現存する資料では最古のものになる。 1721年(享保6年) 三代目 鮒屋四郎兵衛 襲名 1748年(寛延元年) 四代目 鮒屋三右ヱ門 襲名 1755年(宝暦5年) 五代目 北川三右ヱ門 襲名 1788年(天明8年) 製成数量240石(伏見全体では6,098石) ? 六代目 北川三右ヱ門 襲名 1797年(寛政9年) 製成数量40石(伏見全体では6,645石) 江戸時代 1783年(天明3年) 天明の大飢饉、減醸令浅間山の噴火により大飢饉がおこり酒造石高を半分にする令を出す 伏見の酒蔵数:29 1736年(元文1年) 伏見指物町の銭座で銭貨が作られる。 1786年(天明6年) 伏見町の人口が4万人を数える。 1701年(元禄14年) 元禄赤穂事件(忠臣蔵) 1702年(元禄15年) 松尾芭蕉「奥の細道」完成 1703年(元禄16年) 近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」完成 1716年(享保元年) 徳川吉宗が8代目将軍になる 1745年(延亨2年) 徳川家重が9代目将軍になる 1776年(安永5年) 平賀源内がエレキテル(静電気発生装置)を復元する