北川本家 360周年記念サイト

360年の歩み

  • 富翁の歴史
  • 日本酒の歴史
  • 伏見の歴史
  • 日本の歴史
1657年(明暦3年)
酒株制度(酒造業における免許制)が始まる

酒株制度の資料以前より、初代 鮒屋四郎兵衛は観月橋付近にて「鮒屋」という船宿を営み、お客様に出す酒をつくっていたと言われる。 これ以前の文献は残っていないため、この年を創業とした。
当時の伏見には83もの酒蔵が存在していたが、現在まで残っているのは弊社を含め2社のみである。

酒造株
伏見酒造組合誌より引用。ここに写っているのが当時使われていた酒造株の株札である。
画像の株札は「天明6年丙午(ひのえうま)(1786年)、株高240石 鮒屋三右衛門」と書いてあるのが分かる。
富翁製造風景絵画
江戸時代の酒造りの様子を描かれたであろう絵画。当時の雰囲気を窺い知ることができる。
現在は乾蔵に飾られている。
1692年(元禄5年)
二代目 鮒屋四郎兵衛 襲名

日本酒の時代背景と酒質の変化について、また当社の使用酵母についてまとめてみました。
これを読んでいただくとより一層ご理解いただけると思います。

> 日本酒の時代背景と酒質の変化について
> 当社の使用酵母について

江戸時代

1596年~1604年
(慶長)

酒が濁り酒から清酒になった時代

お酒は濁ったものが普通だった時代、透明なものが主流になってくる。
そのきっかけとなった逸話が→コチラ

1600年代初頭

朱印船貿易

オランダ東インド会社から日本酒が輸出されていた 東アジア、インド インドのパタヴィアでは日本酒を食前酒、ワインを食中酒として飲まれていた

1657年
(明暦3年)

酒造株制度の確立

富翁の創業年とする年

杜氏制度の確立

各地に流派が発足し酒造集団を形成する

四季醸造

新酒、寒前酒、間酒(あいしゅ)、寒酒、春酒という区分けで四季醸造の原形となる造りをしていた

伏見の酒蔵数:83
1697年

元禄の酒株改め

幕府が酒税を徴収するために徹底的に行われた政策、酒屋から運上金が課せられた

下り酒

灘、伊丹の摂泉十二郷から江戸へ送られた酒がそう呼ばれた、品質の良い酒の総称となる

伏見の酒蔵数:83
1694年(元禄7年)
御香宮神社例祭の芝居・見世物が始まる
1651年(慶安4年)
徳川家綱が4代目将軍になる
1657年(明暦3年)
明暦の大火
江戸の大火事で6割が焼失
1685年(貞享2年)
5代目将軍徳川綱吉による生類憐れみの令の制定
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