北川本家 360周年記念サイト

360年の歩み

  • 富翁の歴史
  • 日本酒の歴史
  • 伏見の歴史
  • 日本の歴史
1903年(明治36年)
十代目 北川三右衛門 襲名
北川三右衛門看板
現在は乾蔵に飾られている看板。醸造者が北川本家ではなく北川三右衛門となっている事から十代目以前に作られた物と推測される。銘柄は自社の別銘柄「富乃司」になっている。
北川本家看板
現在は乾蔵に飾られている看板。こちらは醸造者が北川本家で銘柄は「富翁」になっている。
1910年(明治43年)
十代目 北川三右衛門が、中国の四書五経の中より「心の豊かな人は晩年になって幸せを得る」という意味を持つ「富此翁(とみ・これ・おきな)」の表現をみつけ、酒銘を「富翁(ふうおう)」とする。

戦後頃から「とみおう」の読みへ変化する。

富此翁看板
「富此翁」の額は現在も乾蔵(中蔵)に飾られている。
鏡
乾蔵に設置してある鏡。「フーオー」とフリガナがついている。
また、十代目北川三右衛門が伏見区山崎町362に浜蔵を建設し移転させる。

一方、伏見区向島橋詰町では「ふり袖(※)」を製造することになる。
※ 新酒ができると酒蔵の娘がふり袖姿でもてなした事が名前の由来とされる

1936年(昭和11年)
株式会社北川本家設立。伏見区山崎町364(現在の浜南倉庫)に事務所を設ける。
樽重ね
浜南倉庫の裏側には濠川に続く伏見桃山の疎水が流れており、伏見十石舟のコースになっている。
その乗船中に舟から見えるように樽が飾られている。
1944年(昭和19年)
北川家を中心に5つの酒蔵(北川家、橋本家、竹谷家、大八木家、谷家)が合併して向島酒造株式会社が設立され「ふり袖」の製造を引き続きおこなう。

※当時、会社の合併をすると補助金が下りた背景があり、この5つの蔵の中で設備の最も整った向島の北川の蔵に集まったとされる。

1948年(昭和23年)
大手浜第一倉庫建設。
1951年(昭和26年)
北川本家の子会社として株式会社翁屋を設立。

四条富小路で清酒・奈良漬の販売を始める。

1955年(昭和30年)
十一代目 北川貞次郎 就任

製成数量3,127石(伏見全体では89,610石)。

1957年(昭和32年)
十二代目 北川清太郎 就任
1960年代
発がん性の疑いがあるサリチル酸(1969年全面禁止)を添加しない防腐剤無しのお酒を時代に先駆けて発売。その安全性から売上が飛躍的に上昇していく
詳しくは→コチラ
1961年(昭和36年)
十一代目 北川貞次郎 再就任

京都府綴喜郡井手町に玉水蔵完成

1963年(昭和38年)
中浜倉庫建設。
1965年(昭和40年)
大手浜事務所、大手浜壜詰工場建設。

製成数量8,098石(伏見全体では281,300石)。

1966年(昭和41年)
伏見金印の誕生。

伏見酒造組合(北川貞次郎理事長)は当時不振であった二級酒の販売量を増やすため「一級酒に勝るとも劣らない品質の酒であることを組合が保証し、二級酒並みの価格で売り出す」 という「伏見金印」の企画を打ち出した。
この新しい二級酒は、従来のビンの正面中央に貼ってある二級酒の表示ラベル(規格 証紙)を廃止、代わりに金色の紙に白で「伏見」と書いたラベルをつけ「伏見の金印」として消費者のイメージアップを図るもの。
これにより二級酒の販売量は急激に増加、大きな成果を挙げた。

1967年(昭和42年)
富翁CMソング完成。
曲名「株式会社北川本家 清酒 富翁の歌」

作詞:テレビ工房 作曲:小倉 靖 歌:トリオコイサンズ、高沢 明
ソノシート
ソノシートとは塩化ビニールで作られたペラペラなレコード盤のようなもの。
当時、レコードは高級品であったがソノシートはそれに比べかなり安価で製造できたため販売よりも何かの付録として作られるケースが多かった。
素材的に強度が無いのでレコードに比べ音質が悪くノイズが多いという欠点があり、音溝も削られていくので何度も聴くには適さなかったが手軽に音楽を楽しめるという点で重宝された。

