- 1903年(明治36年)
- 十代目 北川三右衛門 襲名
現在は乾蔵に飾られている看板。醸造者が北川本家ではなく北川三右衛門となっている事から十代目以前に作られた物と推測される。銘柄は自社の別銘柄「富乃司」になっている。
現在は乾蔵に飾られている看板。こちらは醸造者が北川本家で銘柄は「富翁」になっている。
- 1910年(明治43年)
- 十代目 北川三右衛門が、中国の四書五経の中より「心の豊かな人は晩年になって幸せを得る」という意味を持つ「富此翁(とみ・これ・おきな)」の表現をみつけ、酒銘を「富翁(ふうおう)」とする。
戦後頃から「とみおう」の読みへ変化する。
「富此翁」の額は現在も乾蔵(中蔵)に飾られている。
乾蔵に設置してある鏡。「フーオー」とフリガナがついている。
また、十代目北川三右衛門が伏見区山崎町362に浜蔵を建設し移転させる。
一方、伏見区向島橋詰町では「ふり袖(※)」を製造することになる。
※ 新酒ができると酒蔵の娘がふり袖姿でもてなした事が名前の由来とされる
- 1936年(昭和11年)
- 株式会社北川本家設立。伏見区山崎町364(現在の浜南倉庫)に事務所を設ける。
浜南倉庫の裏側には濠川に続く伏見桃山の疎水が流れており、伏見十石舟のコースになっている。
その乗船中に舟から見えるように樽が飾られている。
- 1944年(昭和19年)
- 北川家を中心に5つの酒蔵(北川家、橋本家、竹谷家、大八木家、谷家)が合併して向島酒造株式会社が設立され「ふり袖」の製造を引き続きおこなう。
※当時、会社の合併をすると補助金が下りた背景があり、この5つの蔵の中で設備の最も整った向島の北川の蔵に集まったとされる。
- 1948年(昭和23年)
- 大手浜第一倉庫建設。
- 1951年(昭和26年)
- 北川本家の子会社として株式会社翁屋を設立。
四条富小路で清酒・奈良漬の販売を始める。
- 1955年(昭和30年)
- 十一代目 北川貞次郎 就任
製成数量3,127石(伏見全体では89,610石)。
- 1957年(昭和32年)
- 十二代目 北川清太郎 就任
- 1960年代
- 発がん性の疑いがあるサリチル酸(1969年全面禁止)を添加しない防腐剤無しのお酒を時代に先駆けて発売。その安全性から売上が飛躍的に上昇していく
詳しくは→コチラ
- 1961年(昭和36年)
- 十一代目 北川貞次郎 再就任
京都府綴喜郡井手町に玉水蔵完成
- 1963年(昭和38年)
- 中浜倉庫建設。
- 1965年(昭和40年)
- 大手浜事務所、大手浜壜詰工場建設。
製成数量8,098石(伏見全体では281,300石)。
- 1966年(昭和41年)
- 伏見金印の誕生。
伏見酒造組合(北川貞次郎理事長)は当時不振であった二級酒の販売量を増やすため「一級酒に勝るとも劣らない品質の酒であることを組合が保証し、二級酒並みの価格で売り出す」 という「伏見金印」の企画を打ち出した。
この新しい二級酒は、従来のビンの正面中央に貼ってある二級酒の表示ラベル(規格 証紙)を廃止、代わりに金色の紙に白で「伏見」と書いたラベルをつけ「伏見の金印」として消費者のイメージアップを図るもの。
これにより二級酒の販売量は急激に増加、大きな成果を挙げた。
- 1967年(昭和42年)
- 富翁CMソング完成。
曲名「株式会社北川本家 清酒 富翁の歌」
作詞:テレビ工房 作曲:小倉 靖 歌:トリオコイサンズ、高沢 明
ソノシートとは塩化ビニールで作られたペラペラなレコード盤のようなもの。
当時、レコードは高級品であったがソノシートはそれに比べかなり安価で製造できたため販売よりも何かの付録として作られるケースが多かった。
素材的に強度が無いのでレコードに比べ音質が悪くノイズが多いという欠点があり、音溝も削られていくので何度も聴くには適さなかったが手軽に音楽を楽しめるという点で重宝された。
CM動画もあるが時期は不明。福井県・岐阜県でも放送されていた模様。
- 1971年(昭和46年)
- 大手浜第二倉庫建設。
- 1972年(昭和47年)
- 十三代目 北川榮三 就任
- 1975年(昭和50年)
- 製成数量13,467石(伏見全体では456,000石)。
- 1976年(昭和51年)
- 元ビートルズのメンバー、リンゴスターが来日。ホテルオークラ東京で富翁の酒樽を使って鏡開きを行う。
近代映画社「スクリーン 1977年1月号」より引用。
アルバムのプロモーションとコマーシャルの撮影のため10月17日に来日し、翌日に記者会見が行なわれた。
その時、質疑応答後のパーティーで鏡開きをした模様。当日の報道陣はなんと470名!