CM動画もあるが時期は不明。福井県・岐阜県でも放送されていた模様。


1971年(昭和46年)
大手浜第二倉庫建設。
1972年(昭和47年)
十三代目 北川榮三 就任
1975年(昭和50年)
製成数量13,467石(伏見全体では456,000石)。
1976年(昭和51年)
元ビートルズのメンバー、リンゴスターが来日。ホテルオークラ東京で富翁の酒樽を使って鏡開きを行う。
リンゴスターが来日1
リンゴスターが来日2
近代映画社「スクリーン 1977年1月号」より引用。
アルバムのプロモーションとコマーシャルの撮影のため10月17日に来日し、翌日に記者会見が行なわれた。
その時、質疑応答後のパーティーで鏡開きをした模様。当日の報道陣はなんと470名!
1980年(昭和55年)
純米 美肌発売開始

※昔から入浴剤や化粧水代わりとしても使われ、また飲用もされている当社のロングセラー商品です。

1983年(昭和58年)
全国新酒鑑評会に初の出品。金賞受賞(初)

※ 全国新酒鑑評会とは独立行政法人酒類総合研究所と日本酒造組合中央会が毎年開催している全国規模では唯一の公的な、清酒を鑑定・評価する審査会。
金賞は入賞酒の中でも特に優秀と認定された清酒に与えられる。

新酒鑑評会初金賞
初めての出品にして金賞受賞。この時の出品酒は大吟醸八反錦。
焼酎の製造を始める

※ 京言葉の「はんなり(華やかで上品なさま→すっきり)」をイメージして「はんなり米焼酎」と名付ける。

1984年(昭和59年)
全国新酒鑑評会 金賞受賞(2回目)
1985年(昭和60年)
全国新酒鑑評会 金賞受賞(3回目)

製成数量12,760石(伏見全体では421,726石)

1986年(昭和61年)
全国新酒鑑評会 金賞受賞(4回目)

蔵人の老齢化に伴い乾蔵と浜蔵・玉水蔵を統合するため乾蔵新工場を建設。
時を同じくして四条富小路の翁屋店舗を売却する。

乾蔵外観
古い木造の貯蔵蔵と大量生産するための新しい鉄筋蔵が合わさって現在の乾蔵となった。
浜蔵鬼瓦
浜蔵取り壊し時に蔵人が記念に残しておいた物が現在乾蔵に保管されている。
釜
昔、米を蒸すのに使っていた大釜。現在は乾蔵の玄関前に置かれている。
1987年(昭和62年)
全国新酒鑑評会 金賞受賞(5回目)
1989年(平成元年)
全国新酒鑑評会 金賞受賞(6回目)

浜南倉庫建設。

1990年(平成2年)
全国新酒鑑評会 金賞受賞(7回目)
1992年(平成4年)
全国新酒鑑評会 金賞受賞(8回目)
1996年(平成8年)
アンテナショップ「おきな屋」を開設。

※ お客様からの声を直接聴き、反映させる事を目的に開設。
開設当初からのコンセプト「玄米をその場で精米して販売」は現在まで引き継がれる。

1999年(平成11年)
当社の醸造責任者として田島善史が杜氏に就任。

※ 杜氏とは酒造りに携わる者にとって最高の称号である。その語源は

  • 昔、中国で杜康(とうこう)という人が酒を発明し、代々杜家が酒造の司となったからその姓をとって「杜氏」になったという説
  • 酒を入れる甕(かめ・壺のような入れ物)を大きさで大刀自(おおとじ)、次刀自(つぎとじ)、小刀自(ことじ)と言い、これらの名前から酒を造る人を刀自と呼ぶようになった。そこから刀自が「とうじ」になり、現在の「杜氏」へ変化したという説
  • 酒造りの名人、藤次郎という人の名からとられた説
  • 杜氏の杜には「神が祀られている」という意味があり、神酒を造る司は権威のあるものとして「杜氏」ではなく「杜司」と書く説もある
製成数量7,556石(伏見全体では493,251石)