- 1980年(昭和55年)
- 純米 美肌発売開始
※昔から入浴剤や化粧水代わりとしても使われ、また飲用もされている当社のロングセラー商品です。
- 1983年(昭和58年)
- 全国新酒鑑評会に初の出品。金賞受賞(初)
※ 全国新酒鑑評会とは独立行政法人酒類総合研究所と日本酒造組合中央会が毎年開催している全国規模では唯一の公的な、清酒を鑑定・評価する審査会。
金賞は入賞酒の中でも特に優秀と認定された清酒に与えられる。
初めての出品にして金賞受賞。この時の出品酒は大吟醸八反錦。
焼酎の製造を始める※ 京言葉の「はんなり(華やかで上品なさま→すっきり)」をイメージして「はんなり米焼酎」と名付ける。
- 1984年(昭和59年)
- 全国新酒鑑評会 金賞受賞(2回目)
- 1985年(昭和60年)
- 全国新酒鑑評会 金賞受賞(3回目)
製成数量12,760石(伏見全体では421,726石)
- 1986年(昭和61年)
- 全国新酒鑑評会 金賞受賞(4回目)
蔵人の老齢化に伴い乾蔵と浜蔵・玉水蔵を統合するため乾蔵新工場を建設。
時を同じくして四条富小路の翁屋店舗を売却する。
古い木造の貯蔵蔵と大量生産するための新しい鉄筋蔵が合わさって現在の乾蔵となった。
浜蔵取り壊し時に蔵人が記念に残しておいた物が現在乾蔵に保管されている。
昔、米を蒸すのに使っていた大釜。現在は乾蔵の玄関前に置かれている。
- 1987年(昭和62年)
- 全国新酒鑑評会 金賞受賞(5回目)
- 1989年(平成元年)
- 全国新酒鑑評会 金賞受賞(6回目)
浜南倉庫建設。
- 1990年(平成2年)
- 全国新酒鑑評会 金賞受賞(7回目)
- 1992年(平成4年)
- 全国新酒鑑評会 金賞受賞(8回目)
- 1996年(平成8年)
- アンテナショップ「おきな屋」を開設。
※ お客様からの声を直接聴き、反映させる事を目的に開設。
開設当初からのコンセプト「玄米をその場で精米して販売」は現在まで引き継がれる。
- 1999年(平成11年)
- 当社の醸造責任者として田島善史が杜氏に就任。
※ 杜氏とは酒造りに携わる者にとって最高の称号である。その語源は
- 昔、中国で杜康(とうこう)という人が酒を発明し、代々杜家が酒造の司となったからその姓をとって「杜氏」になったという説
- 酒を入れる甕(かめ・壺のような入れ物)を大きさで大刀自(おおとじ)、次刀自(つぎとじ)、小刀自(ことじ)と言い、これらの名前から酒を造る人を刀自と呼ぶようになった。そこから刀自が「とうじ」になり、現在の「杜氏」へ変化したという説
- 酒造りの名人、藤次郎という人の名からとられた説
- 杜氏の杜には「神が祀られている」という意味があり、神酒を造る司は権威のあるものとして「杜氏」ではなく「杜司」と書く説もある
製成数量7,556石(伏見全体では493,251石)