明治時代

1901年
(明治34年)

白鶴酒造一升瓶で販売開始

量り売りの衰退

伏見の酒蔵数:42
1904年
(明治37年)

国立醸造試験所設立

現・酒類総合研究所

伏見の酒蔵数:29
1906年
(明治39年)

優良酵母の分離、実用化

醸造協会設立、純粋培養酵母の育種、販売
1号菊正宗、2号月桂冠、3号酔心、4号、5号広島

伏見の酒蔵数:30
1907年
(明治40年)

第1回全国清酒品評会開催

良い酒を造っても火落ちすることも多かった時代にそれを克服するため技術向上のため開催された

伏見の酒蔵数:35
1909年
(明治42年)

山卸廃止法(山廃)酒母の開発

生元つくりに必須だった山卸を廃止した酒母造りが開発され、蔵人の労務負荷を軽減する

伏見の酒蔵数:30
1911年
(明治44年)

速醸法開発

乳酸添加による安全醸造技術が開発されさらに蔵人の労務負荷が進む

伏見の酒蔵数:29
1890~1920年
明治後期

酒造の近代化

良い酒を造っても火落ちすることも多かった時代にそれを克服するため酒造の近代化 "日清戦争に勝利した賠償金などを醸造業の近代化にあてた国策として、酒造技術の向上、安全醸造技術、大量生産技術の開発に力を注いだ

大正時代
伏見の酒蔵数:30

昭和~

昭和初期
戦前

琺瑯タンクの登場

木樽の雑菌が住み着くとの見解より政府が推奨した

1930年
(昭和5年)

竪型精米機登場

東広島の精米機メーカー創始者佐竹利市が開発、飛躍的に精米技術が向上した

伏見の酒蔵数:41
1932年
(昭和7年)

秋田流低温長期発酵開発

新政6号酵母、吟醸造りの原形となる技法が開発される

伏見の酒蔵数:42
1936年
(昭和11年)

山田錦登場

山田穂と短稈渡船との交配により開発される

伏見の酒蔵数:40
1937年
(昭和12年)

日中戦争

統制化時代の到来

伏見の酒蔵数:43
戦中、戦後

増醸酒、粗悪酒の横行

増醸酒の普及、合成清酒の普及、四段添加、アル添、酸味料添加、調味料添加、糖類添加

  • カストリ … 酒粕を蒸留したもの 清酒より安価にアルコールが買えた
  • メチル(メチルアルコール) … 失明 「メチルは目散る」と言われた
  • バクダン(ジェット燃料) … 失明、死亡
  • 密造 … 酒税を免れるため密造が横行する
1942年
(昭和17年)

食料管理法

酒造米が配給制になる

1946~1955年

祝の品種固定

京都産祝の品種育種 親に野条穂をもつ 1992年に復活 米の心白が大きく溶けやすい味がしっかり出る品種

伏見の酒蔵数:43
昭和中期

安全醸造、近代化

更なる近代化が進み、安全醸造ができるようになった

日本酒の淡麗辛口化

時代がだんだんと飽食時代になり、味の濃い酒よりもドライですっきりとした酒質が受けるようになる

1964年
(昭和39年)

純米復興基調

辛口化からさらに高級志向が強まったことで、昔に戻る酒造りがよいという基調から純米復興の機運が高まる

伏見の酒蔵数:42
1970年
(昭和45年)

販売国数最大

バブル景気により日本酒の販売国数が最大となる

伏見の酒蔵数:44
1975年~
昭和50年代

吟醸酒ブーム

香りの高い(吟醸香)を持つ日本酒が作られるようになり、徐々に吟醸酒の人気が高まる

吟醸麹造り

当時 蔵内や杜氏の中では代々受け継がれる技能として門外不出の技術であった

吟醸酵母の登場

9号、アルプス、86酵母、山形酵母、静岡酵母など

伏見の酒蔵数:42
1989年~
(平成元年)

酒の低迷期

高級日本酒ブーム

伏見の酒蔵数:38
1992年
(平成4年)

級別制度と廃止

1992年に廃止

伏見の酒蔵数:39
1993年
(平成5年)

酒の下降期

消費減少に転じる ワイン、ウィスキーなどにシェアを奪われる

伏見の酒蔵数:38
1913年(大正2年)
京阪電気鉄道が宇治支線(現在の宇治線) 中書島 - 宇治間を開業。20分で結ぶ。
1918年(大正7年)
深草村と上鳥羽村の一部が京都市と合併
1922年 (大正11年)
深草村が町制施行
1928年(昭和3年)
奈良電鉄の地下鉄計画が立案される。これに対し伏見酒造組合はこの事により伏見の地下水脈を絶ち、醸造用水にも深刻な影響を及ぼすことを立証し、 電鉄会社に設計変更を迫るとともに大蔵省、鉄道省、陸軍にも働きかけ、 自然環境の基盤ともいえる地下水を守ることに成功した。
1929年(昭和4年)
伏見町が市制施行して伏見市となる。
1931年(昭和6年)
伏見市、紀伊郡深草町、下鳥羽村、横大路村、納所村、 堀内村、向島村、竹田村、宇治郡醍醐村が京都市に編入され伏見区になる。
同日伏見市廃止。「伏見市」が存在した日数は700日で、改称されたことにより消滅した市を除けば、日本の「市」の中で最も短い存続期間となる。
伏見閘門・新放水路の完成式
1932年(昭和7年)
伏見塵芥焼却場完成。建設費は51,197円90銭。
醍醐警察署が山科竹鼻に移転し山科警察署と改称する
深草第三尋常小学校(現在の藤ノ森小学校)開校
1933年(昭和8年)
京阪国道完成
巨椋池干拓事業起工
1936年(昭和11年)
宇治川観月橋完工
横大路塵芥焼却場竣工
1937年(昭和12年)
深草第四尋常小学校(現在の砂川小学校)開校
1938年(昭和13年)
淀競馬場竣工
1940年 (昭和15年)
市バス桃山線営業開始(上賀茂御薗橋~稲荷大社~桃山駅間)
1941年 (昭和16年)
巨椋池干拓事業竣工
1944年(昭和19年)
市立伏見女子工業学校・市立深草工業学校開校
1945年(昭和20年)
奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)が京阪本線の丹波橋 - 三条間に乗り入れ開始(昭和43年廃止)。
1946年(昭和21年)
稲荷大社が宗教法人・伏見稲荷大社に改称する
1947年(昭和22年)
京阪線の電車が奈良電気鉄道の丹波橋 - 京都間に乗り入れ開始(昭和43年廃止)。
伏見中学校・桃山中学校・深草中学校開校
1948年 (昭和23年)
醍醐中学校・藤森中学校開校
伏見酒造工業協同組合設立
1949年(昭和24年)
桃陵中学校開校
1950年(昭和25年)
久我村,羽束師村が京都市伏見区に編入
1952年(昭和27年)
伏見区役所庁舎完成
久我・羽束師出張所を統合し神川出張所開庁
1953年(昭和28年)
伏見酒造組合設立
1954年(昭和29年)
市電伏見線塩小路高倉跨線橋開通
1955年(昭和30年)
伏見観光協会設立
1957年(昭和32年)
淀町が京都市伏見区に編入
奈良電鉄,京阪線三条~丹波橋間に電車乗り入れ開始
1958年(昭和33年)
三栖公園有料開放
1959年(昭和34年)
京都初の大規模住宅団地,桃陵団地第1年次分完成
1963年(昭和38年)
名神高速道路尼崎~栗東間開通,京都南インターチェンジ営業開始
1964年(昭和39年)
伏見桃山城完成、キャッスルランド開園(平成15年閉園)
1966年(昭和41年)
外環状線(国道1号線~桃山南口)開通
1967年(昭和42年)
醍醐西小学校開校
1968年 (昭和43年)
伏見港運動公園開園
1969年 (昭和44年)
桃山東小学校開校
青少年科学センター完成
1970年 (昭和45年)
外環状線(観月橋~旧京阪国道)完成
市電伏見稲荷線を営業廃止,市バス伏見・稲荷線営業開始(市バス81号系統、81甲号系統、82号系統)
1971年 (昭和46年)
伏見大手筋商店街に開閉式アーケードが完成
1972年 (昭和47年)
向島ニュータウン造成開始
1973年 (昭和48年)
春日野小学校開校
1974年 (昭和49年)
小栗栖小学校、池田小学校、栗陵中学校開校
1975年 (昭和50年)
新観月橋完成
大淀中学校開校
1976年 (昭和51年)
石田小学校、向島南小学校、小栗栖中学校開校
1977年 (昭和52年)
北醍醐小学校開校
1978年 (昭和53年)
羽束師小学校、神川中学校開校
1979年 (昭和54年)
近鉄向島駅開業
向島二の丸小学校、桃山南小学校、桃陽養護学校開校
向島ニュータウンに向島運動公園開園
1980年 (昭和55年)
向島中学校開校
1981年 (昭和56年)
第60回全国高校ラグビー大会で伏見工業高校が初優勝
日野小学校開校
1982年 (昭和57年)
横大路運動公園開設
伏見港公園に体育館・プールが完成
1983年 (昭和58年)
向島藤の木小学校、小栗栖宮山小学校開校
1984年 (昭和59年)
池田東小学校、向島東中学校開校
1985年 (昭和60年)
美豆小学校開校
1986年 (昭和61年)
向島図書館開館
二の丸北小学校、藤城小学校開校
1987年 (昭和62年)
京都府総合見本市会館(京都パルスプラザ)竣工
春日丘中学校開校
横大路運動公園体育館完成
伏見中央図書館開館
京都市美観風致審議会が選定する京都美観風致賞・特別賞受賞
1988年 (昭和63年)
地下鉄烏丸線の竹田~京都間開通
1989年 (平成元年)
地下鉄東西線の醍醐~二条間着工
1990年(平成2年)
洛水中学校開校
呉竹文化センター開館
久我の杜生涯学習プラザ,久我のもり図書館開館
1991年(平成3年)
第1回伏見区民ふれあいフェスティバル開催
1992年(平成4年)
久我の杜小学校開校
JR奈良線六地蔵駅開業
1993年(平成5年)
第72回全国高校ラグビー大会で伏見工業高校が2回目の優勝
伏見北堀公園地域体育館開館
1994年(平成6年)
伏見開港400年祭開催
醍醐寺、世界文化遺産に登録
1996年(平成8年)
納屋町商店街に日本初のギャラリーアーケードが完成
1997年(平成9年)
伏見南浜界隈が「界わい景観整備地区」に指定
JR藤森駅開業
羽束師橋開通
大手筋商店街に日本初のソーラーアーケード完成
醍醐中央図書館開館
地下鉄東西線の醍醐~二条間開通
1999年(平成11年)
久我橋(仮橋)開通
地下鉄東西線醍醐~六地蔵間の延伸起工式
近鉄京都線竹田~東寺間高架開通
弁天橋開通
1904年 (明治37年)
日露戦争
1905年 (明治38年)
夏目漱石「吾輩は猫である」完成
1914年 (大正3年)
第一次世界大戦
1915年 (大正4年)
芥川龍之介「羅生門」完成
1920年 (大正9年)
日本でプロ野球が始まる
1923年 (大正12年)
関東大震災
1925年 (大正14年)
ラジオ放送が開始される
1926年 (大正15年)
川端康成「伊豆の踊子」完成
1927年 (昭和2年)
東洋で初めて地下鉄が開業される(上野~浅草間)
1932年 (昭和7年)
京都で日本初のトロリーバス運転(大宮~西院間)
1938年 (昭和13年)
全国初,京都市内のタクシーにメーター制を実施
1939年 (昭和14年)
第二次世界大戦
1941年 (昭和16年)
真珠湾攻撃
1942年 (昭和17年)
四条大橋完成
1945年 (昭和20年)
アメリカが広島・長崎へ原爆を投下する
1946年 (昭和21年)
日本国憲法が公布される
1947年 (昭和22年)
第一次ベビーブーム(団塊の世代)
1949年 (昭和24年)
京都帝国大学(現、京都大学)湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞する
1952年 (昭和27年)
警察予備隊が保安隊となる(現:陸上自衛隊)
1953年 (昭和28年)
NHKがテレビ放送を開始する
1954年 (昭和29年)
高度経済成長が始まる(~1973年)
三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)の普及。
1957年 (昭和32年)
関門トンネルが開通する
1958年 (昭和33年)
東京タワーが完成する
1960年 (昭和35年)
カラーテレビ放送が始まる
1962年 (昭和37年)
首都高速道路が開業する
カセットテープが発売される
1963年 (昭和38年)
名神高速道路が開業する
1964年 (昭和39年)
東京オリンピックが開催される(アジア初)
1968年 (昭和43年)
川端康成がノーベル文学賞を受賞する
東名高速道路が開業する
日本電信電話公社がポケットベルサービス(ポケベル)を開始する
1969年 (昭和44年)
アメリカのアポロ11号が月面へ着陸する(人類初)
宇宙開発事業団を設立する(現:宇宙航空研究開発機構 - JAXA)
1970年 (昭和45年)
日本万国博覧会(大阪万博) - アジア初の国際博覧会
1971年 (昭和46年)
第二次ベビーブーム(団塊ジュニア)
1972年 (昭和47年)
アメリカから沖縄が返還される
1973年 (昭和48年)
第一次オイルショック。第四次中東戦争で原油価格が4倍へ。高度経済成長の終焉。
1976年 (昭和51年)
VHS(ビデオホームシステム)が発売される
1978年 (昭和53年)
第二次オイルショック。イラン革命で石油生産が中断。原油価格が14.5%上昇。
新東京国際空港(成田国際空港)が開港する
1979年 (昭和54年)
携帯音楽プレイヤー「ウォークマン」がソニーから発売される
1980年 (昭和55年)
イラン・イラク戦争(~1988年)
1982年 (昭和57年)
CD(コンパクトディスク)が発売される。日本が世界初。
最初の作品はビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』
1983年 (昭和58年)
東京ディズニーランドが開園する
ファミリーコンピュータ(ファミコン)が発売される
1984年 (昭和59年)
Macintosh1.0が発売される
1985年 (昭和60年)
Windows1.0が発売される
1987年 (昭和62年)
携帯電話サービスが開始される(当時の重量は900g)
1988年 (昭和63年)
青函トンネルが開通する
瀬戸大橋が開通する
1989年 (平成元年)
消費税(3%)が開始する
ベルリンの壁崩壊。翌年、ドイツ再統一(東ドイツが西ドイツに編入されて統一される)
1991年(平成3年)
ソ連崩壊 - 構成国が独立して独立国家共同体(CIS)を形成する
1993年(平成5年)
国内でインターネットサービスプロバイダ(ISP)が誕生する。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が開幕する
法隆寺、屋久島、姫路城などが世界遺産となる(日本初)
1995年(平成7年)
Windows95が発売する
阪神・淡路大震災 - M7.3。死者約6500名となる
1996年(平成8年)
DVD(デジタルヴァーサタイルディスク)が発売される
1997年(平成9年)
消費税が5%となる
京都議定書 - 地球温暖化防止条約による議定書が締結される
1998年(平成10年)
長野オリンピックが開催される
NTTがISDNサービスを開始する(世界初)
1999年(平成11年)
ADSL(ブロードバンド)が開始される
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が開園する
こんな商品もありました~珍商品~